第25話

「所帯持ちのあんたに今すぐ答えをくれと言うつもりはないさ。リアとも、子供達とも話し合う必要があるだろう。むしろ同意なく勝手を通すつもりならあたしが許さん」

 厳しい言葉を放つアマンダさんに、ジェフさんは笑いながら頷いた。垂れさがった眉を見る限りは、悩んでくれているのだと思う。来てくれればとても心強いし、嬉しい。だけど、見送る家族が泣くならば、『悪』じゃないと胸を張ることは出来ないと思った。多分アマンダさんの方がずっと、この旅の本当の意味を知ってくれているんだと思う。

「しばらくこの街に滞在する。答えが決まったら教えてくれ。それと滞在中に、もし良ければなんだが――」

 不意にアマンダさんはイルゼちゃんを振り返った。イルゼちゃんはこういう話し合いの場でほとんど発言をしない。自分に話が振られることを想定していなかったらしく、お茶に伸ばし掛けた手が半端な位置で止まり、首を傾ける。

「ちっとこの子の稽古に付き合ってくれないかい?」

「あー、そうだった」

 呑気なイルゼちゃんの反応に、アマンダさんは呆れた様子で目を細めたけれど、何も言わずに飲み込んでいた。そしてジェフさんに事情を説明して、イルゼちゃんには沢山の実戦経験が必要だと伝えていた。するとジェフさんは憂いのない満面の笑みで頷く。

「それくらいなら喜んで手伝おう」

「ありがとう、本当に助かるよ」

 早速、今夜からでも付き合ってくれるらしい。イルゼちゃんも嬉しそうにしていた。

 そうしてしばらくこの街に滞在することに決めた私達は、外れの宿屋に部屋を取った。普段、アマンダさんがこの街に訪れる場合のほとんどはジェフさんのお宅に泊まるそうだけれど、今回は私とイルゼちゃんも居て三人になるので、流石にお邪魔するには負担が大きい。尚、今回も前世同様、王様からそれなりに路銀を頂いてしまったので、懐の問題は特に無かった。

 ただ、期限が決まっていた前世の旅と今回は違う。のんびり世界周遊をしていたら流石に何も支援してくれなくなるだろう。あまり路銀を消費し過ぎることなく、かつ、魔物の素材は出来るだけ換金しておこうと思っていた。この旅は、いつまで掛かるかがまるで分からないものだから。


* * *


 ジェフとの稽古の為、イルゼが宿を出たのは日暮れ頃だった。街の東の門付近で二人は稽古の目的で手合わせをしていたのだが、一時間ほどが経過した頃、大剣を肩に休めてどっしりと立っているジェフに対し、イルゼの長剣は地面すれすれまで落とされ、彼女は肩で息をしていた。

「そろそろ休むかぁ?」

「こ、この、体力、お化け……」

 乱れた呼吸の中、途切れ途切れに零された悪態に、ジェフは大きな声で豪快に笑う。彼はその大きな体躯と変わらぬほどの長さの大剣を振り回してイルゼを相手にしていたにも拘わらず、一切、呼吸を乱していない。

「お前さんも若い娘にしちゃあ、えらい体力のある方だ」

「錆落としとか、ジェフ、全然要らないでしょ」

「そんなこたぁ無い、良い運動になっとるわ!」

 ガハハと笑うジェフの余裕ある姿に、剣を上げる体力すらも搾り取られていたイルゼは降参するように肩を竦めてから、長剣を一度、鞘へと納める。それを見たジェフが、門付近に並んでいた丸太の一つに腰掛けた。イルゼも移動し、その隣へと座る。

「身体さえ慣れちまえば俺なんかあっさり追い抜かれるわ、例え全盛期でもお前さんには敵わんだろうさ」

「口が上手いね」

「いやいや本心だ」

 彼との差が、剣の迷いや乱れのような紙一重の差ではないように感じたのか、イルゼは苦笑を零しながら首を傾けている。しかしそれでもジェフは、迷いさえ消えればイルゼの剣は更に速くなるだろうし、剣筋の単調さも消えると言った。今、イルゼは剣を振る際に考えていることが多すぎて、基礎に沿っただけの剣になりがちなのだ。その指摘にはイルゼも覚えがあったようで、無言で頷いていた。

「ところで、ジェフはなんで勇者に付いてったの? あ、話したくなかったらいいけど」

「はは、気遣いなさんな、もう十七年も前のことだ、泣き出したりせん」

「流石に大男にサシで泣かれたら困るよ……」

 イルゼの言葉にまた豪快に笑いながらも、過去を語ろうとするジェフの目は遠くを見つめ、その瞳の奥は深い寂しさを宿した。彼は、大神殿に眠るルードが勇者として選ばれるよりも以前に出会い、ルードと共に旅をしていた。大きな目的も無く、単に世界を見て回っていただけのルードの旅に、傭兵業をしながらも付いて行くようになったのだ。そんな簡単な説明のみグレンから聞かされていたイルゼは、彼がそうしたことの理由に、興味が湧いたらしい。

「俺はなぁ、元々鍛冶屋の息子なんだ、生まれた時から親父に鍛冶のいろはを叩き込まれたんだが、まあガキってのはじっとしていられんもんだ。寝食も忘れて金属の塊に向き合い続ける親父のことは、当時の俺には少しも理解できなんだ」

 そうしてジェフは、結局、鍛冶屋を営む父からの教えを真っ当に聞くことも出来ないまま、若くから家を飛び出して、傭兵としてあちこちの町に移り住み、気儘に生きていた。そんな生活の中で、ルードに出会った。二人が十八歳の時だったと言う。

「まあ簡単に言うとな、あいつに惚れ込んじまったんだなぁ。男から見ても本当にあいつは格好良くてなぁ。小せえ身体で大剣ぶん回して、飛び掛かってくる魔物に怖い顔なんて全然しねえで大立ち回りよ」

 ルードという青年はジェフのような恵まれた身体は持っていなかった。石像を見たイルゼにもそれは分かる。おそらくイルゼよりも幾らか背が低いだろうから、男性としてはかなり小柄な人だったと思われる。勇者の剣を得る以前からそんな彼が大剣を振るっていたというのは、確かに、傍から見ればとても勇猛な姿に見えたことだろう。

「で、そんだけ身体張って何を守ったんだと思ったら、野に咲く雑草みてえな花だったりしてな」

「魔物から花を……?」

「ばかだろう? ああ、あいつは大ばかだったんだ!」

 そう言うと、ジェフは膝を叩いて笑っていた。当時もそうして大きな声で笑ったのかもしれない。けれど一頻り笑って、顔をくしゃくしゃにしていた彼の横顔は、泣いているようにも見えた。

「でもなあ、太陽みてえな男だったのさ。俺みてえにいい加減な奴にはな」

 続いた声も、ジェフが放つにしては弱々しく、言葉尻が掠れていた。

 そして少しの沈黙の後、空気を切り替えるようにしてジェフは膝をぽんと一つ叩く。その仕草がイルゼの目には、少し、アマンダに似ているような気がした。

「あいつが居なくなった後、俺は実家に帰ってもう一回、親父に頭下げて弟子にしてもらってなぁ、一から鍛冶の勉強だ」

「何で?」

「ああ、何でだろうなぁ。……とにかく、何も考えられなくなるくれえに、打ち込めることが欲しかったんだろうなぁ」

 ルードがあの神殿で封印を施した時、彼とジェフは二十歳だった。二年を共に過ごしていた片割れを失い、そのまま傭兵業を続けたとしても、隣から居なくなった存在ばかりを考えてしまう。彼はそんな痛みを、受け入れることが出来なかったのかもしれない。

「……フィオナを失った後の未来なんて、私は生きたと思えない」

 強い感情ばかりを詰め込んだような、しかし静かな声をイルゼは零した。ジェフは黙って、彼女の横顔を見つめる。

「フィオナが『元気で幸せに』って言ってくれたから、最初だけは何とか生きようとしただろうけど。多分数年くらいで音を上げて、大神殿に戻って勝手に腹でも掻っ捌いて死んだと思う」

 前世のイルゼにとって、フィオナは全てだった。彼女の為だけに生きていたと言っても過言ではない。イルゼを知る全ての人が、それを否定することは無いだろう。おそらくは、今世でも。

「私は失わなかった。一緒に死なせてもらったから、失った後を十七年も過ごしたジェフ達の気持ちは分からない。だけど自分が『そうだったら』って考えたら、今も、気が狂いそうになるくらいに怖い」

 イルゼの手が震えている。フィオナは確かに今も傍に居る。ずっと一緒に居ようと何度も何度も約束を交わした。それでも、イルゼにとって何よりも恐ろしいのは、彼女を失う未来だ。

「だから私はあの仕組みが今も憎い。絶対に許せない。壊したい。この先、何度生まれ変わっても二度とフィオナが選ばれることが無いように」

 女神はフィオナを『勇者の器に足る魂』と言った。前世、数え切れないほど存在していた人類の中で『最も丈夫な魂』として選ばれてしまったフィオナの魂は、目に見えなくとも間違いなく、特別なものだ。いつかまた選ばれてしまうかもしれないことを思えば、今の封印に何の危うさも無かったとしても、イルゼにとっては絶対に壊してしまいたいものだった。

「ジェフ、一緒に来られなくてもいいよ。今こうして力を貸してくれるなら、私が全部持ってくから」

「……お前さんも格好いいなぁ。『もう一人の勇者』と呼ばれたことがよく分かる」

「やめてよ、本当、柄じゃない」

 イルゼは軽く眉を下げて笑う。フィオナの役割を代わってやりたいと思う気持ちはあれども、イルゼは自らがそれに相応しいと感じたことは一度も無い。彼女は、フィオナのことだけを想い、世界を想わない。もしも世界がフィオナを傷付けるならば、イルゼはきっと世界を敵に回すだろう。そんな心持ちを、勇者に相応しいものだなんて、とても思うことが出来なかった。

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