第60話
翌朝、豪華な朝食を侍女さんが部屋にまで運んで下さった。恐縮しながらイルゼちゃんと二人で頂いたら、食後、見計らったかのようにアマンダさんが部屋にやってくる。
「支度が済んだら、街に下りるぞ。例の武器屋に行く」
「はい、すみません、すぐに支度します」
昨夜、イルゼちゃんがアマンダさんから聞いた話は、朝食中に教えてもらっていた。支度は朝食前にほとんど済んでいたものの、王宮の朝食をゆっくり味わい過ぎてしまった。もしかしたらアマンダさんを随分お待たせしてしまったのかもしれない。今日の彼女は少し、不機嫌に見えた。
「あの、アマンダさん」
「うん?」
王宮内、先を歩くアマンダさんに声を掛ける。振り返った彼女の表情はいつもと何も変わらず、それは私の予想と違っていた。思わず目を丸めて、少し戸惑う。
「いえ……何か怒ってらっしゃるような、気がしたんですが……気のせいだったみたいです、ごめんなさい」
とんだ勘違いで本当に失礼をしてしまった。と思うと同時に、この失礼すぎる勘違いは、口にしない方が良かったのではと今更後悔する。日々を共に過ごす中で、いつの間にかアマンダさんに対しても気安くなってしまったみたい。俯いて反省していると、アマンダさんは低く「いや」と呟いた。
「慣れない豪華すぎる部屋のせいか、昨夜よく眠れなくてね、少し疲れているんだ」
「そうだったんですか。あの、それなら今日は早くに休んで下さいね。無理はしないで下さい」
不機嫌とか怒っているんじゃなく、不調であったらしい。心配な思いで慌てて告げたら、アマンダさんがくつくつと肩を震わせて笑う。
「あんたに言われちゃ敵わないね」
普段から心配をお掛けしてばかりで、自分を大事にしろと何度も怒られているのは私の方だ。「すみません」と思わず言えば、アマンダさんは一層笑いながら、私の頭を乱暴に撫でた。乱れた髪はいつものようにイルゼちゃんが丁寧に整えてくれた。
「ところでグレンとジェフは?」
「あいつらは他の探しもんをしてる。武器屋から近いとこにある広場で待ち合わせだ」
つまり、お二人はもっと早い時間から行動を開始しているということだ。呑気に朝食を堪能していたことを少し恥じた。
そうしてアマンダさんの言う場所に向かえば、既にグレンさんとジェフさんが待機していた。別件すらもう終えていたらしい。朝の挨拶をすると、にこやかに返してくれるジェフさんと、いつも通り丁寧にお辞儀をして下さるグレンさん。
「おはようございます、フィオナ様、イルゼ様。昨夜は充分にお休み頂けましたか?」
「は、はい。お陰様で……」
泣き疲れて眠ってしまったので、王宮内という緊張を感じる間も無く、本当にぐっすりと。とは流石に言えなくて無難に答える。イルゼちゃんは軽く「うん」とだけ言っていた。
「で、武器屋って、あれ?」
「はい。正面の通りの奥、右手側に見えるあの店になります」
イルゼちゃんに言われて初めて気付いた。確かにグレンさんが示した場所に、武器屋と分かる看板が立っている。ちょっと分かりにくい場所に店を構えているのも、店主さんの気難しい印象を更に強めていた。
「じゃ、行こっか」
気負う様子無く足を進めるイルゼちゃんには、ほんの少しの緊張も恐怖も不安も無いみたい。無駄に身を固めていたせいで少し出遅れ、慌ててイルゼちゃんの背を追った。
それでも私はこの件には一番関係が無い――と思っていたのだけど。店に入ってすぐ、噂の店主さんに最初に声を掛けられたのは私だった。
「――その剣は何だ?」
妙な重さを感じる声に、咄嗟に身構える。自分が話し掛けられたとは思っていなかったのに反射的に振り返れば、どうしてか店主さんと視線が絡んだ。
「誰のどの剣?」
代わりに応えてくれたのはイルゼちゃんだった。私達の中で剣を携えているのは三人居るのだから、当然の疑問だ。しかし、視線は明らかに私に向いていた。イルゼちゃんも気付いているとは思う。
「白いローブを着た、小さいお嬢さんの持つ短剣だ」
イルゼちゃんは小さくなく、白い服も着ていない。ジェフさんがお嬢さんと呼ばれるわけも無い。つまりどうしたって間違いようも無く、私である。ちょっと怯えていた。
「あ、あの、これは……」
「神の力を宿した、神聖な短剣です。物を斬るべく利用しているものではないのですが。これが何か?」
今度はグレンさんが入ってくれた。私、ずっと話し掛けられているのに一言もまともに返せていない。流石にちょっと居た堪れない。
「ふむ。儀式用か? 良ければ少し見せてくれ」
「は、はい、構いません」
何とか自力で返事をして、腰に携えていた勇者の短剣を店主のおじいさんに差し出した。
「魔法を扱う時の媒体としているので、剣としては本当に利用していないのですが……」
私の言葉に軽く頷きながら短剣を引き抜いた店主さんは、少しの間、鋭い目で刃をじっくりと見つめた。
「なるほど。勿体ない――と言いたいところだが。この剣、血を吸わせるべきではないだろう。上等な剣術を以てすれば凡そ血を付けずに何でも斬れるだろうが、下手な者が扱えば穢れ、力を弱めてしまう」
静かにそう言うと、店主さんは剣を鞘に納め、私に返してくれた。会釈をしながら受け取る。私に剣術など皆無なので、私が扱う以上、今の使い方が無難ということだ。怒られるかと怯えていた為、ホッとした。
同時に、一流の鍛冶師には、鞘に納められていても剣の特別さが見え、実際に刃を見ればその本質すらも見極められるものなのだと、驚愕していた。
「神の力を宿しているというのも、事実であるように思う。昨日、店番に言伝を残したのはあんたらだな。俺はこの店の店主を務めているジンだ。あんたらは何者だ?」
グレンさんは彼の言葉を肯定し、私達を紹介すると、懐から一つの封筒を取り出してジンさんに差し出した。国王陛下からの文だと言う。
……まさか王様から、協力を命令するような一筆は頂いていないよね? 一瞬不安になったものの、流石にそこまでのことはしていないみたい。グレンさんはほとんど事実の通りに私達について語り、魔族と戦う為の剣を求めていることを告げた。王様からの手紙にも同じ内容が書いてあると言う。つまり、嘘を語っていない証明の為の文だったらしい。
「事情は分かった。後ろに国王が付いていようと俺はどうでもいいが……剣を必要としているのは、クソみてえな
勇者の短剣すら見抜くのだから、イルゼちゃんの剣がどんなものであるかも既に分かっていたようだ。イルゼちゃんはジンさんの言葉に軽く眉を上げた。
「みんなそう言うけど、私は別にこいつをそんなに悪い剣だとは思ってないんだけどなぁ」
むしろ日々大事にしているのを見る限り、イルゼちゃんは割と気に入っているんだと思う。肩を竦めながら剣を腰から外し、ジンさんに渡した。
「こいつよりもうちょっと重くて、これくらいの長さが良いんだよね」
ジンさんは剣を鞘から少しだけ抜くと、私の時と違ってあんまり凝視することなく不快そうに眉を寄せてすぐに鞘に戻していた。ジンさんの目には毒なほど良くない剣なのだろうか……私にも全然分からない。
「裏に来い。一度その剣を振るってくれ」
そう言うとジンさんはおじいさんと思えぬほどスッと軽く立ち上がり、私達を奥へと招き入れた。店の裏は小さい庭だったものの、試し斬り用の巻き藁が幾つか置いてあった。無言でそれを一本立て、ジンさんがイルゼちゃんを振り返る。イルゼちゃんは軽く頷いたら何にも会話をしないままで前に立ち、ジンさんが充分に離れたところで、巻き藁を容易く一刀両断した。
「くっ、はははは!」
唐突にジンさんが大きな声で笑ったので、私はびっくりして軽く跳ねた。いつもはこういう時、イルゼちゃんが私を慰めてくれるんだけど。今は離れている為、アマンダさんが背中を撫でてくれた。誰かが必ずこの役目をするという決まりでもあるのだろうか……大丈夫です、すみません。
「そりゃお前さんには全部同じ剣だろうさ! どれも同じように斬れちまうんだからな!」
ジンさんは可笑しくて堪らないらしくって、ご自分の太腿をばんばんと大きな音を出して叩いている。痛そう。アマンダさんが私の隣で小さく「そういうことか」と呟いた。
「よしよし、こいつは面白い。気に入った。お前の剣、俺が打とう」
「新しいものを打って下さるのですか?」
良い剣を買わせてもらえば御の字だったところ、イルゼちゃんの為だけに剣を作って下さると言う。グレンさんの問いにも機嫌よくジンさんは頷いた。『どの剣も同じ』と思っているイルゼちゃんを何故か、
「ところで、そっちのお前はダンカンの
「お、親父のことを覚えておいでで……はい、俺はダンカンの息子、ジェフと言います。しかし、そんなに親父に似てますかね」
「ほとんど同じ顔しといて何を言ってやがる」
私は咄嗟に笑いを堪えて俯いた。でもアマンダさんは隠さずに笑い声を漏らしている。ジェフさんとお父様ってそんなに似ているんだ。ジェフさんが二人並ぶ様子を想像してしまって、少し肩を震わせた。
「お前も鍛冶をやるんじゃないのか?」
大きな剣を背負うジェフさんを見てそう思うのは、お父様に似ているせいなのか、それとも鍛冶師の間にはそれと分かる振る舞いがあるのか。でもジェフさんも戸惑っていたから、ジンさんが特殊なんだろうなと何となく思う。
「はい、扱うのは生活用の刃物ばかりですが」
「ふむ。まあいい。うちはもう俺以外に鍛冶師はおらん。早く仕上げる為にお前が手伝え」
「へっ、そ、そりゃ光栄なことです」
昨日店番をしていた人は本当にただの店番らしい。ジンさんは五年ほど前からもう弟子を取るのも止めたと言う。それなら、今回だけのお手伝いかもしれないけど、ジェフさんが最後に指導を受ける人になるのかも。何だか尊い御縁だと思った。
「普通の剣なら、存在を掻き消されちまうほどの剣士だ。鍛冶師のプライドを懸けて、そんなあんたに敵う剣を打たせてもらおう」
ジンさんが、イルゼちゃんを気に入った理由が、少し分かった気がした。ジェフさんが先日「鍛冶師としては寂しい」と言ったあの感情をもっと大きく強くしたようなものなのかもしれない。この方は、イルゼちゃんが「どれも同じ」と思う剣の中に自分の剣も含まれてしまうことが、許せなかったんだ。待ち望んでいた好敵手に出会ったような、ギラギラした、それでいてキラキラもしている瞳で、ジンさんがイルゼちゃんを見つめる。
「あんたは、何の為に剣を持つ」
問われたイルゼちゃんは答えるより先に私を見つめた。
「フィオナを守る為。敵は勿論、この子を邪魔する奴は全部斬る。それが魔王でも魔族でも、神様でも」
ぞわりと鳥肌が立った。
例え話でも何でもなく、イルゼちゃんが本気で言ったのが分かったから。イルゼちゃんは、私にこの紋を授けた女神様のことも、必要だと思ったら斬るつもりがあるんだって。
私はこの時、イルゼちゃんを少し怖いと思った。だけどジンさんは一切怯む様子無く、何処か嬉しそうに口角を引き上げた。
「良いだろう。俺の剣がその道を現実にしてやる」
神様を斬る部分に関しては現実にされると困ると思ったけど。今はとてもじゃないが言える雰囲気じゃなかった。
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