第40話 風の封印地

「イルゼちゃん、まだ怒ってる?」

 隣に座りながら問い掛ける。イルゼちゃんが纏う空気は依然として不機嫌なままだけど、私がすぐ傍に座ることも、話し掛けることも嫌そうにはしていない。ただ「ううん」って答える割に、表情はまだ硬かった。

 どうしようかな。何て声を掛けたらいいかな。鈍間な私が迷っていると、イルゼちゃんの方が徐に「ごめん」って呟く。

「なに?」

「私のせいでフィオナに謝らせるようなこと、したから」

「え、ううん、そんなの全然、気にしてないよ」

 そう返したのに、イルゼちゃんはすっかり頭を下げて項垂れてしまった。私は更に近くに座って身体に寄り添い、広い背中を小さくて頼りない手で撫でた。

「いつも守ってくれてありがとう。心配ばっかり掛けちゃってるね」

「……私がやりたくて、やってるんだよ」

 イルゼちゃんは少し笑いながら顔を上げてくれた。だけど今回のことだって、私が間抜けにも躓いてしまったことが発端で、いつも本当に沢山の心配や気苦労を掛けてしまっている。イルゼちゃんは短い溜息を吐いた後、上体を起こして私の頭を撫でてくれた。

「後でグレンにも謝るよ」

 小さく肩を竦めてイルゼちゃんがそう言うのを聞いたら、私はどうしてかとても、嬉しくなる。

「前世でもイルゼちゃん、ダンさんに間違って怒っちゃった時、すぐにごめんって言ってたよね。私ね、すごく格好いいなぁって思ったの」

「えぇ?」

 意味が分からない、と言うように大きく首を傾けるイルゼちゃんに、思わずくすくすと笑い声が漏れた。

「イルゼちゃんのそういうところ、大好き」

「……どういうところか、全然、分かんないんだけど」

 耳を真っ赤にして、頻りに首を傾けながらイルゼちゃんは困惑している。いつの間にか、さっきまでの憂鬱そうな表情は消えていた。


 風の魔族が封印されている洞窟へと向かう準備が整ったのは、それから二週間後のこと。

 ジェフさんが担いでいる大剣が以前のものより一回りくらい大きい気がするんだけど、彼にとっては誤差なのだろうか。足取りは以前と変わらない。でもアマンダさんは新しい武器を携えていなかった。普段使いには出来ないと言い、グレンさんが引く小さな荷車の端へと雑に突っ込まれている。そんな扱いで良いんだ……。

「魔族が封印されてるとこって、分かりにくいよね。祠より分かんない」

 洞窟の手前でイルゼちゃんがそう言って首を傾ける。確かに、前世で巡った五つの祠も洞窟の奥に隠されていて、洞窟前の装飾は控え目だったことから、案内が無ければ見落としそうな場所が多かった。だけど魔族らが封印されている場所は、更に分かりにくい。控え目どころではなく、装飾が全く無いのだ。まだ二つ目だから残りもそうかは分からないものの、祠とは全く違った。外から見て、此処が特別な場所だなんて、誰も思わないだろう。どう見ても、自然に出来た洞窟の一つだ。

「見付ける必要の無いものだからでしょう。……しかし此処まで自然物の形にされてしまうと、何も知らぬ盗賊などが居座る可能性も否定できません」

 グレンさんは辺りに人や獣、魔物の痕跡が無いかを入念に確認しながら、静かにそう呟く。

 確かに、管理者さんが時折、様子を見に来るとは言え、普段は立入禁止とされていて人の出入りが無い。人里を避けたいような暮らしをしている者にとっては最適の隠れ場所になってしまう。だけどアマンダさんはグレンさんの言葉に納得せず「いや」と返した。

「少なくとも盗賊は無いだろ。あいつ等はむしろ、人の居るところが好きなもんさ。盗る相手が必要だからね」

「……それもそうだな」

 アマンダさんの指摘に、グレンさんも成程と言わんばかりに頷いていた。

 それ以外の、腕に自信の無い人が逃げ込むには少しこの辺りは魔物も多い。火の魔族が封印されていた地域も中々の悪路だったので、やはり人が入り込むことも、居座ることも難しい場所にはしてあるらしい。

 前回同様、ジェフさんとグレンさんが先に中へ入り、封印場所までの経路を確認してから戻ってくれた。前回よりも魔物は少し多かったみたいだけど、ジェフさんは「いい準備運動になった」って笑う。すごいなぁ。

「――では、封印を解きます。みなさん大丈夫ですか?」

「いいよ」

「ああ、いつでも」

 イルゼちゃんとアマンダさんがすぐに頷いてくれて、視線を向ければグレンさんとジェフさんも了承を示して手を上げてくれた。

封印解除フォドム

 石碑が崩れ、神の石が地面へと落ちる。その瞬間、辺りに暴風が吹き荒れた。

 火の魔族は封印が解けた際、すぐに攻撃を仕掛けてくることは無く、興味深そうに現状を確認すると、まるで人のように対話してきた。けれど風の魔族にそのような気配は全く無く――まるで条件反射のように攻撃を開始した。いや、きっと風の魔族にとってこれは攻撃ではないのだろう。

 壁のように風がせり上がり、魔族の姿は一瞬たりとも見えなかった。これは、防御壁。小さく脆い個体が、自らを守るべく展開している術だ。『守りの魔族』の脅威が、目の前にあった。

 私は咄嗟のことで体勢を崩してしまった。多分、踏み止まるくらいのことは出来ただろうとは思うけど、私が少し傾いた時点でイルゼちゃんが私を抱き寄せ、すぐに数歩下がってくれたので、よく分からない。グレンさんも私を守るようにして、目の前に立ってくれた。

 先頭に立っていたジェフさんはその場を動かない。あの人だけ風が当たってないんじゃないかってくらい微動だにしていなくて軽く慄いた。アマンダさんは、やや横の方へと退いていく。矢で狙える位置でありながら、攻撃の届かない距離を見極めているんだろう。

「フィオナ様!」

「はい!」

 最初の仕事は私達だ。まずは光の粒子を生み出し、それを前方へと送り込む。グレンさんがすぐさま風魔法を扱ってそれを運び、魔族の生み出す風の壁に光を吸い込ませた。弾かれてしまわぬように留めると、次第に、魔族の風が細かく光を帯び始める。

 ――その状態になるまで、待ってもらうはずだったんだけど。

「うおおおお!!」

 ジェフさんはもう既に大剣を振り上げて、風を切り裂いていた。その一拍後で、風が光り始める。

「早いんだよ、ばかたれ。まあ、あんたらしいけどね」

 アマンダさんが笑った声が聞こえた。横に外れたところで風を見つめながら、そのまま彼女は大きくて長い弓を地面に突き立て、一部を足で踏んでいた。どうやら左腕だけじゃなくて、地面と足でも固定して引く仕組みであるらしい。正直、弓って言うよりは、新しいバリスタなんじゃないかと思うくらい大きい。

 アマンダさんの鋭い視線が、光り輝く風を見つめる。グレンさんの魔力消費も、練習の末に抑えられるようになっていた。少し精度を下げたのだ。繊細さを減らしたことで、最初に試した時の三倍近くの時間、粒子を留められるようになっている。精度を下げれば散ってしまう分も増えるから、時々私が粒子を追加しなくちゃいけないけれど、それ自体はあまり魔力を消費するものではない為、グレンさんの魔力を優先させた。

「はははは! 結構ぶん回せるじゃねえか!」

 急に大きな笑い声が響いて肩が跳ねる。びっくりした。ジェフさんは元気いっぱいに大剣を振り回している。あの風の壁は土も抉るほどの威力なのに、彼の剣は全く弾かれていない。少し煽られることは、流石にあるみたいだけど。

「こりゃ私には無理だわ」

 イルゼちゃんが苦笑いでそう言った。あんな状況で剣を振るのは、彼女にも出来ることじゃないらしい。

「……思った以上に小さいな」

 不意に呟いたアマンダさんが、小さく舌打ちをする。ジェフさんが振り回して切り裂く風の隙間から、中に居る魔族を視認したようだ。

「居たかぁ!? 何処だ!」

「今より三十センチ右、正面だ!」

「おら此処かぁ!」

 ジェフさんが大剣を振った瞬間、アマンダさんが一本目の矢を射る。だけどそれはぐんと大きく風によって逸らされて、天井に突き刺さった。私の隣に居たイルゼちゃんが、それを見て呼吸を震わせる。

「あんな弓の音、初めて聞いた。あれ相当重たいよ……なのにあんなに簡単に引くなんて」

 だけど、アマンダさんは表情を変えなかった。弓を大きく左に倒し、少し腰を落として低く構える。あんなに角度を変えて引けるのだろうか。私は思わず目を見張った。

「ジェフ、今のもう一回だ」

「応、任せろ!」

 元気よく返事をしたジェフさんは、本当に全く同じ角度で、多分同じ強さで、大剣を振るった。風の動きが常に変わっていくから、きっと同じ結果にはならなかったはずだ。それでもアマンダさんが確信したように呟いた。

「ここだな」

 この作戦、風の影響を受けない隙間を見付けて射るんだと思っていた。だからアマンダさんの矢がまるで風を泳いでいくように不規則に動き、周囲をぐるりと回った後で内部へと通り抜けたのを見た瞬間、鳥肌が立って身体が震える。直後に、渦巻いていた風は消え去った。

 晴れた景色の中で見たのは、爽やかに笑ったアマンダさんの満足気な表情。

「ハイ、取った。いやあ、これは気持ちいい仕事だね。ジェフもご苦労さん」

「ははは! やっぱりアマンダは届くもんだなぁ!」

 最後まで元気いっぱいに笑うジェフさん。そしてグレンさんも、額の汗を拭いながら臨戦態勢を解くと、珍しく口元を緩めていた。

「まるで曲芸だ。恐れ入る」

「おっ、グレンからお褒め頂けるとはねぇ」

 あんまりに爽やかに笑っていたから、一瞬気付かなくて、気付くと同時に私は息を呑む。その気配だけを察知して、イルゼちゃんが振り返った。

「フィオナ?」

「――アマンダさん! 腕!」

 悲鳴みたいな声が出た。アマンダさんの両腕は力無くだらりと垂れていて、弓は腕に凭れ掛かっているだけで持っていなかった。彼女は私の反応を見ても笑みを崩さずに、軽く首を傾ける。

「ああ、動かないよ。悪いが見てくれるかい、フィオナ」

「す、すぐに!」

 駆け寄って状態を確認する。アマンダさんの腕は、腱が幾つも切れていた。おそらくあの重たい弓を引いた時の反動に、腕は耐え切れなかったんだろう。痛みだって尋常じゃないはずなのに、アマンダさんはたっぷり汗を流していても、涼しい顔を崩さない。私の身体の方が、彼女の痛みを想像して酷く震えてしまっている。

「ジェフは大丈夫なの?」

「お? ああ、俺は何とも無いが」

 私がアマンダさんに治癒術を掛け始めたところで、イルゼちゃんがそうジェフさんに問い掛けた。私も視線で彼の方を確認する。本当に平気そうな顔で首を傾けているけれど、こんなに酷い怪我をしているアマンダさんもあんまり表情が変わっていないから、顔だけ見ても判断できない。私の考えてることが分かったのか、グレンさんが見兼ねてジェフさんに声を掛けてくれた。

「一応、後でフィオナ様に診てもらえ。お前は鈍いだろう、気付いていないだけの可能性がある」

「ははは! そうだな!」

「笑うとこ……?」

 イルゼちゃんが不思議そうに首を傾けたのを見て思わず笑いそうになる。笑っちゃいけないと思って堪えたけど、ふと見たら、私に治癒されているアマンダさんはいつも通り、豪快に笑っていた。笑うとこかなぁ……。

「おー、普通に動くよ。痛みも無い。あんたは本当に優秀な治癒術師だなぁ」

 治癒を終えてすぐ、アマンダさんはそう言って勢いよく腕をぐるんと回した。私は慌てて制止するように手を伸ばし、それを止めさせる。

「あ、あの、あまり動かさないでください、少なくとも今日はもう負荷を掛けたらダメです」

「ふーん、そういうもんか。そりゃ残念」

 軽く肩を竦めた後、大人しく腕を下ろしてくれたのでホッとした。もう一度だけ「絶対安静です」と言い含めて、次はジェフさん。不思議なことに、彼の身体は全く痛んでいる箇所が無かった。本当に不思議でならない。少しの筋肉疲労だけだ。だけど念の為、彼も今日は絶対安静としておく。何ともないみたいだけど、そんなのはどうしても信じられないので。

「とにかくこれで、二つ目の神の石も無事に回収だね」

「はい」

 アマンダさんは両腕が最も重症だったけれど、背中も一部痛めていた為、荷物を持つのも控えてもらった。大きい方の弓は勿論、いつもの弓と矢筒もグレンさんが代わりに背負った。ジェフさんも絶対安静なので、村に戻るまでの魔物との戦闘は私とイルゼちゃんが担当する。

 というか、主にイルゼちゃんが、張り切って倒してくれた。

「本当に何も、やることが無かったからね!」

 何処か鬱憤を晴らすように振るう剣に、みんなが笑っている。でも、たった一人で全員を守れちゃうのは、やっぱり格好いいよ。

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