第13話

「国王陛下からおおよそのことは伺っております。勇者の『導き手』一族の代表を務めるグレンと申します」

「わ、私の我儘で、お呼び立てしてしまって申し訳ありません。フィオナと申します」

 慌てて頭を下げる。声が上擦っていた。イルゼちゃんと会話していたことであまり緊張せず待つことは出来ていたけれど、その代わり、心の準備が間に合っていない。低くて静かな声が少し怖かった。

「フィオナ様。真にあなたが前の勇者様でいらっしゃるのであれば、私にとっては敬意を払うべきお方です。どうぞ頭を上げて下さい。詳しいお話を聞かせて頂けますか」

「は、はい」

 丁寧な対応に、一瞬前に怖いと思ったことを申し訳なく思う。グレンさんは表情がずっと険しいけれど、声は穏やかで、私を威圧するようなことは全く無く、姿勢は徹底して低かった。促されて再びソファに腰掛ける。私が立ち上がったのに合わせて、イルゼちゃんも立ち上がってくれていたらしい。同じタイミングで、隣に座り直していた。彼女が座った拍子に少し沈んだ座面の感触が、私を幾らか落ち着かせてくれる。

「私が千年前の勇者であるかどうかは正直分かりません、もしかしたら、ただの夢や妄想なのではないかと、何度も思いました」

 話し始めると、正面に腰掛けたグレンさんは真剣な表情で私を見つめ、静かに頷いた。

「当時も私は今と変わらぬような姿で、十六歳でした、名前は」

「お待ちください」

「話せって言っといてそんな頭から待てって……」

「い、イルゼちゃん」

 隣から呆れたような声が上がったことにびっくりして、慌てて制する。イルゼちゃんは昔から敬語が得意じゃなくて、誰に対してもこのような口調なのだ。だけど今は村の外だし、言い方まで不満そうだったから、色んな意味で汗が出た。でもグレンさんは少しも気を悪くした顔をせず、むしろ少し申し訳なさそうにしていた。

「いえ、お連れ様のご指摘通りです。すみません、先に申し上げるべきでした。私共の一族は、『勇者の名』を語り継ぐことがご法度となっているのです。その為、当時のお名前を聞くことに拒否反応がありまして……。そしてそのような事情により、お名前を教えて頂いても分からないのです」

 そういえばヨルさんが語り聞かせてくれた歴代の勇者様も名前が出てこなかった。何代目の勇者が、という言い方をしていた気がする。今更、そんな掟があったせいなのだと納得した。ただ、名前は「フィオナ」のままである為、既にグレンさんは知ってしまっている。可哀想なので、これは言わない方が良さそうだと口を噤む。

「そういう事情であれば申しません、驚かせてごめんなさい」

「とんでもありません。此方の事情で失礼しました。では、当時の一族の者で、ご存じの名はありますか?」

「はい、当時の代表さんはヨルムントさんと言い、お孫さんのサリアちゃんも同行してくれました」

 回答に、グレンさんは無言で何度も頷いた。そして姿勢を正して、私に向かって頭を下げるような姿勢を取る。

「間違いないでしょう。フィオナ様は確かに、一代前の勇者様の記憶をお持ちのようです」

「あっさりだなぁ」

 イルゼちゃんの発言の度に私はちょっと心臓が冷えるのだけど、グレンさんは表情を変えない。本当に気にしていないらしい。

「十六歳の少女が勇者であった歴史は語り継がれる中にたった一つだけ。その時の担当がヨルムント、彼の孫娘がサリアである事実が揃っていれば確定です。それを知るのは当時の勇者一行か、一族の中でものみ」

 当時の勇者一行の子孫も該当する可能性はあるが、千年間もの間、一つの情報を子々孫々に確かに語り継ぐというのは、それを明確に役目としている一族でなければ難しいことであるのだとグレンさんは語った。おそらく勇者の情報についてはある程度の箝口令も敷かれているだろうから、そういう意味でもその線は薄いと思ったのかもしれない。

「……他に何か、記憶されていることはありますか?」

 やや言い辛そうに、グレンさんが問い掛けてきた。私は膝の上に置いていた手を思わず強く握る。彼が問い掛けているのは封印の『結末』と、おそらくは私が巻き添えにした『もう一人』の存在だ。それを告げれば、きっともう疑いようは無い。そんな歴史が幾つも存在したとは思えない。だけど、今イルゼちゃんが隣に座っているという状況を除いたとしても、私にはそれを口に出来なかった。

 ソファの背凭れにのんびりと身体を預けていたイルゼちゃんは、私の表情が曇ったことに気付いたらしく、慌てて身体を起こしてそっと背を撫でてくれた。彼女の優しさが嬉しくて、そして胸が痛い。イルゼちゃんの方に軽く笑みを向けてから、グレンさんへと向き直った。

「すみません、今はまだ、お話したく、ありません、私は……」

「結末をご存じだと、仰ったと伺いました。フィオナ様が、大神殿を見に行きたいと仰るのは」

「……その『結末』の記憶が正しいものであることを、この目で、確認させてください」

 私の願いに、彼は沈黙した。今更ながら、これがどれだけ残酷な頼みであるかを痛感していた。本当ならばグレンさんは大神殿に足を踏み入れたくないとさえ思っているかもしれない。後悔の念が生まれる。願いを取り下げるべきかと迷う。だけど。私は軽く頭を振って、グレンさんを見つめた。

「もしも真実であれば、グレンさんが、誰よりも辛いのだということも、分かっているつもりです。ですが」

「いえ、辛いのは私ではありません。決して、私のような者ではないんです。……あなたは本当に、ご存知なのですね」

 最後の言葉は私に言ったというより、彼の中へと呟くように小さくて、弱かった。彼の中にある確かな痛みを感じる。

「分かりました。あなたの望みに従います」

 彼の了承を聞いてから吐き出した息は震えていた。イルゼちゃんの手がまだ私の背中の真ん中を温めていることに、ようやく気付いて、もう一度ゆっくりと呼吸をする。グレンさんも、自分を落ち着かせようとするみたいに、胸に手を当てて静かに頷いていた。

 その後、互いの情報と、私達が泊まっている宿の場所を共有したら一度解散になった。大神殿に向かう為には船の手配も含め、グレンさん自身にも旅の支度が必要になるからだ。三日ほど待ってほしいと言われた為、彼から再び連絡があるまでは王都に滞在することになる。

「――勇者って言っても、私はみんなが思い描くみたいな『勇者』じゃなかったの。今の私よりも臆病で、一人じゃ何も出来なくて、戦うことも出来なかった」

 宿に戻ってから、イルゼちゃんに中断してしまった話を続ける。魔法すら使うことが出来ず、仲間が戦う背中を、勇者の剣を持ってただ怯えて見つめていただけの私。

「今世で魔法に興味を持ったのは、そんな後悔がほんの少し、残ってたのかもしれないね」

 明確な記憶として宿していなくとも、私の心の内にはいつも「何かしなくちゃ」という焦燥があった。

 前世の私も、記憶を戻す前の私も、何も変わらないで臆病なままだ。自分が一番大事で、歴代の勇者みたいに立派な人には到底なれない。だけど前世の自分を覚えている私には、結末を知っている私には、どれだけ恐ろしくても逃げ出せない思いがあった。

「沢山の人が助けてくれて、勇者になったの。それでも、沢山の人を、私のせいで深く悲しませた。私は恩返しと、償いをしなくちゃいけない、そうじゃなきゃ……」

 机の上で握っていた手がいつの間にか震えていて、イルゼちゃんが温めるみたいにそれを握ってくれる。力を抜こうとしたのに、すぐに上手くいかない。そんな様子も全部見つめながら、イルゼちゃんは私の手を優しく撫でていた。

「フィオナが何を抱えてるのか私には分からないけど、私はいつも傍に居るし、フィオナがしなきゃいけないことなら全部、手伝うから。一人だと思わないでね」

「……うん、ありがとう」

 優しい言葉と温もりに、やっと手から力を抜くことが出来て、私を温めてくれているイルゼちゃんの手を握り返す。

「イルゼちゃんの存在が無かったらきっと、こうして踏み出すことも出来なかったと思う。本当にありがとう」

 前世を後悔して、そこから来る不安や焦りを抱えているだけなら、私は今も村に居たと思う。だけど、イルゼちゃんと一生一緒に生きようと交わした約束が、私を決断させた。そして今こうして傍に居てくれるから、王都にも辿り着いて、王様やグレンさんとも面と向かって話すことが出来た。

「私、何か出来てるのかな」

「勿論。一番の心の支えだよ」

 いつになく不安な顔を見せるイルゼちゃんに、私は笑みを向ける。何も私が話せていないから、イルゼちゃんはどう支えれば良いのか分からなくて、傍に居ることが力になるのかどうかも分からなくて、不安になっているみたいだった。

「イルゼちゃんとずっと一緒に居たいから、前世に置いてきちゃったこと、ちゃんと向き合わなきゃって思ったから」

 今の私に言えることはこれくらいしかない。だけど本当の想いだから、その感謝がひと欠片でもイルゼちゃんに伝わってほしいと願いながら、ぎゅっと強く手を握る。イルゼちゃんは繋がる手をじっと見た後、少し安堵した様子で微笑んだ。

「なら尚更、私にも、手伝わせてね」

 生まれた時から、ううん前世から、彼女はこうして何も変わらずに傍に居てくれて、当たり前みたいに傍に居たいって言ってくれる。私も彼女とずっと生きていたい。そう願うからこそ、こうして此処に居る。

 だけど、全部を知った時にイルゼちゃんが本当に傍に居てくれるかどうかは、正直、分からない。ふと浮かんだその不安を、彼女に伝えまいと静かに飲み込んだ。

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