第45話

 フィオナの持つ勇者の光と、グレン一族の術の互換性が分からないことにはこの作戦会議を進めても詮が無い。何より先にそれを明らかにすべきという考えで、全員で一度、村の外へと移動した。グレンが言うには初歩は小さな術らしいが、流石に借りている屋敷内で試すべきではないだろう。

「あ……私に術を教えるというのは、その、一族の禁忌などには触れませんか?」

 開けた場所に到着して、グレンが術の説明をしようとした瞬間。フィオナが疑問を口にした。実際、グレンの一族には禁忌が多い。アマンダ達からすれば「意味の分からない」ようなものもある中、「一族以外の者に術を教える」なんてことはむしろ分かりやすいほどにタブーでありそうだ。しかし、グレンは易く首を横に振る。

「いいえ。勇者様に開示できない情報はございませんので、フィオナ様であれば何の問題もありません」

 つまりフィオナ以外であれば、伝授など許されなかったのだろう。何故、勇者なら許されるのか――。その意味を理解して、アマンダは微かに眉を寄せた。

「……元々は勇者が短期間で死ぬことを想定した規律なんだろうが、今は幸いだな」

 そんな規律に対して言いたいことは山ほどあるのだろう。けれど、これ以上の文句や嫌味を重ねても仕方がない。アマンダが言葉を飲み込むのを見守ってから、グレンは改めてフィオナに向き直る。まずは口頭で術の説明が入った。

 元より、グレンの説明は少し長い。

 術の構成にも行使にも必要でない理論の話までおそらく含まれており、フィオナ以外の三名は二分が過ぎた頃にはもうほとんど話を聞いていなかった。

 それから十数分間、淡々とした説明が続いた後。最後にようやく、グレンが実演する。彼の足元にふわりと白い魔法陣が浮かび、それが地面に溶けるようにして消えた。

「何の術?」

「……い、イルゼちゃん、さっきグレンさんが説明してくれてたよ。瘴気濃度を確認する術!」

「へー」

 全く聞いていなかったことを悪びれる様子なく口にするイルゼに、フィオナはグレンの顔色を気にしつつ、慌てて振り返った。しかしグレンは特に気を悪くしているようではない。アマンダやジェフも昔からそうで、慣れてもいるのだろう。まして敬愛するイルゼに対して、不満を抱くことなどあるはずもなかった。

「と、とにかく、理論は分かりました。やってみますね」

 場を取り成すようにフィオナは言うが、そんなに気を遣わなくとも、グレンは気にしていない。このような気を遣い過ぎる性格も、周りに彼女を『臆病』と思わせる一つの要因なのかもしれない。

 だがそんな控え目な彼女ではあるが。

 魔法に関してだけは、遠慮がない。自分が特別で、優れているのだと全く理解していないかのように、躊躇なく難しいことをやってのけた。

「できました! ……よね?」

「は、はい。問題なく」

 明るい笑顔で振り返ったフィオナは、グレンの硬い表情を見てすぐに不安になったのか、途中から自信なさげな質問口調に変わる。グレンは頷くも、表情は硬いままだ。

「いえ、失礼しました。驚いてしまって……」

「なんだよ。最初から互換性を確認するって話だっただろ?」

「ああ、それは、そうなんだが」

 動揺していても口調の切り替えは完璧だ。アマンダの横でイルゼが一瞬、可笑しそうに口元を緩めていて、それを見付けてしまったフィオナは釣られて笑わないように一度軽く俯いた。

「実は、一族の者はある契約術を行ってからでないと、この術含め一切を使用できないのです」

 小さな咳払い一つで気を取り直したグレンは、フィオナに向き直ってそう説明した。だから、フィオナにも最終的には契約術が必要かもしれないと不安視していたらしい。

「なるほど……では一族の方々は、その契約術を利用して、神の力を身体に宿すんですね」

 本来、人の身体に神の力など存在しない。フィオナは勇者の紋章を持つことで、自らの生命力や魔力を勇者の光に変換できているようなもの。そんな紋章に代わる仕組みが、契約術にもあるのだろう。

「お前が最初いやに難しい顔をしていたのは、そのせいか。厄介な術だったのか?」

 アマンダの言う「最初」は、フィオナがこの提案を説明し始めた辺りのことだ。フィオナを相手にしている際のグレンにしては沈黙する時間が長かったとアマンダは感じたのかもしれない。

「厄介、というよりは、……身体への負担が大きい」

 眉間の皺を深く刻んでグレンが呟く。瞬間、フィオナに対して過保護なその他三名の表情が一斉に強張った。当然、グレンも同じ気持ちだろう。ゆっくりと頷く。

「今の時点で互換性が無ければ、私としては契約術については伏せ、この提案を流してしまおうとすら思っていました。……すみません」

「え、ええと、とりあえず、互換性があって、良かったです」

 フィオナが出した案がもう少しのところでグレンに棄却されようとしていた――しかも方法があるのに「無い」と嘘を吐かれていたかもしれないのだが、それを知ってもフィオナが怒る様子など無い。そもそも彼女が他者に怒るようなことはあるのだろうかと、アマンダは軽く首を傾けながら思った。

「でも、そういう時も出来れば、伏せないで下さい……もしかしたら、契約術の負担を軽減するような方法も、見付けられるかもしれませんし」

 だが、流石に今後もそれで良いとは言わないらしい。フィオナらしい、柔らかな注意の仕方だ。

「……なるほど。確かにそうですね。今後は、きちんとお話することに致します」

「どうしても自己犠牲気味なフィオナには話にくいと思ったら、先にあたしらに言うとかな。まあ、今回はいい」

「じ、自己犠牲は、してない、です」

 慌てた様子でフィオナが訂正の言葉を続けたが、アマンダはそれに目を細めただけだった。なお、他の誰もフィオナの言葉を肯定しない。フィオナからすればそうなのだろう。しかし他者の目から見れば明らかに、フィオナは自己犠牲に偏った考えを持っている。

 千年前のことに、被害者にも拘らず彼女は罪悪感を抱いている。そのせいもあるのだろうが。

「何にせよ。これでフィオナの案は可能そうってことだな?」

「ああ、間違いなくフィオナ様は、我が一族の術が使用できる」

「ねえそれって、逆にグレンも、勇者と似たことが出来るってことじゃないの?」

 イルゼは声を張るようにして会話に入り込んだ。声には少し期待の色が含まれていたが、それに気付いてしまったせいだろう、フィオナはやや眉を下げた。

「うーん、かなり一部にはなる、かな。やっぱり目的が違うものだから」

「そっかぁ……」

 返答に、落ち込んでいる。イルゼは、フィオナの負担をグレンに分けることで、もっと減らせるのではないかと期待したようだ。

「充分みんなが、私の負担を持ってっちゃってるよ」

 フィオナはそう言って笑うけれど。他の面々はやはりそれに同意することが出来ず、曖昧に笑みを浮かべていた。

「とにかく互換性の確認はこれでいいだろ。グレン、捕まえる術、何とかなりそうか?」

「ああ。一族の者とも相談してみるが、三重か四重の罠にしよう。失敗は許されない」

 グレンの瞳がぎらりとやる気で輝いたように見えた。

 その後、全員で宿に戻ると、早速グレンは術について一族と話し合うと言って席を外した。

「ま、フィオナが一人で考えるよりはいい。グレンはお前に対してはかなり過保護だ。万が一の失敗を幾通りも考えて動くだろう」

 相変わらず、アマンダはその点においてフィオナにあまり信頼が無いらしい。暗に意味することをきちんと汲み取って、フィオナは苦笑を零した。しかし一人で考えるのがフィオナかどうかはともかく、一人で考えた術よりもそちらの方が失敗のリスクが下がるのは確かだ。だが、イルゼは落ち着かない様子で額を押さえて俯いている。

「私はそれでも不安だよ、何か出来ること無いの?」

「イルゼちゃん……」

「気持ちは分からないでもないけどね、イルゼ。今一番怖いのが自分だと思うのかい?」

 一拍の後にハッとしたイルゼがフィオナの方に目をやって、彼女が膝に置いている手を見つめる。それは、微かに震えていた。見付かったフィオナもハッとして両手を互いに握り込むようにして押さえていた。

「あ、えっと、これは、あの……ごめんなさい」

「謝るなよ。怖くて当然だ」

 アマンダは、眉を下げて笑った。イルゼも、震えているフィオナの手を自分の大きな手で包み込む。

「ごめん。私が不安になってたら、余計に怖いよね」

 誰よりも臆病者だからこそ、今回、フィオナは選ばれてしまうのだ。そんな子が、怯えずに今の状況を受け止められるはずがなかった。イルゼに包まれても、震えが収まらない小さな二つの手。堪らずイルゼは、フィオナの身体を両腕でぎゅっと抱き締めた。

「傍に居るからね」

「うん」

 フィオナが闇の魔族に入り込まれた時。イルゼに出来ることはあるだろうか。何も無いかもしれない。それはフィオナにも分かっているのだろうに、イルゼに抱かれたフィオナは何処か安心しているような表情を浮かべていた。

「今回も焦らず行こう。グレンと一族には慎重に術を構築してもらうとして。それが出来上がるまで、他はいつも通りだ」

 アマンダがそう告げた通り、それから数日間はグレンを除き、普段とあまり変わらない日々を過ごした。イルゼとジェフは毎日元気に手合わせ形式の稽古。フィオナは引き続き、防御魔法の改善。その傍らで、捕らえた魔族を滅する為の光の攻撃魔法についても確認しているようだったが、そちらの方は既に習得している最上級魔法があるらしく、精々、復習程度のこと。勿論、最後の決め手になるのでおざなりにはしていないものの、新しい魔法を開発するほどの熱量は必要ない。

 だが、普段通りに見えていても。

 着実に圧し掛かる恐怖が、臆病な彼女の中には日々降り積もっていたのかもしれない。

 いつも通りイルゼの腕の中で寝ていたフィオナが夜中に目を覚まし、イルゼの腕から逃れてベッドの端に座る。そのまま喉元を押さえ、ぐっと息を呑んでいた。腕からフィオナが居なくなった気配で目覚めたイルゼは、ぼんやりとした頭で彼女の背を見つめた数秒後。勇者の紋章に痛みが出ているのだと気付いて勢いよく身体を起こし、フィオナを抱き締める。

「フィオナ」

「起こし、て、ごめん」

「そんなこと良いから」

 抱き締める以外、イルゼには何が出来るのか、何をすればいいのかが分からない。だがフィオナが縋るようにしがみ付いてくるから。イルゼは一層強く彼女を抱いて、絶えずその背を撫でた。

 その内、フィオナは痛みに耐え疲れてしまったのか、腕の中で眠り落ちる。

「少しって、言ってたのに……」

 落ち着いたフィオナを見下ろせば、その額には薄っすらと汗が浮かんでいる。こんなに耐え難い痛みだったなら、どうして「少し」などと言うのだろうか。遣る瀬無い気持ちを抱えながらも、起こさぬようにフィオナをベッドに横たえた。

 そしてフィオナが起きないことをしばし見守ったイルゼは、彼女の喉元のボタンを慎重に一つずつ外し始める。

「……何してんだいあんた」

「ち、違っ、これはそういうんじゃなくて!」

 どういう意味かはさておき、イルゼは小声で必死に弁明していた。

 彼女はただ、痛んでいる間も紋章の状態が変わっていないのかを確認したかっただけだ。アマンダも静かに身体を起こし、隣のベッドでそれを見守る。しかし勇者の紋章は普段と変わらぬ形をしており、腫れたり赤くなったりしている様子もまるで無かった。

「本当に精神的なものなのかな……」

「フィオナが言うなら、そうなんだろうさ。今一番、その紋章について知識があるのはフィオナだからね」

 彼女は女神から直接知識を与えられている。あとはグレン一族の持つ勇者の情報くらいしか、アマンダ達には判断材料が無い。

「あんたももう一回寝な。悪い夢を見ないように大事に温めてね」

「わかってる」

 今悩んだところで答えは無く、こうして横で話していれば、折角眠り就いたフィオナを起こしてしまうこともあり得る。

 アマンダの言葉に雑に頷いたイルゼは再び隣に寝そべって、フィオナを緩く抱き締める。夢現にか、フィオナはイルゼの身体に寄り添うように少し寝返りを打った。

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