第4話 近隣の村 セトラタ

 フィオナが消えたのは深夜から早朝までの間だ。誰もが、何も知らないと首を振り、「まさかフィオナちゃんが」と驚愕した。

 彼女はとても臆病だった。いつもいつも、イルゼの背に隠れていた女の子だった。

 そんな彼女がたった一人で夜の内に村を出たなど、誰が信じられるだろう。彼女の筆跡で手紙は残っていたと言うが、それでも事件に巻き込まれた可能性を考える者は一人や二人ではなかった。幸いだったのは、そんな懸念を抱いた人の中には、同じく足跡探しを申し出てくれる人も居て、最後には二十人近くの人が村中でフィオナについて尋ねて回っていた。

 そして、何の手掛かりも得られないまま一時間程が経過した時だった。

「おい! 馬小屋のじいさんが! もしかしたら見たかもしれないって!」

 大きな声が響いて、丁度近くに居たイルゼと、フィオナの母が駆け付けた。

 話を聞いたところ、この村で一番多くの馬を飼っている初老の男性が、深夜、人影を見たとのことだ。

「妙に、馬が落ち着きねえと思ってたんだぁ、そしたら、あっちの、北の門の辺りだよ、灰色の布みたいなもんがフワ~と動いててよ」

 北の門は、男性が持つ馬小屋から最も近い村の入り口だったが、それでも少し距離があり、月明かりしかない時間であれば目を凝らしたとしても誰が立っているか判断するのは難しい。

「俺ぁ、幽霊かなんか出やがったんだと思ってさ、もう怖くなっちまって。塩でも撒くかって、ちょっと離れたら消えてたんだ。だが、フィオナちゃんくらいの背丈の子が灰色のローブ被ってりゃ、確かにああいう風に見えたかもしれねえ」

 門の柱に描かれた模様の、どの辺りの高さだったかを懸命に思い出して告げる男性。証言通りであれば、フィオナの背丈と一致するものだった。イルゼはフィオナがそのようなローブを持っているのを見たことは一度も無いが、彼女は魔法以外にも料理と裁縫が得意で、身に着ける服の半数は彼女自身が作ったものだった。もしも彼女がこの日を前々から計画していたのであれば、用意することは難しくないように思える。

「……北の門なら、向かったのはセトラタか?」

 声にイルゼ達が振り向けば、肩で息をしているフィオナの父とイルゼの両親の姿があった。知らせを受けて駆け付け、途中から聞いていたようだ。他にも、一緒に目撃情報を探してくれていた人達、数名が来ていた。

 セトラタとは、此処から北東にある村だ。多少の行き来はあるものの、この村と大きな違いは無く、敢えて向かうべき目的は分からない。ただ、北方向にある中で、人の足で辿り付けそうな距離という意味では、セトラタしかないだろうというのが皆の意見だった。とは言え、フィオナの足では到着までに、半日以上は歩き詰めになるだろう。本当に、そんな場所へあの子が向かったのだろうか。誰もが首を傾ける。

「でもそれしか手掛かりが無いなら、私もセトラタに行ってみる」

「イルゼ!」

 その言葉を告げた直後、今すぐにでも村から飛び出す勢いで歩き出したイルゼを、慌ててイルゼの父が引き止める。

「父さん、退いて」

「駄目だ。待ちなさい」

「待たない。……フィオナと離れるのは、絶対に嫌だ」

 イルゼの瞳は今にも泣き出しそうな程に揺れていた。手紙には、帰りを待っていてほしいと願われていた。だけど、イルゼはそれを出来ないと思った。今、イルゼの手の届かない場所にフィオナが居ること。そして何処かで、フィオナが一人きりで居るだろうこと。どちらも彼女には耐え難い。イルゼの父は眉を寄せ、深い溜息を吐く。

「分かってる。止めてもお前が聞かないことは分かってるんだ。だから追うこと自体を止めるつもりは無い。ただ、まず冷静になりなさい」

 イルゼの父は、言い聞かせるように、ゆっくりとそう告げた。

 馬小屋の男性が見た人影がフィオナであると仮定すると、彼女が村を発ったのは既に六時間以上前のことになる。今更、一分一秒を焦って村を飛び出したところで、すぐに追い付ける差ではない。

「村の外なんて、着のみ着のままで行く場所じゃない。外歩きが出来るよう、きちんと準備をしよう」

 父の言葉は正しい。イルゼは彼の目を真っ直ぐに見据えて、必死に衝動を抑え込んでいた。本当は、今すぐにでも飛び出して行きたかった。だが余裕ある状態でなければ、万が一の場合にフィオナを守り切れないかもしれない。何度も深呼吸を挟んでから、イルゼが頷く。そうしてイルゼとフィオナの両親は、彼女の旅立ちを手伝ってやることにした。

「――本当に、父さん達は行かなくても大丈夫かい?」

「うん、ごめん。父さん達まで守る余裕、無いかもしれないから」

 途中だった朝食を終える頃には、イルゼの持ち物や、携帯食糧などは両家両親によって鞄に詰められていた。そして、狩りに出る時の装備を身に着けているイルゼへと、父らが最終確認を取る。返った言葉に肩を落としつつも、彼らも理解している。父らは普段、狩りもしないのだ。畑仕事はするにしても、イルゼのような戦う技術を持たない。村の外で魔物と遭遇してしまったら、足手まといになる可能性の方が高かった。この村は、戦う技術を持つ者が少ない。イルゼは少しでも早くフィオナへと辿り着く為にも、同行者は必要ないと首を振った。

「約束を覚えているわね?」

 家の玄関に立つイルゼへ、イルゼの母が問い掛ける。きちんと足を止め、振り返って、彼女は頷いた。

「分かってる。セトラタで何の手掛かりも得られなかったら、諦めて一旦、村に戻って来る」

 もしもフィオナが予想と全く違う場所へと向かっていた場合、広い世界を闇雲に探すのは無謀だ。『定期的に手紙を出す』と言ったフィオナを信じて、『次の手掛かり』を待つ方が、見付けられる可能性が高いと思える。

「それから、本人が見付からなくても、何か手掛かりがあって旅が長引くようなら私も必ず手紙を出す」

 イルゼの言葉に、親達は揃って頷いた。旅立つ条件として、彼らはこの二つをイルゼに約束させていた。今は気が焦っているだろうから、敢えて本人の口から確認して、きちんと飲み込めているかを確かめたのだろう。

「此方でも何か分かったら手紙を出すから、受け取れそうな場所も、必ず記載するんだよ」

「うん。約束するよ」

 村に居る限りはフィオナ本人からの手紙が来る可能性があるが、イルゼがこのまま村を離れてしまえば、それはもう把握できない。そして村から随分と離れてしまってから足取りが掴めなくなった場合、『一旦戻る』が現実的ではないので、村からも情報を送れる手段を考えた上での案だった。

「ごめんなさいね、イルゼちゃん、いつもあの子のことで……」

 震えながら、フィオナの母がイルゼに謝罪した。その身体を支えるように、フィオナの父が寄り添っている。両親の衝撃も心配も、計り知れない。本当ならばイルゼと共に村を飛び出して探しに行きたいと願っているのだろう。もしも自らに戦う力があり、外を護衛なく歩くことが出来たなら、きっとそうしていたに違いない。だがそれは叶わない。彼女らは、フィオナをただ待つか、イルゼに任せるか、どちらかしか選べなかった。イルゼは彼女を気遣うように柔らかな笑みを向け、首を振った。

「謝らないでよ。傍に居たいのは私の方だよ。……そうじゃなきゃ、こんな」

 励ます為に言葉を掛けたつもりだったのに、イルゼの言葉は途中で途切れる。フィオナが離れて行ってしまった。その痛みが、まだまだイルゼの中では生々しい。頭を振って、続きを飲み込んだ。

「ごめん、大丈夫。きっと見付けてみせるから」

 そう告げるイルゼのさび色の瞳は強い輝きを見せ、自らの言葉を必ず現実にしたいと願う、誰よりも強い意志があった。

「――じゃあ、行ってくる」

 踏み出した一歩は大きく、村を離れようとする足取りは、抑え切れない焦りが滲んでいた。ペースを間違えてしまえばセトラタに着くまで保たないだろう。疲労した状態で魔物に狙われてしまえば、例えイルゼでも危ないだろう。心配ばかりが湧き上がって、親達はいつまでも、イルゼの背を村の門から見守っていた。


 昼を少し過ぎる頃まで、やや足早に、休むことなく北へと向かっていたイルゼは、空腹を知らせる大きな音が自分の腹部から鳴ったのを合図に、仕方なく足を止めて昼食を取った。実際、その直前に魔物と戦った時、微かに剣が鈍っていたのだ。疲労した状態では危ない。自分自身に言い聞かせ、食べ終えた後も少しだけ休憩をした。

 そこに至るまで、イルゼは数回、魔物と遭遇して戦っている。だからこそ、焦りが湧き上がっていく。フィオナはまだ夜の明けないような時間、この辺りを歩いていたはずだ。道中、人が襲われたような跡を見付けることは無かったが、傷付けるより先に攫ってしまう魔物も居るだろう。絶対とは言い切れない。フィオナは魔法が使える。父らよりはまだ戦う術を持っている。しかしあの子は臆病だ。身体を強張らせている間、魔物は待ってくれない。

 いつの間にか、剣の柄を強く握り締めて、イルゼの手は震えていた。

 焦る気持ちを抱く中では長く休息した方だが、本来の意味ではおそらく不十分と言える長さで立ち上がり、イルゼは再び北へ向かう。結果、普通ならば昼前に出れば夜に到着するはずのセトラタに、イルゼは日が暮れる前に到着した。

「旅の御方?」

 門を潜ってすぐ、近くにいた女性がイルゼへと声を掛けてきた。イルゼの親よりも歳上に見える、落ち着いた人だ。

 イルゼらの村もそうだが、このような辺境では余所者など行商人くらいしか見掛けない。イルゼはどう見てもそのような風貌ではないので、目立つのは当然だ。振り返って軽く頭を下げると、女性は繁々とイルゼを眺める。イルゼは平均的な女性よりずっと背が高い。遠目にはもしかしたら、男性に見えていたのかもしれない。少し驚いた様子で目を丸めていた。

「珍しいわねぇ、こんなに若い子が……」

 まるで独り言のように告げられた言葉に、イルゼは酷く落胆した。フィオナが此処へ来ていない。そう思ったからだ。しかし。

「立て続けに、二人も来るなんて――」

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