第27話

 十七年前。その日はそれぞれにとっての終わりで、始まりだった。

「おい、何……が、起こった。ルードは」

 石像になった青年を見上げ、そう呟くアマンダは声だけではなく身体も震えていた。正面に立つそれがつい数秒前まで明るく笑って話していた彼であると認めることが出来ず、他に動く者の無い大神殿を何度も何度も、見回した。

「……勇者の魂は、魔王封印の礎となる」

 低く、静かに告げるグレンの声。そこには何の感情も込められていなかった。驚愕の表情で振り返るアマンダとジェフの視線に応えることなく、彼はただ眉を顰めていた。二人が言葉の意味を飲み込むには幾らか時間を要した。震える呼吸ばかりが、神殿に転がっていく。

「ルードはそれを知っていたのか?」

 この問いは、グレンに最も刺さるものであったことだろう。しかし真っ先にこの疑問をぶつけずにはいられないほど、最後の最後までルードは底抜けに明るく、帰ったら何処に行こうかと未来の話をずっとしていた。一度、唇を噛み締めたグレンが、静かに息を吸い込む。

「知らせなかった」

「お前……!」

 頭に血が上ったアマンダが、手に持っていた弓をその場に投げ、両手でグレンの胸倉を掴んだ。グレンは、抵抗しなかった。

「ふざけんなよ! じゃあ何か!? あたしらはルードを殺す為に必死になって此処まで戦ってきたのかよ!」

「魔王を封印する為だ」

「その為に死ぬなら同じことだろうが!」

 勢いよく壁へと叩き付けられたグレンが咳き込む。痛みを堪え、険しい表情を浮かべた。しかし彼がアマンダの手を振り払おうという様子は無い。彼女の背後でジェフが、荒く震えた呼吸を響かせていた。彼の身体が、怒りに震えていた。

「ルードに知らせなかったのは、何故だ。どうしてあいつに、ちゃんと選ばせてやらなかった」

 感情を必死に抑え込み、問い掛ける。瞬間、グレンは痛み以外の理由で表情を歪めた。両手の拳を握り締め、まるで苛立ったような様子を見せる。

「選ぶ余地など無い。拒めば世界が滅ぶ」

「そうだとしても!!」

 神殿が震えたと思うほどの大声で叫び、ジェフは大剣をグレンの真横の壁へと投げ付けた。傷一つ無かった神殿の壁から、大きな塊がごとりと剥がれ落ちる。ジェフの目から大粒の涙が幾つも零れ、神殿の床を濡らした。

「何故だグレン、何故……」

「言えなかったんだ!!」

 同じく大きな声で叫び返したグレンの声は、怒号ではなく、悲鳴のようだった。彼もまた、泣いていた。

「どうしても、言え、なかった……すまない、本当に、すまない……」

 床へと崩れ落ちていく彼から、アマンダが手を離す。グレンはそのまま蹲り、謝罪を繰り返した。今此処に居る仲間へ、もう届かない彼へ、小さな子供のように泣きながら、何度も何度も謝っていた。

「ふざけんなよ、こんな……泣いて謝られたって、もう、あいつは戻らないんだぞ!」

 アマンダはもう、蹲る彼に掴み掛ることは無かった。その場に立ち尽くしたままで、彼女も泣いた。

 胸を張り、大剣を掲げた形で最期を迎えた勇者の石像の足元。すっかりと日が暮れて辺りが暗くなってしまうまで、三人はその場を離れることが出来なかった。辺りがしんと冷え始めてからようやく動いたジェフが、アマンダとグレンを引き摺るようにして船へと戻り、そのまま一言も交わすことなく港で別れた。

 以来、二人はグレンと一切の連絡を取っていない。


* * *


 赤レンガの街レノラを発った私達は、真っ直ぐに王都を目指した。

 事前にグレンさんへは会いたい旨を連絡してあるから、到着する予定だと告げていた今日は、王都に居て下さっているはず。

 グレンさんが王都で過ごす時はいつも、城内に用意された部屋で寝泊まりされているらしい。城を訪れるのは何度目になろうと緊張するものだけれど、受付の方へ用件を伝えればすぐにグレンさんの部屋へと案内してくれた。

「フィオナ様! ご無事で何よりです。急用と言うのは――」

 だけど私はグレンさんに、アマンダさん達を連れてくることを伝えていなかった。急用がある、直接会って話したいとだけ書いて、到着予定日を知らせた。二人が求めた通りにそうしたけれど、申し訳ない気持ちはある。私の背後から現れた二人の姿に、グレンさんは驚愕の表情で固まっていて、私は少し肩を縮めた。いくらグレンさんでも怒るかもしれないと思ったのだ。だけどもう、グレンさんの目に私は少しも映っていない。

「アマンダ、ジェフ……」

「ああ。年取ったな、お互いに」

 ずんずんと部屋に入り込んだアマンダさんが私を押し退けようと軽く肩を押したので、慌てて道を空けた。後ろに続くジェフさんと揃って、二人の気配が怖い。緊張した直後、イルゼちゃんが隣に立ってくれたからちょっと安心――したのも束の間、アマンダさんはグレンさんの胸倉を掴んで引き寄せ、問答無用に勢いよく殴り飛ばした。

 思わず私の全身が恐怖で竦む。間に入ってこれ以上を止めるべきか。それより、棚にぶつかって床に転がったグレンさんの治癒をするべきか。動揺して結局おろおろとするばかりで何も行動できずに慌てている私を、イルゼちゃんが両腕で抱き寄せる。

「イルゼちゃん……」

「大丈夫、大丈夫。きっと三人には三人にしか分からない、けじめがあるんだよ」

 静かにそう囁くと、イルゼちゃんは私を守るみたいに腕に抱いてくれて、頭や背中をよしよしと撫でてくれた。今、きっと私達が邪魔したらいけないんだ。怖いと思いながらも、私は黙って彼女らの方を見やる。床に近い位置まで落ちていたグレンさんの頭がやや上がったところで、アマンダさんはその正面に立った。

「ジェフが殴ったら此処で死んじまうからあたしが殴ってやったんだ。ありがたく思えよ」

 声が、私達に普段向けてくれるそれと全然違って物凄く怖い。緊張したのが伝わったのか、またイルゼちゃんの温かい手が私の背を撫でた。

「お前も来るんだよ、グレン。あたしらはもう口先だけで謝られたくない。必ずルードを蘇らせて、お前はあいつに謝るんだ。……殺すのは、その後に取っといてやる」

「……分かった。ありがとう」

 殺すって言ったのに分かったってどういうこと。え、それで良いの? 混乱していると、私を抱いたままでイルゼちゃんがくすりと笑った。

「一時休戦だってさ」

「え、えぇ……?」

 私には全然分からなかったけれど、こういうけじめもあるらしい。グレンさんの赤く腫れた頬を治癒しようと恐る恐る近付いたものの、治癒はグレンさんに遠慮されてしまった。でも本当に次の瞬間にはアマンダさんとジェフさんからは怒気がすっかり消え失せて、何事も無かったみたいに話し始めている。大人のけじめって、すごいんだな。分からなかったのでそんな結論に至っていた。

「――面子は揃ったってことで。いよいよ魔族のところに行くんだよな?」

「は、はい。そうですね。その為にもまずは、魔族の封印についてもう少し詳しくお話しします」

 皆さんにはまだ『恒久の礎を集める』ことと『その為に魔族の封印を解き、魔族を滅する』ことしか話せていない。グレンさんが促してくれるままに全員で一つのテーブルを囲んで、私は詳細を語った。

 まず女神様が示した『恒久の礎』とは、『神の石』と呼ばれる特殊な鉱物だ。これは神々の力を以てしても新たに生成することが出来ないものであるらしく、魔族封印に使用されているものを回収する以外に手に入れる術は無い。そして『魔族』とは、通常の魔物とは違い特殊な能力を持ち、意志や知恵を宿した強力な魔のことを指している。魔王ほどの力は無いものの、他の魔物とは比べ物にならない程に強い。少なくとも五つの祠に居た魔物よりは遥かに強く、魔族が神や人を脅かしていた当時は滅することが出来なかった為に封印に至ったと思われる。

「当時――神々がまだ地上にいらっしゃった頃ですら、それを滅することは出来なかったんですね」

「そうですね……ただ、女神様は、私達なら出来るとお考えの上で今回の提案をして下さっているので、雲の上ほどの存在ではないのだと思っています」

 何より、神々は封じる術に長けていても戦うには適していなかったそうだ。そして人間に至っては、ずっと神々に守られ平穏を生きてきただけに、戦う術を持つ者はかなりの少数だったのだろう。女神様から頂いている断片的な情報を繋ぎ合わせて語る私の言葉に、グレンさんは不安を残しながらも理解を示して頷いてくれた。

「それぞれ属性があるとのことで、六属性。地水火風に、光と闇、ですね」

「魔族にも、光属性が居るのかい?」

「そのようです」

 これについては私も情報を得て驚いたものの、理由についてまでは分からなかった。魔族に関して女神様から得た情報が思いの外、少なかったのだ。頂けたのはそれぞれの属性と、封印地だけだった。

「いずれも『特殊な能力』を持つということですから、戦う前に出来る限り、文献や伝承を確認して、封印されている魔族の情報が欲しいです」

「その件ですが、フィオナ様」

 徐にグレンさんが小さく手を挙げた。別にそこまでして頂かなくても自由に発言して下さっていいのに、グレンさんは私が頷くのをじっと待ってから、ようやく口を開く。

「国王陛下にも情報収集にご協力を頂きましたところ、国内にいくつか『立ち入り禁止』としている区域があるとのことです」

 禁止理由については「神の治めた神聖な場所である為」とされており、魔族の話は王族やグレンさんの一族にも伝承が残っていないらしい。だからその区域が本当に魔族に関わるものであるかどうかは定かではないとのこと。しかし区域の一部には、管理者と思しき者が確認されていると言った。

「その為、まずフィオナ様に六の魔族の封印地を示して頂ければ、関連の情報をお伝えできるかと思います」

「へえ。ちゃんと働いてたんだねグレン」

 揶揄うようにそう言ってアマンダさんが笑うと、グレンさんは珍しく、不服そうに眉を顰める。

「……当たり前だ」

「あ、グレンって敬語以外も使えるんだねー」

 皆が真面目に話す中、テーブルに置かれたクッキーをのんびりと齧っていただけのイルゼちゃんが明るく笑うものだから、皆も苦笑を零した。グレンさんもイルゼちゃんには文句が言えなかったのだろうか、何とも言い難い顔で口を一文字に結んでいた。

 閑話休題。卓上にグレンさんが広げた地図を借りて私が六カ所を示せば、曰く、一つを除いた全ての場所に『管理者』が確認されているとのことだった。

「全ての地域を一族に改めて調べさせます。管理者の分からない一つについては特に入念に」

「ありがとうございます」

 王様やグレンさんの一族の助力は本当にありがたい。私だけだったら管理者を探すだけで何年も掛かってしまっていたかもしれない。となると、次に決めるべきは最初の行き先だ。王都から見て、どの地点も極端に近くも遠くもない。全員で静かに地図を眺めた後、アマンダさんが顔を上げて私を見つめた。

「フィオナはどう思うんだい?」

「え、ええと、私は……同属性なら逆に対策は取りやすいかもしれない、と、何となく思っていますけど」

「じゃあそうしようか」

 あまりにもあっさりとアマンダさんがそう返してきて、私はぎょっとして目を丸めた。私の反応を可笑しそうに眺めた後、アマンダさんは肩を竦めて笑う。

「まずは情報収集だろ? 危なそうなら他の区域へ方向転換すればいいだけさ」

「確かに、情報が無い状態で悩んでも仕方ないか。フィオナ、火なら私も属性だからさ、火からにしようよ」

「う、うん」

 イルゼちゃんもそうして軽く肯定する。ジェフさんやグレンさんも異を唱える様子が無い。自分の意見が抵抗なく飲まれていく様子は微妙に不安な気持ちになる。落ち着きのない私を見兼ねたのか、グレンさんが静かな声でフォローしてくれた。

「同属性の方が対策しやすい、と言うのは私も同感です。むしろ敵の弱点属性を持つ方が、向こうも弱点属性には対策を講じているでしょうから」

「そういやぁ魔族ってのは魔物と違って、知恵があるんだもんなぁ。勘が狂うもんだな」

 私の意見に賛同した理由を丁寧に説明してもらえてようやく少し安堵する。余計に気を遣わせてしまったようにも思うけれど、皆さんが妙に私を優先的に扱ってくれるものだから、怖く思うことがあるのだ。

 とにかく私達は、まず火属性の魔族が封印されている火山の麓へと向かうことに決めた。

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