第52話
「次に立ち寄る町でしたら、武器屋があったはずです。ただ、そこまで質が良いものが手に入るかは分かりません」
この村は、宿を提供して頂けたのが幸いと言えるくらいに小さな村で、武器屋などは無かった。次の町は此処よりは大きくて武器屋があるとのことだけれど、グレンさんが知る限り一軒しかないので、その店で高品質なものが手に入るかは不明だと言う。
「えー、この剣も別にそんな……ソット村に来た行商から買った量産品だしなぁ」
私達の故郷の村も、刃物の手入れをしてくれる人は居るものの、一から武器を作ってくれる人は居ない。だから刃物の類はほとんど行商から買っている。イルゼちゃんの剣もその一つだった。つまりイルゼちゃんは、元々そんなに質の良いものを求めていなくって、大仰にしなくていいと告げているのだ。でもグレンさんはそれを理解した上で、首を振った。
「これを機に、イルゼ様に相応しい剣を用意した方が宜しいでしょう」
「グレンの崇拝ぶりはさておき、良い剣を使うべきなのはあたしも同意だよ。魔王戦で折れたらどうするつもりなんだい」
「う、……確かにまあ、それは困る……」
良い剣を使っても折れないとは言えないので、予備の剣も持っておくべきかもしれない。ふと思ったそれを鈍間な私が口にするより早く、みんなも「今後は予備も」という話をし始める。大人しく口を噤んだ。
その時ふと、視界に入ったイルゼちゃんの右手の動きに違和感を覚える。妙に、何かを確かめるみたいに繰り返し動かしていた。
「イルゼちゃん」
「うん?」
「右手、どうしたの」
私の喉からいつもより低い声が出たのは気付いていた。議論中だったグレンさん達も一斉に沈黙し、此方を見つめる。イルゼちゃんは一度視線を外してから、改めて私を見つめ返してくる。瞬きがやけに多かった。
「あ、いや。ちょっと、うーんと、じんじんする……?」
「見せて」
身を寄せると一瞬イルゼちゃんは私から逃げようと動いたけど、サッと後ろに回ったアマンダさんが押さえてくれたんだと思う。その身体がびたりと止まり、私の両手がイルゼちゃんの右手を掴む。
「フィオナ、どうだ?」
「薬指と小指の付け根、骨にヒビが入ってます」
「このバカたれ」
即座にアマンダさんがイルゼちゃんを軽く小突いた。「ぁいたっ」と言う声と共に、微かにイルゼちゃんが揺れる。私は小さく溜息を零してから、丁寧に回復魔法を掛けた。
五分と経たず治癒は終わったけれど。そのままイルゼちゃんの右手を全く使えないようにサラシでぐるぐる巻きにして固定する。イルゼちゃんが何かを言うより先に、アマンダさんがクッと笑った声が聞こえた。
「フィオナ、そ、それはちょっと……」
完全に使えなくなってしまった右手を見下ろしながら、イルゼちゃんは動揺している。私は無視してそのままサラシを固定した。
「どうしていつも」
「うっ、はい」
私なりに、強く睨むつもりで見つめた。でも私じゃきっと少しも怖くはなかったと思う。それでもイルゼちゃんが怯んでくれたのは、元々イルゼちゃんが私に対して甘いからだ。
「怪我をした時にすぐ教えてくれないの!?」
「ち、違うよフィオナ、隠そうとしたんじゃないよ? 剣が折れた時の衝撃がまだ響いてるだけなのかもしれないって思って……」
声を震わせながらイルゼちゃんがそう説明する。だけどこういう時は、いつも似たような説明ばかり。「治癒するほどじゃないと思った」とか、「後で言うつもりだった」とか。繰り返し許してきたけど、全然、無くならない。
「……もういい」
「えっ」
私は俯いて、また一つ、短い溜息を吐いた。
「今日は動かさないで。お風呂もこのまま入って。上がったら巻き直すから」
「あ、あの、フィオナ……?」
イルゼちゃんが何を言いたいのかも分かっていたけど、聞こえない振りをした。
「折角これから王都に向かうので、王都できちんとした剣を用意するのはどうでしょうか」
話の続きを促したら、一瞬、部屋がしん、と静まり返った。アマンダさんはイルゼちゃんの傍を離れながら、軽く彼女の背を叩いた。
「ああ、王都なら間違いないだろ。グレンは何処か良い店、知らないのか」
「俺自身が武器を扱わないからな……だが一族の者に聞けば」
「待て待て、それなら俺に覚えがある!」
イルゼちゃんだけはまだおろおろと私の顔を窺っていたけれど、アマンダさん達が私に応じて話を進めてくれた為、何も言えずに飲み込んでいる。そして、『王都の武器屋』に覚えがあると手を挙げたのはジェフさんだった。アマンダさんが怪訝に目を細める。
「なんでジェフが知ってるんだい」
「俺というか、親父のお師匠さんが王都で店を構えてるはずなんだ。代替わりはしとるかもしれんが、あの人の目に叶った弟子なら相当の腕前のはずだ」
素人目ではジェフさんもすごく腕の良い鍛冶師で、風の魔族に対応する為に打たれた新しい大剣は本当に美しかった。だけどジェフさん曰く、鍛冶を教えてくれたお父様には今も敵わないと言うし、更にお父様の師匠であるその人は、お父様ですら腕を認められなかったと言う。
「そんなに気難しい
「う、うむ……確かにそれもあり得るか」
ジェフさんもお父様とはもう離れて暮らしていて、その方の詳細は長く聞いていないそうだ。
だけど他に当ても無いし、鍛冶の知識もあるジェフさんの勧めなら他の噂を頼りにするより確実だろうと言う話になり、イルゼちゃんの剣はまずそこでお願いしてみることになった。先んじてグレンさんから、一族の方を通して店の所在などを確認してもらう手筈だ。
ただ王都に至るまで手ぶらなのは心許ない為、取り急ぎ、次の町で代わりの剣は調達する。王都での新調後もそこで買った剣を予備としてそのまま持って行けばいいだろう。
話がまとまると、今夜はもう遅いからと私とアマンダさんとイルゼちゃんは自分達の部屋に戻った。
「フィオナ、その」
「イルゼちゃんは早く湯浴みしてきてね。替えのサラシは用意しておくから」
「あ、うん、えっと……」
言葉通り、私は早速、替えのサラシを出しておく。イルゼちゃんはまだ部屋のど真ん中で立ち尽くしていて、なかなか動かない。
「自分で脱げる? 手伝う?」
「だっ、大丈夫、脱げる」
左手だけでは防具や服を脱ぐことが難しいかもしれないと防具に手を伸ばしたら、イルゼちゃんは素早く後退して、首を振った。一緒にお風呂に入ろうって言い出した時は恥ずかしがらなかったくせに。相変わらず、よく分からない。
これ以上じっとしていたら無理やり脱がされるとでも思ったのか、着替えを手にすると逃げるようにイルゼちゃんが浴室に消えた。直後、背後からくつくつと楽しそうに笑うアマンダさんの声。
「あんたが怒るってのは、イルゼにはいい薬だな」
「……本当に効いてくれてるなら、毎回怒らなくてもいいはずなんですけど」
効果があるなら一度で済むことだ。小さく項垂れてそう伝えると、「まああんたに効く薬も少ないようだしな」と言われてしまい、返す言葉に詰まった。アマンダさんからも繰り返し、一人での外出については怒られているし、無理し過ぎることは家族やイルゼちゃんからもいつも言われている。……悪癖があるという点では、イルゼちゃんのことを言える立場ではない。
黙り込んだ私に、またアマンダさんは笑っていた。
「あたしは先に寝るぞ。おやすみ」
「は、はい。おやすみなさい」
眠りの浅いアマンダさんだから私達が寝付くまではちゃんと眠れないだろう。でもこれ以上騒がしくして疲れさせてしまわないよう、物音を立てないように静かに動く。
間もなくしてイルゼちゃんが、びしょ濡れになったサラシをタオルで巻いて水分を落とさぬようにしながら浴室から出てきた。髪もまだ半端に濡れていた。片手では上手に乾かせなかったんだと思う。
「こっち座って」
私が囁くように声を落としたから、イルゼちゃんも声を出さずに頷いて傍に来た。濡れたサラシを解いて手を綺麗に拭うと、改めてまた拘束し直した。イルゼちゃんが何とも言えない顔で動かなくなる右手を見つめていた。何も言わないのを良いことに、イルゼちゃんの濡れた髪を乾かす為にそのまま頭からタオルを掛けた。
「身体で圧迫しないように気を付けて寝てね」
「うん、……うん?」
丁寧にイルゼちゃんの髪を乾かした後、濡れたサラシとタオルを片付ける為に一度背を向ける。戸惑いの声が私を追ったのを知りつつ、私はたっぷりと間を空けてから振り返った。
「危ないから、私は別で寝るよ」
「えぇっ!?」
「しー、……アマンダさんもう寝てるんだから」
隣の部屋にも聞こえそうな大きな声だったけど、アマンダさんは微動だにしなかった。多分、まだ眠っていないからだと思う。
「おやすみ」
それ以上の押し問答をする気が無かった私は、それだけ告げて窓際のベッドに一人で潜り込む。私の眠るベッドとアマンダさんのベッドの間に、空のベッドが一つ。イルゼちゃんはしばらく私のベッド脇でうろうろして声を掛けたそうにしていたものの、背を向けて動かないでいたら諦めた様子で部屋の明かりを消して、空のベッドの方へ行った。
別々で眠るのはいつ振りだろう。私が一人でソットの村を出て迎えた最初の夜以来だったかな。合流してからはずっと一緒に眠っていた。
その後、イルゼちゃんは随分と落ち着かない様子で何度も寝返りを打っていた。眠れなかったんだと思う。それを知っている私も、本当は眠れなかった。温もりの無いベッドが怖いのは私の方だけど。今夜だけはそう思うことを、何処か悔しく思う。
数分後、イルゼちゃんはアマンダさんに「うるさいじっとしろ」と怒られていた。
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