第50話

 じっと見つめる錆色の瞳は、嬉しそうな色を宿して私だけを映している。

「……何処にするの?」

「んー」

 悩むみたいな声を出してはいるものの、イルゼちゃんは楽しそうに笑みを深める。だけど一瞬だけ。瞬きの隙間にいつもとは違う熱が瞳に混ざり込んだ気がして、心臓の奥が跳ねた。

 それでもやっぱり一瞬だけのことで、「じゃあここ」と言ってイルゼちゃんが求めたのは頬だった。

 私は少し伸び上がって、彼女の指が突いたそのままの場所に触れる程度のキスをした。こんなので良いのかなって思いながら恐る恐る見上げると、「へへ」と零して嬉しそうに頬を緩めたイルゼちゃんと目が合う。

 結局、それだけ。

 お湯が冷めてしまう前にとお風呂を上がって、髪を乾かしたらいつも通り一緒に寝た。宣言通りアマンダさんは帰ってこなかったけど、だからって私達の間には、何も無かった。

 そうして朝方になってようやく帰って来たアマンダさんが、「寝てるか……」と何処か安堵した声を漏らしていたのを、夢現に聞いた気がする。

「――え、今日も稽古だめなの?」

 すっかりと日が昇って、いつもの起床時間。私とイルゼちゃん以外は朝帰りの為にまだ眠っていたので、二人だけで朝食を摂る。その際「今日は一人で稽古しようかな」と言い出したイルゼちゃんを即座に「駄目」と止めたら、この言葉だった。

「まだ安静にしてて。本当に、重症だったんだから」

「え~、ハァ、分かった」

 不満な顔はしたものの、素直に受け入れてくれてホッとする。

 実際、イルゼちゃんは仮死状態と言っても過言じゃない状態だった。治癒術で元の状態まで回復させられたものの、無理をしてしまえば何か障害が残ってしまうかもしれない。治癒術は一瞬で傷を消し去る魔法だけど、直後の状態は少し不安定で、定着するまで安静にしていなければダメージが『戻る』ことがあるのだ。今回のイルゼちゃんは特に傷が深かった為、安静にすべき時間も長くなる。今日いっぱいは剣を握るような真似は控えてもらわなければならない。

「明日には出発するんだっけ?」

「うん、皆が起きてきたら、次の行き先も決めないと」

 お昼を過ぎた頃には起きてくるだろうか。もし体調が悪い人が居るようなら、落ち着いて話すのは夕食の席になるかもしれない。

「次はまともに喧嘩できるやつだと良いな……」

「あはは」

 今まで三体の魔族を相手にした中で、イルゼちゃんが剣を振るって戦ったのはそういえばまだ一度も無い。今回は剣を振るったけれど操られていたのだし、しかも仲間に対して振るっているのだから数に入るわけもなかった。

「本っ当に皆が格好良くて悔しかったから、次こそは私も活躍したいよ」

 項垂れながら唸っている。本当に悔しそう。私は思わず、くすくすと笑ってしまった。

「イルゼちゃんも格好良かったよ?」

「え。何処が」

「思い切りやってって言うところ」

「そこ?」

 あの時、本当に心から格好いいと感じたからそう言ったのに、イルゼちゃんは何だかガッカリしているようだ。自分が最上級魔法で攻撃されるって分かっていても即座に覚悟を決められるのは凄すぎるし、笑みまで見せることが出来るなんて、私だったら到底考えられない。

 ただあの時のことを思い出したら、改めて大きな罪悪感が心を覆い尽くしてしまった。

「本当に思い切りした私は酷かったと思うけど……」

「お詫びもしてもらったし、もう良いんだってば」

 私が落ち込むと逆にイルゼちゃんの方が笑って、私の頭を撫でてくれる。何となく心が和らいだ為、さっきまで落ち込んでいたイルゼちゃんの頭も、私が手を伸ばして撫でてみた。イルゼちゃんは一瞬きょとんとした顔を見せてから、ふにゃりと表情を崩して笑ってくれた。

「頑張りたいと思うほど、稽古したくなるけど、……フィオナは怒ったら怖いからなぁ、今日はお休みかぁ」

 二人で並んで朝食の片付けをしていたら、ぽつりとイルゼちゃんが零す。そんなに怖い怒り方をした覚えはないんだけど。でもそれで安静にしてくれるなら、まあいいか。

「何しようかな~」

「ごろごろしたら良いのに」

 身体の回復を考えれば眠るのが一番だし、そうじゃなくてもイルゼちゃん自身、多少の気怠さは感じているはず。折角だからゆっくりすればいいと思う。私だったらそれが最初に出そうな発想だけど、私の言葉にイルゼちゃんはちょっと眉を寄せた。

「アマンダの横で? やだよ」

「何でそんなに嫌がるの……」

 横のベッドで寝るだけであって、一緒に寝るわけでもないのに。それだけでそこまで嫌な顔をするのは流石にアマンダさんに失礼な気がした。だけどイルゼちゃんは肩を竦めるくらいで、それ以上の説明は特に無かった。

 結局その後、私に付き合って買い出しに一緒に来てくれて、明日以降の準備を手伝ってくれた。

 明日からまた移動することになるし、必要なものは今の内に買い足しておかないといけない。既にグレンさんが進めてくれていたみたいで私がするべきことは少なかったものの、保存の利く携帯食は少し追加で作っておいた。

 昼食時にも起きてこなかった三人はおやつの時間になる頃にやっと起きてきて、私達が一応用意しておいた昼食を温め直して食べ始める。食欲があるようでホッとした。

「皆さん、体調は大丈夫ですか?」

「問題ありません」

 すぐにグレンさんが答えてくれる。見る限り、どうやら彼らの食欲はいつも通りで、顔色も全く悪くない。

「夜通し飲んだくらいで潰れるほどやわじゃないさ」

「ハハハ! まだまだ飲めるな!」

「たくましいな……」

 イルゼちゃんも苦笑している。私の身体があまり強くないから彼らの言葉が信じられないのかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。改めて、アマンダさん達の丈夫さに驚いた。

 彼らが遅い昼食を終えた頃。ようやく全員揃って、明日以降の予定を立てるべく話し合う。

「残り三つか。あとは……」

「地、水、光ですね」

 私が答えると、グレンさんが同意するみたい一つ頷く。だけどその表情は険しかった。

「光の方は、今もまだ管理者探しが難航しています」

「いよいよ差し迫ってきたが。全く手掛かりが無いのか?」

「……いや」

 アマンダさんの問いにグレンさんは表情を一層険しいものにして、首を横に振った。

「確定ではないが、おそらく既に接触した中に管理者が居る。他の管理者と違い、自分が管理者であることを隠している可能性がある」

「……そりゃどういうことだ?」

 今まで魔族の封印が国に知られていなかったのは、管理者が隠していた為ではなく、魔王が封印された時点で魔族らの封印は解かれる可能性がゼロに等しかったからだと思う。封印された当初は知られていたかもしれないけれど、重要視されないあまり、情報が薄れていった。その結果、かろうじて残ったのが『その区域が立ち入り禁止であること』だけ。むしろ立ち入り禁止という情報だけでも残していた国の情報管理を褒めるべきというくらい、あの封印は人にとってそこまで重要ではなくなっていたのだ。

 実際に、グレンさんの一族が話を聞きに行った時に管理者であることを隠そうとした人は他になかったらしい。私達は国王から認められて活動していることもあり、国からの使者であることを示せば、彼らは持っている情報を快く開示してくれていた。

 だけど、光の封印地を守る管理者については今までと随分、状況が違うようで。

「どうして、隠してるって思ったの?」

 先程、グレンさんは「確定ではない」と言った。それはつまり、確証を得られるようなあからさまな形で「話せないことだ」「機密だ」と誰かに返されたわけではないということ。つまり何か切っ掛けがあったはず。グレンさんは疑問を呈したイルゼちゃんの方を向いて、一つ頷いた。

「最初に『光属性の魔族』という話を聞いた時、そのような存在が居るのかと、我々も驚きましたよね」

 私は女神様から紋章を通して教え込まれたようなものなので、疑う気持ちは全く無かったけれど。それでも驚きが無かったわけじゃない。光属性は本来、魔王や魔族に対して有効な属性であって、真逆の性質を持つ。『光属性の魔族』なんてものは、水属性に耐性を持つ火属性よりも、あり得ない組み合わせなのだ。正直言ってどのような成り立ちなのか、私でも想像が出来ない。

「封印地の周辺で調査をした際も、ほとんどの者が同じ反応をしたのですが、ある一つの街では『口を閉ざす者』が多かったのです」

 曰く、頑なに「何も知らない」とだけ言い、逃げるように質問者を避けてしまい、それ以上は話を聞けなかったらしい。

「なるほどな。そうなると、その街が怪しいところまでは分かってるってとこか。あとは口を割らせる手段……」

「ら、乱暴なことは止めて下さいね?」

 不穏な雰囲気を感じ取って慌てて口を挟んだら、アマンダさんはふっと目尻を和らげて「分かってるよ」と言った。

「グレンもな。駄目だぞ、フィオナが悲しむからな」

「無論、承知している」

 隣に座っていたイルゼちゃんも、大丈夫だよって言うみたいに私の頭を撫でてくれる。早合点してしまったみたいで、恥ずかしい。私なんかよりずっと皆の方が思慮深くて、慎重なのに。

 グレンさんの一族の方々は今、その街で表立って嗅ぎ回ることを中断しているらしい。あまりしつこく追い回してしまえばガードが硬くなって一層、調査が難しくなるとの考えだとか。

「質問をした者は既に警戒されているでしょうから街から出しまして、今は他の者が、ただ状況を見守る為だけに街に入り込んでいます」

「妥当だな。下手に動くと裏目に出そうだ」

 その街は今までの封印を守る村のように小さな集落じゃなく、人の出入りも多い。だから一族の方々が出入りしても、不審に思われることは今のところ無いらしい。ただ逆に、封印地を語り継げるほど古くから続いているのはどの住民なのかも分かり辛い。

 それに街全体が隠しているとしたら、無関係な者も出入りしそうな市場や酒場、食堂で情報が漏らされるはずもなくて。今のところ、新しい情報は全く入っていないのだとか。

「いっそ、封印を解除する予定があることを伝えてみる、とか……」

 独り言に近いような小さな声で呟いたのだけど、全員が私の方を見たから、咄嗟に緊張して背筋が伸びる。数え切れないほど寝食を共にして、互いの命を預けて戦った仲間からの視線なのに。こうして急に向けられると未だに恐怖を感じるのだから情けない。

「確かに、まだ封印解除の話はしていません。封印について知りたい、とだけ」

「なるほど。もし『守る』意志があれば、注意を促そうと名乗り出るかもしれないな」

 怯えている私に気付く様子無く――いやもう慣れてしまっただけかもしれないけれど、アマンダさん達はそのまま話を進めていく。私も慌てて思考を戻した。一瞬、結構いい案かもしれないと思ったのだけど。

「いえ、すみません。思い付きで言いましたが、危険かもしれないです。封印を守ることだけに執着しているとしたら、接触を避けたままで罠を張って攻撃してくる可能性も」

「うーん、なるほど、ありそうだ」

 私の言葉にアマンダさんが同意してくれてホッとする。グレンさんも同じく難しい顔で頷いていた。

 その時、ジェフさんが大きな腕を組んで首を傾ける。普段はイルゼちゃん同様、作戦会議ではあまり発言をしないけれど、今回は珍しくのんびりとした口調で部屋の沈黙を破った。

「グレンの一族じゃあ、国の使者と名乗っていてもあっちから見りゃ一般人だろう? 所属のはっきりした兵士に動いてもらったらどうだ」

「それだ! ジェフ、お前、偶には良いこと言うなぁ」

 偶にはって、前にも聞いたことがあるからもう偶にはじゃないと思うのだけど……。でもジェフさんはいつも通り豪快に笑うだけで、その点を突っ込む様子が無い。それなら敢えて私が食い下がるところでもないのだろう。何より今の案は、現行では最善のものに思えた。

「国の兵士が出てきたら流石に攻撃なんて出来ないだろう。国家反逆になる。陛下も協力は惜しまないと言って下さったんだろ?」

「ああ。……確かに、一度、ご協力を仰いでもいいかもしれない」

 今のところは旅の費用を支援して頂いているくらいで他の援助は情報程度しか求めていない。一度くらいなら、兵士を動かすことはしてもらえるかもしれない。大きな討伐仕事ではないし、国の兵から被害が出ることは無い……はず。街の人達が万が一にでも応戦してこなければ。

 不安はあるものの、グレンさんもこの案に同意して、街の監視は一族で続けながら、王様にも現状をお伝えして協力を求めることになった。ただ、『現状をお伝えして』が私には少し引っ掛かってしまって。

「あ、あの、一度、王都に戻りませんか?」

 また一斉に皆が私を見つめて、一瞬、呼吸が止まる。自分が話し掛けたんだから此方を見るのは当たり前なので流石にそろそろ慣れなきゃいけない。慌てて言葉を続ける。

「この件、人伝にお話しするより、グレンさんだけでも直接お会いして、ご説明した方が確実であるような気がして」

 おそらく一度のやり取りでは済まない。此方が一方的にする説明だけで国王ともあろう人が何の確認も無く兵を動かすとは思えないし、幾らかやり取りを経て、城の方でも少し調査をして、その後になるはず。完全にご納得して頂けるまで、王都に滞在するのも手だと思う。

「それもそうだな、ちょっと話も入り組んでいるし」

「仰る通りです。国王陛下に直接お会いして、ご相談しましょう」

 お二人が同意の言葉を口にしたら、ジェフさんとイルゼちゃんも、笑顔で頷いてくれた。

「状況によってはそのまま光の魔族に行くかもしれないし、後回しって話になるかもしれん。次の魔族は王様に会ってから決めるか」

「そうだな、そうしよう」

 こうして私達は、再び王都へと戻ることに決めた。今はまだ大丈夫だけど、いざ王都に着いて王様に謁見することになったら、また私は緊張するんだろうな。グレンさんだけが会うことになったらいいのに……。

 いや、押し付けるのは良くない。この旅は私が始めた旅だから、王都に着くまでに、頑張って心の準備をしよう。

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