第18話

 港町に戻った後もイルゼちゃんの熱は丸一日近く下がらなかったけれど、下がった後にはもうすっかり、熱なんて無かったみたいに飄々としていた。そうして彼女の体調が落ち着いた後、グレンさんも含め三人で、改めて女神様から聞いた話を共有した。

 女神様が話した内容でイルゼちゃんが聞けなかったのは、封印に綻びが出ていること。負の感情によって魔王が徐々に力を得てしまっていることだ。瞬間、イルゼちゃんが不愉快そうに顔を顰めて視線を落とした。

「負の感情……だから、あいつ」

「あいつ?」

 独り言みたいに小さな呟きを拾って私とグレンさんが首を傾けたら、イルゼちゃんは短い沈黙の後、私達に視線を戻した。

「魔王だよ、あいつ死に際に……あ、そうだ、言い忘れてた。私も前世の記憶が戻った」

「え!?」

 もの凄くあっさり打ち明けられてしまってイルゼちゃんを二度見した。その私の反応が面白かったらしくて、一瞬前まで難しい顔をしていたイルゼちゃんが少し表情を緩める。グレンさんもイルゼちゃんを凝視して固まっていた。記憶は、大神殿で気を失って、船で目を覚ますまでの間に取り戻したらしい。……複雑な気持ちだった。自分だけが覚えていることの寂しさは確かにあったけれど、私が彼女を道連れにしたあの残酷な選択も、又聞きする形ではなく彼女が実体験として覚えていることは、居た堪れない。どちらにしても自分の罪が消えるわけじゃないのに。

 私が視線を落としたことを見付けなかったイルゼちゃんは、そのまま話を続ける。彼女は魔王と戦ったあの瞬間のことを思い返しているようで、眉を寄せてテーブルの上をじっと見つめていた。

「死に際に、魔王は笑ってた。特に私が『憎くて仕方が無い』って気持ちを込めて斬った時だよ。あいつ、最初から私の憎しみを少しでも増やす為に戦ってたんだ」

 吐き捨てるような言い方が、イルゼちゃんの強い苛立ちを表している。魔王の思惑に添ってしまったことが悔しいらしい。だけどあの時は斬るしかなかったし、討つべき相手である魔王に対して、負の感情を抱かないなんて不可能に近い。どう考えても、イルゼちゃんに非があるとは思えなかった。

「フィオナ様、まずはこの件、国王陛下にご報告したく思います」

 グレンさんの言う通りだ。まず封印に綻びが出ていることは隠しておくべきじゃない。それにグレンさんは、女神様から聞いた話を国王陛下にも共有し、封印の仕組みを変える必要があることを伝えれば、最大の支援が受けられるはずだと言った。

「魔族でしたか。滅するにしても仲間は必要でしょう、国から騎士などを派遣してもらうべきです」

「いえ、それは、……最終手段に、したいです」

「……何故ですか?」

 グレンさんは厳しい表情をしていた。彼が言った『最大の支援』が指していたのは特にこの点だったのだろうし、私もそれを分からないと言うつもりはない。魔族を滅するなんてこと、当然、私一人では心許ないどころの話ではないし、協力者は必須で、それがこの国の誇る騎士であれば申し分ないだろう。分かっている。でも私は、それを断ったヨルさんのことを思い出していた。そして当時の仲間を、思い出していた。

「可能であるなら、今の勇者様の、かつての仲間の方に手伝って頂きたいんです」

 私の言葉にグレンさんは目を見開き、そして沈黙した。私は続きを告げるかどうか少し迷う。ぬか喜びはさせたくない。だけど、私が目指したい終わりを知ってもらわなければ、協力は願えない。説明の順序を間違えないように、慎重に言葉を選んだ。

「恒久の礎を得て、それを代わりにするなら、現在の勇者様が施している封印を一度解くことになるんです。その場合、彼は蘇ります」

「な――そ、それは本当ですか!?」

 グレンさんが少し身を乗り出した拍子に、私はちょっとびっくりして身体を引いた。その反応を見てハッとした彼の表情に、申し訳なくなる。私のような怖がりでなければ今の動作程度では誰も驚かないだろう。小さく謝罪して身を引いてくれたグレンさんに対し、私の方も謝りたかった。彼の動揺は当然なのだから。そして彼が改めて私を見つめたタイミングで、しっかりと首を縦に動かす。

 封印の仕組みを変える方法の詳細については、女神様が紋を通して私に教えてくれていた。千年間を保てるだけの『丈夫な魂』が支えた封印は今回まだだ。今なら勇者様は復活させられる。

 というより、勇者様を今回の再封印は成し得ない。私は現在の勇者ではない為、一人ではそれに足るだけの封印の力が無い。だから真の勇者である彼には蘇ってもらわなければ困るのだ。つまりこの旅の目的は二つ。勇者様の復活と、魔王の恒久の封印。私と女神様の目的は後者かもしれない。だけど、前者は。

「彼を失って傷付いた人達に、自らの手で取り戻す機会を得て頂きたいんです」

「フィオナ様……」

 微かに震える声で私の名を呟いた後、グレンさんは目を閉じて、テーブルの上に置いた拳をぐっと固く握り締めた。

「当時の仲間についての情報は提供いたしましょう、しかし、私は彼らの元へご案内できません。勇者の封印について、何も知らせずに居たこと、そして何も知らないルードを死なせたことを、酷く憎まれております」

「……グレンさん」

「私が行けば、逆効果となることでしょう。勿論、他に必要な助力は致します」

 そう言ってグレンさんは私の方へ深く頭を下げた。テーブルに頭をぶつけるんじゃないかって心配する勢いだった。つまり、直接的な力にはなれないことに対する、謝罪なのだろう。落胆とは違う感情で、私は少し視線を落とす。

「分かりました。情報だけでも充分です。お願いします」

 強要したいわけじゃない。これは、これから会いに行く勇者様の仲間についても同じだ。一緒に来ると決断する人だけでいい。戦力が足りないなら、最終手段として国から騎士を派遣してもらえばいいんだから。申し訳なさそうにグレンさんが頷くのを見守って、次に、私は隣に座るイルゼちゃんの方へ身体を向けた。黙って流れを見守ってくれていたイルゼちゃんが、軽く首を傾ける。

「今度も、イルゼちゃんには何の使命も無くて、命を懸ける理由も無いけど。……ごめんなさい、最後まで一緒に来てほしい」

「ハハ、当たり前でしょ」

 あまりに危ない旅に誘っているのに、イルゼちゃんは聞かれたこと自体が可笑しいみたいな返事だ。だけどその後、少しだけ目を細めて私から視線を逸らした。

「それに今度こそ、私にはフィオナ以外にも理由があるよ」

 低い声。さっき魔王の話をしていた時みたいな、憤りを抑え込んだ声でイルゼちゃんが呟く。

「私が一緒に封印の礎になれたのって、私の感情のなんでしょ?」

 その言葉に驚いて息を呑むと、グレンさんは私達を見比べて、怪訝な顔をした。一度イルゼちゃんの視線が私の方へと向けられたけど、それに応えることが出来ず、私は俯いていた。

「あの時、私はめちゃくちゃ怒ってたし、憎んでたし、悲しかった。……それが、女神には都合が悪かったんだ」

 本来、勇者の施す封印に必要なのは勇者の魂だけであって、他の者の魂を巻き込むことは無い。例え隣に立っていても、抱き付いていても、通常ならばイルゼちゃんが巻き込まれることは無かったはずだった。だけどあの時だけ、女神様はそれを許した。私達が望んだからという理由じゃない。イルゼちゃんを残してしまえば、イルゼちゃんの負の感情によって、あの時点でもう魔王に封印を破らせる可能性があったから。

 グレンさんとイルゼちゃん、二人の視線を受け、私はどちらにも応えられないまま、頷くことで彼女の言葉を肯定し、短くそれを説明した。私の説明を受け、イルゼちゃんが頷く。

「だからこの仕組みを変える役割、私にも責任があると思ってる。少なからず今の綻びも、私だって加担したんだから」

「それは――」

「フィオナ。これ以上の押し問答はしたくないよ。この責任、務めよう。大体、一緒に死ぬって決めたのも私だよ。無理やり選ばされたわけじゃない」

 強い目が私を捉えていて、それを見つめ返しながら、あの時のことを思い出す。イルゼちゃんは一切の憂い無く、助けを呼んだ私の元へと来てくれた。あの時の笑顔が私の心を救ってくれる一方で、それでも私の罪悪感は一生、無くなることはないと思う。だけどそれをイルゼちゃんに押し付けることも、また、私の身勝手な感情だ。

「……分かった。ありがとう、イルゼちゃん」

 手を握れば当たり前に握り返してくれるあなたに、私は前世から何も変わらずに甘えている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る