第28話 王都 北東の平原
火山の麓にある封印の祠よりも更に北、いくつもの火山が連なるその奥に、人が決して立ち入らない封印地がある。ただし、そこから少し東へと外れたところに一つだけ村があり、管理者と思われる人が居るらしい。その村ならば、何か魔族に関する伝承も残されているかもしれない。私達はまず、そこへ向かうことにした。
移動する間でも、導き手の一族が各封印地について調査を進め、時々連絡をくれることになっている。聞いたところによると一族として数えられるのは五百人を超えるらしく、彼らの一族だけで一つの集落を持っているのだとか。調査の為に動いてくれているのはごく一部だそうだけど、それでも三十人前後が得意分野に応じて動いてくれていると言う。
「ヨルさんの一族の方々が、今も私達を助けてくれるんだね」
「本当だね、なんか変な感じだなー。考えてみればグレンは、ヨル爺やサリアのずっとずっと先の子孫なんだもんね」
「そうなりますね。ただ、我が一族は世襲ではない為、直系ではありませんが」
「ありゃ、そうなんだ」
私とイルゼちゃんは目を合わせてちょっと笑う。千年も経っていれば面影なんて無くて当たり前だけど、ほんの少し、グレンさんの中からヨルさんやサリアちゃんを無意識に探そうとしていたんだと思う。やっぱり似てないよね、全然。そんな気持ちを共有した。
だけど風魔法を使うのはヨルさんのようだし、武術に長けているのはサリアちゃんのよう。型は全然違うから、無理やりな共通点だろうか。だけどグレンさんは穏やかな笑みを口元に浮かべ、優れた技能は後世に伝えられていくものだから、それも受け継いだものの一つだと言った。
私達が居なくなった後の世界で、二人がどのように生きたのかは、何も分からない。一族が語り継ぐのは勇者に関わることのみであるらしく、二人の詳細についてはもう記録が無いらしい。残念な気持ちもあるけれど、何処か安堵した。知るほどきっと、寂しくて悲しくなる。もう居ないと分かっているのに、会いたくて堪らなくなる。そして、酷く悲しませてしまっただろう二人のその後を知る勇気も、私には無かった。
ところで、グレンさんを除いた四人で行動していても薄々気付いていたけれど、グレンさんも加わったことで、確定してしまった悲しい事実が一つある。魔物に襲われた時、私は、やることが何も無い。みんなが強すぎて、鈍間な私が杖か短剣を手にした辺りでもう終わっている。
「な、なんだかデジャヴだな……」
「あはは、まあしばらくフィオナは回復担当ってことで、ゆっくりしててよ」
前世と違い、戦う力を持っているはずなのに。これでは前世とまるで変わらない。回復担当と言われたものの、みんな掠り傷一つ負う様子が無かった。良いことだから、それで良いんだけど、居た堪れないことには変わりない。
「でもさー、フィオナ。魔物、多くない?」
「あ、うん、それは私も思ってた」
そういえばこの疑問もすっかりと忘れてしまっていた。思った当時に、共有できる相手が居なかったからだ。私達の言葉に、グレンさん達三人は一様に首を傾ける。
「どういうことでしょう」
「封印中にしては、魔物がすごく多いです。私達の前世の頃と比べると」
あの頃は、私に戦う力が全く無いにも拘らず、イルゼちゃんとたった二人で王都に向かうことも、そこまで危険ではなかった。道中、魔物に遭遇することすら一度も無かったのだ。その話に、グレンさん達はそれぞれ驚いた顔を見せる。
「なるほど……封印の綻びというのは、そういう部分からも出ていたのですね」
「千年周期で比べるから分かるんだろうけど、あたしらにとってはこれが『少ない』だよ」
改めて、この綻びに対応できるのは今しかないのだと感じる。私の代で失敗すればきっともう次は無い。封印の状態でこの魔物の多さ。千年後には魔物だけで人類が圧迫され、勇者を導くどころじゃなくなっている可能性もある。
妙な焦りを感じた私は、道中で休憩を取る度に、自分の周りに沢山の魔法陣を出してまた色々と試行錯誤をしていた。いつからそれを見つめていたのか、不意に聞こえた大きな溜息に顔を上げれば、呆れた顔をしているアマンダさんと目が合う。
「今回はまた何してんだいあんたは」
「え、あ、その……効率のいい魔法陣や、魔法を色々考えて……」
いつの間にか全員の視線が集中している。顔を上げた瞬間から皆が見ていたことを思えば、アマンダさんが声を掛けるよりも早く、皆、こっちを見ていたようだ。イルゼちゃんは何故か、苦笑している。
「あんまり根を詰めていたら疲れちまうだろうが」
「皆さんが強くて特に戦う必要が無いので、大丈夫だと、……あの、でも、そうですね、気を付けます」
話すほどにアマンダさんの呆れた顔が深まるので、途中で方向転換をした。考えてみれば心配して頂いているのに突っぱねるのは良くない。だけど「もう止めます」と言えなかったからだろうか、アマンダさんは納得した様子無く溜息を重ねた。
「まあ、無理しないって言うなら良いけどね」
そう言った後、アマンダさんがイルゼちゃんに視線を向ける。イルゼちゃんは苦笑のままで頷いていた。何だろう。気にはなったものの、魔法について考えている途中だったので、私の思考はそちらに戻ってしまった。そして結局、「もう行くよ」と声を掛けられるまで、魔法陣と睨めっこをしていた。
「フィオナ様、……紋がどうかされましたか?」
「え?」
歩き出してすぐ、不意に私の傍へやってきたグレンさんがそう言った。彼の言葉に、前を歩いていた三人も軽く振り返る。だけど私は問われた意味がよく分からなくて、視線をグレンさんへと戻して首を傾ける。彼は少し考える顔を見せてから、言葉を付け足した。
「よく喉元を押さえていらっしゃるように思いまして。何か違和感があるのかと」
「あ、ああ、いえ、ええと……」
その瞬間も私の手は喉元に添えられていた。気付かなかった。いつの間にか癖になっていたらしい。改めて皆の視線が集まって、私はそれから逃れるように視線を彷徨わせた。
「少し、その、痛むことが、時々あって、つい触る癖が」
「はぁ!?」
「あんた何でそんなこと黙ってたんだい!」
驚きの声を上げたイルゼちゃんとアマンダさんが、ほんのちょっとの距離なのに全力でこっちに走ってきてびっくりして仰け反る。血相を変えている二人に、慌てて言葉を続けた。
「ま、待って、今は痛くない、の」
「でも痛む時があるんだよね?」
「まあ、うん……」
素直に頷くと、イルゼちゃんが私を引き寄せる。ぶつかっちゃうかと思うくらいの距離に、どうしたら良いか分からないでおろおろしていたら、私の顎をイルゼちゃんが軽く掴んで、上を向くように促された。
「勇者の紋、ちょっと見せて」
「えぇ、でも」
「いいから」
強い口調で言われ、仕方なく首のボタンを外す。デコルテが少し見える程度しか開かない服なので恥ずかしいわけじゃないけれど、イルゼちゃんが間近で見つめてくるのでちょっと居心地が悪い。アマンダさんも、隣から覗き込むようにして紋を見つめていた。
「特に前世との違いは無いと思うけど……」
「そうだね、ルードの紋とも違いは無いし、赤くなってる様子も無いが」
「腫れも熱も、うーん、無いなぁ」
イルゼちゃんの指先が紋の上を滑って、くすぐったいと訴えたら二人が我慢するようにと声を揃えて言った。すごく顔を寄せて確認されてるせいでイルゼちゃんの吐息まで掛かって本当にくすぐったいんだけど。ふるりと身体を震わせたところで、ようやくイルゼちゃんが上体を起こしてくれたので、ほっと息を吐く。
「紋が痛むこと、前世ではあったの?」
「ううん、前世は、無かったけど、でも」
「一体何だろうね、仮として与えられてるせいで、悪影響があるとか――」
私の話すテンポが遅いせいで、皆の表情がどんどん険しくなっていく。何とかそれを止めようとして、私はいつもより声を張るべく息を吸った。
「あ、あの、違うんです。原因というか、理由は分かってて」
「え?」
今度ばかりは、皆の視線が自分に集まったことを少しほっとした。予期せぬ方へと皆の考えが行くことはとりあえず留められたのだと思う。改めて呼吸を挟んで、私は続きを述べる。
「別に紋章が悪いんじゃなくて、精神的なもので、私が勝手に」
「どういうこと?」
怪訝に眉を寄せるイルゼちゃんの顔を見上げ、また小さく呼吸を挟む。今から話すことは胸を張って言えることではなくて恥ずかしいんだけど、これ以上、心配を重ねたくなかった。
「紋章を持つには相応しくないって、前世の時より沢山思うというか、そうしたら、時々、痛んだりしてるの、酷い痛みじゃないし、気持ちの問題だから、他のことに意識が向けば忘れちゃうようなことで、それで」
「……あたしらにも特に打ち明けることじゃないと思ったのかい」
溜息交じりに確認してくるアマンダさんの言葉に素直に頷く。怒っているのかと思ったら、何だか困った様子でアマンダさんが首を捻っていた。
「あたしらが『そんなことない』って言うのも、あんたにはストレスになるんだろうねぇ」
「い、いえ、その」
皆のことをストレスだって言うわけがない。だけど、上手く言えない。もしかしたら、重たく感じることはあるかも――と考えて、それを彼女が『ストレス』と言ったのだと気付いて口を噤んだ。何も続けられない私を見下ろしながら、アマンダさんは眉を下げる。
「嫌だと思うことをちょっと愚痴るくらい、可愛げがあっていいんだよフィオナ。あんたはむしろお利口すぎる」
「そ、そうでしょうか」
「あたしはそう思う」
ふと見ればグレンさんとジェフさんも同意するように頷いていた。隣に立ったイルゼちゃんが私の背を撫で、心配そうな顔で見つめてくる。だけど私には、どうしてもそんな風に思えない。納得していないことが顔に出ているんだろう。アマンダさんは眉を寄せた。
「少なくともあたしは、その紋をもう一度その身に宿した覚悟を、本当にすごいと思ってるよ」
すごく真摯に伝えてくれる言葉を、アマンダさんの目を見つめ返しながら聞いた。瞳がどうしてか悲しい色をしていて、それが私を心配してくれているせいだって思ったら、胸が痛かった。思わず紋章を押さえそうになったけれど、もっと心配させてしまう気がして、我慢して自分の両手をぎゅっと握り合う。
「あんたはその紋を身体に背負って、望まずに一度死んだんだ。それでも大神殿に戻って、やり直したいと願ったことを、心から尊敬してる。あんたにも色々、思うところがあるのは分かるけどね、それだけは、覚えておいてくれ」
「……はい、ありがとうございます」
そうしなければならない程の、罪だった。だけど、少なくともアマンダさんが、そして此処に居る皆が、私の選んだ道を許して、認めてくれているということだ。頭を下げるついでに視線を落とす。此処まで言ってもらっても自分に自信を持つことが出来ない私のことが、ちょっとだけ申し訳ない。
「あと何だ、皆あんたを可愛がってるんだからね、痛みがあるなら我慢しないで言ってくれると助かるよ。そんな状態であんたが歩いてるってことが気が気じゃない。イルゼなんかもう抱っこして連れて行きたい顔をしてる」
「えぇ……」
今は痛くないって言っているのに抱っこされる意味が分からないし、抱っこなんかして町から町へ移動できるわけないじゃない。そう思うのに、顔を上げてイルゼちゃんを見れば、当然のように頷いていた。
「おんぶでもいいよ」
「そういう問題じゃないよ?」
割りと目が本気だったので、痛くなったらちゃんと正直に話すことを約束して、ようやく自分の足で進むことが許された。
つい紋の辺りを触っちゃう癖も、直すことを真剣に考えなきゃいけないらしい。
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