第7話
「
短剣の先端が眩しく輝いて、光属性の矢が高速で魔物を貫いた。小柄な魔物だったことが幸いし、一撃で消滅してくれた。イルゼちゃんも足を止める。残党は無い。四体居たと思ったのに、イルゼちゃんは一瞬で三体を倒してくれたらしい。頼もしいし格好いいけれど、こんな状態で一人旅をするつもりだった自分のことが、中々に居た堪れない。
何処か情けない気持ちになりながら短剣を下ろし、くるりと手元で回してから鞘へと納める。ちょっとだけ、前世のイルゼちゃんの真似。あんなに上手じゃないし短剣だけど、どうしてもあれがやりたくて、実はこっそり練習していた。
「人間の厄介除けにぶら下げてるだけかと思ってた。……剣なんて、何処で覚えたの?」
同じく納刀したイルゼちゃんが、苦笑いしながらそう言う。イルゼちゃんの武器は前世とそんなに変わらない。私が持ったら振り回されるだけだと思えるような長剣だ。でも納刀時にくるくる回すような所作は、今世では見なかった。
「ううん、覚えてないよ。抜いて戻すのだけ練習中。剣の方が、魔法が使いやすい属性があるだけ」
「ふうん……」
前世の記憶が戻ってから、火・雷・光魔法を使う時は剣、風と回復魔法を使う時は杖の方がずっと扱いやすいことに気付いた。以来、家にあった短剣でこっそり練習していた。祖父の遺品だったので持ち出すことはしなかったけれど、幸いザンナでそれより軽い短剣が手に入ったので、逆に良かったと思う。
ただ、軽くなって扱いやすいとは言え、今まで使っていなかった新しい短剣だから勝手が違う。慣れる為にも手に入れてからずっと手遊び感覚で練習を続けていた。
説明している間、静かに頷きながら聞いてくれているイルゼちゃんの表情に笑顔が無い。出来るだけ明るく説明していたつもりだったけど、自然と私の眉尻は下がった。
「イルゼちゃん、怒ってる?」
「……そりゃね」
怒っていると答えているのに、イルゼちゃんも眉を下げていた。怒っていると言うよりは、悲しんでいるように見えた。
「隠し事が多くて、なんか、嫌だ。本当は少し前から思ってたけど……別人になったみたい」
「……そう」
ずきりと胸が痛む。前世の記憶を取り戻したことで、雰囲気は多少なりと変わっただろうと思う。前世も今世も性格は似たようなものだった。でも勇者の旅を経て得た経験や、『結果』があるのと無いのとでは全く心持ちが違う。少なくとも私自身は、そう感じていた。
だけど、何も知らない、覚えていないイルゼちゃんから見れば『違う人』だろう。もしかしたら今回のことで、愛想を尽かされる可能性だってあった。前世からずっと繋がってきたイルゼちゃんだからって、甘えて考えていた節があることは否めない。
置いて行っても、いつか帰ったらその時はまた、一緒に居てくれると勝手に信じていた。傲慢な考えだと、今更知った。苦しくて、思わず眉を顰めてしまったら、イルゼちゃんがハッと息を呑んだ気配がした。
「ごめん、その、……嫌なこと、言った」
「ううん」
首を振って、構わないと示したものの、顔を見ることが出来なくて、前を向いて歩き出す。
「イルゼちゃんがそう言う気持ちも分かるし、責められても、仕方がないから」
「それでも、話してくれないの?」
話してほしいって、イルゼちゃんが思っているのは分かっていた。こうして旅に付き合ってくれているんだから、話すべきだとも思う。なのに、私にはそれが出来ない。
「ごめんなさい。……もう少し、時間がほしいの」
話せるようになるかは正直分からない。こうして一緒に来るというなら、話さないままではいられない。それなのに私は、話すことは怖くて堪らなかった。
ヨルさん。私はあなたのようには、強くなれない。
その後、緩やかな坂を登り切った辺りで太陽が真上に来ていたから、お昼休憩をすることにした。最初の戦闘からそれまでの間、魔物に遭遇したのは一回だけ。その時は一体だったから、私が何もする必要なくイルゼちゃんが片付けてしまった。やっぱりこの先も、イルゼちゃんの方が負担は大きくなりそうだ。当初考えていた通り、自分の昼食を彼女にあげようと思った。
「イルゼちゃん、はい、これ」
「え?」
宿を出る前に作っておいたサンドイッチを差し出すと、イルゼちゃんが目を瞬いた。そしてそのまま固まってしまうので、サンドイッチだと告げる。それでもイルゼちゃんは動かない。
「足りないかもしれないけど、お腹空いたでしょ?」
「いや、そうじゃなくて。フィオナの分は?」
「携帯食料あるから、大丈夫だよ」
取り出したそれを見せると、イルゼちゃんがはっきりと眉を顰めた。そして差し出していたサンドイッチを受け取らずに、私の方へと押し返してしまう。
「全然、大丈夫じゃないよ。フィオナが食べて」
「お腹空くかなって、念の為に用意してただけだよ。まだ運動量も少ないし、あんまり減ってないから」
嘘じゃない。携帯食糧だけで足りると思うくらいの空腹だ。だから余計に、イルゼちゃんに食べてほしかった。しばらく眉を寄せてサンドイッチを見つめていたイルゼちゃんは、ゆっくりと息を吐き出し、それを受け取ってくれた。だけどほっとしたのも束の間、大きな手でそれを半分に割った。
「半分ずつだよ」
「でも」
「携帯食糧くらいは、私だって持ってきてるから」
目を見れば、もう迷う色が少しも無くて、全部を受け取ってくれるつもりは無いと分かる。私もこれ以上の問答を諦め、差し出されている半分を受け取った。
「お腹が減ったらちゃんと言ってね?」
「分かってる。けど、勿論、フィオナもだからね」
「ふふ、うん」
そうして昼食を半分ずつに分け合った私達だったけれど、結局、日が暮れる頃にイルゼちゃんのお腹が大きな音を鳴らしたから、夕飯はイルゼちゃんに多めに食べてもらった。何だか少し悔しそうな顔をしていたのは、可愛かった。
「フィオナ、寝ていいよ、私が起きてるからさ」
すっかり日が暮れて、夜番の為に起こした焚火を前に、イルゼちゃんはそう言う。何となく予想はついていたから、驚かなかった。私はイルゼちゃんの隣に移動すると、彼女の膝を枕にして横になる。イルゼちゃんは目を瞬いて、それから、優しい笑みを浮かべた。
「あはは、可愛い。こっちの方が落ち着く?」
「うん」
素直に頷くと、一層嬉しそうにイルゼちゃんの目尻は下がっていった。
「そう、ゆっくり休んで。沢山歩いて、疲れたでしょ」
髪を撫でてくれる手が心地良くて、返事をしたつもりが、掠れて音にならなかった。それも分かっているみたいに、イルゼちゃんは嬉しそうな笑みを浮かべたままだ。私は普段からあんまり身体を動かしているわけじゃないから、歩き詰めになっていることをイルゼちゃんは心配してくれているんだと思う。実際、身体は酷く疲れていた。目を閉じたら、十秒や二十秒数えている間に眠ってしまうだろう。
何より今、撫でてくれている手が、触れている温もりが、傍にある気配が、私を安心させる。硬い地面の上で野外なのに、昨夜の宿のベッドよりずっと落ち着いて眠れそうだ。やっぱりイルゼちゃんが居ないと何にも出来ないなと、考えている内にもう、私は眠り落ちていた。
次に目を覚ましたのは、真っ暗な深夜だった。まだ私の肩には優しい手が触れていて、守られている感覚が身体を覆っている。野営中だという状況を一瞬忘れて、まるで家の中に居るみたいに寝返りした。イルゼちゃんがくすりと笑って、また私の髪を撫でる。薄っすらと開けた目が、揺れる焚火の明かりに照らされたイルゼちゃんの顔と、その遥か向こうに見える星空を捉えた。
「……もう、こんな時間」
「うん?」
明るい一つの星の位置で、今が何時くらいなのかを知って、思わずそう零した。起きようと思っていた時間が近い。イルゼちゃんは返事をしつつも寝言と思ったのか、寝かし付けるみたいにのんびり胸元を叩いてくれて、何だか可笑しい。心地良さに思わず二度寝してしまいそうになった。でも、そんなことをしたら酷く後悔するのが目に見えている。名残惜しいと思いながら、私は身体を起こす。
「フィオナ? まだ寝てなよ」
「んー……」
「どうし、うわ、えっ、どうしたの?」
気遣うように私の背中に触れていたイルゼちゃんの腕を強く引くと、彼女は驚いた声を出しながら身体を傾けた。両腕をイルゼちゃんの首に回して、しっかりと固定する。「なに」「ちょっと」と戸惑う声が、肩に触れている。身体の角度と火の位置をちゃんと確認して、私は脇に置いていた杖を拾い上げ、イルゼちゃんの頭にこつんと当てた。
「
青白い光がふわりと彼女の身体を覆い、そして、イルゼちゃんの目蓋が落ちていく。
「な、う……フィ、オナ」
「少しお休みしてね、イルゼちゃん」
対象を眠らせる魔法だ。予想通りの角度に身体が倒れ込んできて、先程までとは逆に、私がイルゼちゃんの頭を膝に乗せる形になる。油断してくれている状態じゃないと弾かれることの多い魔法だから、掛かってくれて良かった。だけどそのまま眠り落ちると思ったイルゼちゃんが、眠りに抵抗し、剣の柄に触れたから慌てて制止した。自分を傷付けてでも意識を保とうとしているのだと気付いて息を呑む。
「イルゼちゃん」
「だ、め、フィオナ」
「眠っていいよ、どうしたの」
私の言葉がどの程度、聞こえているのかは分からないけれど、頭を振って、歯を食いしばって、必死に抗っている。掛かる前に弾くことは容易な魔法とは言え、掛かってから弾くことはまず出来ない。それこそ、身体を斬り付けるくらいの衝撃が必要になる。そんなこと、させるわけに行かない。
「フィオナ、置いて、行か、ないで」
「……イルゼちゃん」
剣の柄を握り締めているイルゼちゃんの手を包み、そしてイルゼちゃんの頭をぎゅっと抱き締める。
「置いて行かないよ。イルゼちゃんにも、ゆっくり休んでほしいだけ。大体、こんな状態で放置したら危ないよ」
後半は少し笑いながら言った。もし私が本当にイルゼちゃんから逃げようと思っていたとしても、こんな場所で眠らせて放置するほど薄情じゃないし、まして、イルゼちゃんがどうなっても良いと思っているわけが無い。
「絶対に離れたりしないから、朝までゆっくり眠って」
そう言うと、私の声がちゃんと届いたのか、次第にイルゼちゃんの身体からは力が抜けて、ようやく剣の柄を離してくれた。数秒後、穏やかな寝息が聞こえてきて、ほっと息を吐く。単純に「交替しよう」と提案しても聞いてくれないと思ったからこの手段を取ってみたけど、まさか自分を傷付けて解こうとするとは思わなかった。イルゼちゃんのことを、私は侮っていたらしい。緊張のあまり滲んだ首筋の汗を拭い、もう一度、大きく息を吐いた。
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