第59話

「お、御言葉です、が」

 どうしたって最初の声が引っくり返るのは、もう、今は置いておくことにする。

「一族の方に導き手を担うよう命じたのは、『神』である可能性が最も高い、と存じます」

 私の言葉に場の人達は一斉に目を大きく見開いた。視線が集中しているだけでも怖いのに、視線が強まった感じがしてもっと怖い。ちょっとだけ身体を強張らせる。

「み、導き手の方々が扱う術は、神の術、です。当時の国王陛下が神でもない限り、その役割を易々と、指名できるものではないのでは、と」

 魔王を封印したのも神々だったはずだ。人と協力したとは聞いているものの、人が主導して行うとは考えにくい。神々が主立おもだって行い、それを未来に引き継がせる為に人に協力させたんじゃないだろうか。そして導き手一族も、その場に居て最も『適性のある者』を神が選んだのだと私は思う。

 私の説明に王様達は難しい顔で沈黙している。段々、ちょっと、伝えたことが不安になってきた。

「申し訳ありません、その、女神様からの知恵ではないので、単なる想像です。ただ、当時の国王様も含め、私は、……どなたか御一人が悪い、という、状況ではないと思い……」

 言い訳のようにそう続けていれば、王様の目からぽたりと涙が流れ落ちてぎょっとする。「へ、陛下」と私が声を震わせたところで他のみんなも気付き、従者の方々は一層おろおろしていた。

「すまない」

 従者さんから受け取ったハンカチで目元を押さえながら、王様が呟く。弱々しく震えている声は、王様を一回り小さく見せた。不敬な感覚かもしれないけれど。

「ありがとう、心優しい勇者殿。私は、明るく希望に満ちた目をした青年を送り出したあの日を、今でも繰り返し、夢に見る。帰ってきたグレンが酷く打ちひしがれている姿に、何という残酷なことをしたのだろうかと……ずっと、己を責めていた」

 その言葉に、今更ながらハッとした。

 私は、当時の仲間であるヨルさん、ダンさん、サリアちゃん、そして私とイルゼちゃんの家族のことを『悲しませた』と思っていたけれど。私を送り出した王様も、確かに悲しい顔をしていたのだ。当時は、戦う力を持たない頼りない私を不安視したんだと思っていたけれど、今の王様と同じだったのかもしれない。

「希望をありがとう。私も、あの青年に心から謝罪をしたい。……願いばかりで申し訳ないが、どうか、彼を助けてくれ。その為ならば我々は、如何なる支援も惜しまない。此度も頼ってくれたことを嬉しく思う。これからも何かあれば遠慮なく、願ってほしい」

 ありがたい御言葉に、お礼を言うのが精一杯だった。胸の奥に小さな棘が残って、ちくちくした。

 その後は、魔物に襲われてしまった村のことも既に支援に動いて下さっているということで、説明をして下さった。今後、魔物に関する知識も広く国民へ伝えられるように対策を講じていくと言う。

 魔王の完全封印がされればまた少し魔物の被害も落ち着くはずだけど、魔物自体が一掃されるとは思えない。今後も世界には必要になる知識だと思うから、対策を取って頂けるのはありがたいことだ。

「改めて、晩餐会に来てくれて感謝する。王都に滞在する間は、今の部屋を自由に使うといい」

「ありがとうございます」

 先程からグレンさんが率先して応えて下さるので言葉を選ぶ必要が無くてとても助かっている。私達も頭を下げた。王様が立ち上がるが、グレンさんが立たないので私達は留まる。すると王様はゆったりとした歩調で私の傍へと歩いた。向き直ろうとしたら私の後ろに従者さんが立ったので、これは私も立ち上がるやつだと察して立ち上がる。従者さんが丁寧に椅子を引いてくれた。私が王様と向かい合って立つ状態になったのだけど、これで良いのだろうか。窺うべくグレンさんに視線を向けたいのに、王様から目を逸らすのも不調法に思えてぐっと堪えた。

「最後に、勇者殿」

「は、はい」

「良ければ一度、勇者の紋を見せてもらえるだろうか」

 そういえば今世の王様には一度もお見せしていなかった。意味は分からなかったものの、願いに応じて喉元のボタンを外した。王様のすぐ傍にイルゼちゃんが座っているんだけど、ちょっと目を細めて王様を見たので冷や冷やする。別に服を脱がされてるわけじゃないから。喉元だけだから。そんな顔しないで。

「……うむ」

 私から一歩離れたままの位置で勇者の紋を見つめた王様は、ただそれだけを呟き、複雑な思いを宿した瞳をまた涙で揺らした。けれどそれが目から零れ落ちることは無くて、飲み込むように一度目を閉じて静かに俯く。再び顔を上げた王様の目は赤かったけれど、優しい瞳だった。

「ありがとう。月並みな言葉になるが……その身に改めて紋を宿してくれたあなたの勇気に、敬意を」

「と、んでもありません。勿体ない御言葉です」

 何と答えるのが正解なのか分からなかったが、何とか、無難な言葉が出てきてくれた気がする。王様は優しい笑みを湛えて頷くと、そのまま全員へと挨拶をして退室して行った。

 私達もその少し後に、それぞれ侍女さんらに案内して頂いて部屋に下がる。

「フィオナ」

「わ」

 侍女さんが退室すると同時にイルゼちゃんは私の身体を引き寄せて腕の中に閉じ込めた。私が咄嗟に反応できるわけも無く、無抵抗に収まった。勿論、抵抗する理由も無いんだけど。

「どうしたの、イルゼちゃん」

「私の台詞」

「え?」

 イルゼちゃんの腕は一層強く私を抱いた。

「王様は、フィオナのこと沢山褒めてくれてたじゃん。なのにどうして、そんなに悲しい顔をしてるの」

「……それは」

 褒められた、というか。確かに王様は、私の行いや選択を認め、応援して下さっていた。終始お優しくて、だから私は王様の御言葉に悲しんでいるわけではない。ただ、前世を思い出し、自らの罪をまたなぞっているだけだ。

「……王様も苦しんでいるって私ずっと知らなくて。今まで、前世の王様のことをほとんど思い出しもしなかったの。考えたら、分かるのにね」

 泣き出しそうで、目が熱い。だけど泣いてしまうのはズルい気がして、唇を噛み締めて必死に涙を飲み込む。でもイルゼちゃんが背を撫でる手が優しくて今にも緩んでしまいそう。喋ったら泣いちゃうから、私は黙り込むしかなかった。

「さっき、フィオナ自身が言ったんだよ、誰か一人が悪いなんてことは無いって。なのにどうしていつもフィオナは自分が悪いことになるの?」

「……だめ」

「何が」

「いま、やさしくされたら、泣いちゃう、から」

 涙が目から零れ落ちていないだけ。もう声はすっかり泣いていて、泣いていないって言い張るのもちょっと恥ずかしい状態だ。

「フィオナが泣かなきゃいけないほど悲しむ必要なんか絶対に無いけど。それでも泣きそうになるなら、私の前でくらい、我慢しないでほしいよ」

 そう訴えるイルゼちゃんの声が、どうしてか泣きそうな色をしていたから。耐え切れなかった。私の目からは一つ二つと涙が零れ落ちていく。ほんの少し身体を震わせただけでも私が泣き出したって気付いたイルゼちゃんは、更に強く私を抱いてくれた。決壊してしまったらもう留めることなんか出来なくて、私は子供みたいに喉を震わせて、泣いてしまった。


* * *


「あの子は、落ち着いたのかい」

 アマンダは、静かにそう囁く。イルゼは笑いながら頷き、「眠ってる」と返した。

 泣き疲れてフィオナが眠った後、彼女をベッドに運んだイルゼはそっと部屋を抜け出して隣のアマンダの部屋に移動した。フィオナが泣いている間、アマンダは二人の部屋を訪れようとしていたのだが――微かに漏れ聞こえたフィオナの泣き声に、遠慮をしたのだ。アマンダの気配が扉に来ていたのを気付いていたイルゼは、用件を聞く為だけにこうしてやってきた。

「ジェフの言っていた武器屋は、今も営業をしていたよ。例の店主は今日は不在だったが、明日は居るらしい」

 やはりアマンダ達は今日、事前に武器屋を確認する為、城下町に行っていたようだ。イルゼは自分の剣の話だというのに、あまり興味がない様子で軽く頷いている。アマンダはそれに対し特に文句は言わなかった。イルゼの気質についてはもう今更だ。むしろ剣に関してこれだけ見る目が無いにも拘わらず無駄に我が強くても困る。渡したものを大人しく使ってくれるならその方が良い。

「一応、店番に用件を伝え、明日改めて訪問することは告げてある。フィオナの調子が悪くなければ、全員で行くよ」

「分かった」

 即座に了承を告げるイルゼにアマンダも軽く頷きを返す。話が終わりならばイルゼはあまりフィオナを一人きりにはしたくなかったので戻りたいのだが、まだ続きがある気配を察して、その場に留まっていた。案の定、アマンダは次の用件に話を移した。

「それから、今後のことだが。陛下が状況を整えてくれるまで光は後回しにして、当初の予定通り、他の魔族を優先しよう」

「あとは何だっけ、地と水?」

「だね。地は風に、水は地と雷に弱い。単純に考えれば此方に分があるんだが……まあ、火の魔族のことを思えば、弱点はあまり通用しないと考えた方が良いだろうね」

 最初に向かった火の魔族は、弱点であるはずの水属性を無効化する特性があった。幸い、此方には水属性を扱う者が居なかった為に痛手は無かったが。今回は多少、響く可能性はあるだろう。

「同属性も居ないもんね。光属性で押すのが常套手段かなぁ。でもあんまり、フィオナに頼りたくないんだけど」

「それはあたしも同感だ。戦闘まで任せるとなると、あの子の負担が重すぎるよ」

 フィオナには治癒術もある。もしも誰かが倒れたとして、彼女の魔力が枯渇していれば助けることが出来ない。また、フィオナは魔術師として奇跡と呼べるほどの高い能力がある。何かあった場合に備え、彼女を可能な限り温存するべきだとアマンダは言った。イルゼは勝率云々を度外視して、ただフィオナを前に出したくないだけなのだが、目的は同じであるのでアマンダの言葉に大人しく頷く。

「地と水のどちらに向かうかは、またフィオナも交えて改めて相談しよう。あたしからはそれだけだ。もう戻っていいよ」

「うん」

「悪い夢を見ないように、大事に温めてやるんだよ」

 さっさと立ち上がったイルゼに、アマンダはそう告げる。以前、フィオナが魘されて起きた後にも、彼女は同じ言葉を使った。イルゼもきちんと覚えていて、ふっと笑う。

「分かってる」

「何かあれば、何時でも良いから呼びにおいで。……あの子の心と身体が、何より大事だ」

 優しい声で、そして何処か、悲しい声だった。

 いつになく真剣に彼女を案じているアマンダに少しイルゼは目を丸めたけれど、また笑みを浮かべる。

「うん。ありがとう」

 そうしてイルゼはアマンダの部屋を退室し、足早にフィオナが眠る部屋へと戻る。目を閉じてその音を聞いていたアマンダは、長く息を吐き出した。

 あらゆる意味を含め、フィオナが何よりも大切だ。

 彼女を助け、彼女の望む目的を果たせば、この世界は救われる。そして、アマンダ達も、王様も、多くの後悔を抱えていた者達が救われるだろう。

 しかしその時、フィオナは本当に救われてくれるのだろうか。何故、彼女はまだ、己の信じた道を進みながらも傷付き苦しみ続けているのか。

 先日は少し『甘え方』を覚えてくれたけれど。あんなことでは到底、足りない。

 どうしてやればほんの少しでも彼女を苦しみから救い出してやれるのか。容易に答えの出ない課題を前に、アマンダは改めて、深い溜息を零した。

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