第20話 狩人の集落 ラカン

 山に辿り着くまでの経路は、今までと大きく変わったことは無い。その日の内に次の経由地に着けばそこで休んで、無理ならば野営をする。火の番はちゃんと交替制。見通しの利く平原ばかりだから、道中で遭遇する魔物にも極端に不利な形になることは無かった。

 だけど、遭遇した魔物の数が多い時は、流石にちょっと緊張する。イルゼちゃんが私の方へと取り零してしまうことはまず無いだろうけれど、私が取り零しそうなのだ。今も、風魔法で仕留めたのが七体中、五体。あと二体――。

切り裂くフェクス――」

火の弾ファジムスク!!」

「えっ」

 もう一度同じ魔法で残りを狙っていたところ、私の背後から炎魔法が飛んで、先にそれらを仕留めてしまった。振り返ったその先に居たのは、当然、イルゼちゃんだ。

「うん、使えそうだね、前世の魔法」

「ま、ますます、私の立場が無いね……」

 私の言葉に、イルゼちゃんは楽しそうに笑いながら、長剣をくるくると回して鞘に納めた。前世の彼女の姿と重なって、目を細める。ついでに雷魔法も唱えてみたら使えていたので、当時の魔法が、今世でも使えるらしい。威力は落ちるみたいだったけど、それは多分、勇者の加護自体があの時と比べて小さいせいだ。

「でもフィオナは光魔法があるし、風も治癒も使えるじゃん。なんか、ヨル爺が居るみたいだね」

 何気なく言った感想だったと思う。だけど、それは私を嬉しくさせた。彼にはまだまだ敵わないものの、偉大な目標の一つではあったから。イルゼちゃんの視線が、私愛用の杖へと落ちる。

「その杖は、ヨル爺の真似?」

「うん、記憶が無いときは意識してなかったけど、そうだったんだろうね」

 形状まで完全に同じではないし、彼が扱っていたものと比べたら私の杖はずっと短い。けれど、木の材質や色がとても似ていて、私は無意識に彼の面影を探したのかもしれないと思う。今では、この杖のお陰で、彼を思い出して鼓舞されることがある。しかし、私が杖を大切に胸に抱くと、イルゼちゃんが少し不満そうに口を尖らせた。

「じゃあ、火と雷を使うのに剣ってのは、私のこと考えてるってことでいい?」

「もちろん」

 短剣を媒介にしてみようと思ったのは、記憶を取り戻して、杖がヨルさんをイメージしたものかもしれないと気付いたからだ。それならきっと、火や雷は、イルゼちゃんが思い出せるものがいい。そう予想した通り、剣を媒介にしてから、それらの魔法の精度は格段に上がった。

 私の回答は、イルゼちゃんが求めた通りのものだったと思うのに、何故かイルゼちゃんには笑顔が無く、難しい顔をして額を押さえている。

「うーん、思ったより面白くないなぁ。それって前世の私?」

「えぇ……」

 何だかややこしい話をされてしまった。イルゼちゃんはじっと私を見つめていて、その表情は真剣そのもので、彼女にとってはどうやら重要なことらしい。でも、まるで正解が分からない。私は、感じているそのままを口にするしかなかった。

「私にとっては、どっちも同じイルゼちゃんだよ」

「んー、そっか。ならいいや」

 どれくらい、正解に近かったかは分からないけれど。イルゼちゃんは目尻を少し赤く染めて嬉しそうに笑った。そしてぎゅっと両腕で強く抱き締めてくる。落胆したり不満になったりされなくて良かったと、腕の中でホッと胸を撫で下ろしていた。

「フィオナがさ」

「ん?」

 イルゼちゃんの腕はまだ緩まない。此処は平原のど真ん中なんだけど。今のところ新しい魔物の気配は無いとは言え、抱き合って長居する場所でもないと思う。ただ、この腕はいつでも私にとって心地良くて、振り払うことはどうしても出来ない。それにイルゼちゃんが何かを話そうとしているから、大人しくそのまま留まった。

「この旅に一緒に来てって言ってくれたの、前世で、最期に祭壇から呼んでくれたのと同じくらい、嬉しかったんだ」

「……イルゼちゃん」

「お願いだから、あの時のことだけは後悔しないで。私は本当に、幸せだったよ。今もすごく幸せだよ」

 温かな腕がまた強く、私を抱く。あの時、怖くて苦しくてどうしようもなくて、イルゼちゃんを呼んだ。駆け寄ってきてくれたイルゼちゃんに抱かれて、優しい愛情に触れて。……それは、私の台詞だと思った。

「私も、すごく幸せだったし、……今も、幸せ」

 後悔しない約束はとても出来ないし、今も間違いなく、後悔をしている。だけど、幸せだったことは否定のしようが無い。まして、イルゼちゃんの言葉を、嘘だって言って突き返すことなんて出来るわけがなかった。


 その後、順調に旅を進め、グレンさんが教えてくれた山へ、予定通りの日程で到着した私達だったけれど、予想外だったのは、その山の形状だった。

「ひゃー、思ってた以上に険しいな」

「う、うん……」

「はは、ゆっくり行こう、フィオナ」

 麓の村で一番登りやすいって教えてもらった道が、とんでもない傾斜だった。麓の村と、山奥にある村の人が行き来する道らしく、所々にロープが張られている。掴まる場所には困らないようだけど、登る体力は別の話だと思った。イルゼちゃんがそれでも笑って受け止めていることに、改めて感心する。だけど此処で引き返すわけにはいかない。

 ……などと意気込んでみても、やっぱり私は登り始めて早々と息を切らしていた。大きな段差は、時々イルゼちゃんに手を貸してもらいながら登っていく。こんな場所を行き来している人が居るなんて、正直、同じ人間とは思えない。

「休む?」

「ま、まだ、もうちょっと、進んでから」

「そっか。うん、足元、慎重にね」

 ロープをしっかりと持って、ぐっと身体を引き上げる。大きな段差を乗り越えて、一息。まだ登り始めたばかりだ。早速こんなところで休憩していたらキリが無い。イルゼちゃんの言葉に頷いて、また慎重に一歩を踏み出したところで、前を歩くイルゼちゃんが何か嬉しそうな顔をして私を見つめていた。

「な、なに?」

「フィオナが前よりも頑張り屋になってて、すごいなって」

「そう、かな」

「前世から見てる私が言うんだから、間違いないよ」

 それ以上に説得力のある言葉は確かに無いけれど。伸ばされた手に掴まり、また険しい箇所を一つ登り切った。此処からはまだ少し歩き易い坂が続きそうだ。傾斜はきついものの、イルゼちゃんの手を借りなくてもしばらく登って行けそうに見える。そんなことを考えて少し先を見つめていた私の頭を、イルゼちゃんが柔らかく撫でた。

「……フィオナには本当に、辛かったんだね」

 見上げたイルゼちゃんは眉を下げて、悲しそうにしていた。唇を噛み締めて私は俯く。そしてそのまま、首を振った。辛かったことは事実だけれど、それは、今の私が頑張る理由じゃないと思ったから。

「私よりずっと、辛かった人が居ると思うから、がんばらなきゃって、思うの」

「そっか」

 辛かったのが私だけだったら、どんなに良かったか。前世の仲間と、家族の顔が頭を過って、息が止まりそうになる。静かに呼吸を整えてから、また足を前へと動かした。イルゼちゃんもそれに応じて、一緒に歩いてくれる。

「私はずっと、そういう優しいフィオナが好きだったよ。勿論、今もね」

 顔が熱い。イルゼちゃんって時々、こういうことを、臆面も無く言ってくる。ちらりと表情を窺えばやっぱり飄々としていて、優しい目が私を見つめていた。それを平然と見つめ返すことは出来なくて、また足元に視線を落とした。

「え、き、急にそういうこと言われると恥ずかしいよ」

「あはは」

 のんびり笑う余裕があるイルゼちゃんと違って、こっちはずっと肩で息もしているんだから、変なことで体温を上げさせないで欲しい。うるさくなった心臓を整えようと、大きく息を吐き出した。

 その後はあまり会話も無く、というか私に会話の余裕が無かったので、黙々と山を登った。勿論、出来るだけ小まめに休息も取りながら。最終的には私の荷物の一部をイルゼちゃんに持ってもらうという申し訳の無い援助を受けることになってしまったけれど、何とか、日が暮れてしまう前に目的の村に到着した。

「こんな山奥に、旅の方かい。いやぁ珍しいこともあるもんだねぇ。ああ、此処がラカンだよ」

 門の近くに立っていたおじさんに声を掛けたら、最初にそう言われてしまった。けれど、警戒した様子は無い。まあ、私達、どう見ても山賊には見えないだろうし、へとへとになっている私を見れば、警戒される要素なんて全く無いと思う。

「アマンダさん、という方は、この村にいらっしゃいますか?」

「ああ、アマンダの客か。おるよ、案内しよう。だが今日は家におるかなぁ」

 私はイルゼちゃんと軽く顔を見合わせて笑みを浮かべる。良かった。この険しい道を乗り越えて完全な空振りだったら、流石に酷く落ち込んでしまったと思う。ただ、この村は狩りをして生計を立てている方がほとんどで、アマンダさんもその一人。そして彼女は不定期に狩りに出ることから、タイミングが悪ければ不在であることもあるらしい。案内しながらそう話してくれたおじさんが不意に足を止め、一つの家を指差した。平屋のお家だけれど、結構大きくて立派な家だ。敷地面積がうちの四倍はありそう。

「アマンダー!」

 おじさんが急に叫んで飛び上がる。イルゼちゃんがくすりと笑って私の肩を撫でてくれた。いや、うん、そうだよね、呼ばないといけないし、油断してた私が悪いよね。おじさんが気付かないでくれて良かった。別の理由でもドキドキすることになってしまった心臓を押さえたのと同時に、奥から「はーい」と女性の声が返った。

「おったみたいだ」

 私達を振り返って、おじさんがにかりと笑う。そのままおじさんと一緒に少し待っていたら、玄関の扉が開いて、一人の女性が出てきた。

「アマンダ、お前さんに客が来とるよ」

「あたしに客……?」

 不思議そうな声で聞き返したアマンダさんに気付かなかったのか、私達を案内してくれたおじさんは「そいじゃあ俺はこれで」と言って立ち去ってしまった。慌ててその背にお礼を告げて、そして、アマンダさんに向き直る。彼女は眉を寄せ、私達を値踏みするみたいな目でじっと見つめていた。

「はあ、あたしがアマンダだが、どちらさんだ?」

「は、初めまして、あの、わ、私、フィオナと申します」

「私はイルゼ」

 挨拶をするとのんびりと私達の傍へと歩み寄ってきてくれたけど、正直、怖かった。目が鋭い。しかもイルゼちゃんと変わらないくらいの長身だ。目を合わせるとちゃんと喋れない気がするから視線を落としたいのに、襟の付いた白いシャツの胸元が大きく開き、くっきりとした谷間が覗いていて目のやり場にすごく困った。だけど、黙っているわけにもいかない。

「ゆ、勇者様ご一行のお一人と伺って、ま、参りました、その、……少し、お話を聞いて頂きたい、のです」

 緊張のあまり震えてしまっている手で、喉元のボタンを外して、私はアマンダさんへと勇者の紋を見せた。彼女は息を呑み、目を大きく見開いてしばらく固まっていた。

「……分かった。入りなよ」

 数秒間の沈黙を破ったのは、アマンダさんの低い声だった。きびすを返して玄関に向かう背中にすぐに反応できなくて、イルゼちゃんが軽く私の顔を覗いて微笑んでくれなかったら、早速アマンダさんを呆れさせてしまうところだった。慌てて、私も玄関に向かって歩を進めた。

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