第42話

 明日にはこのラーダ村も出発する。次の魔族の攻略は私の術の完成を待ってもらうことになったけれど、移動自体は進めてしまおうと、相談して決まった。ただし今までよりも、ずっとのんびりとしたペースで。

「次の目的地は、何処にしましょう」

 私達が攻略したのは火と風。残るは地と水、そして光と闇の四つだ。位置的には水と闇が少し近い。

「残る同属性は光だが、光だけは管理者が分からないんだったな?」

「ああ、調査を進めてはいるが、まだ掴めていない」

 最初に攻略した二つは『同属性』を理由に進んでいたから、同じ理由で行くと光が次になる。だけど管理者が分かっていないなら、魔族に関する情報が全く望めない。慎重に行きたい私達の方向性からはかけ離れ、一番、無謀な選択になってしまう。やっぱり光属性はグレンさんの一族の方々が情報を掴むまで、後回しにしようって話でまとまった。

 皆が話している間、私は頷きを繰り返すだけで特に発言をせず、少し考え込んでいた。そんな私を皆がちらちら窺ってくれていたことも気付いていなくって、不意にイルゼちゃんが私を覗き込んできたことにただ驚いて顔を上げた。その時点で既に皆が私に視線を向けていたことは、後から気付いた。

「フィオナはどれから行きたい?」

「あ、えっと……それは」

 私は少し、言い淀む。意見が無いわけじゃないんだけど、まだ迷っていたからだ。だけどアマンダさんは少し呆れた顔をした。

「言うだけだろ。みんなが難しいと思ったら、後回しにする決断も出来るんだから。何でも相談だ」

 そうなんだけど、前は私の意見で進んでしまったから言い難くなったんです。ということも、言い難い小心者の私は、肩を小さくしながら、恐る恐る口を開いた。

「闇属性、に」

「勇者の天敵からか! フィオナは度胸があるなぁ!」

 賛辞のつもりだったのかもしれないけど、ジェフさんが両手を叩いた音が物凄く大きくて私は椅子から少し跳ねてしまった。イルゼちゃんが笑いながら、私の肩を引き寄せ、慰めてくれる。大丈夫、ちょっとびっくりしただけ。そして当然、こんな私が度胸など持っているはずもない為、そんな理由じゃなかった。

「度胸というか、その、逆で、一番危ないと思うので、早めに情報が欲しいと言うか」

「ああ、確かに。時間があるほど対策は立てやすい。先に話を聞くだけでも聞く。悪くない案だな」

 アマンダさんがそう言って深く頷いたら、グレンさんも何処か納得した様子で「なるほど」と言った。二人が同意を示すと、イルゼちゃんやジェフさんは滅多に進路に意見を言わない為、その方向へ進んでいく。ほら、やっぱり私が言う方向に進んじゃうじゃないですか。だから発言が慎重になるんです。

 頭の中ではそう訴えているんだけど、とうとう私の口からそんな言葉は出て行かなかった。

 翌日になってラーダ村を出発した私達は、数日掛けて二つの集落を経由した後、少し大きい街に到着した。

「此処では少し長く滞在しましょう。いい宿が取れそうです。フィオナ様もゆっくり身体を休めながら、魔法の練習を進めて下さい」

「ありがとうございます」

 十日間ほどは此処で過ごすことになった。十日もあれば、一先ずの魔法は出来上がるかもしれない。完成までは、何度も魔法を試して改良を繰り返すことになるけれど、第一段階まで持っていけたら気持ちが違う。仮ではあっても『使える』状態にはなるんだから。

「根は詰めないでね」

 ちょっとだけやる気になっていたのが分かったらしいイルゼちゃんは、私の顔を覗き込んで苦笑していた。頷きながら笑い返す。その場凌ぎの同意じゃなくて、本当に気を付けるつもりでいた。流石に、皆の前で何度もイルゼちゃんに寝かし付けられては堪らない。


* * *


 街に長く滞在するというのは、体力回復にも当然いいことだが、アマンダやジェフにとっては別の意味でもありがたい。夜に存分、晩酌できるのだ。そう言えばグレンはあまり良い顔をしていなかったけれど、偶の息抜きは大人になっても必要なものだとアマンダは思う。

 滞在一日目は、全員で手分けをして食糧の買い出しをしていた。保持していたものは減っているし、折角の街中だ。今夜は少し豪勢な食事でも良いだろう。そしてアマンダとジェフには酒と肴も必要だ。

 あれこれと買い込んで、アマンダは両手で大きな袋を抱えながら市場を進んでいた。ふと見れば、進行方向にフィオナが居た。

 彼女は果物屋の店主と思しき青年と話し込んでいるようだ。そして青年が何かを言ったのに応じて、ふっと愛らしく笑った。その瞬間、何処に居たのかイルゼが現れて、背後からフィオナを抱き竦めるようにして引き寄せる。フィオナはイルゼを見上げ、ぱちりと目を瞬いた。

「イルゼちゃん、どうしたの?」

 心底、不思議そうに目を丸めている彼女に、イルゼは何処かばつが悪そうに笑って「何でもないよ」と言う。もう一度フィオナは首を傾けたが、手に持っていた果物の存在を思い出したらしく、改めてイルゼを見上げて、さっきよりずっと無防備な笑みを浮かべた。

「ねえイルゼちゃん、見て、この果物の形。すごく可愛いの」

「あはは、何これ」

 彼女の手に乗っている果物は広く知られているもので、珍しくも何ともない物だが、形が珍しい。上部に少し膨らみがあり、犬の耳のようだ。インクで顔を書いたら犬の置き物にも見えそうだと、楽しそうにフィオナが話す。どうやらさっきはそれを見せられて、フィオナは青年に笑ったらしい。

「売れないからサービスしておくよ、味は一緒だよ」

「良いんですか? ありがとうございます」

 珍しくあまり物怖じせずにフィオナが話しているのを見る限り、優しく話し易い青年だったのだろう。イルゼは結局、彼とは一度も会話をすることも目を合わせることも無く、ずっとフィオナの身体に腕を回して傍に立っていた。

 一連の出来事を見つめていたアマンダは少し息を吐き、経路を変えてから宿に戻った。

 こういうことは、一度や二度ではない。グレンすら近付くのを警戒するイルゼが、他の誰かと笑い合うフィオナを見過ごすわけもないのだ。イルゼは常にフィオナに近付く誰かを警戒し、フィオナの意識を自分に向けようとしている。

 それを幼稚なことと呆れる気持ちがある一方で、アマンダには別の懸念があった。

 夜になると、グレンも巻き込み、宿の一階ロビーで三人揃って晩酌をしていた。イルゼとフィオナは今、街の外だ。フィオナが魔法の練習をしたいと言ったので、イルゼが傍に付いている。つまり宿には三人だけしか居ない。

「フィオナは可愛いよな、お前らもそう思うだろ」

「それは答えても家族の元に帰れる質問か?」

 大きな一口を呷った後で、アマンダは徐に二人に問い掛ける。ジェフはいつになく深刻な顔で答えを渋って逆に問いを返したが、アマンダは無視をした。

「気弱で心配になるがそこも愛らしいし、何だかんだ意志は強くて頑固だ。そこも可愛い。料理上手で器量もいい。なあ、可愛くて堪らないだろう」

「まあそうだな……」

 前の質問を無視されたままのジェフではあるが、繰り返される質問に恐る恐る頷く。フィオナを愛らしいと思う気持ちは、ジェフにもあるし、グレンにもある。勿論やましい気持ちではない。グレンも口にはせずに静かに頷いていた。

「だが一つだけ難点がある。あのは何だ?」

「それは可愛いポイントにはならんのか」

「……鈍すぎるんだよ。病気じゃないのか。イルゼはもうフィオナにべた惚れじゃないか。愛おしくて堪らない顔をしているし、出来ることなら所構わず抱き崩したいくらい前のめりだ」

「そこまでかどうかは知らんが。前者については同意しよう」

 ジェフは難しい顔のままで相槌を打つ。ただ女の子二人の性的関係についてまで言及してしまうと故郷に帰れなくなるかもしれない為、後者にはお茶を濁した。しかし一先ず同意が返ったことに満足したのか、アマンダがまた酒を豪快に呷る。

「本当に気付いてないのか?」

「おい待て」

 話題の方向に気が付いたジェフは青ざめて、少し姿勢を正した。

「……わざとじゃないのか?」

「やめろ俺達の夢を壊すな!」

「俺を巻き込むな」

 ずっと黙っていたグレンは堪らず口を挟んだ。何故かジェフと共に、グレンはフィオナに対して夢を抱いていることにされている。アマンダも流石にこの返しは予想外だったのか、少し口元を緩めて笑った。

「お前達がどうしてフィオナに夢を抱いているんだか今は追及しないでおくよ」

「だから俺を含めるな」

 重ねて抗議の声を返すのだが、『夢を抱いていない』とまで言わないのでまるで説得力が無い。結局アマンダは彼の抗議も先のジェフの言葉のように無視をした。

「しかしあそこまで行くとそんな疑念も湧くさ。もしも気付いていてあの対応っていうなら、フィオナってのは思った以上に強かな勇者様だぞ」

「フィオナはそんな子じゃない……っ」

「おいおい、泣くなよ」

 呆れたと言うよりもアマンダはやや引いていた。ジェフならばまだそんなに酔うほどの量を飲んでいないはずなのに、本当にさめざめと涙を流したのだ。余程、フィオナに抱いていた『幻想』に付けられた傷が、彼にとっては痛むらしい。

 そして運悪くそこへ、フィオナとイルゼが帰ってきた。

「えっ、何でジェフ泣いてんの」

「こいつは泣き上戸なんだよ」

「あの、えぇ……?」

 戸惑うイルゼとフィオナを適当な言葉で誤魔化したアマンダは、子供は早く寝ろと言って強引に部屋へと下がらせる。グレンは去っていく二人の背を視線だけで追うと、誰にも気付かれぬような小さな溜息を零し、酒を呷る。ともすれば彼の中にも、ジェフが抱える『幻想』と傷に近い感情が、あったのかもしれない。

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