第48話

 イルゼの治癒が終わったのは、それから約三十分後のこと。術を止めたフィオナが、ゆっくりとイルゼを地面に横たえた。

「どうだ?」

「もう、大丈夫です、安静にする必要は、あり、ますが……」

「……フィオナ、お前も大丈夫か」

「魔力がもう、全然、無いです……」

 イルゼに寄り添うように、フィオナはへたり込む。勢いよく倒れ込んでしまったら怪我をするだろうと、アマンダがその身体を支え、静かに地面に寝かせてやった。

「一時間ほど、すみません、このまま休ませて、ください」

 そう呟くフィオナはもうほとんど目蓋が上がっていない。意識を保つのもギリギリの状態なのだろう。アマンダは少し笑いながら、その頭を優しく撫でた。

「ああ、二人共よくやった。後のことは任せて、ゆっくり休め。何も心配するな」

 アマンダの言葉に、微かにフィオナは口元を緩め、そのまま何も言わずに眠り就く。安心したような穏やかな寝顔を、アマンダは柔らかな表情で見守っていた。ジェフとグレンが上着を脱いで丸め、二人の枕にするべく頭の下にそっと差し入れる。洞窟内は幸い、極端に暑くも寒くもない。少し寝かせるくらいは問題ないだろう。

「グレン」

「ああ。俺は一度村へ戻って、医師の手配を済ませる。少しの間、お二人を頼む」

 ジェフとアマンダが任せろと応えると、グレンは結界を解いて外へと出て行った。魔族を外に逃がさない為にと張っていた結界は、意識の無い者が混ざっていても制御次第で解除できる。――とは言えそのような繊細な作業はフィオナとグレンにしか出来ないので、どちらか一方が起きていなければ外に出られないのだけど。とにかく今回は、フィオナが眠ってしまったものの、グレンが五体満足で幸いだった。

 アマンダとジェフは眠る二人の傍に腰を下ろし、彼女らの顔色や呼吸が落ち着いている様子に、安堵と共に複雑な思いで息を吐いた。

「遣る瀬ないな」

 ぽつりと吐き出した声は弱く、その言葉通りの想いを滲ませる。

「この子らばかりが身体を張って、大人は見ているだけだ」

 フィオナやイルゼが起きていればきっと「そんなことはない」と強く否定をするだろう。特に前回はアマンダを始め大人達の活躍によって攻略できている。そして今回だって。イルゼを足止め出来たのは間違いなく三人が戦ったお陰であり、そもそもイルゼの思わぬ初撃からフィオナを守ったのはジェフで、フィオナが落ち着きを取り戻して打開策を出すまで、彼女を安全なまま時間を稼いだのは彼らだ。

 それでも、アマンダやジェフ、きっとグレンも。今の自分達を、この状況を。納得することができない。

 結局、誰よりも命を削って戦ったのは、この子供達なのだから。

「もっと強くならんといかん。俺も今回、本気でそう思った」

「ああ」

 普段は呑気に笑みを浮かべているジェフも、今ばかりは酷く険しい表情で、悔しげに眉を寄せていた。

 それから間もなくしてグレンが戻り、ジェフとグレンがそれぞれ二人を運び出す。今回は村から近い位置であったことが幸いで、彼女らを医師に見せるまで一時間も掛からなかった。

 魔力切れだっただけのフィオナは医師に診てもらっている最中に目を覚ましたが、イルゼは治癒済みとは言ってもかなり深いダメージを負っていた為、その後もなかなか目を覚まさず。起きたのは、村に着いて二時間と少しが経ってからだった。

「……フィオナ、は」

 目を覚ますと同時に、まだ視界も定まらない内からイルゼはそう呟いてその姿を探した。そしてベッド脇に座る彼女を見付けてほっとした表情で笑みを浮かべるけれど。目が合ったフィオナはその瞬間、大粒の涙を零した。

「ちょっ、えっ、フィオナ、何で」

「ごめ、なさ、あんな酷い、やり方しか、出来なくて」

 途切れ途切れにそう言うと、フィオナはイルゼの肩にしがみ付いて酷く泣き始める。喋ることも儘ならない。その様子に、後ろで見守っていたアマンダ達が苦笑いを浮かべた。

「イルゼが起きるまでは泣いてなかったんだけどねぇ。この子なりに我慢してたんだろう」

 まるで小さな子供のようにしゃくり上げて泣くフィオナの頭を、アマンダがそっと撫でる。

 そんな彼女の泣き声に被せながら、アマンダはイルゼが昏倒してしまった後のことを説明した。

 魔族は問題なく消滅し、神の石も無事に回収。フィオナが治癒したお陰でイルゼの身体にダメージは残っておらず、後遺症も心配ない。念の為、医師にも診てもらったが治癒は完璧だとのことだ。とは言え、今日と明日は絶対安静となる。その間は村から移動せず、回復を見てから次の目的地を決める予定をしている。

 淡々と説明されるそれを聞いている間、イルゼはずっと泣いてるフィオナの後頭部を撫で続けていた。

「フィオナ、もう謝らなくていいよ、むしろ私のせいで計画が狂って大変だったよね」

「そ、なこと、な」

 どうやら「そんなことない」と言いたいようだが、全く言葉になっていない。流石にイルゼも堪らず笑ってしまった。その表情が穏やかで、いつものイルゼのそれであることを確認し、アマンダ達もようやく心から安堵する。

 大人達にしてみれば今回は酷く悔しい結果となったが。子供らは無事であり、また一つ、課題も乗り越えた。この悔しさは改めて、次の機会に払拭するしかないだろう。


* * *


 涙が落ち着く頃には、ちょっともう、泣き過ぎて恥ずかしくなっていた。アマンダさんが差し出してくれたタオルに顔を埋め、ぐしゃぐしゃになった顔を少しだけ整える。誰に対しても今更何も、誤魔化しようもないけれど。

「イルゼちゃん」

「うん? もう平気?」

 自分の声が、泣いた名残りで少し震えていて幼く聞こえる。イルゼちゃんの声も、小さい子を慰めるみたいに甘ったるくてやっぱり恥ずかしい。でも、キリが無いので一度咳払いをしてから、続きを言った。

「今回のお詫びに、何かしてほしいことある? 食べたいものとか、作ってほしいものとか」

「えぇ……本当にフィオナがそんな謝ること無いんだよ?」

 そうは言ってくれるけど。でも何かをしたかった。私に作れる料理や服や小物くらいじゃ絶対に割に合わないとは思うけど。でも最上級魔法でイルゼちゃんを攻撃してしまったことを、仕方なかったなんて言葉で片付けたくない。このままじゃ私の気が済まないことを察してくれたのか、イルゼちゃんは「うーん」「えーと」と考え込み始め、数十秒後に「あ」と言った。

「じゃあ、久しぶりに一緒にお風呂入ろ?」

 私が目を丸める後ろで、アマンダさんが物凄く嫌そうな顔をしているのが何故か気配だけで分かった。

 その後、一応イルゼちゃんは再び診てもらうことになり、村のお医者さんを呼んだ。診て頂いている間、私はベッドから離れる。するとアマンダさんが険しい顔で私の傍に立った。

「おい……」

「い、いえ、その、何も無いと思いますので」

「それでもあたしは絶対に巻き込まれたくない。今夜、留守にするからな」

「え!? ど、何処でお休みされるんですか?」

 今、滞在しているリームの村は宿屋が無く、グレンさん一族が整えて下さった空き家に宿泊している。幸い部屋が二つあった為に女と男で分けているし、お風呂は女部屋の方と連結している。ただ、男部屋は狭くてもう一人が眠れるとは思えない。共用スペースは眠れる場所がなくて、台所の他にはテーブルと椅子があるだけだ。

「明日もまだ村には留まるだろ。今夜はジェフ達と夜通し飲んでくる」

 皆さんがそうして羽を伸ばすことに文句は全く無い。ただ、宿泊施設が無い村に、夜通し飲める店があるのだろうか。そう思ったものの、疑問を口にする隙は与えられなかった。

「朝には戻るからな、日が昇る頃には片付けておけよ」

「だから、ありませんってば」

「分からんだろうが。心の準備はしておけ」

 いつになくアマンダさんが真剣な顔でそう言い含めてくるのに、私は「はあ」と間抜けな相槌を返すことしか出来なかった。

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