第41話

 一行は封印地を離れた後、無事にラーダへと到着し、宿で休息を取っていた。回復を優先として、明日一日はこの村に滞在し、二日後に出発の予定をしている。

 特にジェフとアマンダの二人はフィオナから絶対安静だと告げられた為、夕食準備なども他の三人のみで行った。その間、部屋に下がっていたジェフとアマンダはやはり多少なりと疲労があったのか、夕食に呼ばれるまでぐっすりと眠っていた。

「お、イルゼ、稽古いくか?」

 夕食後、いつものように剣を携えて立ち上がるイルゼを見て、ジェフが声を掛ける。イルゼは何処か呆れた様子で苦笑した。

「いや私は行くけどジェフはダメでしょ。安静にって言われたんだから」

「おお、そうか」

 本当にすっかりと忘れていた様子で逆に目を丸めてそう言うジェフに、一同で呆れる。眠ったからもう大丈夫という考えだったかと言うと、おそらくそうでもない。本当に忘れていたのだろう。

 そうしてイルゼだけが稽古の為に出て行ったのだが、少し寝て元気いっぱいになってしまったジェフは武器の手入れをすると言い出した。無理をさせないように渋々とグレンが見張り代わりに傍に付き、二人も宿前へと出る。

 結局、部屋へと下がったのはアマンダとフィオナの二人だけ。そしてアマンダは言葉にも表情にも出さないが自覚できる程度には疲労が残っているのだろう。すぐに湯浴みも済ませ、誰の帰りも待たずに寝支度をしてベッドに入った。フィオナも彼女に続いて湯浴みや寝支度はしたのだけど、その後は魔法書を膝に置いてずっと魔法陣をあちこちに展開し始める。アマンダが眠っており、それに対して「見ていて怖い」や「いつまでやってるんだい」等と止める者も無いせいで、彼女はいつになくそれに集中してしまっていた。グレンとジェフが戻って部屋をうろうろしていても、イルゼが戻って声を掛けても全く気付かなかった。グレンとジェフがフィオナのその様子に心配そうに眉を下げる。しかしイルゼはやや困った顔を見せはするものの、慣れた様子で彼女の傍へと歩み寄った。

「フィオナってば」

「わあっ」

 フィオナの周囲に広がる魔法陣を掻き分けたイルゼは、魔法書とフィオナの間に顔を突っ込んだ。誰の帰りも全く気付いていなかったフィオナが驚いて飛び上がる。それは座っていたベッドが軋む勢いだった。

「驚かせてごめん。でもフィオナ、あんまり集中し過ぎたらダメでしょ」

「あ、そ、そうだね、ごめん……」

 バクバクと音を立てる心臓を押さえながら、フィオナはイルゼの言葉に頷く。フィオナは元より、集中し過ぎる傾向にあった。そして、そのような場合は必ずと言っていい程、過度に魔力を消費していく。彼女は子供の頃から何度もそのせいで魔力切れを起こして倒れており、「集中し過ぎたらダメだ」は周りから日常的に言われていることだった。

「イルゼちゃん、おかえり」

「ただいま」

 驚いた気持ちが落ち着いたのか、ゆっくり息を吐いてからフィオナがイルゼに微笑む。イルゼも柔らかな笑みで応えて、それからフィオナの頭を撫でた。そんなやり取りはとても微笑ましかったのだけど、イルゼが湯浴みをしている間にフィオナの状態は再び元に戻っていた。

「そろそろ寝ようよ、フィオナも疲れてるでしょ?」

「うーん、もうちょっと……」

 隣に寝そべっているイルゼが掛ける声に応えているだけ、まだ先程よりマシな状態ではあるのだろう。しかし魔法書を手放そうという気配がまるで無い。結局、イルゼがうとうとしてしまうまで、フィオナは切り上げなかった。そして翌朝も誰より早く起きて朝食を用意した後は、空いている時間、ずっと同じことをしていた。

「何してんだいあの子は」

 昨夜の状況を皆から聞き、朝からのフィオナの状況を黙って見守っていたアマンダも、昼が過ぎた頃に流石に見兼ねた様子でそう口にした。イルゼは軽く肩を竦め、分からないと言うように首を振る。

「基本、ダメって言っても聞かないんだよね、フィオナって」

 集中し過ぎることへの注意が『日常的』であることからも明らかだ。あんな気弱な性格をしておきながら、誰に言われても、何度言われても、その悪癖が直らなかったのだ。故郷の村の人間などはほとんどが匙を投げてしまい、やれやれと困った顔をするだけになってしまったとイルゼは語る。

 ただそのような状態でもあまりイルゼに心配する色が無いことは、アマンダ達には不思議に思えることだったが。理由は次の言葉で明らかになった。

「でも抱っこしてたら寝るから、一旦、昼寝させてみるよ」

「赤ちゃんか?」

 思わずアマンダはその内容に突っ込んでしまったものの、つまり、イルゼには絶対的な対応策があるらしい。眠らせることが出来れば魔力消費は間違いなく止まり、魔力の回復効率も起きている時と比べて格段に良い。イルゼが目を離している隙に倒れる場合を除いて、最近はずっとこの方法で止めているのだと言う。

 少しの間フィオナの好きにさせた後、夕食前には起きられるだろうタイミングを見計らって、イルゼは強引にフィオナを膝に乗せて腕に抱き、とんとんと背中を叩いた。フィオナが眠ってしまうまで、たった十五分だった。

「マジか……」

 呆然とするアマンダの横で、ジェフとグレンはただ満足そうに頷いている。

「フィオナは可愛いなぁ!」

「お休みしてくださって安心しました」

「むしろあたしがおかしいみたいな反応を止めろ」

 明らかにアマンダの疑問が最も正常なのだが、他がフィオナに対して過保護で肯定的な者しか居ない為、感想を共有することは困難だった。肩を落とすアマンダに、気付く様子も全く無い。

 その後フィオナはイルゼが大体予想していた二時間半で目を覚ました。いつも夕食準備をする、少し前の時間。まだ皆、部屋に留まっていた。

「い、イルゼちゃん……」

 眠ってしまったことに気付いたフィオナは目を瞬いているが、いつになく厳しい顔をしたイルゼが、めっ、と優しくフィオナを叱った。

「無理しちゃダメって言ってるのに止めないからだよ」

「……ごめんなさい」

 ずっとこの方法で止めているのだから、フィオナにとっても何度もあることで、自分の非は理解しているだろう。悪いと本気で思っているかはともかくとして、少なくとも、何を怒られているのかということくらいは分かっているはずだ。

「で、あんたは何をしていたんだい」

 聞ける状況だと感じたアマンダが改めて疑問を向ける。当然、集中している間にもイルゼを含め皆から問われていたが、全く聞こえていないか、生返事を返すだけだった。しかし今度のフィオナは眠ったことで集中が途切れている。問い掛けるアマンダに、きちんと向き直った。イルゼに抱かれたままで。

「以前にもアマンダさんには少し、お話したことですが。私には守りの術が、使えません」

「ああ、言っていたね」

 類稀な才を持った魔術師であるフィオナだが、彼女は守りの術が一切使えない。紋章に痛みを感じるほどそれを思い悩んでいたことを、確かにアマンダは知っていた。

「ですが、昨日の風の魔族の術を見て……攻撃魔法も、上手く応用すれば防御に使えるんじゃないかって思ったんです。それなら、私にも使えるかもしれないって」

 風の魔族は『守りの魔族』と呼ばれていたが、使用された風の壁は明らかに『攻撃』の魔術だった。濃度の高い攻撃の風を纏うことで、外部からの全ての魔法攻撃を逸らし、物理攻撃もほとんどを弾いていた。且つ、周囲を攻撃して近寄らせないようにしていた。フィオナは自分もそのように攻撃を別方向へ『弾く』魔法壁が作れないかを、ずっと考えていたのだと言う。

「なるほど」

 アマンダが呟いたのは理論を理解したと言う意味ではない。彼女が「守りの術が使えない」と酷く思い悩んでいた分、手段を掴めたと思ったら必死になってしまったという事情について理解したのだ。

「もうちょっとで理論は出来上がると思うんですけど……」

「慌てなくていいだろ、フィオナ。この旅は『安全第一』じゃないのかい?」

「そ、そうです」

 勇者の旅と、今回の旅は違う。期限は定められて居ない為、焦って無茶をする必要など一切無い。だから道程も安全第一で、必要なら幾らでも遠回りをする。休息もしっかり取る。全員でそのように決めてあった。

「それなら、次の魔族に行くのはフィオナのそれが完成してからだ。それまで進まなきゃいい」

 アマンダの言葉にフィオナが目を大きく見開く。その傍らでイルゼは大きく頷いて、フィオナをぎゅっと抱き締め、その顔を覗き込んだ。

「私もジェフと手合わせして、その間にもっと強くなるよ。だからフィオナ、のんびりやろう?」

「フィオナ様はお身体を第一にして、ゆっくり術を完成させて下さい。私にも何かお手伝い出来ることがあれば、いつでもご相談を」

 グレンもそう続ける。戸惑った様子で、フィオナは目を瞬いて、皆を見回した。目が合うとそれぞれが、大丈夫だと言うように穏やかに頷いて応えていく。

「ありがとう……ございます」

「何を言ってんだい。これはみんなの旅だろ」

 まるで笑い飛ばすようなそのアマンダの言い方が優しさであることを知るフィオナは、何処か嬉しそうに頬を緩めて、「はい」と応えた。

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