第33話

 目を覚ましたら、ガク村の宿のベッドに寝かされていた。ジェフさんの傷が癒えた気配を察知したと同時に気が緩んで、その後のことは覚えていないけれど、魔力が尽きたのだろうということは分かった。……魔力を使い過ぎて目を回すこと自体は、初めてではないのだ。覚えのある感覚だったから、そのこと自体には、戸惑いは無かった。

「フィオナ、起き――」

「ジェフさん! ごめんなさい!」

「おぉ?」

 最初に気付いて声を掛けてくれたイルゼちゃんを遮るように声を出してしまう。ちょっと離れた場所からジェフさんの不思議そうな返事が聞こえた。

「背中、の怪我、本当にごめんなさい、私のせいでっ」

「おいフィオナ、ちょっと落ち着け」

 アマンダさんが言葉で私を宥め、イルゼちゃんは私の身体を押さえるみたいにぎゅっと両腕で抱いてくれる。みんなが困った顔をしている。見えているけど、まだ、思考が上手く回らない。私の正面にある椅子にどかりと座ったジェフさんは、改めて、私を見つめながら首を傾けた。

「もう、フィオナが治してくれただろう?」

「だからって、痛くなかったことには、なりません」

 声が震えた。ジェフさんが背中に受けた傷は、本当だったら私が受けるものだったのに。治癒で今、痛みも傷も消えているからって、無かったことにはならない。生きていたから治せたけれど、あの攻撃がもう少し威力のあるものだったら、あの時点でジェフさんが命を落とした可能性だってある。死んだ人に、治癒術は効かない。あの時、私が、もっと――。泣き出しそうになると、私を抱いているイルゼちゃんの腕の力が強まった。そしてアマンダさんが、小さく息を吐いたのが聞こえた。

「魔族を滅したのはイルゼとあんたの魔法なんだ。あまり気に病むんじゃない。ジェフが困ってるだろうが」

 顔を上げたら、ジェフさんの眉が垂れ下がって、ちょっと悲しそうにしていた。そこでようやく、本当に私の頭が冷える。こんな謝罪だって全部、私の独り善がりでしかないのに、感情的になって押し付けてしまった。

「そ、そうですよね、ごめんなさい」

「大体、倒れるまで無茶をして」

「すみません、あの、気が逸って、つい……」

 完全に気が動転してしまって全力の治癒術を掛けたけれど、本来あるべき効率的な掛け方をすべきだったし、そうでなくとも、重たい症状だけを治して、自分の魔力回復を待ってから残りの治癒をすることも出来た。あのやり方が無茶だったことは否定のしようが無い。私はアマンダさんからの長いお説教を受けた。

 その夜は休むことを優先した為、次の目的地について話し合ったのは翌朝のこと。

 同属性から挑むと言う方針そのままに、次は私とグレンさんの属性である風の魔族の封印地へと向かう。ゆっくりと準備を整え、ガク村を出発したのは、昼を過ぎてからになった。

「フィオナ、体調は平気?」

「うん、ありがとう、もう大丈夫」

「無理しちゃだめだよ、解呪以外なら、何でも私が代われるんだからね」

 いつも通りに過保護なイルゼちゃんに笑みを向けながら頷く。魔力枯渇で倒れる私なんて、イルゼちゃんが一番見慣れているはずなんだけど。そう思っていると、私の傍に立って軽く身を屈めたグレンさんが、イルゼちゃん以上に過保護なことを言い出した。

「荷物は私がお持ちしましょう」

「え」

「こらこら、あんたらフィオナに甘すぎるんだよ! 本人が助けてくれって言うまで大人しくしてな!」

 割って入ったアマンダさんは、ちょっとびっくりするような勢いでグレンさんとイルゼちゃんの背中を叩く。結構大きな音が鳴ったけど、二人共、痛くないのかな。心配して顔色を確認したものの、二人は苦笑しているだけだった。平気らしい。どうやら私とは身体の作りが違う。

「フィオナ、しんどくなったらちゃんと言うんだよ。分かってるね?」

「あ、は、はい」

「ハハハ! お前も充分甘いじゃないか!」

 大きな声でジェフさんが笑うと、彼はアマンダさんにグーで殴られていた。グーは流石に痛いだろうと思ったのに、ジェフさんの笑い声は逆に大きくなる。ちょっとどういうことか分からない。驚き過ぎて固まっていたら、そんなこと全然知らない顔でジェフさんが振り返る。

「俺は荷物ごとフィオナを担げるからなぁ、いつでも任せろよ!」

「えっと……お、お気遣いだけで」

 つまるところ誰が一番の過保護なのか、よく分からなくなってしまった。


* * *


 あたしは別に過保護じゃないが。と、アマンダは思う。

 ただ、彼女から見て、子供らがあまりに危なっかしいだけだ。日暮れ前に辿り着いた村。夕食後、イルゼとジェフが稽古に出て行き、グレンは一族の者と話すことがあると行って同じく宿を不在にしている状態。アマンダからすれば『案の定』、ちょっと目を離した隙をつくように、フィオナが一人で宿を抜け出していく。

「こら」

 予想済みであっただけにそれを捕まえることはアマンダには容易かった。声に肩を震わせ、振り返るフィオナの表情は明らかに怒られることが分かっている。要するに、確信犯なのだ。

「前にも言っただろ、夜に一人でうろつくんじゃない」

「あ、あの、はい、すみません、その……魔法の練習がしたくて」

「それでも一人はダメだ。ついて行くから、次からは必ず声を掛けな」

「……はい」

 さて、従順に頷いているが本当に『次』、言いつけを聞くのかどうか。イルゼのように口を尖らせるわけでも無く、素直に頷くだけに、この子は質が悪い。だがそれ以上を言うことは止め、アマンダはフィオナに付き添い、イルゼ達が稽古しているだろう北門とは別方向の、西門へと向かう。フィオナが扱うのは魔法である為、民家の傍は避けたかったのだろう。近くには畑や納屋しかなかった。

 フィオナが沢山の魔法陣を展開しては、幾つか魔法を試して唱えているのを、アマンダは少し離れた場所で眺める。暇つぶしに愛用の鉈を手元で回して遊んでいるものの、ほとんどフィオナからは視線を外さない。勿論、魔法に夢中になっているフィオナに魔物などが近付かないよう見張っているという意図もあるが、フィオナの魔法が何度も崩れている様子が物珍しく見えたせいだ。どうやら、苦戦している。

 誰の目から見ても、フィオナは優秀な魔術師だ。控えめで臆病な性格の為にあまり目立たないが、最上級魔法を当然のように扱い、更にそれを上級と並列で放てる魔術師など、、アマンダは聞いたことが無かった。作戦会議で案が出た時、グレンすら二度も聞き返していることを思えば、本当に稀な才能なのだろう。

 そんな彼女が魔法を失敗し続けている光景は、アマンダの目に珍しいものに映った。それとも、こんな風に失敗を繰り返して、彼女は今ほどの能力を手に入れたのだろうか。

「あぁ、何度も魔力切れで倒れてるって言ってたか?」

 近くに聞く者が居ないと知りながら、アマンダは小さくそう呟く。先日、魔力切れで倒れた時にそれを聞いた。フィオナにはよくあることなのだと。そう言われても看過できるものではないのでアマンダはしっかり説教をしたけれど、そんなことが当たり前になる程の努力を積み重ねてきたのだと、感心する想いがあったことも否定できない。

 それから、フィオナは一時間以上、魔法の練習をしていた。同じ魔法ばかりではなかったようだが、その中の一つも、真っ当に形を作ったものは無かった。休憩することなく黙々と繰り返していたフィオナが、ふと手を止め、項垂れるように頭を下げる。

「……どうして出来ないの」

 小さな呟きが、風に流れてアマンダの元へ届いた。フィオナが喉元を押さえている。痛むのだろうか。指摘されてからあの癖を極力出さないように気を付けているのをアマンダは知っていた。しばらく動きの無い彼女を見兼ね、眉を寄せたアマンダが立ち上がる。

「フィオナ、そろそろ休んだらどうだい」

 歩み寄りながら、声を掛ける。振り返った彼女の顔色はあまり良くない。今日も日中は長く街の外を移動してきたのだから、彼女の体力的にはそんなに余裕がある状態ではないだろう。

「一体、何をしていたんだ?」

 フィオナの周囲が一切魔法の影響を受けていないのを見る限り、先程の魔法は攻撃魔法ではないようだ。首を傾ければ、フィオナが何故か身体を小さくした。

「私、……守りの術が、何も使えないんです」

 彼女の言葉に、アマンダは少し目を細めて記憶を辿る。言われてみれば確かに、フィオナがそのような術を扱ったところは見ていない。これだけ臆病な性格をしていても、扱うのはほとんどが攻撃魔法だ。治癒術やちょっとした便利魔法はその類ではないけれど、身を守る魔法というのは一度も見ない。今回、失敗していた全てがそのようなものだったらしい。

「光や風属性はそういった術と相性がいいはずなのに、私はどれも使えなくて……」

「向き不向きってもんはあるだろうさ。紋が痛むほど、思い悩むんじゃないよ」

 いつの間にかフィオナは両手で喉元を押さえ込んでいる。痛みが増しているのかもしれない。アマンダは眉を下げ、その手を温めるように自らの手を添えた。一つの手で、小さな拳は二つとも隠れてしまった。そんな軟くて頼りない手が、沢山のものを一度に抱えようといつも藻掻もがいている。心配そうな顔をしたアマンダを見上げたフィオナが、微笑み返してくることも、アマンダは嬉しくなかった。

「さ、そろそろ戻るよ。練習するのは悪いことじゃないが、落ち込み過ぎるのも無理し過ぎるのも禁止だ」

「はい」

 アマンダの言葉にフィオナは素直に頷き、宿の方へと歩き出す。考え事をするような顔を残しながらも、もう手は喉元を離れていた。痛みは治まっただろうか。例えそれを問い掛けたとしても、フィオナが正直に答えを返すことは無いのだろう。

 そうして二人が宿に戻ると、グレンだけは帰っており、ジェフとイルゼの姿は無い。

「まだ戻っていないのか?」

「ああ」

 その問いにグレンが頷く。彼も戻ったのはつい先程のことだそうだけれど、戻る前に、北門の方でまだ二人が稽古中である姿を確認したと言う。

「フィオナ様はアマンダと一緒だったのですね、安心しました」

 後ろを付いて入ってきたフィオナの姿に、グレンは少し表情を和らげる。だがそれに苦笑を浮かべるフィオナの隣で、アマンダがふんと軽く鼻を鳴らした。

「安心するのは早いな。一人で村の外まで出ようとしているところをあたしが偶々捕まえたんだ。今後はグレンも見張っててくれ」

「い、いえ、あの、反省してます……」

 グレンは少々困った顔をしながら、フィオナを見つめていた。居た堪れなく思ったのだろうか、またフィオナは怒られている時と同様の形で、身体を小さくした。

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