第14話
三日後、予定通りにグレンさんと共に出発できることになった。
イルゼちゃんと二人、待ち合わせ場所として指定された北側の入り口に向かう。私達が到着する時にはグレンさんが既に待っていて、彼は一つも荷を背負っていない代わりに、小さな荷車を傍に置いていた。
「お二人の荷も此方へどうぞ」
朝の挨拶を丁寧に交わしてすぐに、グレンさんはそう言う。荷車は私とイルゼちゃんが並んでぎりぎり座れる程度の大きさだけど、あまり荷が入れられていなかったのは、私達の分も積むつもりだったらしい。しかし、それでは重たくならないだろうか。目を丸める私達に、グレンさんはこれを引く方がずっと楽であると言った。
「旅の人数が増えるほど、荷車はとても楽になりますよ。食糧も充分に保持できます。一人や二人では、不便さが勝ることもありますが」
「なるほどなぁ~」
外を移動し慣れている様子のグレンさんに、私とイルゼちゃんは感心しながら、お言葉に甘えてその上に荷物を乗せた。
グレンさんが引く荷車を、私とイルゼちゃんも手伝うように後方から軽く押してみる。でもあまりに彼がすいすいと楽に引くので、役に立っているのかは微妙なところだ。荷車を挟んだ向こう側を歩いていたイルゼちゃんも同じことを考えていたのか、目が合うと苦笑していた。
「今回、船員は一族の者が務めます。それぞれ今、港に向かっており、私達が到着する頃には船の準備を終えている見込みです」
グレンさん曰く、導き手の一族は普段から見回りの為に度々そうして離島へと行っているとのことで、操舵の面でも心配はないと教えてくれた。ただ、前世は船も船員も、国王陛下からご用意して頂いていたはず。私がそう話せば、グレンさんは肯定するように軽く頷いた。
「我が一族のみ、封印後しばらくは自由な出入りが許可されます。ただ千年が近付くと、再び魔王を封印するまで我々も許可されません。封印が解ければ魔物が増加し、神殿がある島は特に危険ですので、我々の使用するような小さな船では危ないのです」
なるほど。納得して私は何度も頷いた。封印が解けていた当時、そういえば船からは魔物除けの魔法水を流していると聞いた気もする。大きな船、そして流し続けられるだけの豊富な魔法水がなければ、あの島へと無事に辿り着くことも危ういのだ。結構のんびりした船旅に感じていたが、実際はかなり危険だったと知って今更ちょっと肌が粟立った。
その後、港までの経路と日程、そして船の詳細などをグレンさんから聞きながら平野を進んでいると、数十メートル離れた位置にある小さな林から、四体の魔物が飛び出してきた。
「魔物――」
「お二人はそのまま此処に」
「え、で、でも」
すぐに剣を抜いたイルゼちゃんと、ちょっと遅れて短剣に触れた私をまとめて置き去りにして、グレンさんが前方へと飛び出していく。荷車の取っ手部分が閉じていない形状なのは、このような事態に素早く動けるように、ということなのかもしれない。
いや、というか、ちょっと待って、グレンさん丸腰――。目を見張ったのも束の間。瞬きを二つか三つする間に、彼はその魔物らを仕留めてしまった。
「うわ、強ぉ」
イルゼちゃんは感心したようにそう呟き、剣をそのまま鞘に納める。全然、動きが見えなかった。イルゼちゃんの振るう剣も大体が私の目には止まらないけれど、グレンさんはもっと早い気がする。彼は一度辺りを見回して警戒した後、私達の所へと戻ってきた。何度見ても、丸腰だ。魔物に拳や脚で攻撃したように思ったけれど、サリアちゃんみたいに籠手や脛当てを装備しているわけでもない。なのに魔物達はその身体を確かに破壊されていた。イルゼちゃんもまじまじと彼の軽装を眺める。
「今のって素手なの?」
「はい。ですが、当て身の際に風を纏いますので、魔法と武術の併用です」
「へえ~初めて見た、格好いいねー」
「恐れ入ります」
照れる様子も無く淡々と言ってグレンさんは私達に頭を下げる。初めて話した時から、グレンさんはずっと同じトーンで話し、表情もほとんど変わらない。不思議と威圧的には感じないけれど、親しみ易い印象は皆無だった。イルゼちゃんが追ってこなかったら私は彼と二人きりで大神殿に向かったのかと思うと、ちょっと気まずかったかもしれない。そんな余計なことを一瞬考えていたせいで、言おうと思ったことを忘れていた。グレンさんが荷車を再び引こうとしたところでようやく思い出して、慌てて口を開く。
「あ、あの、でもグレンさんが一人で戦うのは、危ないので、私達も戦います」
「しかし、フィオナ様とイルゼ様に何かあっては」
「いやいや、私らも一応は戦えるからさ。せめて援護させてよ」
私に続いてイルゼちゃんも言ってくれたからか、グレンさんは少し渋った後で「ご無理のない範囲で」と了承してくれた。彼からすれば私達は子供なので、どうしても心配になるのかもしれない。守ろうとしてくれる気持ちはとてもありがたいものの、この旅はあくまでも私の我儘であるだけに、彼にばかり負担を掛けるのは心苦しかった。
封印の祠をあちこち回った前世の旅とは違い、真っ直ぐに大神殿へと向かう旅は思った以上に早かった。道中、何かと私達の世話を焼こうとするグレンさんを宥めることにも慣れてきた六日目の昼過ぎ、港町へと辿り着く。
此処も街並みは大きく変わっていたけれど、石造りの建物ばかりが並ぶ景色は変わらない。木や金属による建築物は潮風によって腐食が進んだ場合に修繕が大掛かりであるのに比べ、石造りであれば外装を石膏で補強するだけで、ある程度は凌げることから、千年も前からその風習が変わっていないのだろうとグレンさんが言った。
船の準備の為に既に町に入っていた一族の方に連れられ、港の方へと進んでいく。あの頃と同じ景色ではないのに、似ていると思うだけで、瞬きと瞬きの間にふと、当時一緒に歩いた仲間の背中を思い出す。
「フィオナ様、出発は明日の早朝にしましょう。……大丈夫ですか?」
気遣わしげに私を見つめるグレンさんが問う意図がよく分からなくて首を傾ける。グレンさんは一度だけ言い淀み、静かに問いを重ねた。
「……大神殿へ向かうことは、恐ろしくはありませんか」
彼が何を気遣ってくれたのかを理解して笑みを零す。そうだ。私はあの大神殿で最期を迎えた。一度は自分が命を落とした場所。命を落とす為に向かった場所へ、再び向かうことを私が怖がっているんじゃないかって、心配してくれていたんだ。グレンさんがそれ以上は気を遣わないで良いようにと、笑顔のままで首を振った。
「大丈夫です。少し懐かしくて、ぼうっとしてしまっただけなので」
「そうですか。……何かあれば、すぐにお知らせ下さい」
「ありがとうございます」
グレンさんは私に対するにしては過剰と思うくらい丁寧に頭を下げた後、宿の手配があるからと傍を離れて行った。隣に居たイルゼちゃんが、徐に私の頭を撫でる。
「ん?」
「ううん、グレンに心配されてたからさ。大丈夫かなって」
「ふふ、大丈夫、ありがとう」
大丈夫だって答えていたのに、それでもイルゼちゃんは心配してくれたらしい。優しさが嬉しくて、寄り添うように身体を寄せたら、腕を回して、緩く抱き締めてくれた。怖がる度、不安に思う度、いつもイルゼちゃんがこうして私を抱き締めてくれる。あと少しだけ甘えたら、また頑張らなくちゃ。イルゼちゃんの肩に額を当てて、ゆっくり十を数えていた。
大陸と離島の距離などは大きく変わるわけもなく。翌日から天候が良かったこともあり、前世と同様、船に乗ったら一日と少しで島に到着した。その場所は、千年前と少しも変わらない。特に大神殿は遠目にはあの時のままで、まるで時が戻ったみたいに思う。振り返ればヨルさん達がそこに居るんじゃないかって錯覚しそうになる。
「宜しいですか」
「――はい」
足を止めてしまった私に気付いたグレンさんが、再度、問い掛けてくれるそれに、しっかりと頷いた。導き手の一族の方はみんなこんな風に優しいのだろうか。ヨルさんは何度も私に、逃げ出す選択肢をくれていた。あの時の言葉と、今のグレンさんの言葉が重なる。彼もまた、今とても苦しいだろうと思う。触れるべきではない傷だと思う。それでも、もしもほんの少し、ひと欠片が、救えるなら。
「行きましょう」
前世で一番の勇気を持って口にしたその言葉を、もう一度。
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