第43話

 翌日は昼過ぎからフィオナも外に出て、魔法の開発に勤しんでいた。少し離れた位置で護衛がてらアマンダが付いているが、今日はその二人からやや距離を取った場所で、イルゼとジェフも稽古をしている。一か所でじっと立ち尽くしたまま魔法陣と睨めっこしているフィオナとは対照的に、イルゼとジェフは止まっている時間の方が短いくらいに激しく剣をぶつけ合っていた。今もまたイルゼが強く踏み込んで振り下ろした剣を、ジェフが何処か楽しそうに受け止める。

「イルゼはフィオナがおると気合いが違うなぁ!」

「うるっさいな!」

 剣を切り返して攻撃するイルゼに対して、身体を翻して避けたジェフは大剣を振り下ろす。イルゼもそれを躱して追撃を重ねた。二人が何度も切り結ぶ音が辺りに強く響き渡る。

「戦う理由が近くに居たら、気合いも入りやすいっての!」

「ははは! 違いない!」

 一層、速度を上げるイルゼに難なく応えながら、ジェフは豪快に笑った。その二人を見つめ、アマンダは苦笑を零していた。

「どうだかな、格好いいところを見せたいだけだろ。ま、残念ながらフィオナは魔法に集中しているが」

 そう言いながらアマンダが視線を移せば、案の定フィオナは、やかましく暴れ回る二人に一瞥もくれず、周囲に浮かべた魔法陣にばかり視線を向け、集中している。

「この研究者気質は典型的な魔術師だと思うがね。前世では何も出来なかった、か……」

 小さな呟きを誰にともなく零しながら、アマンダは少し目を細め、小さな背を眺めていた。その視線にも当然、反応は無い。

「おぉ」

 直後、フィオナが展開した魔法にアマンダは思わず感嘆の声を漏らす。フィオナの前に半透明の板のようなものが浮かんだのだ。あれがきっと、彼女なりの『防御魔法』なのだろう。ちゃんと出来ているじゃないか。見た目だけでアマンダは単純にそう感じていた。しかしフィオナはアマンダが声を上げたことも知らない様子でじっとその魔法を見つめた後、何か問題があったのか難しい顔を浮かべて消してしまう。そしてまた魔法陣を周りに幾つも浮かべていた。課題を潰しながら、少しずつ調整しているのだろう。

「テストが必要なら、いつでも矢を射るからなー」

 聞こえていないかもしれないが。そう思いつつもアマンダが離れた位置から声を掛けると、フィオナはすぐに振り返った。

「は、はい、ええと、もう少ししたら、お願いします」

「ああ。焦らなくていいさ」

 彼女の言葉に、アマンダは笑みを浮かべながら答え、軽く手を振った。

 次にフィオナが動いたのはそれから十数分後。徐にアマンダの方を振り返り、先程の防御壁を再び出現させた。改めてアマンダが正面から見たそれは、綺麗な六角形だった。

「すみませんアマンダさん、攻撃してみてもらえますか? あの、矢は壊れると思うので、壊れて良いものでお願いします」

「はは。ああ、分かった」

 隣に立て掛けてあった弓を取ると、言われた通りに最も安価な矢を使って、アマンダは防御壁に狙いを定める。

「万が一の為に、フィオナはちょっと離れてろ」

 魔法の壁の向こう側とは言え、射線にフィオナが立つのは心配になるらしい。構えたままで低く呟く。フィオナはその優しさに少しくすぐったそうに笑って、「はい」と応えて斜め後ろの方へと下がって行った。その動きをしっかり確認してから、アマンダは矢を射る。防御壁の中央へと正確に射られた矢は、「壊れる」という表現が生易しいと思うほど無残に、まるで蒸発するかのように粉々に砕け散った。ぎょっとアマンダが目を見開く。

「え、こわ」

 同時に、イルゼの声が二人の間に入り込んだ。どうやらイルゼ達も手を止めてその光景を見学していたらしい。

「だはは! 矢が塵になってるじゃねえか! こいつぁ強力な盾だな!」

 ジェフは豪快に笑っているが、アマンダの顔は引き攣っている。

「は、弾くもんだと思ったが」

「あの、はい、最初はそのつもりだったんですけど、弾く方向によっては味方も危ないので、対象を壊して分散するよう変更を加えていて……」

 説明を聞いてもなお、アマンダの表情は引き攣った。発想がフィオナに似合わず暴力的に思えたからだ。何度、目を凝らしても、アマンダが射た矢は残骸すら見当たらない。

「私の剣とかだとどうなるの? 折れる?」

 興味津々と言った様子で、イルゼとジェフも傍へと歩み寄ってくる。

「流石に剣くらい重いと完全には壊せないけど、折れちゃうか、少なくとも刃こぼれはすると思う。あと、持ってる手も衝撃で痛めちゃうかな」

「へぇー」

 柄を握っている手に衝撃が入れば、あの蒸発具合から言って「痛める」という表現も生易しい可能性は高かった。人の身であれば間違いなく、剣よりも圧倒的に脆いのだから。

「うーん、じゃあ、アマンダの矢くらいしか試せないかな」

「あとは魔法だね」

「そっか、私やってみてもいい?」

「いいよ」

 フィオナが頷くと、イルゼは目を輝かせて、わくわくしている様子で防御壁の正面へと走った。こういうところはただの十六歳だなと、アマンダがこっそりと笑う。

「火でも大丈夫なの? 風だと弱点属性だけど」

 魔法の構えを取りながら、イルゼが尋ねる。この防御壁は風属性であるらしく、イルゼの言う通り火に対しては弱い属性だ。しかしフィオナはあっさりと頷いていた。

「うん、大丈夫なように、組んだつもり」

 何でもないことのように柔らかくフィオナが返しているが。本来、弱点属性に耐えるような形で術を組むことなど不可能に近い。火の魔族が水を無効にしていたことや風の魔族が火の魔法すら弾けることは、肉体や在り方にすら属性が付くような特殊な生命体であるからこそ成し得たことだ。此処には魔法に詳しい者がフィオナ以外に居ない為に流されているものの、グレンが居れば言葉を失くすほど驚愕していたことだろう。

 さておきアマンダ以上に心配性なイルゼは何度もフィオナに「ちゃんと離れててよ」と言い含めてから、火の攻撃魔法を放った。ジェフの胴体ほどもある大きな炎だったが、それは防御壁に触れた傍から小麦の粒より小さく分解されて拡散し、間もなく消えた。

「ひえー」

 その光景に感心と驚きと、少しの恐怖を込めてイルゼが声を上げる。しかしフィオナの方は観察するようにじっくりと見つめて、ぶつぶつと独り言を呟き始めた。

「やっぱり周囲の影響をゼロには出来ないけど、後ろは大丈夫……でも、ううん……」

 真剣な表情で考え込んでいるフィオナを、誰も急かすことなく静かに見守っていた。少しすると、気を取り直したようにまたフィオナが顔を上げ、イルゼを振り返る。

「イルゼちゃん、雷魔法もぶつけられる?」

「うん! 任せてー」

 すぐに明るい声で返事をする様子は、実験が楽しいという気持ち半分、フィオナからの『お願い』が嬉しい気持ち半分だろうか。いつになく張り切った様子で、先程と同じ要領でもって防御壁へとイルゼが雷の矢を放った。炎の時と同様に、それは静電気くらいの小さな電気にまで分解される。ぱりぱりと小さな音を立てて周囲に飛び散った程度で、フィオナの控える後方には何も影響していないようだ。

「すごいよフィオナ! 全然通らない!」

 イルゼは自分の魔法が弾かれていても悔しい様子など一切なく、フィオナの成果を絶賛している。けれどこれでもフィオナはまだ納得がいかないらしい。苦笑と共に軽く首を傾げていた。

「とりあえず形になった、くらいかな。完成はまだ掛かりそう」

「だが第一関門は突破だろう。今日くらいは早めに切り上げて休んでも良いんじゃないか? あんたはずっとこれに付きっきりだったからな」

「そう、ですね」

 最初の頃はイルゼに寝かし付けられてしまうほど焦って根を詰めていた彼女だ。今はそこまでではないにしても、空き時間を全てこの魔法の開発に注ぎ込んでいたと言っても過言ではない。そう思い返して休むことを提案したアマンダに、フィオナも少し迷った様子はあれど、最終的には了承した。

 フィオナが宿の方へと戻ると、彼女の護衛という役割でいたアマンダも当然それに連れだって宿へと帰る。イルゼ達はまだ稽古を続けるらしい。宿にはグレンも居なかった。一族の者と連絡を取る為にでも、外出しているのかもしれない。

「なあ、フィオナ」

「はい?」

 部屋に入り込み、軽装になった彼女の方へとアマンダはゆっくり歩み寄る。無防備にアマンダを振り返ったフィオナの顔はどう見ても十六歳の少女であり、そして十六歳には珍しいような無垢さを宿す。アマンダはそれが全くの偽りであるとは思わない。ただ、少しの違和感を含むだけで。

「お前、イルゼの気持ち、ちゃんと気付いてるだろ?」

 フィオナは、アマンダの顔を真っ直ぐに見つめてしばし静止した。部屋は静寂に包まれ、「ええと」と小さく呟いたフィオナの声がいつもより上擦っているのがはっきりと聞き取れた。

「……気持ち、って、どういう、意味ですか?」

 ふん、と短く息を吐いたアマンダは、彼女の返答にやや不満そうな目を向ける。

「さっきのイルゼとジェフの会話もなぁ。聞こえていたようだし? てっきり集中して耳に入ってないから無反応かと思えばあたしの言葉にはしっかり反応すると来た」

 一瞬、何かを言おうとするみたいに、フィオナは口を開いた。アマンダは言葉を待ってやったが、彼女は結局それを閉ざし、沈黙する。視線は床へと落とされ、アマンダを見ようとはしない。

「イルゼのあの程度の発言には慣れているんだろうが、かといってあんたの性格上……いや、あたしらが抱いていたあんたの『印象』から言えば、聞き流す対応は不自然だ。わざわざ聞こえない振りをしたってことは、……そんなことも、分かってるんだよな?」

 自分に対して周りがどのような印象を抱いているのか。それを把握した上での振る舞いと言うなら、その印象すら全て計算の上で作り上げられたものである気さえする。アマンダの指摘を聞き終えたフィオナは、小さく息を吐いた。

「イルゼちゃんには言わないでください……」

 質問にはまるで答えていない。だがその返答はアマンダの指摘に対する肯定であり、フィオナの諦めの言葉だった。

「一体、何を?」

「それは」

 どうにかして彼女自身の口から言わせようとするアマンダに、弱り果てた様子でフィオナは眉を下げる。

「……アマンダさん、どうしてそんな意地悪を言うんですか」

 やや泣き出しそうにも聞こえる声に、アマンダはふっと気が抜けたように笑った。毒気を抜かれたとでも言うべきだろうか。

「悪い悪い、意地悪したつもりじゃないんだが。……イルゼがどういう目であんたを見てるかってのは、理解しているんだな」

 アマンダから見て、イルゼは明らかに性的な興味もフィオナに対して持っている。求めて抱き寄せては、首を傾けるフィオナに曖昧に笑って、そのまま何もせずに解放する。短い付き合いの中でも数え切れないほどに見てきたそのやり取りを、フィオナだけは理解していないのだと思っていたのに。しかしフィオナは何処か寂しそうに目を細めてから、「はい」と丁寧に肯定した。

「だけど、イルゼちゃんは、私にそれを、知ってほしくないようなので」

「あ~……なるほど」

 彼女が敢えて知らない振りを続ける理由を瞬時に察したアマンダは、額を押さえて項垂れた。

 確かにイルゼは日頃から、フィオナに過度な純真を求めている節がある。アマンダの揶揄いや軽口に対しても「フィオナの前では止めて」という言い方が多く、そういう目で見つめてくるのにその対応だから、イルゼが見つかりたいのか見つかりたくないのか、フィオナは分からなくなってしまったのだ。

 とは言え、偽った無垢でも仕方がないのでは、と、悩んではいる。それで時々、反応していいのか悪いのか判断できなくて、聞こえない振りをしてしまっていた。

 少し言葉を選びながらもフィオナがそう説明したところで、アマンダはやはり項垂れた。思うに、イルゼだって知ってほしくないのとはまた違うのだろう。これは想像以上に厄介な話だ。

「あんたの方はどうしたいんだい」

「私は――」

 言葉を途切れさせた後、フィオナは沈黙した。一度、口を引き締めて嘆息した彼女は、いつもよりも小さくなってしまったように見える。

「……分かりません」

 答えた後は、俯いてしまい、視線を落としたままで「ごめんなさい」と続けた。その声があまりに弱くて、アマンダは眉を下げる。

「あたしに謝ることはないだろ。踏み込んだことを聞いて悪かったよ」

 アマンダの言葉にフィオナは「いえ」と答え、小さく首を振るけれど、すっかり元気をなくして萎んでしまっている。このタイミングでイルゼやグレンが帰れば、きっと「虐めた」と言われ、アマンダが大目玉を喰らうだろうことは容易に予想できた。軽く肩を竦める。

「ま、二人が後悔しない道があればいいな」

 それだけ言ってこの話を切り上げ、アマンダはフィオナの頭を優しく撫でた。その気遣いに応えるように彼女が『上手に』笑うことを、アマンダは必ず寂しく思う。この子にもう少し、我儘や望みを口にする図々しさがあればいいのにと、どうしても思ってしまうのだった。

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