第32話
「させない為に来てんだよ!!」
最初の攻撃はアマンダさんだった。渦巻く炎を避けながらも、矢が魔族の額へと正確に飛ぶ。だけど魔族は其方を見ようともせず、容易く手で矢を受け止めた。
「ふん。水属性の矢か。効かぬわこんなもの」
まるで紙屑であったかのように燃えて崩れたそれが、魔族の足元へと落ちる。伝承通り、水属性は全く効かないようだ。それでもアマンダさんは怯むことなく弓を引き続ける。グレンさんが対角線上、逆方向へと回り込んで攻撃を仕掛けるけれど、魔族は一層楽しそうにニタニタと笑った。
「お前は燃やし易そうだな?」
軽く腕を振るだけで、巨大な炎がグレンさんを襲う。素早く避けたものの、耐火装備が少し焼き切れていた。直撃を耐えることは出来ないだろう。みんなにも緊張が走る。軽い攻撃であれだけの火力があるのなら、魔族が高位の範囲魔法を使えば、おそらくこの空間に何一つ残らない。まだその動きを見せないのは、きっと私達と『遊ぶ』つもりでいるからだ。
魔族がグレンさんの方へと向いた瞬間、ジェフさんが正面から大剣を振り抜く。彼は無属性である為、どの属性を相手にしてもオールマイティに戦える。大きな体躯に似合わない程の速さがあるのに、魔族はそれすらも容易く躱してしまった。三人が連携し、互いをフォローし合いながら、魔族へ次から次へと攻撃を仕掛ける。呼吸も挟めないような怒涛の攻撃であっても、魔族から余裕が消えることは無い。
「行くよ! 退いて!」
だけどその声を聞くと同時に、高まる魔力を察知したのか、魔族は微かに表情を変えた。
ジェフさんとグレンさんが瞬時に魔族の傍から退避する。近接で二人が戦っていたのには、詠唱中のイルゼちゃんを隠す意図もあった。
「喰らえ!
イルゼちゃんが使用できる中で最も強い上級魔法だ。彼女の前に浮かぶ巨大な火球から魔族に向かって火が放たれる。その大きさと速さに、魔族は避ける暇も無くそれを受け止めた。衝突と同時に、辺りには勢いよく熱風が吹き荒れる。並の魔物なら一瞬で消し飛ぶ威力だ。
「ぐ、お……おオォ! 俺に火で挑むか人間!!」
不意を打たれたことで反応は遅れていたのに、魔族は受け止めるや否や高笑いをして、同じく火でそれを押し返し始める。
「さ、すが、強……!」
苦悶の表情を浮かべたイルゼちゃんが、一歩、右足を下げた。勢いに押されている。私の背中に冷たい汗が流れた。タイミングをずらすように言われていて、私はまだ詠唱中だ。それでもイルゼちゃんが押されている様子を見ると、焦りが湧き上がる。だけど私がしくじったら全員が死ぬ。歯を食いしばって、丁寧に魔力を練り上げた。イルゼちゃんと魔族の、魔法の押し合いが続く。もう少し、あとちょっと、魔族の意識がイルゼちゃんへと向かう瞬間を狙わなきゃいけない。
「今だ!!」
「
アマンダさんの合図と同時に、ジェフさんが私の前から飛び退く。ぎりぎりまで、私を彼の大きな身体で隠してくれていた。イルゼちゃんが先程放ったのと同じ上級魔法を、魔族の背中に向けて放つ。手ごたえはあった。
だけど、仕留められなかった。魔族は不意を打ったはずの私の魔法も、ぎりぎりで受け止めている。二つの上級魔法を抑え込むその表情からは流石にもう笑みを消しているけれど、でも、止められてしまった。魔族が険しい表情を浮かべたのはものの数秒間だけだった。歪ながらも確かにそれは笑みを浮かべ、再び大きな声で笑った。
「このままでいいのか!? 何処まで保つんだ人間風情が!」
指摘は尤もだ。あの魔族の魔力量は無尽蔵と伝えられている。長期戦は、私達の負けだ。このまま互角の押し合いが続けば、間違いなく、此方が先に尽きてしまう。かと言って今誰かが生身で魔族に攻撃には行けない。私達の魔法と、それを押し返す魔族の魔力で、周囲はとてつもない高温になっているはず。
巨大な火属性の魔法がぶつかり合う空間。気温だけのせいじゃない、緊張の汗が全員の額から流れ落ちて行く。
「――ばぁか」
轟轟と炎が渦巻き、その音が響く空間で。イルゼちゃんがそう言って笑う声が、妙にハッキリと響いた。私の心臓が何だか、うずうずした。魔族は怪訝に彼女を見つめる。
「お前さぁ、上級を超えた最上級魔法、見たことある?」
「……あ?」
「私の自慢の魔術師なめんなよ。お前もう詰んでんだよ。上見て絶望してろ」
魔族が封印されたのは、魔王が封印されるよりも前のことだ。そしてその当時、戦える人間は酷く少なかったと思われる。だから、その頃に高位の魔術を使えるのは、魔王や魔族だけだったのだろう。きっと今、私とイルゼちゃんが扱っているような上級魔法すら、魔族は向けられたことは無かったに違いない。
そしてその上は、見たことすら、無いはず。
「行きます。――
イルゼちゃんの言葉に応じて素直に上を仰いだ魔族は、私が溜め込んだ魔力の塊を見て目を見開いた。
魔族に向かって落ちるマグマのように赤い熱の塊は、私とイルゼちゃんが先程放ったものとは火力の桁が違う。最上級の魔法は、とにかく詠唱に時間が掛かる。だから上級魔法を二つぶつけることで、魔族から余裕を削いで、足止めに使った。
両腕を上級魔法二つのせいで取られている状態ながらも、魔族は頭上へ魔力を伸ばすことでそれを受け止めようとしていた。だけど耐えたのは一秒も無い。そのまま魔族が、膝を付く。直後、その身体がマグマに飲まれていった。空間に、魔族の断末魔が響く。その命がマグマの中で溶けていく。
勝った。
そう確信した。多分それが一番、悪かった。
「――何か来ます!!」
グレンさんが叫ぶと同時に、魔族は命が潰える寸前の、最後の力を振り絞って外へと火球を放出した。直後にその魔族の気配が消える。生きるために足掻いたのではない。死を悟った上で、私達を巻き添えにするつもりだったのだろう。だけど既に命は尽きかけていたのだから、高位の魔術ではなかった。降り注いだ火球を、イルゼちゃん、グレンさん、ジェフさん、アマンダさんが難なく躱す。
問題は私に、その反射神経も、運動神経も無かったこと。そしてほんの少しであれ気が緩んでいたこと。目の前に迫る火球に、私の身体は全く動かなかった。
「フィオナ!!」
私の名前を呼ぶイルゼちゃんの声が遠い。魔族を挟んだ対角線、一番遠い場所に立っていたのだから、無理もない。何よりイルゼちゃんも火球を避ける為に体勢を崩していたはずで、助けに走るのは不可能だ。無駄に冷静な思考が頭を巡っていた。魔法を唱える暇もない。みんなと違って、私の身体はそんなに素早く動かない。自分の身体が炎に飲まれることを半ば覚悟して息を止めた瞬間、大きな影が私を覆った。
ドン、と大きな音、衝撃。革と布、それから皮膚が焼ける臭い。
私の身体は地面に倒れ込み、影は私の上に乗ることなく、途中で留まった。
「……ジェフさん?」
「ああ、怪我ねえな、良かった」
彼の背中から、大きな煙が上がっていた。私が小さく悲鳴を上げると同時に、駆け寄ってきたグレンさんとアマンダさんが、彼の背にまだ残る炎をバサバサと布で叩いて消している。
「おーおー、身体張ったなぁジェフ!」
「当たり前だ。守るって、言ったからなぁ」
ゆっくりと身体を起こしたジェフさんが地面に座り込む。笑みを浮かべているけれど、おびただしい量の汗が彼の頭から流れ落ちる。暑さのせいじゃないことは、一目瞭然だ。遅れて駆け寄ったイルゼちゃんが私の身体を起こしてくれたのに、お礼を言うことも忘れてしまった。
「す、すぐに治癒します!」
私は座ったままの状態で、慌てて彼に全力の治癒術を掛ける。本来なら傷の状態を確認して、傷の深い場所から順に、小さな範囲で掛けて行くのが正しい治癒の仕方になる。治癒術というのは、他の魔法と比べてかなり魔力を消費する為、そういう手順でなければ尋常じゃない消費量になるのだ。だけどこの時の私は、そんな効率を考える余裕がまるで無かった。
* * *
フィオナを守る為に間に合えなかったイルゼは、一人、複雑な思いで、治癒術を掛けているフィオナの傍に寄り添うようにしゃがんでいた。作戦の内容から言って、イルゼはどうしてもフィオナの傍を離れなければならなかった。一番遠くに居なければならなかった。そして、フィオナの魔法の威力を誰よりも知っている彼女は、誰よりも勝ちを確信していた。まさかあの状態から攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかったのだ。容易く彼女の傍を離れてしまった自分を責めるように、俯いて、唇を噛み締める。
「ああ、グレン。どうだった?」
「間違いなく、魔族の消滅を確認した。神の石も此処に」
「よし、第一関門突破だな」
アマンダの声が聞こえてイルゼが顔を上げれば、魔力の流れを読むことに長けているグレンが、最終確認を終えて戻ってきていた。万が一でも魔族が生き残っていて、それを見落としてしまえば取り返しが付かない事態に陥る。彼のこの能力は、ともすればフィオナが持つ勇者の光の次に、この旅に欠かせないものであるのかもしれない。
そうこうしている間に、フィオナが治癒術を止めた。その気配に、アマンダが振り返る。
「すっかり綺麗じゃないか、流石だな、フィオナ」
「ああ、もうちぃとも痛くないぞ!」
ついさっきまで大怪我を負っていたとは思えない快活さでジェフが豪快に笑っている。しかしその正面に座っていたフィオナは、治癒術を止めたと同時に俯いたままで、顔を上げない。
少し体勢を変えてイルゼが顔を覗き込もうとしたけれど、同時にフィオナは体勢を崩してそのまま倒れ込んだ。イルゼは咄嗟にその身体を抱き止める。よく知る彼女の軽さと小ささのはずなのに、この時はその感触が、肌が泡立つほど怖かった。
「フィオナ様!?」
大慌てでグレンも駆け寄ってくる。彼が確認する限り、どうやら魔力が枯渇して目を回してしまったようだ。上級魔法の後に、立て続けに最上級魔法を扱い、そして極め付けに効率を無視して全力の治癒術を掛けていたのだから、これは当然の事態だった。アマンダが、大きな溜息を吐く。
「このバカ、また説教だな」
唸るようにそう呟く彼女は、呆れてもいるのだろうが、原因がただの魔力枯渇であることに、安堵したらしい。敢えてそれを指摘することなくジェフは軽く笑ってから、「俺が運ぼう」と言ってフィオナに手を伸ばす。
「いいよ。フィオナは私が――」
「バカたれ! いくらジェフでも二十歳以上も年の離れた子供に懸想したりしないだろ! あんただって全力の魔法で疲れてるのは分かってるんだよ!」
すぐさまアマンダに後頭部を小突かれて、イルゼは口を噤む。事実、イルゼも普段と比べればかなりの倦怠感が身体を覆っている。実のところイルゼはフィオナほど魔法に適性が無いのだ。フィオナからの加護を得ているから、上級魔法まで扱えるだけ。彼女を抱え、守りながら山道を進み、村まで戻るには体力が心許ないことは、彼女もよく分かっている。少し眉を下げながらも、ジェフにその役を任せた。
一方ジェフは、小さく首を傾けていた。自分を治癒したことによって目を回してしまったフィオナを運ぶことに異論は無いし、元より自分が運ぼうと言い出したのだから、不満もあるわけが無い。彼は別のことに引っ掛かっていた。
「『いくら俺でも』という言葉が気になるんだが……」
「言葉の綾だ。いいから早く運べ」
「うむ……」
まだ納得しない様子ではあるものの、適当に誤魔化すアマンダを追及すること無く、ジェフはフィオナの身体を優しく抱き上げた。
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