第35話

 イルゼとフィオナはまだ子供だ。この旅の切っ掛けがフィオナだろうと、イルゼが戦いにおいて主戦力であろうとも、二人がまだ幼いことを打ち消すことは無い。アマンダ達は時折、彼女ら二人が居ない場所で会話をすることがあった。

 隠し事をするのとは少し違う。彼女らに悟られぬ範囲で、彼女らの負担を減らすべく色々と相談をしているのだ。今夜も例に漏れず、イルゼとフィオナを先に部屋へと下がらせていたアマンダは、一時間と少し後で部屋に戻った。グレンとジェフは違う階にある別の部屋へと今頃戻っているだろう。

 もう休んでいるだろうと思っていたから、アマンダは至極静かに扉を開いた。そのはずだが、入るなり目が合ったイルゼに、じろりと睨むような目で見つめられてしまう。フィオナの方はもう眠っているようだ。入り口側に背を向ける形でベッドに入っている為、顔は確認できないけれど、彼女ならば起きている限りどれだけ眠くともアマンダに「おかえり」を告げている。しかし今、その背が動く気配は無い。一方、イルゼはそんな彼女の隣に寄り添うように横たわり、フィオナの髪を撫でながら愛おしそうにただ寝顔を見つめていた。

 さて。眠るフィオナを起こしそうなタイミングで戻ったアマンダに怒っているのか、それとも二人きりだった空間に入り込まれたことに怒っているのか。

「……邪魔したか? しばらく出掛けてこようか?」

 半ば気遣いでアマンダは問い掛けているつもりなのだが、イルゼは却って不愉快そうに眉を寄せた。

「だからそういうんじゃないって言ってるでしょ。さっさと寝なよ」

「お~こわ」

 肩を竦め、そんな風に軽口を返してからアマンダも寝支度を済ませる。

 消灯をして、アマンダがベッドへと潜り込む頃になってもまだイルゼは眠るフィオナを飽きることなく眺めているようだ。しかしアマンダはもう特に指摘することなく、目を閉じる。いちいち気にしていたらきりが無い。傍から見れば無意味に感じるようなイルゼの行動も、今に始まったことではないのだから。

 二人の少女らはとても仲が良い。前世からずっと一緒に居て、しかも生まれ変わる際には女神によって魂そのものに絆を付与されていると言う。そんな説明を「なるほど」と感じてしまうような仲の良さだ。

 しかし、あれは二人の地の仲の良さなのだろうとアマンダは思っていた。女神が後から付けた魂の絆は傍から見ている者が「だからこんなに仲が良いのか」と納得する材料としては助かるものだけれど、生まれ変わる前から二人はずっとだったような気がしてならない。

 ただ、アマンダにとって理解が及ばないのが、二人はという点だった。揶揄い半分ながらも、当初のアマンダは本当にそういう仲だろうと勘ぐっていた。しかし今までを共に過ごす中、彼女らの間にそのような行為が全く無いことは感じ取ってしまっている。

 とはいっても、二人の空気はいつも甘ったるい。

 その辺の普通の恋人同士のそれよりも、ずっと甘い。少なくともアマンダからはそう見えていた。

 あれはいつのことだったか。隣の気配がまだ動かないのを感じながらアマンダは寝返りを打って、記憶を辿る。こうして三人で一部屋を取っていた、別の夜のことだ。

 もうそろそろ眠るべき時間で、アマンダは既に布団に入っていた。だがフィオナはベッドに腰掛け、脇にある間接照明を灯したまま、その明かりを頼りに魔法書を読んでいた。

「――まだ寝ないの、フィオナ」

 同じベッドに上がったイルゼは、そんな彼女を足の間に入れて、後ろから抱き締めた。その時点でもうアマンダは突っ込みたかったのだが、気持ちを共有してくれる者もそこに居らず、当の二人からは何が問題なのか分からないような顔を向けられる気がして飲み込んだ。

「もう少しだけ。イルゼちゃん、先に寝てていいよ」

 明らかに態度が甘いのは、イルゼだけではない。フィオナも同じだ。彼女はきっとそれを自覚していないのだろうけれど、声が、他の者に向けている場合と明らかに色が違っていて甘かった。

「フィオナが寝るまで起きてる」

「こうして温かくされると、眠っちゃいそう」

「寝たらいいよ、そしたら私が布団に入れてあげる」

 聞きながら、アマンダは朝になったら布団が口から出た砂でいっぱいになりそうだと溜息を零していた。

 その後、結局フィオナは言葉通りにイルゼの腕の中でとろとろと眠気に誘われて寝落ちてしまったようで、小一時間ほどでイルゼに抱かれて布団に入れられていた。フィオナから魔法書を取り上げ、間接照明を消して丁寧に身体を横たえて包んでやったイルゼは、この夜も同じように眠るフィオナをいつまでも愛おしそうに見つめていた。

 だが、イルゼは眠る彼女に頬や額に口付けの一つも落とすことは無い。

 二人は『結婚』の代わりに『添い遂げる』ことを誓い合っていて、互いが世界で一番大切で、それはハッキリしているのに関係は幼馴染であるだけ。甘い声を向け合うばかりで、性的と呼ぶような接触は二人の間には全く無い。親愛を示す程度の場所へキスを落とすくらいのことがあってもおかしくはないと思うのに、そのような触れ合いすら見たことが無かった。じゃれるついでに頬や額をお互いに擦り付けるようなことはしている。日常的に。最初はびっくりしたがもう慣れた。それなのに唇は何処へも触れない。どちらからも。

 もしかしたらそれが、二人の関係を今の状態で保つための最後の一線なのだろうか。特に、イルゼにとっては。時折あからさまな欲を目に宿しては飲み込んでいるイルゼには、今のままでフィオナを傍に置き、今の形で彼女を守り続ける為にどうしても踏み外せない部分なのかもしれない。

「……お前が求めれば、フィオナは受け入れるだろうに」

 いつの間にかフィオナの隣で眠り落ちているイルゼを、宵闇の中でそっと窺う。

 守るように抱え込んでいる腕は、女性のものと思えばしっかりと鍛えてあって大きい。華奢なフィオナを、どんな風にでも望む形で閉じ込めてしまえるだろう。それだけの差があるからこそ、イルゼは求めてしまえないのか。それとも可愛いフィオナを無垢なままで保ちたいのか。もしくはただ、フィオナが自分に怯えて泣くのが怖くて仕方ないのか。

「全く、さっさと抱いちまえばいいんだ、子供じゃあるまいし。まあ、隣のベッドでやられたら困るが」

 当初は「あたしが寝てから起こさない程度に静かに」と軽口を向けていたものの、実際にそんなことが起これば気配に敏感なアマンダは間違いなく起きてしまうだろうし、居心地など悪いどころの話ではない。流石にそんなことはしないだろうと思った上で言ったことだった。それはそれとして、イルゼが我慢して飲み込んでいるのを見ていると、それは本当に必要な我慢なのだろうかと呆れているのも確かだ。天井に向けて小さく息を吐いた後、アマンダは眠りに落ちる寸前、自らの呟きを反芻して、はた、と当然のことに思い至る。

「……ああ、いや、まだ子供だったな」

 そう思って扱っているつもりだけれど、こうして偶に失念する。

 どちらも十六歳。イルゼに関しては前世が十八歳だっただけに、少しフィオナよりも精神が成熟してしまっていて、持て余しているだけなのかもしれない。十六の頃の自分はどうだっただろうかとアマンダは思い返す。今世の勇者であるルードにも、出会っていない。どれだけ色恋に興味があっただろうか。

「ただフィオナが、大人になるのを待っているだけかもな」

 最後にそう呟いて眠り就いたアマンダだったが、朝になると「本当にそんな理由で我慢をしているのだろうか」と首を傾けるのだった。

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