第15話 離島の大神殿

 前世に訪れたのと同じ場所とは思えないくらい、空気が澄んでいて、美しい空間だった。

 確かに同じ造りであるのに、あの時は鳥肌が立つほど一面に魔物が居て、その場は瘴気で埋まっていた。魔物らに傷付けられた神殿はボロボロで、柱がいくつも崩れて転がり、天井も穴が開いていた。だけど今は、傷なんて見当たらない。

 美しくて、真っ白で、神聖な場所。その最奥。祭壇の中央には、剣を掲げている青年の石像がある。この石像を守り、祀る為にこの大神殿が建てられたのだと言われても信じてしまいそうだ。それくらい、彼は凛々しく、勇ましく。まさに『勇者』としてそこに居た。私の目から自然と涙が零れ落ち、頬を濡らしていく。

「フィオナ?」

 勇者の像へと一人歩み寄った私は、一人で勝手に泣いて、後ろに控えていたグレンさんを振り返った。少し離れて物珍しそうに神殿を眺めていたイルゼちゃんは、その時初めて私が泣いていることに気付いて、目を丸めていた。

「……彼が、今の、勇者なんですね」

「はい」

「何? どういうこと?」

 イルゼちゃんの問いが、大神殿の広い空間に響いていく。私とグレンさんは少しの間、返事が出来なかった。無言で視線を落としているグレンさんを見てから、私はイルゼちゃんに向き直る。

「勇者はね、魔王を封印する時に、『命』をその礎にするの」

「……死ななきゃいけないってこと?」

 遠回りをしない彼女の問いに、私は黙って頷いた。イルゼちゃんは眉を寄せて石像を見つめた後で、ハッと息を呑んで私に視線を戻す。私が『前の勇者』だったことに、気付いたからだ。

「じゃあ、フィオナは前世」

「うん。彼と同じように、此処で」

「何それ、そんなの、ただの生贄――」

「それが勇者の『使命』なの。歴代の勇者はそれでも立派に務めたのに、私は」

 指摘が間違っていると思ったわけじゃないのに、私はイルゼちゃんの言葉を遮った。確かに、そういう言い方も出来ると思う。私だって、もしも自分が前の勇者じゃなかったらきっと「生贄のような仕組みだ」って非難したかもしれない。だけど、私は少しも可哀想なんかじゃなかった。私は、私が、一番、ひどかったんだから。溢れ出した涙を抑えられなくて、私は両手で顔を覆った。

「私は一人で死ぬことも出来なくて、イルゼちゃんを、巻き添えにした」

「え?」

「……やはり、彼女がもう一人の」

 グレンさんは薄々、気付いていたらしい。二人で一緒に礎になったんだから、私が生まれ変わっているのなら、もう一人も生まれ変わっている。今世でも一緒に居ることを予想できたとは思わない。だけど、私が彼女を此処まで連れてきた時点で、もしかしたらと、思っていたのだろう。私はグレンさんの言葉を、顔を覆ったままで、数度、頷いて肯定した。

「私達の一族には、『二人の勇者だった』と語り継がれています」

 思いがけない伝承に、私はちょっとだけ笑う。みっともなく零れた涙を拭い、見苦しい顔をあまり見せないように少し顔を逸らしながら、緩く首を振る。

「ヨルさんがそうしたのかな……。勇者の紋を賜ったのは私一人です。イルゼちゃんは、臆病な私を守る為に付いてきてくれた、幼馴染でした。私が戦えないから、魔王を倒したのもイルゼちゃんでした。だからそんな風に伝わったのかもしれません」

 私の言葉を注意深く聞いていたイルゼちゃんは、眉を顰め、首を傾けていた。予備知識も無く突然伝えられたから、よく分かっていないのだろう。

「えーと、つまり、私も前世、勇者一行だったってこと?」

「うん」

 何とか伝わった一つの情報に丁寧に頷いて、私は順を追って説明した。

 ただの幼馴染だったのにずっと傍に居てくれて、最後には私が望んで、道連れにした。そして一緒に生まれ変わりたいという願いまで叶えてもらって、私は今、イルゼちゃんとこうして一緒に居る。説明を終えた時、私はいつの間にか両手を強く握り締めていた。

「私が、身勝手に奪ったの。だけど残してしまった仲間はどんな気持ちだったか、イルゼちゃんの両親は、お兄ちゃん達は、どんな気持ちだったか」

 一度は飲み込んだ涙がまた溢れ、美しい大神殿の床に、醜い染みを付けていく。どれだけ後悔をしても、イルゼちゃんを手放せない私の醜さが、途方もなく、悲しい。

「どうしようもなかった、あの時の私には、何も出来なかった。今更、何が出来るとも思えないけど、でも、……何かしなくちゃ。私の代わりに沢山苦しんだ、ヨルさんに報いる為にも」

 だから、此処に来た。

 真実を確かめる為だけじゃない。今世で、ヨルさんと同じだけ苦しんだはずの人が、今、此処に居る。

「グレンさんも、本当に辛い役割だったと思います」

「……私は」

 彼はヨルさんの代わりなんかじゃない。もし彼に対して何か出来たとしても、千年前に悲しみを抱えたヨルさんが救われることは永遠に無い。償いにはならない。だけど、何か、しなきゃいけないから。一瞬、酷く動揺して瞳を揺らしたグレンさんは、目を強く閉じると、微かに震えながら、深い息を吐いた。

「いいえ。私は、フィオナ様がお話し下さった導き手『ヨルムント』のように、立派な導き手ではありませんでした。私は、……告げられなかったのです」

 その言葉に私は目を見開き、勇者の石像を振り返る。つまり彼は、自分が死ぬなんてことを何も知らず、封印の儀式を行ったのだ。全てを終え、魔王の居ない世界を、生きるつもりで此処に立ち、勇者の剣を掲げていた。

 しばらく、言葉が無かった。だけど、どちらが残酷かなんて、分からないと思った。この使命に『善』を求めることの難しさを、私はもう知っている。

「導き手の役割は、どちらを選んでも、苦しいはずです。グレンさんの選択を責めることなんて、出来ません」

 関係のない人を道連れにした私以上に、残酷だった者なんて、絶対に居ない。

 だけどグレンさんはもしかしたら、責められることを望んでいたのかもしれない。私の言葉に、何処か苦しそうに眉を顰めていた。

 それでも私にその資格は無いし、どれだけ望む言葉を与えたとしても、本当に彼を癒す『言葉』なんて、無いと思う。だから、此処で彼の悲しみを聞いたって、慰めたって、救いなんて無い。何も持たないから、答えてほしい。

「――本当にこの方法しかないの?」

 私は勇者の像へと向き直り、彼が掲げている切っ先を見つめた。前世で、私はあの勇者の剣に問い掛けた。どうして私だったのかと。だけど剣が何かを教えてくれることは無かった。大神殿には静かに、私の問いだけが響いて行く。

「勇者は必ず死ななくちゃいけないの? こんなにも皆が苦しんで、それが本当に正しいこと?」

 使命は『善』なのだろうかとヨルさんは嘆いていた。何の罪もない彼が、あんなに胸を痛めなければならない使命を、どうして善だって言わなきゃいけないの。

「此処に居るはずでしょう! お願いだから答えて!」

 前世も含めて、記憶する限りでは初めて、私は誰かを責めるようにして声を張った。その瞬間、大神殿の中は眩い光に包まれる。私は思わず目を閉じ、顔を守るように腕で覆った。

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