第16話

 前世のことは、剣を掲げて封印の呪文を唱えたところまでしか覚えていない。当然だ。その時、私は死んだのだから。だけど生まれ変わってこの世界に生を受ける狭間の記憶が、一瞬だけある。

「――望むならば」

 光の中、見たのは微かなシルエット。響く声は二重にも三重にも聞こえて、言葉として飲み込むまで時間が掛かり、幾つも聞き落とした。

「魔王が封じ――後の、聖なる神殿の中――」

 どういう意味だったのだろうと、思い出してからしばらくは、よく分からなかった。聞き取った音が正しくなかった可能性もある。だけどあなたは確かに言った。『神殿の中で待つ』と。

 今度こそ答えてほしい。そして今度こそ私も、心から、その答えを求めている。


 強い光は一か所に留まるように収束し、その姿を現す。狭間で見たシルエットと同じものだと、確信していた。勇者の剣の切っ先に立つようにして浮かぶ、女性の姿。青白い布を幾重にも纏い、それらは風も無いのにふわふわと揺れ動く。同様に、眩しいくらいの金色の髪が、中空でなびいていた。

「まさかそんな、め、女神様なのか」

 私の背後でグレンさんが、戸惑いと驚きを詰め込んだような震えた声でそう呟く。彼女へと跪いたのか、彼の靴が床を滑った音がした。後から思えばきっと私もそうして跪くべきだった。だけど、私は彼女の姿を見上げたままで動かなかった。彼女は目を閉じているのに私の方へと顔を向けていて、その間、どうしてだろう、一秒前に激しく湧き上がっていた私の感情は穏やかに静まり返っていた。

「勇者の魂を持つ者。……記憶を宿すことは、凡そ予想ができていた。しかし。まさか、戻るとは」

「あ、あなたが、此処で待つと、仰いました」

「然り」

 私の言葉を彼女は肯定する。やっぱりあの狭間の記憶も夢ではなく、此処に来れば会えると思ったのも間違いではなかったのだ。それでも彼女は、私が戻ることを、意外に感じているらしい。少し迷うような沈黙を置いて、彼女は続けて語り掛けてくる。

「私はこの神殿を創った神の一人。管理する者としてこの地に残った。他の神々は、既に姿を失い、声を失い、ただ漂いながら世界を見つめている」

 神殿を創ったと言うことはつまり、勇者の魂により魔王を封じる仕組みを構築したことを意味するのだろう。

 そして女神様は事の起こりを簡潔に語った。遥か昔、まだ神々が人と共にこの地に生きていた時代のこと。魔王が生まれたことで神や人類は一度、滅亡の危機を迎えていた。そこで神々は自らの力を振り絞って大神殿や祠、勇者の剣と紋章を創り、人間と力を合わせて魔王を封印することに成功した。そして千年に一度、封印を掛け直すことでこの世界の平和を守ってきた。

「本来、千年間の封印を支えた魂は記憶を残さない。しかしなんじの代は、『二つの魂』が礎となった。魂への負担が少なかったのであろう。故に、記憶を引き継いだ」

 人間の魂は、『死』というショックによって傷付き、転生後は前世の記憶を宿すことが無いものであるらしい。そして勇者も、通常の『死』とは異なるものの、千年という長きに渡って封印を支えることで『死』に値するだけ消耗し、記憶を残すことは無い。ただ私だけが、イルゼちゃんを巻き込んだことで異例となった。

 私が『善』ではなかったから、こうして戻った。それならやっぱり、これは私の贖罪だ。

 女神様は再び、私を見つめるようにして此方に顔を向け、沈黙した。この時、私はふと不思議に思う。どうして『見知らぬ誰か』と対峙しているはずなのに、今、恐怖がほとんど無いのだろう。初めて会う人はどんなに優しそうに見えても私にとっては恐ろしく、見つめられるだけで身体が固まり、頭が真っ白になるのが常だ。緊張はあるし、先程も声が少し震えて上擦った。けれど彼女に対して発言することに、凡そ恐れが湧き上がらない。その違和感に少し気を取られた時、唐突に女神様は私が欲しかった言葉を零した。

「封印の仕組みを変える方法は、存在する」

「え」

 呆けた私を見つめている女神様は、まるで私の反応を待つように短い沈黙を挟んでから、言葉を続けた。

「此処に、汝が居る。それが鍵だ。勇者の器に足る魂を持ち、勇者の記憶と意志を持ち、何より汝には、他の勇者と違い、時間がある」

 魔王復活から封印までは、三、四か月の猶予しかない。その間に勇者は五つの祠の再封印、魔王討伐、そして大神殿の再封印、全てを行わなければならない。どれだけ順調に進んだとしても、一か月が残るかどうかだ。確かに私も、あれこれと思い悩む時間すら許されたものじゃなかった。

「勇者の紋は、神々の力を結集して作った唯一の力。最早、作り変えることは叶わぬ。勇者の剣もまた然り。故に、この仕組みを変える余地が無かった」

 もしかしたら、この仕組みを作った当初もそうだったのかもしれない。滅亡が迫り、熟考する暇も無く、最初の勇者は魂を捧げた。それで今日まで何千年も世界を守ってきたのだとしたら、ただ責めるだけの言葉は残酷だ。

「しかし汝は記憶を宿し、転生した。自らの意志で、此処へ戻った。もしも抗う意志があるのならば、勇者の魂に変わる恒久の礎を集めよ」

「恒久の礎……? それがあれば、もう勇者は犠牲にならずに済むのですか」

 私の問いに、女神様はしっかりと頷く。千年という周期は封印の限界なのではなく、人間の魂が千年しか保たない為なのだと彼女は語った。だから勇者は、その時代で最も『丈夫な魂』が選ばれる。心根がどうだとか、戦う力がどうだとか、そんなことは選定基準にならないのだ。

 少しだけ納得した。今でも、自分が勇者として選ばれたことはずっと疑問だったから。

「ただし、恒久の礎は今、魔族らの封印に使用されている。それを集めるということは、魔族を解放し、それを汝の手で滅する必要がある」

 顔を上げれば、女神様はまだ私を見つめていた。私はこの時、狭間で聞いた彼女の声を思い出していた。だから女神様は、『再び命を懸けてでも救いたいと望むならば』と、私に言ったんだ。

「再び問う。――汝は抗うか?」

 息を吸った。喉が震えた。手も震えている。告げる言葉が運命を決める。そしてまたこの身を、命を、平和の外に追い出すことになる。それでも。

「だから此処に来ました。それが私の、今度こそ『善』と思える使命なら、抗います」

 こんな時にでもみっともなく声が震えてしまうんだから、改めて、私はどうしようもない元勇者だ。この先、胸を張れることが一つくらいあるといいんだけど。

 女神様は私の答えを聞くと、右手を私に向けた。その手元から光が浮き出て、私の方へと落ちて来る。

「ならば汝に、魔に抗う力を授けよう。真の剣には遠く及ばぬが……今の汝には丁度良いかもしれぬ」

 私の手に落とされたのは、短剣だった。勇者の剣と比べれば装飾もほとんど無かったけれど、手にした瞬間、その異常な軽さと、手に馴染む力の気配に、同じ系統のものであることが分かる。

「そして剣を扱う為の、光も」

 再び女神様が手を私に向けたけれど、彼女の手元には何も現れず、代わりに私の喉元が強く光った。――勇者の紋だ。自分からは見えないけれど、それが宿されたことを感じた。最初はイルゼちゃんに鏡を渡されるまで紋章に気付かなかったのに、二度目だからかな。

「同じく本来の紋章ほどの力は無いが、助けになるだろう」

 本物の勇者の剣や紋章は、神々が力を失ってしまうほどに全てを懸けて創ったものだ。複製が出来ないせいでずっとこの仕組みだったのだから仕方ない。それでも、僅かに助力を得られたことは幸いだった。礼を述べようとした時、背後でどさりと何かが落ちるような音がした。

「――イルゼ様!?」

 酷く焦った様子のグレンさんの声に振り返れば、イルゼちゃんが頭を押さえて、その場に蹲っていた。

「イルゼちゃん!」

 慌てて駆け寄るが、イルゼちゃんからの反応は無い。私の声が聞こえていないように見えた。治癒術を使って、状態を確認しようとした時、背後で女神様が抑揚なく言葉を発した。

「汝が力を得ることで、もう一人の勇者への影響は免れぬ」

 今、何て言ったの?

 それは導き手の一族が語り継ぐ中で付け足されただけの言葉であって、事実ではない。そのはずなのに、どうして女神様がそれを言うの。

「イルゼちゃんは、勇者じゃ――」

「汝らは共に死に、共に生まれ変わることを望んだ。故に私が魂に強固な繋がりを付与した。今世に関わらず、今後も共に転生することになる」

 言葉が続けられなかった。そうだ、私が望んだ。私が望んで、イルゼちゃんが頷いてくれた。それを叶える為に魂を繋いだから、私達の運命が一つになった。イルゼちゃんの魂が、勇者の魂と同列になったのだ。つまりこの使命、必然的に彼女を巻き添えにする。心臓の奥が冷たくなって、先程よりずっと、声が震えた。

「イルゼちゃんはどうなるんですか」

「……案ずるな。今は突然の力の影響に身体が馴染んでいないだけだ。前世と同じく、加護を得るだけ」

 一瞬だけ女神様の声は優しくなったように聞こえた。まずは、その言葉に安堵する。けれどイルゼちゃんはそのまま意識を失ってしまった。命に関わるようなことではないと女神様は言うけれど、イルゼちゃんの額に薄っすら浮かんだ汗が彼女の苦しみを表していて、胸が痛い。

 私は女神様の御前であることなど構わず、そのままイルゼちゃんの傍に膝を付いて、彼女の上体をその上に乗せた。女神様がそれを眺めるようにして見つめていることにも、気が付かなかった。

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