第58話 王都 フィルシーゼ

 私は今、城内の豪華な一室に居る。

 王都に到着して真っ直ぐに城へと向かったら、そのまま此処へ通されてしまったのだ。曰く、長旅で疲れているだろう私達の為に部屋を用意して下さっていたらしい。王都に滞在する間はこの部屋を遠慮なく使うようにとのこと。ありがたいけど……「遠慮なく」なんて、無茶を言わないでほしいと思った。

 ただ幸いだったのは、イルゼちゃんと同室であること。本当はそれぞれに一室ずつ用意して下さっていたのだけど、グレンさんが「慣れない王宮で心細く思われるでしょうから」と言って、私とイルゼちゃんは一緒にしてくれた。王宮に慣れているなんてグレンさんだけなのに、アマンダさんとジェフさんは一人部屋で大丈夫なんだろうか。ただ二人は落ち着かない顔をしていたものの、何も言わず与えられた部屋に入っていった。大人だな……。

「うわ~、お風呂ひろ~い」

「イルゼちゃん……」

 部屋の中央にあるソファの端に腰掛けて固まっている私とは対照的に、イルゼちゃんは部屋を探検していた。どんな場面においても心が強すぎる。

「フィオナ、こっちからバルコニーに出られるよー」

「えぇ……勝手に出て大丈夫かな?」

 何だか立ち上がることすら怖いのだけど、イルゼちゃんがいつも通りの顔で手招くので、恐る恐る歩いて彼女の傍へ。

「駄目だったら先に教えてくれてると思うよ。ほら、鍵も開けられるし」

 イルゼちゃんの言う通り鍵はレバーを引くだけで簡単に開き、容易にバルコニーへと出ることが出来た。

「庭が一望でき……いやもう庭って規模じゃないんだけど。城ってすごいな」

「わあ、すごい」

 バルコニーの正面は王宮の庭になっていた。本当に広くて、圧巻だった。こうして上から眺めることもきちんと考えられているのだろう、色とりどりの花が咲いているものの、規則性を持って整えられている。庭で絵画を描いているみたい。

 いつまでも飽きずに眺めている私に、イルゼちゃんはずっと付き合ってくれていた。さっきまでは退屈なのかと思うほど、部屋をうろうろしていたのに。ふと気付いて顔を上げたら、イルゼちゃんが微笑む。

「折角だから滅多にない経験を楽しんだらいいよ。私も一緒だからさ」

「……うん、ありがとう」

 怯えている私を気遣ってくれたらしい。その後は私もイルゼちゃんと一緒に部屋を探検した。調度品一つ一つが美術品のようで、ベッド脇の棚までまじまじと見つめてしまう私を、イルゼちゃんは楽しそうに見守っていた。

 気が済むまで探検した後、二人で改めてソファに座る。侍女さんが淹れてくれたお茶は私達が遊んでいる間にすっかりと冷めてしまったものの、冷めても充分に美味しかった。流石は王宮の茶葉だ。

「夕飯、いや晩餐会? までは、ゆっくりしてて良いって言ってたよね。剣の手入れでもしようかな」

 そう言ってイルゼちゃんは傍に立て掛けてある剣を手に取った。預けなきゃいけないと思っていたものの、部屋に持ち込むことはすんなりと許された。晩餐会では預けることになるらしいけど、それ以外は問題ないと言う。どういう基準なのかよく分からない。また落ち着いてからグレンさんに聞こうかな。

「もしかしたらジェフさん達、先に武器屋を見に行ってくれてるのかな」

「あー、ありそう」

 店自体がまだあるか。あるなら、剣を売ってもらえるかの確認。最終の購入は流石にイルゼちゃんが居ないと出来ないだろうけど、ある程度は先に見繕っておくつもりがありそうだ。全員で動いて店から探すのは効率が悪いし、あまり時間が掛かると私の体力が尽きてしまう。……だからってジェフさん達に下調べをさせたいわけじゃないんだけど。この辺り、いつも甘えてしまっている。

「私は……魔法書でも読んでいようかな」

 これは時間を潰すという点では最適だったものの、この状況であまりいい選択ではなかった。私は侍女さんが部屋に入って来ても気付かない程、集中し過ぎてしまったのだ。

「フィーオナ、ってば」

「わぁっ」

 魔法書と顔の間にイルゼちゃんが手を差し込んできて飛び上がる。私が集中し過ぎた時は、大体こういうやり方で止められる。

「時間だってさ。そろそろ行くよ」

「えっ!?」

 顔を上げたら侍女さんが入り口で待っていて、頭が真っ白になった。慌てて魔法書をソファに置いた。

「ご、ごめんなさい!」

 しかし鈍臭い私は、急いで立ち上がると絶対にふら付いてしまう。イルゼちゃんが分かっていたみたいに私を抱き止めた。

「女性の支度が整うまで、男性方には談笑してお待ち頂くものでございます。お急ぎになることはございません」

 無駄に大騒ぎしている私に侍女さんはおっとりと微笑み、優しくそう言った。「すみません」と消え入りそうな声で呟くことしか出来なかった。恥ずかしい。

 実際、本来なら女性は着替えなどの支度に時間が掛かるものであり、もっと早くに声が掛かる。ただ私達は装いもそのままで良いものとされていて、ぎりぎりまで休息できるように陛下がお気遣い下さったとのこと。だから多少遅れたとしても、咎められるものではないとか。そう言われても、お待たせするのは申し訳ないんだけど……あまり謝り過ぎるのも困らせてしまうだろう。侍女さんのご説明に小さく頷くに留めた。

「――お二人の勇者様をお連れ致しました」

「え」

 扉前で侍女さんが告げた言葉に、イルゼちゃんが戸惑った声を漏らした。今、そういう話になっているんだ……私も、今世はもう勇者じゃないんだけど。困惑しながら入場する私達を見て、既に揃っていたアマンダさん達が苦笑していた。

「お、お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「とんでもない。勇者殿の活躍についてグレンに聞いていたところでな、有意義な時間であった」

 王様はにこやかにそう言うと、私とイルゼちゃんにも着席を促した。グレンさんが頷いて下さったので、練習通りに着席する。従者さんの椅子の動かし方が上手なのだろう、危なげなく座ることが出来た。

「労いの為に用意させた会だ。作法など気にせず、いつも通り楽しく食事をして頂いて構わない」

 普通の格式ばった晩餐会では開始前に主催者――この場合は王様から挨拶の言葉があるとグレンさんは言っていたけれど、王様は今の言葉だけですぐに乾杯して、給仕を開始させた。不慣れな私達に気遣って下さったらしい。

 前菜から驚くほどの美味しさで、緊張しかなかった私の心の半分が『美味しい』に変わった。王様がグレンさんと穏やかな雑談をしているのを聞きながら、黙々と食事をする。そうして私達が少し緊張を解いた頃、王様は本題に移った。

「光の魔族の封印地について、改めてグレンから話を聞かせてもらった。一報を受けた時点で、城内に何か記録が無いかを調べさせたのだが」

 事前にグレンさんが送った手紙を見て、書物からの調査だけはして頂いていたらしい。

「伝承として残されているものが一つ見付かった。あくまでも伝承であり、真偽のほどは分からぬ」

 そう前置きをしながら王様が話して下さったのは、魔族ではなく『神』の封印の伝承だった。

 天罰による災厄に見舞われ、周辺に住まう人々は滅びの危機に瀕していた。生きる為に、その『神』を、別の神の協力の下で封印した。しかし対象が『神』であったこと、そして元より災厄の原因も天罰であり、人々が神の怒りに触れたことであった為、生きる為にしたとはいえ封印自体が許されざる悪行であったと言われており、封印した人々にとって口にすることは禁忌となったのだと。

「……その話が例の街の『歴史』であるなら、状況は確かに似ていますね」

 大人達は頑なに何も語らず、質問者を避ける。もしもその話自体が禁忌とされているのであれば、その反応にも納得がいく。

「して、勇者殿……『神』が封印されている、ということも、考えられるのだろうか?」

 急に私に視線が向いて、異様に緊張した。「いえ」と呟いた最初の声が引っくり返ったが、とりあえず話を進めることにした。

「め、女神様が『魔族』と断言されておりましたので、魔族であることに間違いは、ない、と存じます。ただ、私達が考えるように光属性の魔族というものは稀ですから、属性と、強大な存在というだけで『神』と考えてしまったことは、あるのかと」

 ところどころ声が震えていることは容赦して頂きたい。一応、聞き取れるようには喋れたはず。最初に納得した様子で頷き、「確かに」と相槌をしてくれたのはグレンさんだった。

「フィオナ様の仰る通りですね。光属性である『何か』が現れれば、人はまずそれを『神』と考えるでしょう。暴れ狂う獣の姿であったとしても、『怒る神』かもしれません」

「ふむ、なるほど。確かにそうだな」

 王様も納得した様子で何度か頷く。

「魔族に間違いない、ということが分かっただけで充分だ。説得材料として有効に扱おう。管理者の発見と説得は、此方が担うと約束する」

「多大なご支援、感謝いたします」

 グレンさんが即座にお礼を述べるのに合わせて、私達も頭を下げる。

「とんでもないことだ。最も重い負担を、其方そなたらが請け負っておる。……本当に、申し訳ない」

「陛下」

 静かに王様が首を垂れるのを見て、私達はぎょっとしたし、グレンさんや側近の方々は真っ青になっている。王様が誰かに、しかもただの平民に頭を下げるなんて、本来であればあってはならないことなのだと思った。

「残酷な勇者の運命。一体、誰に罪があるのかを考えた時。……やはり最も罪深いのは、王族なのだよ」

 王様の目には悔恨が滲む。深い藍色の瞳が、まるで悲しみによってその色に染まったかのように色を深め、揺らいでいた。

「代々受け継がれ、そうしなければ人類が滅ぶ。致し方ない。そう言い聞かせ、我々は勇者を旅立たせてきた。あまつさえ、導き手一族に、そのあらゆる罪悪感を押し付けている」

「いいえ、陛下。これは、我が一族の役割です」

「そうだろうか。私は疑問に思っている。『いつから』導き手一族はそれを役目にしたのだろうかとな」

 グレンさんが口を噤んだ。私は自分が話題の渦中に居ない為に少し冷静に、王様の言葉を考えることが出来た。

「当時の国王が、そう命じたのではないか? そうでなければ、何故、一族はそのような茨の道を進むことを選んだと言うのだ」

 王様の声は、強い感情に震えていた。この御方は、本当に心優しい。初めて拝謁した際にもそう思った。一族の苦しみや、残された者達の苦しみを「仕方ない」と目を逸らしても良かったのに。寄り添ってしまったから、こうして胸を痛めている。

「グレン。お前は、本当に心の底から、あの役目を名誉なものと思うたか」

 その問いに、グレンさんは目を閉じた。テーブルに置かれていた手は固く握り込まれ、震えている。

「いいえ、……何と重い、罪なのだろうかと、全ての運命を呪いました」

「それが当然の思いであると私は思う」

 本当は、一族としては、言ってはいけないことなのだと思う。だけど王様はグレンさんの思いを肯定した。きっと王様も、グレンさんと同じ思いだったからだ。

 でも私の願いは、彼らにこうして罪を負って、悲しんでもらうことじゃない。

 言葉を挟みたくて深呼吸をしていたら、気付いたイルゼちゃんが、テーブルの下で私の手を握ってくれた。縋るみたいに握り返し、勇気をちょっとだけ分けてもらってから。意を決して、口を開いた。

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