第34話

 この日、稽古に出たイルゼ達の帰りは遅かった。三人がすっかりと寝支度を済ませても戻らず、疲れているだろうフィオナにアマンダが先に休めと促すも、二人を心配してしまって中々休もうとしない。さて、どうするか。一度イルゼ達の様子を確認しに行くかと、相談している段階になってようやく戻ってきた。

「おう、おかえり。随分と遅かったな?」

「いやあ、イルゼは剣も随分と安定して、どんどん体力も付けて来とるぞ。こりゃすぐに追い抜かれるなぁ!」

「息一つ切らしてなかったくせによく言うよ……」

 にこにこと嬉しそうに笑うジェフの横で、イルゼは顰めっ面をして、まだ軽く肩を上下させている。とりあえず、何かあったわけではなくて、稽古に熱が入ってしまったから遅くなったらしい。フィオナが小さく安堵の息を吐いたのを見やったアマンダが、改めてフィオナにもう休むよう声を掛ける。

「イルゼがいなきゃ眠れないわけでもないんだろうが」

「あの、は、はい、その、眠れます、けど」

 照れているのか別の理由なのか、フィオナはアマンダの問いに忙しなく視線を動かして、何度かイルゼを窺った。イルゼはそれに気付いて、軽く首を傾けながら微笑む。

「先に寝ちゃっていいよ、フィオナ。私が入る時に起こしちゃうかもしれないから、気になるなら別のベッドで寝るよ」

「ううん、それは平気。入っていいよ」

「そう?」

 結局、イルゼにも先に寝るようにと促されたフィオナは、何処か迷う顔を見せつつも、一人でベッドに身体を横たえる。勿論、既に寝支度を済ませていたグレンとアマンダも、待つことなく先に休んだ。

 イルゼが先に湯あみを終えてフィオナのベッド脇に立つ頃には、もうアマンダは眠り掛けていた。けれど、ベッド脇に立った彼女がしばし動かず静止していることに無意識で違和感を覚えたのか、意識が浮上する。イルゼは慎重にフィオナの様子を確認しているように見えた。フィオナ自身が「良い」と言っていても、起こしたくないのだろう。本当に一緒に寝て良いかどうかと、まだ迷っているのかもしれない。しかし動かない気配にフィオナも同様に違和感を抱いたのか、ゆっくりとその目蓋が上がる。眠気を宿した、少し頼りない目だ。彼女はイルゼに向かって微笑むと、呼ぶように自ら上掛けを捲った。イルゼは頬を緩ませてその空間に身体を滑り込ませる。

 一連の流れを見ていたアマンダは、思わず呆れた溜息を吐いた。

「ラブラブだねぇ」

「だからさぁ」

 背中に掛かった茶化すような言葉に、イルゼが肩口にアマンダを振り返って眉を寄せる。腕だけはしっかりとフィオナを抱き寄せながら。まるで聞かせまいとするように、彼女の頭を抱え込んでいた。そんなに強く抱えてやったら息苦しいのではないかと心配する気持ちで、アマンダがやや体勢を変え、上体を浮かせてフィオナを見やる。そんな視線に釣られたのか、イルゼも腕の中のフィオナを窺った。するともうフィオナは眠り就いていた。数秒前まで確かに起きていたにも拘らず、身じろぐ様子も無いほどにぐっすりだ。

「なんか、疲れてる……かな」

 心配そうにイルゼがぽつりと呟く。その声にもフィオナはもう反応しない。アマンダは半端に起こしていた上体をきちんと起こしてベッドに座り、イルゼ達が戻る少し前まで、フィオナも魔法の練習をする為に外へ出ていたことを静かに説明した。ちょうどその時に湯あみを終えて戻ったジェフが、何かに気付いたように「ああ」と声を漏らした。

「そうかぁ。イルゼも今日はやけに熱心だと思ったら、昨日、フィオナを守りに入れなかったのが悔しかったんだなぁ」

「気付いてもそういうこと言わないで」

 小声ながらも唸るようにそう言うイルゼに、アマンダは肩を震わせて笑い声を微かに零す。案の定イルゼは首だけで振り返って彼女を睨み付けた。腕に抱いたフィオナを刺激しないように振り返るのは至難の業であるだろうに、それでも不満が堪えられなかったのかと思うと尚更アマンダには可笑しい。

「まあ、なんだ。二人共、ほどほどにな」

「……分かってる。稽古で無理したら、本番でまた守れなくなるから」

 そう返す彼女の表情はもう見えないが、腕の中の子を大切に抱き直している。アマンダにとって彼女らが『危なっかしい』と思う気持ちは、まだまだ消えそうにない。


* * *


 昨夜、いつの間に眠り落ちてしまったのかよく覚えていない。おやすみを、ちゃんとイルゼちゃんに言えなかったような気がする。ゆっくりと身体を起こす。誰もまだ目覚めていない。毎朝、私は誰よりも早く起きるようにしていた。故郷の村に居た頃はイルゼちゃんの方がずっと早かったけれど、最近は私より遅い。きっとジェフさんとの稽古で疲れているんだと思う。それなのに、私が抜け出そうとしたら、腕が腰に巻き付いてきた。

「イルゼちゃん、起きられないよ」

 まだみんな眠っているから、少し身体を屈めて彼女に小さく囁く。まだ目は開けられていない。口元がむにゃむにゃと動いて、少し唸っている。

「食事の用意しなくちゃ。ね、イルゼちゃんは、もうちょっと寝てて」

 朝食は宿が出してくれるけど、道中の軽食や昼食は自分達で用意しなければいけない。だからいつも早起きをして、私がそれを用意していた。最初の頃はグレンさんが「私がやりますので」と言っていたのだけど、戦闘負担の一番少ない私がやる方が絶対にいい。その代わり、夕飯の準備や買い出しは、他の誰かにやってもらう話で落ち着いた。その時間、大体私は体力切れになっているから。

 まだイルゼちゃんの腕は解けない。何か言っている。おそらく手伝うとかそういうことを言いたいのだろうけれど、全然起きられそうにない。昨日はいつになく帰りが遅かったから、一層疲れているらしい。思わず口元に浮かんでしまう笑み。笑い声が漏れないように軽く手で押さえ、もう片方の手で、イルゼちゃんのこめかみを軽く突いた。ふわりと白い魔力が浮かぶ。ごくごく軽い催眠魔法だ。無防備にそれを受けたイルゼちゃんの腕から、ようやく力が抜けた。

 やっとイルゼちゃんの拘束から逃れた私はいつも通り静かに身支度を整えて宿の一階に下りる。事前にご相談させてもらっていたので、厨房の片隅を借りられた。すると、まだ野菜を取り出して洗い始めたくらいなのに、アマンダさんが下りてきた。

「おはよう」

「お、はようございます……どうかしましたか?」

 気配に敏感な人だから、私がごそごそした時点で目を覚ましているとは思っていたけれど、こんな風に起きてきたことは無い。私の問いに、アマンダさんが少し視線を外して首を傾ける。曖昧な反応も珍しいと思った。

「もう決めたことだし、あんたの飯も美味いから文句があるわけじゃないが。偶には一人くらい手伝わせたって良いんだよ。これは皮を剥くかい?」

「え、あ、はい、あの、でも」

 まだ少し眠そうな様子を見ると申し訳なく、お願いするのに戸惑ってしまう。けれど結局「いいから」と言われ、アマンダさんも手伝ってくれた。調理を進める内に、もしかしたら、昨夜に私が一人で抜け出したせいで、見張る気持ちもあったのかもしれないと気付く。彼女には、いつも心配ばかりをさせてしまっている。

 私達が昼食や軽食の準備が終わった頃には丁度、朝食の時間になっていて、程なくして、イルゼちゃん達も起きて三人揃って下りてきてくれた。食堂には他の宿泊客も、ちらほらと姿を見せる。

「風の魔族のとこまで、どれくらい掛かるんだっけ?」

「順調に行けば、十日以内には」

 私からすれば晩御飯でも多いような量を食べながらイルゼちゃんがそう問えば、グレンさんが淀みなく答えた。管理者と思われる方とは、グレンさんの一族が既に話を付けてくれており、到着次第、お話を聞けるようになっているらしい。そして今は、封印地の調査や、付近の魔物の討伐をしてくれているとのこと。

「ヨル爺はこんなに一族を使ってなかったよね?」

 軽く首を傾けたイルゼちゃんはそう呟くと、私の方を見やる。同意の意味で二回頷いた。私達は前世、ヨルさんとサリアちゃん以外、導き手一族の方とは接触していない。少しだけ話題に上がることはあったものの、移動する中でその気配を感じることは無かった。一方、グレンさんは経由する村や街で頻繁に一族の方と接触しており、私達も何度か、その姿を見ている。千年も経てば色々とやり方も変わっていくのかもしれない――と思ったのも束の間、ジェフさんとアマンダさんが同時に首を横に振った。

「いやグレンも同じだよ、旅の間には使っていなかった。あたしらは今回初めて一族の連中と顔を合わせてる」

 みんなの視線がグレンさんに集中する。ちょうど朝食を終えており、静かに水を傾けてから少し眉を寄せた。

「勇者の名を知ることも、面会することも、一族の長のみと決められています。当時、代表の孫であるサリアが加わったのは、彼女が既に長を継ぐ手続きに入っていたのでしょう」

 サリアちゃんが次期代表である話は、旅の最中にも少しだけ聞いた。一族の規則などは何も聞いていなかったけれど、そういう流れだったのかと、かつての様子を思い返す。グレンさんが初めて会った時に教えてくれた『勇者の名を語り継がない』というのも、そうして『勇者を知る者』自体を減らすことで徹底させたのかもしれない。

「そもそも、そういう『ご法度』って何の為にあるわけ? 勇者の名前とか、特に意味が分からないな」

 躊躇いなく問い掛けるイルゼちゃんに、ちょっと驚いた。一族の在り方に部外者が口を出すなんて、私からするとかなり勇気が要るのだけど。でもグレンさんはそれを不快そうにはしなかった。ただ、何処か申し訳なさそうだった。

「理由については語り継がれておらず、確かなことは分かりません。ですが」

 そこでグレンさんは、短い沈黙を挟む。机の上だけに留まる視線が、僅かにジェフさんとアマンダさんから逃げたのを見付けてしまった。

「……喪失を知る者、そして悲しむ者を減らそうとしたのではないかと、封印後に感じました」

 勇者の『使命』を世界には知らせない。生贄のようなシステムだと、誰もが感じるのものだから。抵抗を示す者も出てくるかもしれない。勇者の紋を賜った時、死を恐れて名乗り出なくなるかもしれない。『名』を語り継ぎ、万が一にも外部に漏れてしまったら、その喪失という事実に辿り着いてしまう者も出てくるだろう。だから記号のように『勇者』としたのではないかと、グレンさんは話してくれた。

「最も辛い想いをするのは勇者だってことを度外視した、胸糞悪い話だね」

 アマンダさんが怒りを込めて、吐き捨てるように言う。私は何も言えなかった。私は前世で『勇者』であって、この話題では庇われる側なのかもしれない。それでも、どうしたって残された人達を悲しませてきたのは『勇者』だから。俯きそうになったところで、私の頭をイルゼちゃんが撫でた。顔を上げたら、大丈夫って言うみたいに、微笑んでくれた。

「この代で終わらせるんだから、もう良いんだよ。ごめん、好奇心で聞いただけ」

 イルゼちゃんの言葉に、みんなは一瞬きょとんと目を丸めてから、力を抜くようにしてふっと笑った。

「そうだった。あたしらが終わらせるんだ、胸糞悪いこと全部な」

「気合いが入るじゃねえか、なあグレン!」

 ジェフさんは大きな声で笑いながら、隣に座るグレンさんの背を強く叩く。私だったらそのままの勢いで机の上に乗り上げてしまいそうな強さだったけど、グレンさんは普通に堪えていた。でも流石に軽く咽てしまい、それが落ち着いてから、しっかりと頷く。

「――ああ」

 彼の声からは先程までの重い悲しみの色が、消えていた。

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