第12話
国王陛下との謁見当日。深く考えないようにと現実逃避を繰り返してみても、流石に城を前にすると、もうどうしようもない。
「はあ、緊張してきた」
「してたんだ?」
「当たり前だよ……」
何故か隣のイルゼちゃんは意外そうな顔で目を瞬いている。謁見を申し込む時から酷く緊張していた私の様子をしっかり見付けていたし、何より彼女が一番、私の怖がりな性質を知っているはず。なのにイルゼちゃんは心から不思議そうに首を傾けていた。
「申し込みが終わってからは、あんまり気にしてないみたいだったからさ」
「考えたら駄目になるから、考えないようにしてただけ……」
私の言葉に、イルゼちゃんが噴き出すようにして笑う。彼女も私に付き合ってこれから国王陛下に謁見するというのに、この差は何なのだろう。彼女こそ一切の緊張も気負いも無さそうで、私は自分が笑われていることも忘れて凝視してしまった。そんな私の驚きも知らず、イルゼちゃんは何処か嬉しそうに微笑む。
「フィオナらしくて、なんか、安心したよ」
頭を撫でてくれる手が優しくて、自然と、少し心が安らいだ。
「私も一緒だから、大丈夫だよ」
「うん」
前世でもいつもそう言ってくれてたね。何にも怖くない彼女の傍なら、私もちょっとだけ頑張れる気がする。イルゼちゃんの手を一度だけぎゅっと握って、勇気をお裾分けしてもらった。
なんて、謁見の間に入り込んでしまうと
前世の頃とは内部の装飾も全て違い、雰囲気はすっかりと変わっている。当然だけど、国王陛下も別の人だ。かつてのように優しい言葉を掛けてくれるとは限らない。何せ今の私は勇者ではなく、何の身分も持たないのだから。案内されるままに陛下の正面へと歩み寄り、跪いて頭を下げる。数秒後に低く響いた「面を上げよ」と言う陛下のお言葉に従って、静かに顔を上げた。
「……
私をじっと見つめるその目は、観察をするような冷静な色をしていた。やはり、かつて勇者として紋を持ち、此処へ辿り着いた時とはまるで違う。私の身体は微かに震えている。だけど、此処まで来たのだから、何でもありませんと言う方が逆に勇気がいるというもの。静かに深呼吸をしてから、少し離れた位置に座る陛下にもきちんと届くよう、いつもよりずっとはっきりと声を出す。
「世迷い言と思われてしまうことを承知で申し上げます。私には、かつてこの世界の勇者であった記憶があります」
出来る限りの勇気を持って声を張ったのに、誰が聞いても分かる程にそれは震えていた。しん、と静まり返る空間。私の心臓の音すらも響きそうだ。緊張と恐怖で頭が真っ白になりそうだけど、此処へ来るまでに何度も考えた言葉を必死で続ける。
「私もこれが正しい記憶であるのか、ただの妄想であるのか、判断が出来ません。その確認をする為に、参りました。一族の代表の方と、会わせて頂けないでしょうか」
そこで言葉を切り、陛下の反応を待つ。陛下は険しい表情を浮かべ、動揺を瞳に滲ませながらも、静かに「ふむ」と呟いて息を吐いた。
「つまり、その記憶の中に、一族のことがあると?」
「はい。前世で勇者の紋を賜った私は、今回のように、かつての国王陛下に謁見いたしました。その際、一族の代表の方を呼び、紋が真実であることを確認の上、その方と共に封印に向かうようにとご指示を下さったのです」
「……なるほど。確かに、知らぬで妄想できることではない。しかし、前世の記憶とはな……」
陛下はそう言って低く唸る。下らないと一蹴されないところを見る限り、私が告げた流れは前回も同じだったのだろう。少なくとも、勇者の導き手となる一族が確かに存在することは、もう明白だ。
「其方の望みは、ただ確認を取ることだけか?」
「いいえ、恐れながら……この目で大神殿を再び見せて頂きたいと思っています。当時、大神殿は一般人が立ち入り禁止とされており、国王陛下の御許可が必要と聞きました。今も変わらずその形であるなら、どうか、お願いいたします」
私の願いを、陛下が聞き入れる理由も利点も何も無い。そして私には差し出せるものも無く、ただ陛下に懇願するしかなかった。深く頭を下げる。それに対して陛下は再び低く唸ったけれど、私が願ったことそれ自体に対する憂いではないようだった。
「大神殿のことも知っておるのか。うむ……其方の言う通り、一般人の立ち入りは禁じておる」
私の知る内容一つ一つが、本来、一般人が知っているはずのないことだ。勇者について語り継がれるどんな伝承も、大神殿や導き手の一族の話は一切無い。私の述べている『世迷い事』は、事実なのかもしれないと陛下も揺らぎ始めたのを感じた。頭を上げ、戸惑っている陛下の表情を見て、私は予定に無かった言葉を口にした。
「私は、『勇者の結末』を知っています」
その瞬間、陛下はぎょっとした顔を見せる。ああ、やっぱり。そんな気持ちが湧き上がる。あの結末は、夢などではなかった。半ば確信してしまった。だけどそれでも、この目で見るまでは。
「最後の魔王封印は十七年前。記憶している前世の年号は約千年前である為、私は、一代前の勇者ではないかと、思っています」
十七年前に、封印が解け、魔王が復活した。もしその封印が私の施したものであったとすれば、その時ようやく私とイルゼちゃんの魂は解放されて、転生することになる。私達の魂が母達のお腹に宿り、約一年後に生まれたとするならば計算が合う。けれどやはり、確証は無い。
「俄かに信じられることではないが、ただの妄想と切り捨てるには、確かに知り過ぎておるようだ。其方がそれを『記憶』と思う気持ちもよく分かった」
戸惑いを残しながらも陛下はそう言って頷いてくれた。優しい御言葉に泣きそうになる。もし大神殿の立ち入りを許されなかったとしても、この人を憎むことはこの先も無いだろう。肯定してくれただけでも、心から感謝していた。
それの意味するものが優しさだけではないことを、ちゃんと分かっているけれど。
「よかろう。導き手一族の代表と引き会わせる。一族の者が其方を真に勇者の生まれ変わりであると認め、大神殿への立ち入りを認めるのであれば、その通りに応じよう。だがその者が認めず、拒むのであれば諦めることだ。それで良いな?」
「はい、その通りに致します。ありがとうございます!」
私にとってはこれ以上ないお返事だった。再び深く頭を下げる。国王陛下は従者らに短い指示を出すと、そのまま私とイルゼちゃんを城内の応接室の一つへと通してくれた。
一族の代表の方は常に王都に居るわけではなく、普段は一族の村の方で過ごしていることが多いそうだ。しかし今は偶々、仕事で王都に居るらしい。つまり、このままお会いさせて頂けるとのこと。幸運すぎて驚いた。私が前世に勇者として此処へ訪れた日は既に封印が解けてしまっていたわけだから、ヨルさんが城内で待機していたのは分かる。けれど今は魔王封印の直後と言っても過言ではない時代。正直のところ、一族の方とお会いできるとしてもしばらく此処に滞在することになるか、または私の方から何処かへ赴く必要があると考えていた。想像以上に早く話が進んだ。ちょっと心の準備が出来ていなかったので心臓がうるさいけれど、嬉しいことには違いない。
応接室で上等そうな香りのするお茶を出され、促されても座ることに戸惑う美しいソファに腰を掛ける。だけどイルゼちゃんがあまり気にしていない顔で堂々と隣に座ってお茶に手を伸ばしたのを見たら、少しだけ力が抜けた。
「なんか、すっごい話でびっくりしたんだけど」
喉を潤したイルゼちゃんは幾らか戸惑いながら徐にそう呟く。お茶を淹れて下さった人は室内で待機しているが、少し下がった位置でじっとしていた。私達が普通に会話をしても咎められることは無さそうだ。
「うん……ごめんね、言っても、信じられないだろうと思って」
「いや、うーん、フィオナが言うなら、頭ごなしにそうは言わないよ」
優しい答えに思わず自分の表情が和らいだのを感じる。そうだろうと思う。きっと思い出した時点で全て話していても、イルゼちゃんなら真剣に聞いてくれただろうし、私以上に信じてくれて、バカにすることは絶対に無かった。だから、本当の理由は、そんな未来を怯えたからじゃない。
「分かってる。でも心配を掛けると思ったし、さっき王様にも言った通り、自分でも正直、まだ疑ってたから」
確証が得られていたら話せていたかどうかは分からないけれど、変なことを言って心配させて、私のおかしな妄想でイルゼちゃんまで悩ませてしまうのは、やっぱり嫌だった。
「いつ思い出したの? 最初から?」
「ううん、十六歳になって、熱を出した時」
「……なるほど」
その返答は、予想が出来ていたか、もしくは心当たりがあるという意味だと思った。追い掛けてきてくれた時、彼女が言ったことを思い出して、少しだけ寂しい気持ちが湧き上がる。
「別人みたいになった?」
「あー、……ごめん、あの……別人って言葉は悪かったと思うから、ちょっと、もう取り消させてほしいな……」
項垂れてしまった後頭部から、ひと纏めにしている髪が零れ落ちる。テーブルに掛かってしまわないように手を伸ばして避けたら、その感触にイルゼちゃんが顔を上げた。国王陛下の前でも飄々としていた彼女とは思えないくらい、弱々しい表情を浮かべていて、何だか可愛かった。私が笑みを向けると安心したのか、イルゼちゃんも淡い笑みを口元に浮かべて姿勢を元に戻す。
「でも、雰囲気が変わったというか、何考えてるのか時々分からなくなったの、その頃だったから」
そんな風に感じさせていたんだ。気の利いた言葉が何も浮かばない。それでも何か言わなくちゃと口を開いたところで、部屋の扉がノックされて心臓が跳ねる。イルゼちゃんが私の肩に優しく手を置いてくれた反応を見る限り、多分、身体も跳ねたんだと思う。恥ずかしい。そしてすぐ、扉が開かれた。
私はソファから立ち上がって入室者と対面する。三十代半ばに見える、細身の男性だった。彼は私を見ると、十六の娘に対峙しているとは思えないほど丁寧に、頭を下げた。
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