第8話

「私は平気だったのに。フィオナの方が体力無いんだからさ」

 翌朝、目覚めるなりイルゼちゃんはそう言って怒った。そうなるとは思っていたけれど、分かったと言って、無抵抗に頷きたいとはどうしても思えない。

「全部イルゼちゃんに頼るのは嫌だったの」

「私はもっと頼ってほしい。じゃなきゃ、傍に居る意味が無いよ」

 火の番を交替しただけでそこまで言わなくても、と思うけれど、イルゼちゃんの表情は真剣そのもので、本気でそう思っているのが分かる。驚いているわけじゃない。イルゼちゃんはずっとずっとこういう人で、私にいつも甘くて、私も無抵抗に甘え続けてきたから、こんなことを当たり前みたいに言わせてしまっている。

「頼ったつもりだから、先に寝かせてもらったんだよ」

「でも……」

 納得した様子は少しも無いのに、イルゼちゃんはそこで言葉を止めると、小さく唸ってから、諦めたように肩を下げた。

「具合が悪くなったら、絶対、すぐに教えてよ?」

「うん、ありがとう」

 こうして引き下がってくれるのも、やっぱり彼女の優しさだ。

 その後、遭遇した魔物のほとんどはイルゼちゃんが倒してくれたので、私が想定していたよりずっと早く次の町に到着した。まだ日は色を変えておらず、市場も閉じていない。これ幸いと、到着したその足で買い出しを済ませる。体力的にも、戦闘が楽になったこともあって余裕があった。

 とは言え私は元々あまり体力がある方じゃないので、宿を取って荷物を置く頃には、流石にぐったりしていた。イルゼちゃんはそんな私の様子に笑っていた。私よりずっと動いているはずだし、買い出しの荷物も沢山持ってくれていたのに、全然まだ元気らしい。私が休憩している間にさっさと湯浴みの準備まで整えて、先に済ませておいでと促してくれる。こればかりは、素直に甘えさせてもらった。

 だけど、私が上がった後、中々イルゼちゃんは湯浴みに入ろうとしない。あまり長く間を空けるとお湯が冷めてしまうのに。

「イルゼちゃん、湯浴みしないの?」

「ん、するけど」

 そう答える彼女の手元にはちゃんと着替えが用意されていて、身に着けていた装備も外して軽装になっている。入ろうとはしているのだろうけれど、何が気になるのか、動こうとしない。首を傾ければ、イルゼちゃんがじっと私を見つめた。

「……居なくならないよね」

「ならないよ」

 一瞬、笑ってしまいそうになった。だけどこの件について悪いのは確実に私なので口元を引き締める。イルゼちゃんは、私を置いて眠らない為に剣まで抜こうとする人だから。少し考えてから、鞄の傍に置いていた自分のブーツを指差した。

「心配なら、靴、持って入っていいよ」

 今の私は部屋に備え付けてあったスリッパを履いている。靴が無ければ外になんてとてもじゃないけど出られないし、予備の靴など持ち合わせていない。イルゼちゃんはじっと私の靴を見つめて、ちょっと悩んだ様子だったけれど、結局、それを持って浴室の方へと入って行った。

 自業自得でしかないけれど、しばらくはこうして警戒させてしまいそうだ。苦笑を零しながら、私は近くのテーブルに地図を広げる。王都に辿り着くまで、あと六つの村や町を経由する予定をしていた。次の経由地は小さな村になるので、きちんとした宿を取るのは難しいかもしれない。

 一つ一つ再確認している王都への道とは別に、地図にはいくつかの印が付けてある。封印の祠があったと記憶している辺りだ。正確な位置は残念ながら覚えていないので「この辺り」というざっくりした感覚だけど。

 前世の旅は、ヨルさんや皆に付いて行くばかりで、自分では碌に地図も見ていなかった。精々、皆が広げた地図を覗き込むだけ。もしそれすらもしていなかったとしたら、本当に少しも位置は分からなかっただろう。ただ、覗き込んでいたのも、興味があったというよりは、勇者のくせに自分の目的地すら全く分かっていないという状況が責められそうで怖かったからだ。結局、前世の私には立派な勇者としての心持ちなど皆無だった。

 小さく息を吐いたところで、浴室の扉が開く。靴まで持って入ったのに、私の姿を確認したイルゼちゃんはホッとした顔を見せた。

「ごめんね」

「ん?」

「不安にさせてるみたいだから」

 私の言葉に、イルゼちゃんは少しだけ首を傾ける。すぐに言葉を返さなくて、靴を元にあった場所に戻してくれていた。そして背を向けたまま、彼女らしくない小さな声で応える。

「……謝られても困るよ」

 咄嗟に言葉が出なかった。どれだけ私の中に申し訳ない気持ちがあって、それを伝えようと口にしたって、彼女の不安は払拭されない。そんな状態で私がごめんって言っても許せるわけが無いのに、優しいイルゼちゃんは突っぱねることも出来ないのだ。また、ごめんって言いそうになって、飲み込んだ。

「地図、見てたの?」

「あ、……うん、次の経路の確認に」

 振り返ったイルゼちゃんは、何も無かったような顔をしていた。それが彼女の気遣いだって、ちゃんと分かる。ちくりと胸が痛むのを気付かれないように、私は俯いて地図に視線を落とした。

「この印なに? 目的地?」

「ううん。……もしかしたら行く必要があるかもと思って付けてるだけ、今のところは必要ないよ」

「ふーん」

 森の奥、山の上、滝の傍や、火山の麓。イルゼちゃんから見れば不規則に付けられている印に見えることだろう。その印を横目に、次の目的地と、その経路について簡単に説明する。黙って聞いてくれて、私が地図を指差せば視線を向けてくれるものの、あんまり興味が無さそうだった。そういえばイルゼちゃんは前世でも、私以上に地図を見ていなかった気がする。方角も距離も感覚で覚えてしまう人だから、地図って得意じゃないのか、もしくは必要と感じていないのかも。

「そろそろ寝よう、フィオナ。こっちおいで」

「……うん」

 二人だから二人部屋に通されて、当然ベッドは二つあるけれど、イルゼちゃんは有無を言わせない口調で同じベッドに私を呼んだ。同じ部屋で休む時、離れて寝たことが無いのも理由だろう。けれど、今はきっと私が何処にも行かないように抱いていたいんだと思う。勿論、嫌なわけじゃないし、断る理由も無い。地図を片付けて、同じベッドに入り込む。

 おやすみを言い合って、私はイルゼちゃんより先に目を閉じた。私が眠らなければきっと、今のイルゼちゃんは眠らないだろう。そして、やっぱりこの腕は、何処までも私を安心させてくれる。此処が故郷から遠く離れた宿屋だなんてことは、眠り就く頃には少しも頭に無かった。まるでいつも通りの、自分の場所だった。

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