第23話
もう一人の仲間、ジェフさんが住んでいるという町まで、あと二日くらいの位置だった。どうしても森の傍を通らなくちゃいけなくて、出来るだけ距離を取って進んでいたのだけど、魔物の巣が近くにあったのか、いつもより多くの魔物に襲われてしまう。
一体一体は特別強いわけじゃなかったから早撃ち出来る弱い魔法でも充分に戦えた。だけど、一体だけかなり大きい魔物が居て、それはイルゼちゃんが相手をしてくれていた。仕留めた時、多分、ほんの少し安堵感から気が緩んだんだと思う。他の小さい三体が一斉にイルゼちゃんに飛び掛かり、そして彼女の剣が刹那、固まった。
「イルゼちゃん!!」
私は、自分と対峙していた魔物へ向けるはずだった魔法を、咄嗟にイルゼちゃんの方へと放つ。それは間違いなくイルゼちゃんへ迫った魔物らを退け、止まっていたイルゼちゃんの剣がその隙に他の魔物らも仕留めていく。もう大丈夫だ。ほっと息を吐いたと同時に、背後で小さくアマンダさんが舌打ちしたのが聞こえて、身体を強張らせた。
「……っ、ありがとうございます」
聞こえたかどうかは分からない。私が放置した魔物らは、アマンダさんの矢が仕留めてくれていた。その後は特に誰も危なげなく、残りの魔物らも倒すことが出来た。数体、森の方でまだ私達を窺っている様子だけれど、敵わないと見たのか、襲ってくる気配が無い。
「ごめん、フィオナ、さっき助かっ――」
残党が無いのを確認して、剣を納めたイルゼちゃんが振り返りながらそう声を張ると同時に、私は、背後に立ったアマンダさんに首根っこを引っ張られた。
「このばかたれ!」
「いッ!」
直後、頭頂部にゴンと鈍い音と衝撃。頭全体に響くような痛み。私は両手で恐る恐る、打たれた場所を押さえた。視界の端で、イルゼちゃんが大きな口を開けて目を丸めていた。
「ちょ、ちょっと!? フィオナに何すんの!」
「あんたもだよ!」
「いだァっ!?」
心做しか、駆け寄って来たイルゼちゃんを打った音の方が大きかった気がする。まだじんじんと痛む頭を片手で押さえたままで顔を上げる。イルゼちゃんも両手で頭を押さえていた。
「いっつ……何すんの! っていうかフィオナ、大丈夫?」
それでもイルゼちゃんが自分の頭を押さえたのは一瞬だけで、そのまま私に駆け寄ると、腕の中に閉じ込めて何度も私の頭を撫でてくれた。もうそんなに痛くない。私も手を伸ばしてイルゼちゃんの頭を撫でる。私を見下ろすイルゼちゃんの目が、僅かに優しく垂れた。そんな様子を眺めていたアマンダさんは、あからさまに呆れを表現して大きく息を吐く。
「何、じゃないんだよ、ばかたれ。良いかい、まずフィオナだ。人を守る前に先に自分だ。イルゼ、あんたは見てなかったから知らないだろうけどね、この子はさっき、自分に迫った魔物お構いなしにあんたを守ろうとした」
「えっ……」
私の頭を撫でていた手が止まる。イルゼちゃんからも、間違いなく怒られるだろうと思った。イルゼちゃんの方を見ることも出来なくて、黙って肩を縮める。
「フィオナ、あたしにイルゼのサポートを頼んでくれたんだったら、イルゼのことはあたしに任せるんだよ。一体どっちをサポートすりゃいいのかあたしが混乱するだろ!」
「は、はい、ごめんなさい……」
全く以てその通りで、返す言葉が無い。一体何の為に、イルゼちゃんが不在の時にわざわざアマンダさんに支援を頼んだのかということになる。あの瞬間、正直、頭が真っ白になっていた。私は治癒術も扱うことが出来る。だけど、私が倒れてしまったら、他に扱える人は此処に居ない。急所へ攻撃されるのを避けるような反射神経も無いのに、私が捨て身を使うのは最悪の手段だった。ちょっと涙目になっていた。私があんまりにも落ち込んだせいか、イルゼちゃんからは追撃が無く、彼女の腕はまだ私を温めるみたいに抱いていた。
「次にイルゼ!」
「う、な、なに」
「あんたの剣がうろうろしてんのは、前世の記憶にまだ慣れてないせいじゃないかってフィオナは言っていた」
容易くばらされてしまったけれど、今回みたいにはっきりと影響が出ているのが分かってしまえば、ちゃんと話し合うべきなのかもしれない。腕の中からイルゼちゃんを見上げる。今度はイルゼちゃんの方が、口を一文字に引き締め、ばつが悪そうに、私から視線を逸らしていた。
「フィオナにも分かるくらい、あんたの剣筋は不安定だ。自覚が無いとは言わせないよ、分かってるね?」
「う、うん……分かって、る」
「じゃあもっと早く、あたしらが察知するまでもなく、サポートが必要だと自分から言うべきじゃないのかい? 今まで目立ったへまが無いから黙っていたけどね、これじゃあ命がいくつあっても足りないよ」
イルゼちゃんは何も言い返すことが出来ずに沈黙した後で、小さく「ごめん」と唸るように呟く。アマンダさんがまた、短い溜息を零す。呆れてしまったのかと思ったけれど、次に発せられた声はとても優しかった。
「あんたらがこうやって多少ばかやっても、あたしはちゃんと守ってやれるからね、フォローはあたしに任せて、自分のことに集中しな。いいね?」
折角こうして旅を手伝ってくれるというのに、迷惑を掛けてしまったと不安になっていたけれど。アマンダさんの目は私達を思い遣る色をしていた。アマンダさんから見てもきっと私達は子供で、過保護なグレンさんとはまた違う形で、私達を守ろうとしてくれているのを感じた。私はイルゼちゃんの腕から出ると、きちんと彼女に身体を向けて、頭を下げる。
「はい、ごめんなさいアマンダさん、守ってくれてありがとうございました」
「私もごめん、気を付ける」
「よしよし、いい子だ。じゃあ少し行ったら休憩しようか」
彼女の両手がパンと小気味いい音を立てた瞬間だけ、ちょっと忘れかけていた頭頂部がじんと痛みを訴えた気がした。自業自得なので文句は無い。ちらりと見上げたイルゼちゃんも、軽く頭を擦っていて、ちょっと可笑しかった。
そしてアマンダさんの提案通り、見通しの利く位置まで進んだ所で休憩をした。お昼にも丁度いい時間だったので、用意していたものを二人に手渡す。木漏れ日を受けながらのんびりサンドイッチを食べ、スープを飲んでいると、ただのピクニックをしているみたいで時々気が抜ける。周りに魔物が居ないことはいちいち確認しなきゃいけないけれど。一息ついたところで、アマンダさんが膝をぽんと軽く叩く。
「フィオナは自分のことに集中するとして、ともかく。問題は、イルゼだね」
「うーん……」
私はともかくと言われたのは正しいのだけどちょっと寂しい。でも実際、私は自分の不注意以外の原因が無いので、ぐうの音も出なかった。石像のように静かになっている私に気付くことなく、イルゼちゃんも腕を組んで首を傾ける。
「フィオナが考えてた理由であってんのかい?」
「そう、今の自分と、前の自分、どっちの剣を振るうか咄嗟に迷う」
素直にそう告げるイルゼちゃんの表情は幾らも複雑そうで、その胸中が、彼女を迷わせる一番の原因であるように思えた。
「前世の方が強かった。王都騎士を目指してた兄貴らと一緒に学んでたからね、今の剣はほとんど我流に近いよ、勿論、教えてくれた人はいるけど」
今の自分が前世と比べて劣っていると口に出来るのは、私は強さだと思う。だけど、イルゼちゃんは苦し気な表情を浮かべていた。
今世のイルゼちゃんに剣を教えたのは、過去に少しだけ傭兵業をしていたという、村のおじさんだ。今のイルゼちゃんも充分に強いけれど、私の目からも剣筋は確かにまるで違うものであるように思えた。その違いが少ないものであったなら、もっと戸惑いも少なかったのかもしれない。
「だから頭では『前の剣筋』を選ぼうとして、身体は『今の剣筋』に向かっちまうわけだね」
「うん、そんな感じ」
私も一緒に対応を考えてみるものの、やはり前世の記憶が馴染むまで待つことが賢明ではないかと思ってしまう。だけど、それならいつまで掛かってしまうか分からない。それに、剣に詳しくない私が下手に口を出すのも違う気がして、何も言えなかった。だけどアマンダさんは納得したように大きく頷いた後、あっけらかんと、まるで結論を出したように告げた。
「別にどっちか一つにすることは無いよ。どっちも使いな」
「えぇ……」
「あんたは充分強いよ。そのあんたが『咄嗟』に選ぶ剣が間違いだなんて誰が言える? 両方混ぜた剣にでもしちまえばいいだろ」
何の疑いも無くそう言い放つ彼女に、険しい表情をしていたイルゼちゃんも、力が抜けた様子で眉を下げて笑った。
「アマンダって豪快だなぁ」
だけど言葉にすごく説得力があった。アマンダさんが「間違いない」って信じて口にしてくれるからだと思う。どうしてか、傍で聞いている私も安心してしまうくらい。イルゼちゃんもきっと同じだと思った。
「後は実戦あるのみ。ジェフに会ったらあいつの錆落としも兼ねて、手合わせしてもらえばいい。たっぷり練習してしっかり身に付ける。その上でやっぱり『前』がいいって思うなら、そっちを身体に叩き込むんだ」
「つまりどっちにしたって、手合わせ形式で身に付けるしかないってことか」
「そういうことだね」
頷いたイルゼちゃんの表情から憂いが消えていた。改めて、アマンダさんが来てくれて本当に良かったと思う。彼女を少しでも救いたいなんて、ちょっと烏滸がましかったかな。きっとこの先も沢山、この人は私達を守って、導いて、助けてくれる人だって確信していた。
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