第53話

 今日も一番に起きて身支度を整えたら、朝食準備の為に宿の厨房をお借りして食事の用意を始める。アマンダさんは少し身じろいだので物音で起きたんだろうと思うけど、イルゼちゃんはぐっすりだった。多分、夜の内に寝付けなくて、寝不足のせい。

 次に起きてくるのは大体アマンダさんかグレンさん。ただ今日はいつもよりずっと早い時間に、グレンさんが下りてきた。

「フィオナ様、おはようございます」

「おはようございます。早いですね、どうかしましたか?」

「いえ、幾つか手紙を出そうと思いまして。すぐに戻ります」

 イルゼちゃんが剣を折ったことで一族の方へ伝えるべき用件も増えているし、出来るだけ早く連絡を、と思ったらしい。なるほどと頷いて、急ぎ足で出て行くグレンさんを見送った。諸々の連絡や手配の全てをグレンさんが担って下さっていて、ありがたいやら、申し訳ないやら。

 しかし私で代われることでもないので、感謝の念を抱きつつ、その分こうして食事などのサポートをしっかり務めなくちゃいけない。朝食準備の傍らで、今日のお昼用の携帯食も作っておく。皆しっかり身体を動かして食べる方々の為、お肉は多めで、腹持ちの良いものを。私が一日三食でようやく食べ切るような量を一食で取ってしまう人達が、四人も居るのだ。作る量は毎朝とても多かった。

「今日も開店準備みたいな光景だな」

「あ、おはようございます、アマンダさん」

「おはよう」

 他人事のように仰っているけれど、アマンダさんも結構食べるのに。思ったけど、何も言わなかった。「他三人ほどじゃない」って返ってくるのが分かっていたから。

 そういえばジェフさんは大きな体をしながらも意外と食べる量は多くなく、イルゼちゃんと同じくらい。出せば全部食べて下さるものの、「足りない」と言ったことは一度も無くて、食事の席以外で「お腹が減った」と訴えてきたことも無い。それを疑問に思う私にアマンダさんは「あれでも父親だからな」と笑った。分かるような、分からないような。

「ところでイルゼだが、ベッドを蹴飛ばしても唸るだけで起きなかったぞ」

「あはは……」

 故郷に居た頃のイルゼちゃんは基本、朝に強かった。ほぼ毎日、夜明けに起きて畑に出たり朝稽古をしたりしていたし。ただ、酷い夜更かしをした場合だけは例外。そういう時のイルゼちゃんは揺さぶられてもベッドから落とされても起きてくれない。

「なんだそりゃ……今日あたしらは出発できるのか?」

 出来上がった携帯食をアマンダさんが包んでくれる横で、私は朝食を盛り付けながら笑う。

「私が起こすと何とか起きるので、多分、大丈夫だと思います」

「……あいつらしい話だな」

 呆れたようなアマンダさんの言葉にも苦笑するだけで応えておく。イルゼちゃんが起きなくて困る場合、起こす為に私が呼ばれるのは故郷での常だったのだ。いずれにせよサラシを解いてから手の状態を診てあげなきゃいけないし、朝食準備が出来たら呼びに行こう。

「じゃあ、ちょっと見てきます。皆さんは先に召し上がっていて下さい」

「おー、悪いな。遠慮なく」

「何かお手伝いが必要でしたらいつでもお呼び下さい」

「今日も旨そうだなぁ。いただきます!」

 結局、グレンさんが帰ってきてジェフさんが起きてきても、イルゼちゃんだけが下りてこなかった。やっぱりまだ寝ているのかな。三人が朝食を食べ始めるのを横目に、私は一人で部屋に戻る。

 だけど予想とは違って、部屋に入ると同時にイルゼちゃんと目が合った。

「あれ、おはよう。起きてたの?」

「今起きたとこ……ごめん、寝坊した」

「ううん」

 傍に寄ると確かにイルゼちゃんの目はまだちゃんと開いていなくて、眠そうにしている。

「これもう取って良い?」

「うん。待って、私が取るよ」

 彼女の右手を完全に拘束していたサラシを解いた。動かないようにと思っての固定だったけど、そこまできつく圧迫したわけでは無かった為、鬱血などの様子は無い。治癒後の経過も問題ないのを確認して、私は一つ頷く。

「剣が無いから無茶しようも無いと思うけど。違和感があったらすぐに教えてね」

「うん」

 こういう時にしっかり頷いてくれるイルゼちゃんではあるものの。違和感があっても言わないのがイルゼちゃんでもある。しばらくは私が見張っていなければいけない。もう直してくれないのは分かったから。今後は私の方で気を付けておくしかないのだ。

「あ、あの……フィオナ、まだ、怒ってる?」

 名前を呼ばれて咄嗟に振り返ってしまって、目が合った。眉を八の字にしているイルゼちゃんを見ると「もう怒ってないよ」と言いたくなる。実際、怒っているかと言われると、よく分からなかった。三秒ほど返答に迷った私は結局、何も答えないことを選んだ。

「準備が出来たら早く来てね、もうごはん出来てるから」

「……ハイ」

 項垂れたイルゼちゃんは、消え入りそうな声で返事をした。

 だけど、本当にもう、昨夜のような怒りは私の胸の内には無い。ただ、モヤモヤした気持ちがあって、素直に笑ってあげられなかっただけ。

「イルゼちゃん、もう起きてました。すぐに下りてくると思います」

 朝食の席に合流して皆さんに伝えると、軽く頷きながらもアマンダさんがちょっとつまらなさそうな顔をした。

「なんだ。苦戦してるようならあたしが叩き起こしてやろうと思ったのに」

 アマンダさんなら、本当にグーで叩いて起こしそう。そういえばさっきベッドを蹴飛ばしたって言ってたっけ。私の想像より激しく蹴っていそうな気がする。流石に宿の備品だから、壊れる可能性のある強さではなかったのだと思うけど。

「おはようございます、イルゼ様。右手は大丈夫ですか?」

 下りてきたイルゼちゃんに最初に気付いて声を掛けたのはグレンさんだった。他の二人も口々におはようと言い、イルゼちゃんも応えている。私はさっきもう挨拶したので何も言わず、視線も向けなかった。多分そんな私のことをイルゼちゃんが窺ったんだと思う。他三人も私の方を見た。アマンダさんだけは楽しそうにニヤニヤしている。面白がってほしいわけではない。

「ま、多少ぐったりしててもいいさ。どうせ今日のイルゼは後方だからな」

「昨日は本当に悪かった。魔物は俺に任せてくれ」

 ジェフさんが胸を叩いた。叩く音が結構しっかりドンと鳴って驚く。私ならその衝撃だけで死にそう。一方、イルゼちゃんは後方へ下がること自体があまり嬉しくないのか、やや困った顔で頷いていた。

「そういえばグレンは手紙を出してたんだったな。次の町で良かったんじゃないのか、こん……いや、大きめの町の方が流通は早いだろう」

 小さな村と言いそうになったらしいアマンダさんが言葉を選んだのがちょっと可愛かった。宿の食堂に今は誰もいないけど、一晩お世話になった村の人に聞かせるべき言葉ではない。

「問題ない。国の機関は利用していないからな。一族で飼い慣らした伝書の鳥を利用している」

 アマンダさんとジェフさんも驚いて目を丸めていた。つまり勇者の旅の頃から、グレンさんが鳥を扱うところを見たことは無かったらしい。

 曰く、その鳥は早朝に最も活動的になる為、多くは明け方に受け取ったり、出したりしていたとのこと。だけど今日は昨夜の騒動もあって、グレンさんも思った通りに早起きが出来なかったのだそう。

「そんなに遅かったか?」

「いや、あの後、気付いたら説教に二時間ほど掛けてしまった」

「えっ」

 私とイルゼちゃんの戸惑いの声が図らずも綺麗に重なった。

「まだジェフ怒ってたの!? もういいって言ったでしょ!」

「しかし……」

 二時間も説教をしたはずなのにまだグレンさんはじろりとジェフさんを睨んでいる。本当にもうそろそろ許してあげてほしい。ジェフさんが大きな眉をこれ以上なく下げていて、見ている此方が切なくなる。

「ではジェフさんも寝不足なんですね。なら今日は全員……いえ、えっと、本調子ではないと思うので、本当に慎重に行きましょう」

 さらりと自分も寝不足だと白状してしまったけど、訂正してもおかしなことになりそうなのでそのまま続けた。

「やれやれ。フォロー先が増えそうだ」

 アマンダさんはそう言って溜息を吐く。でも私とイルゼちゃんがいつまでも寝付かないせいで彼女もそんなに質の良い眠りは得ていないはず。私も後方でのフォロー役だから、同じく、しっかりしなければ。

 そう意気込んではいたけれど。

 魔王が復活している時期ではないし、私達の平和な時代より魔物が多いと言っても、頑張れば私一人でも外を歩ける世の中だ。まるで危なげもないままで道程が進んでいく。

「ひま」

「い、良いことだよ……」

 隣を歩いていたイルゼちゃんが徐にそう呟いたことに笑いそうになりながら返す。外を歩いている時にあまり忙しいのは、つまり危険に晒されている状態ということだから喜ばしくはない。

「だってさー、何だか悲しくなるよ。私って別に必要ないんだなって」

「それは私がいつも思ってるよ……」

 やることが無くて毎回そわそわしている。申し訳のない気持ちにもなるし、本当に何もしなくて良いのかなって不安になっていく。その内に慣れるだろうってアマンダさんが言っていたけど、今のところ慣れる様子は無かった。

「何だ、もう許してもらえたのかイルゼ」

「やめてよ! 折角話してくれてるんだから!」

「ははは」

 いつの間にか普通に会話をしていたら、アマンダさんが茶々を入れてきた。私は気付いていなかったけれど、イルゼちゃんは割と意識的に『いつも通り』会話をしようとしていたみたい。わざわざ私に気付かせたことに、憤っている。思わず苦笑を零し、――朝のような拗ねた思いを思い出す間もなく、続けた。

「もう怒ってないよ」

「ほ、本当に?」

「うん、怒ってるんじゃなくて、……なんだか」

 悲しい。

 先程のイルゼちゃんの言葉を思い出して、ふと、心の奥で腑に落ちた。そっか、私も。

「……自分は要らないのかなって、悲しかったんだ」

 独り言くらい小さな声で呟いたのに、イルゼちゃんが私の言葉を聞き落とすなんてそうそうあるわけがなくて、彼女は息を呑んで、目を見開いた。そして一拍後の大きな声に、私は飛び上がる。

「そんなのあり得ないよ!!」

 驚き過ぎて二歩ほど後退したら、思わず出てしまった声の大きさにイルゼちゃん自身もびっくりしたらしく。一度口を押さえてから、ゆっくりとした呼吸を挟み、また向き直る。

「違うよ、ごめん、そんな風に思わせてるなんて」

 まるでイルゼちゃんの方が傷付いてしまったみたいに、泣きそうな顔をしていた。イルゼちゃんは「そうじゃなくて」「あの」と意味の成さない言葉を幾つも並べてから、ぎゅっと目をつぶって小さく続きを言う。

「か、格好悪いかなって……思って、それでいつも、言い辛くて」

「それが余計に格好悪いだろうが」

「うぅ……」

 言い淀んでいる間は黙っていてくれたアマンダさんは多分、口を挟むつもりじゃなかったんだろうけど。内容的に、我慢できなかったみたい。その代わり――と思ったかどうかはともかく、唸ったイルゼちゃんへの追撃は無かった。

 私は逃げるように後退してしまった距離を詰めて、イルゼちゃんの右手を柔らかく包む。もう治っているのは知っているけど、昨日痛めていたのだと思うと、強く握るのはまだ怖い。

「そんなことで格好悪いなんて、思わないよ。いつもイルゼちゃんが一番格好いいよ」

 視界の端でアマンダさんが肩を竦めている。真剣な話をしているつもりなので今は止めてほしい。表情を崩さぬように我慢していれば、イルゼちゃんがぎゅっと私の手を握り返した。

「ずっと悲しい気持ちにさせててごめん。本当に、今度から気を付けるから」

「うん」

 右手は力強くて、もう本当に大丈夫なんだよって、教えてくれているみたいだった。

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