第46話 闇の封印地

 目を覚ましたら、昨夜の締め付けられるような痛みは無くなっていて、イルゼちゃんの温かい腕の中に居た。いつもよりぎゅっと強く囲われている感じがする。心配をさせてしまったんだろう。

 とにかくもう朝のようだから、私は朝食の準備をしなきゃいけない。ゆっくりと腕から逃れて、身体を起こす。軽く喉元の紋章に触れた。本当にもう痛みは無い。ホッとして小さく息を吐いた瞬間、その音に反応したみたいにイルゼちゃんの腕が震え、私の腰を抱いた。

「痛む……?」

 半端にしか開いていない目で私を見上げて、イルゼちゃんが小さく問い掛けてくる。起きようと目を擦り始めちゃったから、慌ててそれを止めさせた。

「大丈夫だよ、もう痛くないよ」

 イルゼちゃんの頭をのんびりと撫でて寝かし付けようとしたんだけど、イルゼちゃんは一生懸命に目を凝らして私を見つめている。私の「大丈夫」を疑っているみたい。心配させているのは分かっていても、何だか可愛くて口元が緩んだ。

「本当だよ。夜中に起こしちゃってごめんね。寝不足になってない?」

「ん、なってないよ。……フィオナも大丈夫?」

「うん、イルゼちゃんが抱き締めてくれたから、すぐ寝ちゃったみたい」

 抱き締めてもらった後のことはよく覚えていないけれど、覚えていないから、そういうことだと思う。そうして会話している内にイルゼちゃんの目は冴えてしまったようで、寝かし付けようとしていた私の努力虚しく、そのまま身体を起こしてしまった。

「イルゼちゃん、まだ寝てていいよ」

 慌ててそう言ってみても、イルゼちゃんは首を横に振る。それから私の身体に緩く腕を回して、決して傷めないような優しさで抱き締めてきた。

「あんなに酷く痛むなんて、聞いてなかったよ」

 ちょっと怒ったみたいな声。私は腕から逃れることなく彼女に凭れ掛かって、肩の力を抜いた。

「あそこまで痛くなったのは、昨日が初めて。……嫌な夢を見たみたい」

 これは本当。夢の内容は全く分からないけど、すごく嫌な気持ちだけが残って、逃げるように目を覚ませば喉元の酷い痛み。流石にあれは隠しようがなくって、私も混乱していた。自分でイルゼちゃんの腕から逃れた癖に、最後は助けを求めるみたいに縋り付いた。

 前世の最期から何も変わらない愚かさに辟易する。だけどそれをイルゼちゃんに謝罪することも結局は私の自己満足でしかなくて、何も言えなくなった。黙り込む私をどう思ったのかは分からないけれど、イルゼちゃんはゆっくりと背中を撫でたら、腕を解いてくれた。

「私も起きるよ。また痛まないか、心配だから」

「眠くないの?」

「大丈夫。それに心配で、眠れそうにない」

 そう言われてしまうと、突っぱねることも難しい。私がイルゼちゃんに心配を掛け、夜中に起こしてしまったことは事実なのだから。だけどまだ赤い目も、重たそうな目蓋も、心配にならないわけじゃない。イルゼちゃんが目を閉じて軽く俯いた時、思わず私は少し伸び上がって、その目尻に唇を寄せた。

「フィオ、ナ」

 戸惑ったイルゼちゃんの声に、自分が何をしようとしているのかに気付いてハッとした。唇が触れる寸前、何とか不自然にならない程度に角度を変え、こめかみに額を擦り付ける。イルゼちゃんからは、安堵したような、がっかりしたような吐息が漏れた。

 つい触れたくなってしまったけれど。これはイルゼちゃんがずっと踏み越えないようにと守っている一線だから、私が安易に壊すべきじゃない。多分、誤魔化せたと思うけど、どうだろう。不安な気持ちは、背中を軽くぽんぽんと叩いて、いつもの笑顔で私を見下ろすイルゼちゃんを見たら、霧散した。

「じゃあ、起きよっか、フィオナ」

「うん」

 軽く額と額を合わせてから、揃ってベッドを降りた。アマンダさんは身動き一つしなかったものの、きっと起きていると思う。後で何か言われそうだなぁ。恥ずかしい。

 だけどその後アマンダさんから何か言われることも無くて、私の紋章が痛むことも、この日以降は全く無かった。

 それから四日が過ぎた正午。グレンさんから術の構成が完了したと報告があった。

 魔法について詳しいことが理解できるのは、おそらく私だけだと思うけど。結局は全員で内容を聞くことにした。分からないかもしれなくても知っておきたいとのこと。これが作戦の要になるので、慎重になっているんだと思う。

「フィオナ様がご自身に掛ける罠も勿論ですが、念の為、私も周囲に複数の罠を張ろうと思っています」

 ただしその罠は当てずっぽうに過ぎず、また、勇者の光に匹敵する強さではないので、捕らえる可能性は低いと言う。でも低い可能性であったとしても、私の身体に完全に入り込んでしまう前に捕らえられるなら、それが最も安全というお考えでのことだった。確かにそれで終わってくれたら怖くないので私にとってもありがたい。

「そしてフィオナ様にお使い頂く罠は、四重にしました。一つ目で捕らえる可能性が高いと思っていますが、可能な限り入念にと、こちらで考えられる全ての方法を詰め込んでいます。少し複雑な術になりますが」

「いえ、ありがとうございます。安心できます」

 魔法陣が記載された十数枚の紙を手渡される。魔法陣の図柄の周囲には、各部位の詳細や解釈も、事細かに記載されていた。

 アマンダさん達もその紙を覗き込んできたものの、みんな早々に視線を外している。普段から魔法書を読むような人でない限り、軽く見て理解できる内容じゃないので仕方ない。最後まで見つめていたのはイルゼちゃん。一生懸命に理解しようとしていて、ちょっと可愛かった。

「フィオナ、それが使えるようになるまで、どれくらいだ? 勿論、焦る必要は無い。ただの目安としてな」

「……そうですね、丁寧にまとめて頂いているので、これなら今日中には」

 けれど発動時の状態は、一族の方々含めて事前に確認してもらいたい。勇者の光に互換性があることは既に確認したけれど、全ての術で同じ形が作れるかを見たわけじゃないから。そうお願いすると、グレンさんは憂いなく頷いてくれた。明日の同じ時間にはその確認が出来るように一族の方々にも伝えてくれるとのこと。

 明日その試行をして特に問題なければ、ゆっくり休息を取って明後日には封印地に向かえるはず――と思って、そう伝えたら。

「なら少し余裕を見て、決行は三日後にしよう。いいよな?」

 アマンダさんからは更に一日の休息を提案された。多分、私が焦って気負わないように、釘を刺しているんだと思う。私もみんなも了承した。そして勿論このスケジュールも『順調に行けば』の前提であって、各人に何か問題が発生すれば延期する。全員に言い含めるようにアマンダさんそう言うのに対して、再び頷く。安全、確実、犠牲無し。私達が目指すものを、決して間違えてはいけない。

「ジェフ、稽古に付き合って。意味ないかもしれないけど、落ち着かない」

「ははは! 応、いくらでも相手になるぞ」

 話が整ったと同時に、イルゼちゃんが立ち上がって、ジェフさんと一緒に出て行った。私が突然のことに少し目を瞬いていると、アマンダさんは笑いながら私の頭をがしがしと撫でる。

「うじうじしてるより、ずっといいさ」

 一瞬、自分のことを言われたのかと思った。でも今のは『イルゼちゃんが』私を心配して部屋に籠ってしまうより、ってことかな。ちょっと首を傾ける私に、またアマンダさんは目尻を緩める。

「さてと。頑張ってるお前らに、昼と夜はあたしが飯を作っておいてやる。頼んだぞ」

「は、はい」

 ぽん、と優しく叩かれた背中が温かい。

 グレンさんは私が術の解釈を読み解いて練習する間、いつでも質問できるように傍に居てくれた。でもずっと私を見つめていたわけじゃなく、彼も周囲に張る予定の罠を練習していたようだった。

 その日の夕方には宣言通り、術は形になった。何度も繰り返し確認をして、翌日の正午には試行。無事にグレンさんと一族の方々から、術の構成・強度が共に完璧だと太鼓判を頂いた。

 それから更に一日の休息と調整を経て、封印地への出発の朝。

「フィオナ、体調は万全だろうな?」

「ふふ、はい」

 心配性な言葉に思わず笑ってしまって、怒られるかと慌てて口元を押さえたら、アマンダさんは「大丈夫そうだな」と苦笑していた。余裕があるように見えたのかもしれない。でも本当はアマンダさんの言葉に笑ってしまうまではちょっと緊張して考え込んでいた。だから笑みが零れたのは、アマンダさんのお陰。少し気持ちも解れたかも。

 今回の封印地はそんなに村から離れていなくって、且つ、平坦な道だったので私の体力的にはすごく助かった。あまり息を切らすことなく、祭壇の前まで辿り着く。流石に洞窟の中とあって他の場所と比べると少し気温が低く、ひんやりとする。私はこの冷たい空気が妙に恐怖を煽って緊張してしまうので、あまり好きじゃない。なんて、我儘を言っても仕方がないけど。静かに、深呼吸をして恐怖を振り払う努力をした。

「――フィオナ様、罠の設置が終わりました」

「はい、私ももう少しで、終わります」

 いつもの魔族を取り逃がさない為の結界を張った後、私とグレンさんは罠の準備に取り掛かっていた。グレンさんの方が数は多いはずなのに、流石、慣れているだけあって罠の設置が早い。だけど私もここで変に焦ってはいけない。入念に、四重の罠を自分の体内に編み込んでいく。

 完了したらグレンさんが確認してくれて、改めて術に問題が無いことを見てもらった。これで全ての準備が完了。いよいよ、闇の魔族の解放だ。

 私は、一度イルゼちゃんを振り返った。目が合うまでは無意識だった。だけど今だけは本当に不安で仕方が無かったから、甘えさせてほしい。イルゼちゃんは優しく微笑んで、「傍に居るよ」って言ってくれた。私は一つ頷く。大丈夫。イルゼちゃんが傍に居てくれる。みんなが支えてくれる。グレンさんと、一族さんが作ってくれた罠がある。絶対に、大丈夫だから。

「では、闇の魔族の封印、解除します!」

 勢いを付けるつもりで声を張ったのに、最後ちょっと震えた。恥ずかしい。けどこの勢いでやり直すのはもっと恥ずかしいので、そのままいつもの解除の呪文を唱えた。封印の石碑が崩れ去り、一瞬だけ奥の空間が歪んで――空間に、静寂が落ちる。

「……あれ?」

 封印を解除したらすぐに、自分の身体に魔族が入り込むと思っていた。私の罠は何も発動していない。グレンさんの罠に掛かった様子も無い。

「何処に――」

 私とグレンさんはそれぞれ、周囲を見回していた。その時、誰かが息を呑んだ音がした。

「イルゼから離れろ!!」

「え?」

 声に応じて視線を向けるよりも早く。聞き慣れた抜刀音。私の視界に、銀色の光。長剣が真っ直ぐ私に向かって、振り抜かれていた。その切っ先が私の身体に届く、すんでのところで。金属同士がぶつかり合う音が響き、いつの間にかジェフさんが目の前に立って、大剣でそれを受け止めていた。

「フィオナ様!」

「ひゃっ」

 グレンさんが即座に私を抱え、その場から距離を取るように移動する。瞬く間に、ジェフさんの背が遠い。

「イ、ルゼちゃん?」

 ジェフさんと鍔迫つばぜり合いをしているイルゼちゃんの目は確かにで、だけど誰よりも驚愕の表情を浮かべていた。

「何、これ……身体が、言うこときかない……!」

 彼女がこんな風に恐怖で声を震わせたのは初めてのことだったかもしれない。アマンダさんが舌打ちをした音が聞こえる。

「くそっ、想定すべきだったな。恐怖も『臆病』の基準になると」

 その言葉の意味が、まだ飲み込めなかった。

 罠が、発動しなかった。私の中に闇の魔族は入り込まなかった。選ばれたのがイルゼちゃんで、それで、――私達の作戦は、失敗した。

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