第26話

 イルゼちゃん達が稽古に出て一時間ほどが経ったのを見計らって、私は用意しておいた差し入れを持ち、二人が稽古をしている場所へと向かった。

 私が着いた時、ジェフさんとイルゼちゃんは並んで座り、此方に背を向けた形で話し込んでいて、邪魔になるかもしれないと、声を掛けることを躊躇った。だけどその隙に聞こえてきてしまった話に、思わず足を止める。二人が話している雰囲気もそうだったけれど、内容も思えば私が出て行くべきではない気がして動けない。前世も、こうやって足を止め、ヨルさんとイルゼちゃんの話を立ち聞きしてしまった。ヨルさんに立ち聞きを咎められたことを思い出しつつも、足が動かなくて、二人の声が静かになってからようやく足を前に出そうとした。しかし突然、背後から伸びてきた手が私の腕を引く。一瞬、身体が強張って――、でも、振り返ったら力抜けた。

「治安のいい街だけどね。あんたが一人で出歩く時間じゃあない」

「ごめんなさい……」

 多分、それをちゃんと自覚させる為、アマンダさんは声を掛けずに私を引っ張ったんだと思う。ヨルさんの時みたいに声が出なくて良かった……本当に危なかったら良くはないんだけど、まだイルゼちゃん達は此方に気付いていないようだったから。私の頭を小さく小突いた後、アマンダさんは優しく私の肩を撫でた。

「後悔は、あたしもあいつも、いっぱいあるんだ。機会を持ってきてくれたことを、感謝している。ジェフが何を選ぼうとも、あんたは何も後悔しなくていい」

「……はい」

 アマンダさんも二人の話を聞いていたらしい。もしかしたら私が宿を出た時から、心配してついて来てくれていたのかもしれない。優しい言葉にただ頷いたら、力強い手がぽんぽんと私の肩を叩く。

「おーい筋肉脳ども。フィオナが差し入れだってよー」

 いつの間にか私の肩から手を放していたアマンダさんが、ひょいと足を前に進めて二人に声を掛ける。同時に振り返る様子が、何だかちょっと可愛かった。ただイルゼちゃんは今の言葉に対して呆れた様子で眉を下げる。

「筋肉脳って……これ提案してくれたのアマンダじゃなかった?」

 だけどアマンダさんは聞こえなかったような顔をしていた。同じく筋肉脳だと呼ばれたはずのジェフさんは、アマンダさんのこのような言動には慣れているのか、全く気にした様子も無く豪快に笑っている。イルゼちゃんは諦めた様子で肩を竦めた。

「はい、お疲れ様。簡単なものだけど」

「嬉しいよ、ありがとう」

 差し入れを受け取ると、イルゼちゃんは柔らかな笑みを向けて私の頭を撫でた。同じくジェフさんにも渡したけど、ジェフさんの身体にはちょっと少なかったかもしれない。心配して見つめていたものの、それすらもジェフさんが気にする様子は無く、嬉しそうに大きな口を開けて一口で食べた。一口を想定したものではなかったので驚いて凝視したら、私の反応を見てイルゼちゃんが可笑しそうに目を細める。

「よーし、フィオナありがとう! 元気出た。ジェフ、もう一回お願い」

「おお。根性あるなぁ」

 二人が立ち上がったから、私とアマンダさんは街の入り口に向かって少し後退した。

「これきりで帰ってこいよー」

「怪我しないでね」

 私達の言葉に二人が明るい笑みで手を振ってくれたのを見守り、アマンダさんと一緒に部屋に戻る。そして宿に着くなりアマンダさんから「次からは声を掛けろ」「夜に一人で出るなよ」とお小言を頂く。「はい」「ごめんなさい」と肩を縮めて改めて謝罪した。

「――で、あんたは何してんだ?」

「え」

 私達が先に寝支度を済ませても、イルゼちゃんはまだ帰ってこない。アマンダさんはベッドに寝そべりながら、隣のベッドに座る私を見ていた。

「それ結構、見てて怖いんだが」

「あ、ごめんなさい、そうですよね」

 指摘を受ける私の周りには、沢山の魔法陣が浮かび上がっていた。ヨルさんの真似、ではないけれど。色々魔法について思案する時、どうしてもこのような状態になってしまう。当時は魔法を何も知らなかったから普通に怖かった。アマンダさんも魔法を扱う人ではないから、同じように感じるんだろう。

「先に寝たらどうだい、あんたはあんまり体力が無いんだから」

「そ、そうなんですけど、もう少しだけ」

 どうしても考えたいことがあって、キリが良いところまで進めたかった。だけど見ているアマンダさんは怖いだろうとは思うので、浮かべる魔法陣を全て壁際の方へと寄せる。怯えているというより、呆れたような目で見つめられていた。

「まあいい。あたしは寝るからね」

「はい、おやすみなさい」

 小さな溜息を聞き取るとどうしても申し訳なく思うけど。イルゼちゃんだって頑張っているんだから、私もこのままで居たくないと思う。足りない部分なんて、私の方がずっと多い。何もしないではいられなかった。何か、一つでも多く、何かをしなくちゃいけない。


 そうして、レノラの街に滞在してから四日が経過した、五日目の朝。唐突にジェフさんは私達の宿を訪ねてきた。奥様のリアさんも一緒に。

「俺も行く」

 短い言葉だった。奥様の表情を窺うも、彼女は会った日と何も変わらず、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「ちゃんとリアには話したんだね?」

「ああ、全部話した」

 しっかりと頷いたジェフさんを見て、アマンダさんは小さく頷くと、リアさんの方を向いて神妙な顔で頭を下げた。

「……リア。本当にすまない。あんたや子供達が居ることを知っていながら、この子らを此処に連れてきたあたしのことを、憎んでくれて構わない」

 心臓の奥が震えた。この人は、当事者である私ではなく、恨むならば自分をと言っているのだ。それは違うと言いたかった。だけど彼女の気遣いを容易に無下にも出来なくて言い淀む。するとリアさんは私達の顔を見て、ころころと明るく笑った。

「良いのよぉ、何だか最近元気が無いと思って話を聞いてみたら、うじうじ悩んでるし、女の子達やアマンダが頑張るって言うんだから、身体張ってあんたが守らなきゃいけないでしょって、むしろ私が引っ叩いたんだからぁ」

「ジェフあんた、自分から話したんじゃないのか!?」

「う、いや、話すつもりはあったんだが」

 こんなに大きな身体をしていて、私よりずっと歳上のはずなのに、視線を泳がせているジェフさんは親に叱られている小さな子供のように見えた。隣に立つリアさんはそんな彼を見て呆れた様子で首を振りながら、結構な勢いで本当に腕を引っ叩いていた。

「情けないでしょう、結局こういう人なのよねぇ。いい加減、しゃんと大人になって、男になって来なさいってことでね。まあ揉んでやって頂戴な」

「お、奥さんすごいな……」

 イルゼちゃんの感想と共に私も、何だかリアさんの方が強そうだと思ってしまった。失礼かもしれないから言わないけれど。

「子供らに胸張れる顔して帰ってきなさいよ」

「ああ、約束する。しばらく留守にするが、子供達を頼む」

「勿論、任せて頂戴」

 待つ家族が居る人を、危険な旅へと連れて行く。それを申し訳ないと思う気持ちは、私の中からどうしても無くならないけれど、私へと明るい笑顔を向けてくれる奥様の気遣いも分かっている。この旅も前世のように、色んな人の力を借りていくことになる。今度こそその結果が、悲しいものにならないように、絶対に務めよう。

「毎日手紙も書く!」

「ほどほどで良いわねぇ」

 ちょっと呑気な会話に笑ってしまったものの、ジェフさんは既に旅の準備が出来ているとのことだったから、今日の午後に私達はこの街を発つことに決めた。

 勿論、その前に話し合うべきことがある。次の、行き先についてだ。

「最初の目的地は何処になるんだ?」

 ジェフさんの問いに、アマンダさんは私を窺った。恒久の礎のある場所、つまりは魔族の封印地を知るのは私だけだから。けれど、私はその前に向かいたい場所があった。

「あの、それなんですけど」

 目的地を言い渋ることに、皆は不思議そうな顔を見せる。私の中で伝えたい気持ちは強いのに、口に出すのは相変わらず、ちょっとだけ怖い。

「……お二人は、グレンさんと会うことはお嫌ですか?」

 瞬間、いつも優しい表情を浮かべてくれているジェフさんの眉が真ん中に寄って、身体が強張った。勝手に声が、震えてしまう。

「わ、私は、グレンさんにもやっぱりお手伝いをお願いしたくて、その、……いえ、折角お二人が来て下さるので、無理にとは……」

 どんどん不安になって尻すぼみになってしまう。イルゼちゃんが私の肩を抱いて、ゆっくり撫でてくれた。怖がらなくていいって言ってくれているみたいだ。だけど伝えている二人が何も言わなくて、緊張は解けない。幾らか視線を彷徨わせた後、アマンダさんを窺った。彼女も、険しい表情をしている。だけど目が合った瞬間、私に対しては優しい目を向けてくれたように見えた。

「いや、それはあたしも言おうと思っていた。あいつは来るべきだ、誰よりもな。ジェフはどう思う?」

「同意見だ。そもそも此処に居ないことに疑問を持ってる」

「ああ、本当にな」

 二人の声が怒っているみたいに聞こえた。私に対して向けられているものじゃないのは分かっているのに、それがとても、怖かった。ずっとイルゼちゃんが肩を抱いてくれていなかったら、立っていることも出来なくて座り込んでいたかもしれない。

「グレンに会いに行こう」

 私達は、彼に会う為に四人で王都へ向かうことにした。それがどんな結果になるのかは分からない。私は彼らの痛みの本当の部分を少しも知らないし、三人がどんな風に別れたのかも聞いていない。それでももし、グレンさんだってお二人と同じように、自らの手でルードさんを取り戻すことを望んでいるとしたら。絶対にそれを叶えてほしかった。

 それこそ、私の我儘でしかないのかもしれないけれど。

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