第24話 赤レンガの街 レノラ

 到着した街はレノラと言った。此処にジェフさんが住んでいるらしい。緊張した思いで私は足を踏み入れたのだけど、その中はまるでおとぎ話みたいな景色が広がっていて、一瞬、緊張を全て忘れてしまった。

「わあ、すごい、お洒落な街!」

「へぇ~なんか可愛いねー」

 全ての建物が赤いレンガを基調に作られていて、舗装された道も白と赤の石が敷き詰められている。アマンダさんが言うには、このレンガが街の名産品であるらしい。一目で分かるようにすることで、必要な時に「レンガと言えば」と、この街を思い出してもらうのが狙いであるようだ。確かにこの光景を忘れることはもう出来ないと思った。

「とは言っても、ジェフはこの街にゃ似合わない、むさくるしい大男だよ。とりあえず会いに行くって話は、手紙で出してあるが」

 この風景を見慣れているらしいアマンダさんは、脇目も振らずに大通りを真っ直ぐ歩いていく。一方、私はあちこちに視線を向けていたせいで何度か躓き、その度にイルゼちゃんに受け止められていた。そして一度はぐれそうになった。二人共、呆れた顔をしつつも笑ってくれたのは幸いだ。本当に申し訳ない。

「ほら、此処だよ」

 そうして辿り着いたジェフさんの鍛冶屋も、同じく赤レンガで作られた建物で、とても可愛らしい外装をしている。

「鍛冶屋のイメージが覆るよね」

 イルゼちゃんがそう言って笑った。鍛冶屋はどの街も、多くが無骨な雰囲気を放っている。だけどこの建物にそんな雰囲気は一切無く、中に刃物が並んでいるなんてまるで想像が出来ない。私達の反応を可笑しそうに眺めた後で、アマンダさんは入り口の扉を開いた。

「いらっしゃ……、おう、アマンダか」

「ああ、ジェフ、相変わらず窮屈そうだね」

 店内の奥で座っていた男性は、顔を上げてアマンダさんを見るなり、嬉しそうな笑みに変わる。彼は明らかに身体のサイズと合っていない小さな椅子に腰掛け、刃物を研いでいた。のそりと立ち上がったその人を見て、思わず一歩、後退する。

「ダンさんより大きい……」

 多分、今までに会った誰よりも大きい。イルゼちゃんが笑いながら私の肩を引き寄せてくれた。いや、大丈夫、笑顔が優しい人だから怖い訳じゃないよ、大きくて、びっくりしたと言うか。ううん、やっぱりちょっと怖い。

 店に並んでいるのは剣などの武器よりも、調理道具としての包丁や、畑仕事用の鎌やクワが多く、彼の身体が大きいということ以外は、可愛い外装に対して大きなギャップを感じなかった。ジェフさんは笑顔のままで、私とイルゼちゃんを見て小さく首を傾ける。

「可愛らしい女の子なんて連れて、一体どうしたんだ?」

「会いに来るとは連絡しただろ?」

「いつ来るとも何しに来るとも言わん手紙じゃあ、事前連絡の役には立たんだろうが」

 眉を下げて苦笑いを零したジェフさんの言葉を聞き、私とイルゼちゃんがアマンダさんを見つめた。

「アマンダ……」

「まあまあ。細かいことを言うなよ」

 事前に手紙も出したと聞いて、すごくしっかりした人だと思っていたけれど、結構、横着な人であったらしい。呆れている私達の気配を察したのか、アマンダさんが振り払うようにぷらぷらと手を振る。そしてそのまま、ジェフさんの手元を指差した。

「とりあえず、危ないから刃物を置きなよ、ジェフ」

「ん、おお、すまんな、お嬢さん方を怖がらせるか」

「いいや。今からビビるのはあんただよ」

 そんなアマンダさんの言葉に、ジェフさんは不思議そうに首を傾けながらも刃物を置いた。それを見守ったアマンダさんは私を振り返って、とんとんと指先で首元を示す。それに小さく頷いてから、ハイネックのボタンを外した。

「用があるのはこの子のことでね」

「それは――」

 彼の目は大きく見開かれ、私の持つ勇者の紋に釘付けになっていた。もしまだ彼の手の中に刃物があったなら、そのまま足元に落としてしまっていたことだろう。しばらく唖然としていたジェフさんは何とか口を開くも、その声は震えていた。

「一体、どういう、ことなんだ」

「それを話しに来たんだ。聞いてくれるね?」

「……ああ、すぐに店を閉じる、奥に入ってくれ」

 何処か焦った様子で頷いた彼はそう言って、再び刃物を手にした。片付ける為なのだろうけれど、その手は遠目に見ても震えていて、少し心配になる。アマンダさんも同じように思ったのか、「気を付けなよ」と軽く声を掛けていた。

「おい、客人だー、奥の部屋に通しておいてくれんかー」

 ジェフさんは奥へと続く扉を開くと、大きな声で誰かに呼び掛ける。すぐに柔らかな声で「はーい」と返事が聞こえた。十数秒後、ひょいと顔を出した小柄な女性が、彼の奥様なのだろう。アマンダさんを見付けると、ぱっと明るい笑みを浮かべた。

「あらぁ、アマンダ、久しぶりねえ」

「久しぶりだね、リア。子供らも元気かい」

 親しみを込めて名前を呼ばれるアマンダさんの表情も柔らかい。奥様は私とイルゼちゃんにもにっこりと笑って、奥へと案内してくれた。

「そりゃあもう、元気過ぎて毎日困ってますよ、今はねえ、学校に行っているの」

「もう学校に通う年か」

 私は会話を聞きながら、この家の穏やかな空気に触れながら、微かに眉を寄せてしまった。こんな温かな家庭を持っている人に命を懸けることを願うのは、『善』だって胸を張れるのだろうか。

「選ぶのはジェフだ、フィオナ」

 奥様がお茶を用意して下さると言って少し外した時、私の心情は分かっていると言うように、アマンダさんが私の肩をぽんと叩いた。

「せめてあいつにも、あたしと同じ機会だけは与えてやってくれ。無理強いさえしなけりゃいい」

「……はい」

 そうだ、最初から、この旅は本人の意志次第だと考えていたはずだ。家庭があろうと無かろうと、命を懸けるのはそんなに容易い決断じゃない。自分の今と未来と、そして過去と、どう向き合って、どう受け止めていくかは本人だけが決められることだ。頭では分かっているから頷いた。だけど私の心は未だ、追い付いていなかった。

 奥様がお茶を出してくれて、数分後に、ジェフさんが部屋へと入ってくる。忙しなく正面の椅子へと腰掛けた彼は、再び私の紋章を食い入るように見つめた。それが彼の知るものと同じであることを、改めて確かめるように。

「聞かせてくれ、お嬢さん、その紋章は本物なのか? 一体、何がどうなっている?」

 不安そうな表情が、私の説明で和らぐとは思えなかったけれど。私は簡潔に、事情を説明した。そして、ジェフさんに会いに来た理由を述べる。

「出来ればジェフさんにもご協力頂きたいと、そうお願いしに来たんですけど、その……」

 私の覚悟の方がまだ、出来ていない。最初から分かっていたのに、言葉が出なくなって、視線を落としてしまった。再びアマンダさんの手が私の肩に触れる。呆れさせてしまったかと思ったけれど、私を見つめてくれる目は優しかった。

「ジェフ、あんたが家庭を持ってるからね、命を懸けるような旅に誘うのを躊躇ってんのさ、この子は」

「うむ……」

 ジェフさんは大きく息を吐き、テーブルに視線を落としている。眉を寄せ、何度か唸った後で、今度はアマンダさんの方を向いた。

「アマンダが此処に居るっつうことは」

「ああ。同行する。チャンスがあるならこのままにしておけない。ルードを助けてやりたい」

 彼がその気持ちを分からないと言うことは無いだろう。何度も頷き、「そうだな」と言うものの、表情は険しいままで、頭を抱えてしまった。私の胸が苦しくなる。彼が抱く葛藤を運んできたのが自分であることの罪悪感が湧き上がっていた。

「確かに家族を置いて行く心配はある。だがそれ以前に俺は、足手まといになるかもしれん。もう長く剣を振るっていないんだ」

「……フィオナ」

 ジェフさんの言葉に直接答えず、アマンダさんは私を振り返った。

「あたしに言ったのと同じ言葉を言えるかい?」

 優しい声だった。それは私に向けてくれたものなのか、ジェフさんに向けたものなのか分からない。多分彼女のことだから、両方だと思う。不思議そうに私を見つめるジェフさんの視線にすぐに応えることが出来ず、一度ぎゅっと目を閉じてから、大きく息を吸い、改めて、彼を見つめ返した。

「私達以上に、……勇者の結末を知っている人以上に、この旅に命を懸ける理由がある人は、居ません」

 瞬間、ジェフさんの喉が震えたのが聞こえた。

「……そうか、君は」

「ああ。そうなんだよな、フィオナは、あたしらに後悔を拭う機会をくれてるんだよ。自分の身だけが大事なら、自分の後悔だけを拭うなら、同行はあたしらじゃなくたって良かったんだ」

 言えたことを褒めるみたいにして、アマンダさんの手が私の肩をぐしぐしと撫でている。だけど彼女の言葉はちょっと、過大評価だと思って、慌てて口を開いた。

「あの、いえ、そ、それも含めて、自分の罪滅ぼしで」

「何だっていい。あたしらにやり直すチャンスをくれようとしたことに変わりない」

 次はちょっと乱暴に頭を撫でられたので声を出すことが出来なかった。逆隣りに座っていたイルゼちゃんが、苦笑しながら私の頭を回収するみたいに引き寄せて、乱れた髪を整えてくれる。そのままついでに頭も撫でてくれるものだから、イルゼちゃんにまで褒められているみたい。くすぐったくて思わず私は、肩を縮めていた。

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