第21話
鋭い目に見つめられて少々怯えながらも、私はアマンダさんへ全ての事情を説明した。そして、目的を果たす為に共に来てほしいとお願いした。アマンダさんは難しい顔で静かに息を吐いて、腕を組む。
「あたしじゃなきゃいけない理由は? もっと若くて、腕の立つ奴は居るだろう」
私の話を信じてくれない可能性を考えていたのだけど、彼女はそんな顔を見せなかった。やはり勇者や封印の内容については一般人が知り得る情報ではないことから、知っているというそれだけで、ある程度は信頼してもらえるらしい。ほっとする一方で、理由を告げることは、勇気が要った。
「そうかもしれません。でも、勇者の結末を知る人以上に、この旅に、命を懸ける理由がある人は居ないと思ったから、です」
恒久の礎を集める為に魔族を解放して戦うなんて、命を懸けるという言葉で足りるのか疑問に思えるほど、恐ろしい旅だと思う。その危険を知っていて、命を懸けてほしいと願う私は、本当は酷いのかもしれない。勇者様を救うことが出来れば、きっと一つの救いになるとは思う。だけどその旅の中でまた誰かが命を落としてしまったら? 自分の中でふと湧き上がった恐怖を、今、外に出してしまわぬようにと必死に飲み込んだ。
「……本当に、あいつは、ルードは助かるのか?」
グレンさんがそうだったように、アマンダさんも、勇者様の名を呼ぶ声が何処までも優しい。絶対に、勇者様は失われるべきじゃなかった命だと思った。
「助けたいから、この使命を果たしたいです。今度こそ、『善』だと胸を張れる使命を」
初めて、恐怖以外の感情で私の声は震えていた。アマンダさんは私の目をじっと見つめた後、黙って視線を落とした。静かな部屋の中で、イルゼちゃんが温かいお茶にふうっと息を吹きかけ、ズズッと啜りながら飲んだ音が響く。いつもと何も変わらないのんびりしたイルゼちゃんの気配を感じて、やけに昂っていた気持ちが和らいでいく。アマンダさんも気が抜けたのだろうか。少し眉を下げて、肩を竦めた。
「話は分かった。……少し、考えさせてくれるかい。今夜はうちに泊まると良い」
「は、はい、ありがとうございます」
案内してくれた客間もかなり広かった。ベッドは無く、後で布団を持ってきてくれるらしい。綺麗に保たれている部屋だったから、床に敷いても特に気にならない。アマンダさんも軽く説明してくれたけれど、この村はそういう文化なのだそうだ。先程、話を聞いてくれた部屋でも、座布団という、床に置かれた平たいクッションに座り、低いテーブルを挟んでいた。まだこの家の中で椅子を見かけていない。きっとそれも文化の一つなのだろう。
お風呂も借りて、アマンダさんが先日狩ったばかりだという獣のお肉を夕飯に頂いて、私とイルゼちゃんはすっかり客間で寛いでいた。
「フィオナ、足、大丈夫?」
だけど私がさっきから繰り返し足を揉んだり擦ったりしているのを見付かってしまい、イルゼちゃんが心配そうに首を傾ける。
「うん、大丈夫。疲れただけだよ」
靴擦れもしていないし、痛めたわけでもない。歩くだけでは使わない筋肉を沢山使ったことによる疲労だと思う。これから来るだろう筋肉痛の方が余程怖かった。
「何だっけ、筋肉疲労に聞く果物……」
「ふふ、そうだね、次、街に下りたらちょっと買わないと」
前世の差し入れを思い出してくれたらしくて、嬉しいと面白い気持ちがない交ぜになって笑ってしまった。その時、きしきしと廊下を歩く音が響いて、アマンダさんがひょいと部屋を覗き込む。
「ん、何だ、足が痛いのか?」
聞こえていたのだろうか。それとも私が今まさに足を押さえていたから、瞬時にそう思ったのか。いや、もしかしたら此処に来た時点で私の歩き方が既に頼りなくて、気にしてくれていた可能性もある。私は正直に、普段あまり歩く方ではないから、山道で足が疲れてしまったと伝えた。
「なるほど、ちょっと待ってな、よく効く薬草があるから」
言うや否やアマンダさんはまた扉の向こうへと姿を消し、五分も待たずに戻ってきた。薬草を軽く潰して、そのまま足に貼るらしい。潰した葉を包帯で固定しながら、朝になる頃には少し楽になっているだろうとアマンダさんは言った。
「ありがとうございます」
「わざわざこんなところまで、あたしに会いに来てくれたんだ。これくらいはさせてくれ」
そう言うと、アマンダさんは口元を緩めてぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。
最初に話をした時は真剣な表情をしていたし、まるで睨むような鋭い目をした人だと思っていたけれど、思っていたよりずっと気さくな人で、よく笑う。夕飯を振舞ってくれた時も、この村の色んな文化を教えてくれながら、豪快に笑っていた。彼女はこの村で生まれたらしいが、勇者様との旅を経て外の世界を色々見たことで、この村が如何に特殊な文化を持っているかを知ったとのことだった。「変な村だろ」と言いながら教えてくれる口調が柔らかく、この村をとても愛しているのが感じられた。
「さてと。あたしは布団を用意しに来たんだったな」
膝をぽんと叩いて、アマンダさんが立ち上がる。一つ奥の部屋に置いてあるらしい。部屋を出ようとした彼女にイルゼちゃんが声を掛けようと顔を上げたので、そうか、手伝った方が良いよね、と私も顔を上げたら、イルゼちゃんは予想外の言葉を口にした。
「布団は一組でいいよ。一緒に寝るから」
「い、イルゼちゃん……」
「え? 一緒に寝るでしょ?」
「寝るけど……」
私はちょっと恥ずかしかったのに、イルゼちゃんはそんな私の心情を少しも分からない様子で首を傾けている。いつも一緒に寝ているのが変わっているなんてこと、前世の記憶が無くてもちゃんと知っていた。村でも揶揄われることが無かったわけじゃないし、親達を散々困らせていたことも覚えているのだから。前世含め私達の間には同じ記憶があるにも拘らず、この違いは何なのだろう。アマンダさんは扉の前で私達を振り返って、少し呆れた顔をしていた。
「まあ、好きにするといいが、汚すなよ」
「は」
しかしアマンダさんの言葉に、イルゼちゃんは数拍固まった後、真っ赤な顔で彼女を振り返る。
「ばっ……そういうんじゃないよ!!」
「ハハハ!」
豪快に笑いながら、まるであしらうように手を振ってアマンダさんは部屋を離れて行く。その後しばらく、イルゼちゃんは項垂れてしまって、私の方を振り返らなかった。小さく「サリアと同じタイプだ……」と呟いていたけれど、何だか元気が無いように見えたからとりあえず背中を撫でてみたら、無言で頭を撫で返された。
* * *
山登りの疲れがあるフィオナは直ぐに眠り就き、イルゼも彼女を気遣うように早めに隣で寄り添って眠った。いつも通りに静まり返った屋敷。その裏手で、アマンダは一人、弓を引いていた。庭の各所に置かれている幾つもの
「……何だ、もう起きたのかい?」
「あ、ごめん、邪魔しちゃった」
「構わないよ」
音を立てずそっと覗いたはずのイルゼだったが、振り返らずともアマンダはそれを察知していた。イルゼもそのことを極端に驚いた様子は無い。稽古中は、集中して周りが見えなく場合もあるが、研ぎ澄ませた神経の中、少しの音や空気の流れを敏感に拾ってしまうこともある。今のアマンダもそうだったのだろうと、イルゼは考えたのかもしれない。
「アマンダは弓を使うの?」
「ん、ああ、基本的にはそうだね、あとは
「へー、狩人って感じだ」
「使い慣れたもんが一番さ」
そう言って、アマンダは腰に下げた愛用の鉈をぽんと叩く。フィオナの短剣より柄も刃も大きく、きっとフィオナでは扱えないだろう。持て余しているフィオナでも想像したのか、一瞬だけイルゼは口元を緩めた。
「……アマンダは何に悩んでるの?」
庭に下りることなく、裏口に座り込んだイルゼが徐に問う。アマンダは無言でもう一本を射った後で小さく笑った。
「悩んではいないな、心なら決まってる」
淀みない動きで矢筒からまた一本の矢を取り、弓を引く。その動作に一切の乱れが見付けられなくて、イルゼは静かに感心していた。剣と弓ではまるで土俵は違うだろうが、その洗練された美しい動作から、彼女が名手であることがはっきりと感じられる。
「いいお嬢さんじゃあないか、気弱な顔をしておいて、意志が強い」
「……そうだね。いや、どうかな、そうじゃなかったのに、そうならざるを得なかった」
少し低くなったイルゼの声に、アマンダは一度弓を引く手を止め、彼女を振り返る。イルゼはもうアマンダを見ておらず、足元へと視線を落としていた。薄闇の中、イルゼの瞳が強い感情にちらちらと揺れているのを、アマンダは見つめていた。
「私はまだ憎んでるよ、あの仕組みを。フィオナを此処まで追い込んだことを、今も、めちゃくちゃ怒ってる」
彼女の内から滲み出ているのは、強い怒りだ。慎重に観察するように、アマンダが目を細める。
頑張り屋になったフィオナをイルゼは嬉しく感じる一方で、そうなってしまったことへの悲しみと怒りが心を覆っていた。ただ幸せでいたなら、フィオナはそんな風に変わらなかった。あの変化は、彼女がどれだけ傷付き、悲しんだかという証明に思えてならない。
「生まれ変わってまで戦わせるのかって、正直なところ思うんだけど。思い出したものは仕方ないし、フィオナは向き合いたいって言うんだから止めるつもりは無いけどさ、『何でフィオナが』って気持ちが、少しも無くならない」
前世でイルゼは何度も、代わってやりたいと言った。辛い役目を、代わってやりたかった。どうしてフィオナだったのか。答えはもう知った。あの時代で最も丈夫な魂を彼女が持っていた。けれど納得できない。二番目でも三番目でも良かっただろうと思ってしまう。イルゼにとって何よりも大切なフィオナが選ばれ、今も尚、苦しんでいることを納得できるはずもない。
「何故それをあたしに?」
「あー、いや、深い意味は無いよ。ごめん、多分、誰かに聞いてもらいたかったのかな」
纏う空気を緩め、イルゼが照れ臭そうに笑う。その様子は、十六やそこらの、年相応の少女に見えた。
「後は、まあ、そうだね、私一人でもフィオナは絶対守るけど、助けてくれる人が居ると嬉しい。……前世もそうやって、皆で戦ったからさ」
「……そうか」
アマンダは少し目元を緩める。この旅の説明を一生懸命しているフィオナの横で、のんびりお茶を啜っているだけだと思っていた付き添い人――話の中では『もう一人の勇者』と呼ばれたはずのその子だったが、存外、彼女は彼女なりの理由で、アマンダにも来てほしいと伝えているらしい。少しの不器用さが、アマンダには可愛く見えたのかもしれない。
「もう寝な、イルゼ。若い内に夜更かしすると、年取った後に中々堪えるもんだよ」
「はは! アマンダはまだ若いでしょ、やめてよ」
「お前らの倍の年齢があることは忘れるなよ。旅してたあの頃、あんたらがまだ生まれてなかったんだって考えるとぞっとするよ……」
項垂れているアマンダを、尚もイルゼは明るく笑い飛ばしながら、おやすみと告げて奥に戻って行った。その気配が遠退いていくのを感じながら、アマンダはまた一本、矢を射る。正確に中心を射貫いたそれを睨むように見つめた後で、彼女は空に浮かぶ月を仰いで大きく息を吐いた。
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