第22話

 翌朝、山菜と川魚を使った朝食を振舞ってくれたアマンダさんは、美味しいと言って完食した私達をにこにこと眺めた後で、不意に真剣な表情を見せた。

「旅に、あたしも同行するよ。ルードを救う手伝いをさせてくれ」

「……はい! ありがとうございます!」

 彼女の言葉に、私は思わず表情を明るくする。隣のイルゼちゃんも何処か、安堵したような顔をしていた。

 アマンダさんは昨夜の内にもう意志は固まっていたそうで、すぐに出発の準備は整った。昼になる前に私達はラカンの村を出発する。尚、アマンダさんが処置してくださった私の脚は無事、軽い筋肉痛を残すだけだった。歩くのも儘ならない状態であの山道を下れる気がしなかったので、少しほっとしている。何にせよ、下る必要はあるんだけど。

「ところで気になっていたんだが、グレンは何故、同行していないんだ?」

「あ、ええと」

 私達が登ってきたのと違う山道を選び、先行して歩いてくれているアマンダさんが徐にそう問う。私が言葉を選んでいると、イルゼちゃんが全く言葉を選ばずに回答してしまった。

「あー、二人、えーとアマンダともう一人の、ジェフ? に会いたいって話をしたら、自分は二人に嫌われてるから行けないって」

 何も間違っていないし全て事実なんだけど、ちょっと表現が雑と言うか。私は慌てて、グレンさんは自分が同行すると交渉が上手く行かない可能性があると考えていた――と言い直し、そして同行はしていないけれど全面的に支援して頂いている状況だと補足した。グレンさんに会ったことや大神殿に同行してくれたことは昨日の内に話していたのだけれど、彼が二人に会えないと言った部分は角が立つかもしれないと省略していたのだ。アマンダさんは私達の言葉を、眉を寄せて聞いていた。

「そうか、まあいい。とにかくまずはジェフに会いに行こう。あいつ、今は違う町に居るんだよ」

「あ、そうなんですね」

「アマンダに先に会いに来て良かったね」

 イルゼちゃんの言葉に私も笑いながら頷く。向かう順番を決めたのは、特にそのような予想を持っていたわけではなく、王都から向かうには此処、ラカンを通ってからもう一つの街に向かった方が効率が良かったからだ。実際は違う場所に居るということで効率の話は無くなったものの、空振りをしなくて済んだのは幸いだった。

 もう一人の仲間であるジェフさんと、アマンダさんは今も交流があるらしい。グレンさんと仲違いをして港町を離れた後も、彼はアマンダさんを山奥の村ラカンまで送り届けてくれたそうだ。一人でも帰れるとアマンダさんは言ったようだけれど、魔王を封印した直後はまだまだ魔物も多いことから彼は酷く心配して、アマンダさんの言葉を借りると「勝手に付いてきた」とのこと。「心配性なんだよな」と笑う彼女の声は柔らかく、仲が良いんだってそれだけでよく分かった。

「ただ、どうだろうな。あいつは今、所帯持ちなんだ」

 ジェフさんは勇者様との旅を機に傭兵業を辞め、今は鍛冶屋をしているらしい。十年ほど前に結婚し、二人の子供が居る。魔王封印が十七年も前であることを思えば、あり得る話だと言うのに、正直のところ予想できていなかった。家族を守っている人は、旅に出るなんて難しいかもしれない。

「とりあえず、あたしも説得には協力する。今からあれこれ考えても仕方がないな」

 軽く振り返ったアマンダさんは、ついさっきまでの難しい顔を消して、明るく笑っていた。多分私が、不安を抱いたことに気付いてくれたんだと思う。お礼を言いながら、アマンダさんの背を追った。

 アマンダさんが案内してくれている今回の経路は、登りよりずっと傾斜が緩やかな道だ――と思ったら突然、私の身長近い高さの段差が出現する。イルゼちゃんとアマンダさんは普通に飛び降りていたけれど、私は足を挫きそうなので、仕方なく風魔法で着地時に少し身体を浮かせた。あんまりこういう使い方は得意ではない為、使い過ぎると魔力が切れてしまうのだけど、背に腹は代えられない。

「登るにはこういう大きな段差は大変だが、下るときはマシだろ」

 アマンダさんやイルゼちゃんでも流石に飛び降りるのを躊躇うような段差は、ロープを使って下りる。確かにこの高さ、私はロープを使っても登れないだろうけれど、降りる方は何とかなった。手や腕の力は結構使っているものの、それは登りの時も滑落しないように各所のロープにしがみ付いていたので、あんまり変わらない。

 相変わらず、頼りない私の為にイルゼちゃんやアマンダさんが時々手を貸してくれて、何とか怪我も無く山を下りることが出来た。行きとは違う方角へ山を下りたけれど、アマンダさんの案内もあって麓の町にもすんなり到着して、そこで一泊の宿を取る。まだ日は暮れていないが、私の体力がもうあんまり残っていない。部屋でぐったりしていたら、イルゼちゃんがよしよしと頭を撫でてくれた。

「フィオナ、今日も頑張ってたね」

「流石にもうちょっと……体力を付けないとね……」

「無理しないでいいよ。フィオナは身体が小さいし、大きな段差は私達よりずっと辛かったはずだよ」

 すぐにそうやって甘やかすんだから。そう言いたくなったけれど、「一生、甘やかす」ってまた返されそうな気がしてただ小さく唸るだけに留めた。イルゼちゃんは何だか可笑しそうに口元を緩めて、また私の頭を撫でる。

「さてと、フィオナはゆっくりしてて。私はちょっと外で稽古してくるよ」

「あ、うん……イルゼちゃんも、無理しないでね」

 立ち上がった彼女に応じて私も身体を起こし、椅子から立ち上がる。イルゼちゃんはそんな私を見て少し眉を下げた。そして足を止めて振り返り、私の頬を撫でる。

「勿論。明日の剣が鈍ると、フィオナを守れないからね」

 優しく笑ってそう言うと、日暮れ頃には戻ると言って出て行く。前世でも、イルゼちゃんは毎日のように稽古をしていた。今世もそれはあまり変わらない。あの時のような無理はしていない様子だから、その点について、私も心配はしていない。気になるのは別のことだ。窓から外を見下ろせば、イルゼちゃんが真っ直ぐ、町の門へ向かって歩く背中が見えた。

「あの、アマンダさん」

「うん?」

 静かに武器の手入れをしていたアマンダさんへと声を掛ける。手元を見たままで返事をくれた後、すぐに顔を上げて、首を傾けていた。

「イルゼちゃんのことなんですけど、私、あまり剣が分からないので気のせいかもしれませんが……」

 前置きをしてから、私は自分が気になっていたことをアマンダさんに打ち明けた。イルゼちゃんは前世の記憶を取り戻して以来、剣が時々、迷っているように見えるのだ。魔法の発動も同じような迷いが見える。もしかしたら、イルゼちゃんは前世と今世の記憶でまだ混乱しているのかもしれない。するとアマンダさんも納得したように頷いた。

「なるほどね。あたしも少し気になっていたよ、随分と腕が立つわりに不安定な剣筋だと。そういうことだったのか」

「今は魔物も強くないので大丈夫だとは思いますが、出来れば、サポートして頂けますか? 私も気を付けているんですけど」

 私自身がそもそも頼りないので、私だけでは正直、イルゼちゃんを守り切る自信が無かった。もし王都を出る前に彼女の不安定さを気付いていたなら、一人くらいは護衛を雇うことを考えたのに。イルゼちゃんを納得させる言い訳が思い付けたかどうかは別として。私の言葉にアマンダさんは少し笑って、任せろと言うように軽く胸を叩いていた。

「勿論、もうあんたらの仲間だ。頼りにしてくれていい」

「ありがとうございます」

 頼れる人が増えることは嬉しい。誰かを頼らなければならない自分のことを情けないとも思うけれど、私の意地でイルゼちゃんや他の誰かが傷付くのは絶対にダメだ。安全第一。この旅を『善』だと最後まで胸を張る為には、誰の命も、絶対に落とせない。

 その後イルゼちゃんは宣言通りに日が暮れてすぐに戻り、三人揃ってしっかり夕飯も取って寝支度を済ませると、私とイルゼちゃんは当たり前のように一つのベッドに入った。イルゼちゃんが当たり前に呼ぶから、ちょっと恥ずかしいけれど飲み込んでいる。アマンダさんは一瞥しただけで今回は何もコメントせず、電気を消してくれた。……と、思ったのだけど。

「愛し合うならあたしが寝てから、起こさない程度にしてくれよ」

「だからそういうんじゃないって言ってるでしょ!」

 今まさに腕の中に居るのに、イルゼちゃんが大きな声を出したからびっくりした。肩が跳ねたんだと思う。少し慌てた様子のイルゼちゃんに、小さく「ごめん」と言われた。慰めるみたいにイルゼちゃんの手が優しく私の背を撫でてくれて、もう片方の手も後頭部に回った。

「恥ずかしがるこたぁないだろ、あたしも当時はルードと好い仲でねぇ、時には激しい夜を」

「ちょっ、フィオナの前でそういうの止めてくれる!?」

 私を抱くイルゼちゃんの腕が強くなって、アマンダさんの言葉を聞かせまいとしているのは分かったけど、私は聞き流せなかった。

「え、あ、あの、アマンダさんはルードさんと、恋人同士だったんですか?」

 身体を捩って背中側に居たアマンダさんを振り返る。イルゼちゃんは一瞬私を引き止めようとしていたものの、そこで初めて私とアマンダさんの言葉を飲み込んだのか、抱く腕から力が無くなっていた。私達の顔を見て、アマンダさんは何故か優しい目をして笑う。

「まあね。……何、そんな顔をすることは無いさ、もう十七年も前のことだ。あの時と同じ形で引きずって悲しんじゃあいないよ」

 その言葉が本当なのか気遣いなのかを推し量る術を私は持たない。だけど、魔王封印後にジェフさんがアマンダさんを故郷まで送り届けたということが、『心配性だから』じゃないってことは分かる。恋人を失った直後の女性を、たった一人で帰せるだろうか。どれだけ気丈に振舞っていたとしても、許される限り傍に付いていようと思うのが当然だと思った。

 返す言葉を失くして黙り込んでしまった私達を見て、またアマンダさんがふっと淡く笑う。だけどそれは一瞬で、彼女の表情は何処か意地悪な色に変わった。

「てことで、あんたらも元気な内に一夜一夜を大事にだな~」

「っ、だからぁ!」

 揶揄うような口調に、一瞬遅れてイルゼちゃんが抗議の声を上げる。緩んでいた腕が再び私を強く引き寄せ、かなり強引に私を腕の中に引き戻した。イルゼちゃんの方を向かされた私からはもうアマンダさんの顔が見えなかったけれど、けらけらと陽気に笑っている声が聞こえる。

「聞かなくていいからフィオナ、もう寝よう」

「あ……うん」

 アマンダさんが終わらせた話を、私の感情一つで蒸し返すことは出来ない。もしかしたらイルゼちゃんも分かっていて、こうして話題を終わらせたのだろうか。怒っているような口調でアマンダさんへとまだ文句を零しているのに、私の後頭部を撫でるイルゼちゃんの手は、普段よりずっと優しかった。

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