第5話 行商が休む街 ザンナ

 馬のひづめが地面を叩き、ガラガラと車輪が回る音が響く。周囲もよく見えない夜半、こうして村の外を駆けるのは危険なことだ。しかし馬は速度を落とすこと無く走り続けていた。

「お嬢ちゃん、気分は悪くなってねぇかー?」

「うん、平気」

 手綱を握っている男性が荷台へと声を張る。返事をしながらイルゼは少し体勢を変えた。気分は平気だとしても、激しく揺れ続ける木の板の上はお尻が痛むのかもしれない。

「そりゃ良かった。馬車に初めて乗る子は、車酔いすることがあるからなぁ。気分が悪くなったら言うんだぞー」

 馬車の音に負けないように声を張りつつも、男性の声は優しい。イルゼはその言葉に礼を述べながら、フィオナのことばかりを考えていた。

 結論から言えば、間違いなくフィオナと思われる人物がセトラタに辿り着いていた。けれど、イルゼが到着した頃より四時間も前に、既に立ち去っていた。

 彼女はセトラタよりも更に北にある、行商人が行き交う町、ザンナに向かったと言う。その町はセトラタから歩いて向かおうとすれば一日以上が悠に掛かるとあって、話を聞いたセトラタの人達は酷くフィオナを心配した。彼女は華奢で小柄で、旅慣れているようにも見えない。その結果、セトラタの村長さん夫妻がわざわざ馬車を出し、ザンナまで彼女を送って行ってしまったそうだ。急ぎ足で追い掛けてきたイルゼだったけれど、馬車の速度に敵うわけがない。彼女は更に引き離されてしまったのだ。

 だがどれだけ落胆しようとも、足取りが掴めたのだからイルゼに諦める選択肢は無い。彼女は休憩すらせず、ザンナまでの道だけ確認してセトラタを発とうとした。そこでその時、イルゼの為に馬車を出すと言ってくれたのが、今、手綱を握ってくれている彼だ。若い女の子を一人、黙って夜道へと送り出せないと彼は言った。

「村長さんとこみたいに立派な馬車じゃねえから、寝れやしねえだろうが、我慢してくれよ」

「ハハ、そんなこと気にしないよ。わざわざ馬車を出してもらって、申し訳ないくらいで」

「構わん、構わん。俺もそろそろ買い出しに行く予定だったからなー」

 余所者に対して本当に親切な村だ。特にイルゼを送ってくれている彼は、フィオナを送って行ったという村長夫妻と比べても、夜道を走ってくれているという点では更に危ない。夜は一層、魔物の往来が増えるのだから。警戒するように荷台から外を見つめるイルゼだが、暗くてどうにも分からない。その時、馬が何かに怯えた様子でヒィンと高く鳴いて、思わぬ方向へと馬車が逸れた。

「うわ!? な、なんだ魔物か!?」

「――ッ私が出る! おじさんは中に!!」

 馬の感覚の方が余程鋭い。まだイルゼの目には見えていないが、近くに気配があるのだろう。武器を構えようとしていたおじさんをイルゼは制止し、代わりに外へと飛び出す。彼女は軽く周りを見回しながら、腰に携えた長剣を引き抜いた。

光明アスピッド!!」

 イルゼが魔法を唱えると同時に、彼女の頭上高くで明るい光が灯る。辺りを照らすだけの低級魔法だが、夜間の作業や今回のような夜襲に対応するには必須となる。しかし低級とはいえ立派な魔法なので魔力を使う。長時間は使用できない。ザンナまでの道のりでどれほどこうして魔物に遭遇するか分からない為、今、無駄に魔力を使うのは避けた方が良いだろう。瞬時に全ての魔物の位置を確認すると、イルゼは光を抑え、最速の動作で三体を仕留めた。

「おぉ、お嬢ちゃん、強ぇな……」

 荷台に身を隠しつつ覗き見ていたおじさんが感心した様子で呟く。再び光を強めて周囲を確認し、イルゼは剣を収めた。

「少なくて助かったよ、新しいのが来ちゃう前に移動しよう。……行けそう?」

 馬は未だブルルと鼻を鳴らして興奮している。おじさんは荷台から出て手綱を持ち直すと、馬を宥め始めた。

「ああ、この程度なら大丈夫だ。走ってる内に落ち着くさ。お嬢ちゃんも怪我は無いか?」

「うん、大丈夫」

 荷台に入ったイルゼの返事を聞くと、おじさんは再び馬車を走らせる。彼の言う通り、最初は少し乱れた音で走っていた馬も、ものの数分で落ち着きを取り戻した。手綱を握る人との信頼関係かもしれない。イルゼはあまり動物の扱いが得意ではない為、余計に感心していた。むしろフィオナの方が馬には好かれやすく、世話も上手だ。今思えばそんな彼女に騎馬の経験が無いのは幸いなことだろう。もしそれでフィオナが馬を手に入れてしまったら、更に、追い付くことは困難になる。

「お嬢ちゃんはザンナには行ったことがねえのか?」

「うん、ソットの村を出たのも初めてだよ。そんなに大きな町なの?」

「俺らの村と比べればって程度さ。ただ、行商人が羽を休める為の中継地点になってるんだ。お陰で、下手な港町より品揃えがいい。それで、うちの村のもんは時々買い出しに来てるってわけだ」

 おじさんや村長夫妻がすぐに馬車を出せたことも、向かう道に迷いがないことも頷ける。こんな時間に走らせたことは無かったかもしれないが。

 フィオナは一体その町で何をするつもりなのだろうか。もしくはザンナも、彼女にとっては中継地点でしかないのか。行き先はおろか目的も告げられなかった手紙。ザンナについて教えてくれているおじさんに気付かれぬように、イルゼは小さく溜息を吐く。

 その後、幸運にも他の魔物が襲ってくることは一度も無く、すっかり深夜になった頃、馬車は無事にザンナへと到着した。

「本当に無茶をさせてごめん、絶対忘れないし、いつかちゃんとお礼に行くから」

「ワハハ! お嬢ちゃんは真面目だな。良いってことさ。お友達が見付かるといいな」

「うん、ありがとう」

 町はソットやセトラタに比べれば確かに大きく、町中も中央通りであれば馬車のままで入り込むことが出来た。

 イルゼを町の広場付近で下ろしたおじさんは、宿の位置を伝えるとそのまま馬車で違う方向へと去って行く。彼は友人宅に向かうらしい。この時間にまだ起きているのか、そもそも起きていたとしてこんな時間に訪ねることが出来る相手なのか。色々と疑問が残るが、そこはイルゼが気にするところではないだろう。遠ざかる馬車をしばし見送ってから、イルゼは宿に向かった。

 夜深く、人影もほとんどない町で、流石に聞き込みなど不可能だ。それでも、イルゼは宿に着いて早々、受付の男性にフィオナのことを尋ねてみた。眉間に深い皺を刻んだ男性は、低く唸る。

「うーん、すまんねぇ、俺は夜になってから此処に居るから分からんよ。それに、例え知っていても客のことは答えられん」

 尤もだ。イルゼは項垂れながら、変な質問をしたことを謝罪した。他の宿に当たっても同じ結果になるだろう。今夜は探し回ることを諦め、イルゼはそのままこの宿で一泊することにした。明日、改めて探すしかない。中央通り沿いにある宿と食事処、または広場沿いにある露店ならば目撃情報があるかもしれないと、セトラタのおじさんは言っていた。

 しかし、こんな大きな町で一人の女の子を本当に探し出せるのだろうか。湧き上がる不安を飲み込み、イルゼは疲れ果てている身体をベッドに横たえた。


* * *


「みんな、……イルゼちゃん、怒ってるかな」

 私は宿屋で一人、静かに呟く。勿論、小さな部屋の中には私だけしか居なくて、言葉に応えるものは何も無い。

 村長夫妻のご厚意で馬車に乗せてもらい、予定よりずっと早くザンナに到着できたことは、少しほっとしていた。何より、こんなにも早くベッドで休めるとは思っていなかった。湯浴みを済ませて簡素なベッドに腰掛ければ、身体がずしりと重たい。

「まだ一日しか、経ってないのにな」

 たった一人で外を歩くことは、二人以上で歩くのと比べて疲労が全く違った。前世の私には、必ず『守ってくれる誰か』が傍に居た。主にイルゼちゃんだったけれど、イルゼちゃんが離れている時だって、ヨルさんや、サリアちゃんや、ダンさんが傍で守ってくれていた。

 だけど今は違う。一人きりで、誰も私を守ってくれない。怖い気持ちは前世のままで、周囲を警戒する為の緊張感が追加されて、精神力と体力が想像以上に削られていた。今回は馬車という想定外の楽をしたにもかかわらずこの状態なのだから、先が思いやられる。

 身体を横たえ、天井を見上げた。目を閉じるだけでもう眠り落ちてしまいそうだ。今世で、自分の家とイルゼちゃんの家以外で眠るのは初めてのことになるけれど、前世では何度も、色んな村、色んな町の宿に泊まった。初めてであるという感覚は全く無い。むしろ少し懐かしいと思う。それでも、一人きりで此処に居る自分のことが、信じられないような気持ちがあった。

「前世でも今世でも、私じゃ、考えられないな……」

 独り言すらもう眠気のせいでふんわりと音が頼りない。

 私は、生まれ変わっても、臆病なままで少しも成長していない。物心付いた頃から漠然と感じていた「何か出来ることをしなくちゃ」という焦りは、もしかしたら前世の後悔から来ていたかもしれない。なのに私は、今世もイルゼちゃんの背中に隠れて生きてきた。守ってくれる腕に甘えて生きてきた。

 だから、たった一人で村を出て、たった一人で旅をするなんて考えられない。

 今の私には二回分の記憶がある。一度目の後悔があって、それから、もう二度と会えない、大切な人達との思い出がある。それだけで、頑張らなきゃいけないと思う。臆病な私でも出来るくらいのほんの少しだけど。しっかり鍵を掛けた一人部屋の宿ですら、疲れ果ててなければ眠れなかったかもしれないと思うくらいには不安な思いがあるけれど。

 眠りに落ちる寸前、前世で置いて行ってしまった三人の仲間と、それから今世で故郷に置き去りにしたイルゼちゃんの顔が浮かんだ。

 離れたいなんて、少しも思わない。だけどこの後悔を拭わなきゃ、私は彼女の傍で、生きていけない。

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