第47話
前世と比べれば積極性が上がっていると言っても、フィオナはやはり誰よりも臆病な子だ。何とか前に踏み出すようになっただけであり、怯える思いは少しも変わらない。一方で、イルゼは誰よりも勇敢な気質をしている。前世も今世も、強大な敵や魔物を前にして怯えを見せたことは一度も無い。
しかしイルゼはいつでも『フィオナを失う』『フィオナを奪われる』ことだけは怖く、その恐怖心は他者からは想像も付かぬほどに大きかった。そしてそれが、前世と今世でフィオナが置かれた境遇によって悪化している。そんなフィオナを『囮』とする今回の作戦。その恐怖は、囮となる本人のそれを遥かに上回って――魔族に、選ばれてしまった。
答えを知ればアマンダだけでなくグレンもジェフも、結果を納得していた。けれどフィオナだけはまだ受け止めることが出来ずに、呆然と立ち尽くしていた。
「くっ……、一先ず応戦する! イルゼ様、失礼します!」
状況を見たグレンが堪らず飛び出し、ジェフを助ける為に素早く踏み込む。
「グレン、今は駄目! 魔法!」
すると咄嗟にイルゼがそう叫んだ。どうやら身体は乗っ取られているが、イルゼに意識は残っていて、自分の身体の動きも把握できるらしい。グレンが彼女の言葉に戸惑ったのは一瞬で、直後、大きく身体を反らせてイルゼから放たれた炎を避けた。微かに炎の掠った肩を払い、体勢を整えたグレンが改めてイルゼへと向かう。二人掛かりではあるが、イルゼを圧倒できない。
「まずいな」
アマンダも二人の援護の為、弓を構える。
「多少の怪我は我慢しろよイルゼ!」
牽制として、急所は外しつつも腕を狙って矢が射られた。イルゼの剣は難なくそれを切り落としながら、合わせて繰り出されるジェフとグレンの攻撃も的確に捌いている。
「多少じゃなくても良いから早く止めて! このままじゃ」
言葉を途切れさせたイルゼの視線が一瞬、後方で控えるフィオナを捉えた。
最初に、彼女を狙った攻撃。あと一歩ジェフが遅ければ、間違いなく、イルゼの手でフィオナを斬っていた。その恐ろし過ぎる光景がイルゼの頭の中から消えない。
「とんでもないなこのガキ。三人掛かりで後手後手だ」
「今ガキとか言わなくて良くない!?」
何とかイルゼの動きを止めようと戦うが、明らかにイルゼに押されている。抑え込めるとは到底思えない戦況に、三人は歯噛みしていた。
「体力切れは狙えるのか?」
「最近どんどん体力付けとる! 俺はまだ保つが、お前らが先にへばるぞ!」
「はぁ~、全くどうしようかね」
何の光明も見えず、アマンダからは溜息が零れる。こうして会話をしながらも、息つく間もなくイルゼを攻撃し続け、彼女からの反撃も対応して、尚且つフィオナへ飛び火しないように立ち回る三人も充分に達人と呼べる戦士らだろう。だがイルゼを無闇に傷付けられないという枷があることも相まって、彼女一人に全く歯が立たない。
「アマンダそっちに魔法行く!」
「おっと」
それも、まだイルゼが攻撃のタイミングを教えてくれることで対応できているとも言える。もしも彼女が意識まで乗っ取られていて、隙を付く攻撃全てが有効となったら。十分程度で三人が落とされた可能性も考えられた。今のイルゼはそれほどまでに強かった。
「……イルゼちゃん」
ずっと呆然と見守っていただけのフィオナが、不意に彼女の名を呟く。イルゼ自身は明らかにそれに反応し、動揺を見せるのに。乗っ取られてしまった身体は一瞬の隙も見せてくれない。
「ごめん、フィオナ、私」
こんな状況で謝罪を口にすることが何にもならないことは、イルゼも分かっていた。彼女が垣間見せる苦悶の表情に、フィオナは一度ぐっと強く目を閉じてから、大きく息を吸い込む。そして目を開くと同時に――光魔法の詠唱を始めた。
「イルゼちゃん、我慢できる?」
その言葉に、戦っていた三人はぎょっとした。それはつまり、今からフィオナは魔法で彼女を攻撃する、しかも詠唱を必要とするほどの高位魔法で行うと、宣言したのだ。「おい待て」「フィオナ様」と、アマンダとグレンが同時に制止の声を上げたが。問われたイルゼは口元を緩め、笑った。
「最高。大好きだよフィオナ。思い切りやって」
彼女らの決断に、大人達は二の句が継げない。フィオナは大きく頷くと、彼女にしては力強く声を張った。
「一瞬だけイルゼちゃんの動きを止められますか!?」
「くそ……っ、コンマ五秒程度で良ければな!」
打開策の思い浮かばないアマンダは、もうフィオナを信じるしか無かった。応じるように声を返せば、ジェフとグレンも意志を固めた様子で動揺を飲み込み、目の前のイルゼからの攻撃に集中する。
「充分です、合図をしたらお願いします!」
彼女の言葉に、三人は一瞬だけ視線を合わせて、頷き合った。
フィオナの詠唱は、三分間に及んだ。長ければ長いほど、それは魔法の難易度を表す。今回のものは明らかに最上級のそれだが、火の魔族を屠ったあの最上級魔法よりも遥かに長く、一体何を生み出すつもりかと、大人達は少々、不安を募らせていた。けれど今はフィオナに賭けるしかない。
「――足止め、お願いします!」
ようやくの合図に、まるで痺れを切らしたかのような反応速度でまずグレンがイルゼに向かって素早く踏み込んだ。グレン自身が風属性である為か、このように素早く詰め寄る動きには炎による迎撃が多かった。予想通りイルゼから炎の魔法が放たれると、グレンはそれに風魔法をぶつけた。風は炎を掻き消せない。むしろそれを大きくするとあって本来ならば悪手にしかならない。だが今回は風の渦を巻き起こしたことで、視界を奪う大きな炎がイルゼを覆い隠す。そしてそれを切り裂くようにして、ジェフがイルゼへと真っ直ぐに大剣を振り下ろした。
視界が隠される直前と立ち位置を変えていた為に一瞬だけイルゼの反応は遅れたが、やはり難なく受け止める。ただ、ジェフの全力の押しを受け流すほどの余力は奪ったことで、比較的軽いイルゼの身体は吹き飛び、体勢を崩したままで壁際まで後退した。
それでも彼女の身体には一切のダメージが無い。これではすぐに反撃も回避も可能だ、と懸念したイルゼの身体が、微かに止まる。吹き飛ぶ方向を読んでいたアマンダが服を壁に縫い止めるように矢を射ていたのだ。一瞬の停止――だが、フィオナから預かっている短剣で服を斬れば動けてしまう。フィオナが望んだ足止めにはあまりにも短い。
イルゼの思考通り、闇の魔族の支配下にある身体は流れるような速さで短剣へと手を伸ばした。
しかし。
そこに短剣が無く、手は空振りした。
咄嗟に顔を上げれば、グレンがその短剣を手に持っている。炎の目隠しは短剣を奪う隙を得る為でもあったのだ。
「皆、めちゃくちゃ格好いいわ」
何処か脱力した様子でそう言ってイルゼは笑った。とは言え、これも永遠に制止できるわけではない。短剣よりやりにくいが長剣でも斬れる。短剣を諦めて長剣を使うように切り替えた、その小さなラグ。それが、フィオナが魔法を放つには充分な時間だった。
「――
高密度の魔力を乗せたフィオナの声が、洞窟に響く。アマンダは思わず「うわ」と言った。
星の質量を思わせる圧迫感に、歴戦の戦士であるはずの三人が堪らず一歩下がる。仲間に放つとは思えない容赦のない魔法だが、……そんなことも言えない状況であるのも確かだ。イルゼが死なないギリギリの攻撃でなければきっと、彼女の身体は止まらないのだから。
縫い止められた服を長剣が切り裂き始めた時、フィオナの放った最上級魔法がイルゼに直撃する。当然、即座にイルゼは昏倒した。そして彼女の身体は力を失ったようにぐにゃりと傾く。闇属性にとって光属性は相性が悪い。一時的ではあるが、イルゼの身体を操る機能が止まったのだ。そして矢が縫い止めていた服も半分裂かれていたせいか、彼女を支えることなく千切れた。
あらゆる支えを失ったイルゼが地面に崩れ落ちる前に、フィオナが駆け寄って抱き止める。彼女にしては素早い動きだったが、きっと初めからそのつもりで準備していた為に間に合ったのだろう。
そしてその身体に触れると同時に、フィオナは自身の体内に掛けていた罠を全てイルゼの中へと移動させた。
これは、フィオナとイルゼの魂が繋がっているから出来ることだった。
本来、自分の中に設置し、発動させる為に組んだものを、他者の身体へ移動など出来ない。単純に失敗するか、成功したとしても両者の身体に負担が掛かるかのどちらかだ。
しかし二人の場合は女神の手で施された『魂が同列』という特例がある。その為、ほんの少しの解釈を変えてやれば『同じ身体』として扱うことが出来た。
罠は、既にそこに居る闇の魔族に対して正しく発動した。先程の光魔法によって弱っている闇の魔族に、逃げられるだけの余力も無い。
「成功です! 闇の魔族が出ます!」
罠の発動を感じ取ったグレンが叫ぶ。直後、イルゼの身体から黒い靄のようなものが、格子状となった光の結界に囚われた状態で浮かび上がる。おそらくは物理攻撃の効かない相手だろう。そうと知りながらもグレン達は咄嗟に武器を構え直した。
「今度こそ……手加減なしだから!!」
だが、間髪入れずにフィオナが光の攻撃魔法を発動した。――先程と全く同じ、最上級魔法だ。
「ま、さか、最上級魔法の並列起動!?」
怯えとも取れるような声で、グレンが驚愕の言葉を漏らした。二発目の詠唱は聞いていない。つまり、一発目の魔法を発動する前にフィオナは最上級魔法を二つ同時に準備し、片方の発動を遅らせていたのだ。三分にも及ぶ長い詠唱の理由は、此処にあった。しかし炎の魔族との戦いで見せた上級と最上級の並列起動も、常識では考えられない離れ業であったはずだ。
「とんでもないガキは二匹だったな」
「ダハハ! たまげっ放しだな!」
奇跡のような高位魔法の連撃により、闇の魔族はその存在感を示す暇もなく、聞き苦しい断末魔と共に消えた。
「グレンさん、消滅の確認をお願いします!」
けれどまだ気を抜いてはいられない。フィオナの腕の中には瀕死のイルゼが居る。フィオナはすぐさま彼女の治癒に入った。魔族が本当に消滅したかどうかを自ら確認する余裕など一切無かった。グレンも当然それを理解しており、了承を告げるとすぐ、先程まで魔族を捉えていた罠の周囲に専用の術を展開し、魔族の痕跡を辿った。
「消滅を確認できました。神の石も私にお任せください」
今回の目的である神の石だが。今は何処に転がっているのか、誰も把握していない。イルゼとの戦闘で砂ぼこりに紛れてもいるかもしれない。グレンが探しに走る。フィオナは彼から声を掛けられたことを気付いていないのか、返事の余裕が無かったのか、何も言わなかった。
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