第2話

 フィオナとイルゼの二人がようやく離れ、それぞれ自宅で眠るようになったのは、十歳になって少しした後のこと。両親らは強引にではなく、言葉で懸命に説得した。二人は両親の憂いや、相手の家に掛けている迷惑を正しく理解し、渋々ながらも了承していた。

 だが、両親らも今まで二人を二人で育ててきた経緯があり、そして普段は大人しく従順な二人の唯一の我儘であったこともあって、十日に一度は一緒に寝てよいものとした。その言葉にフィオナがちょっとだけ涙して、イルゼもそれを堪えるように顔を真っ赤にしていた。やはりどうしても引き離すことは酷いことのように思えて、もう少しで両親らは撤回してしまうところだったが、何とか踏み止まった。

 しかし離れて眠ることを選んだ後も、二人は許される限りの時間を共に過ごしていた。村には十二歳まで通う一つの小さな学校があったけれど、子供がそう多くなかったことから学級も一つだけ。それを終えれば夕飯の時間までを共に過ごす。何も変わらない日々だった。

 そして歳を重ねるほど、フィオナは魔法への強い適性を見せた。最初から興味を示していた治癒術は勿論のこと、光、火、風、雷の四属性の魔法を扱った。「将来は王都で宮廷魔術師かもしれない」等と言う大人も中には居たけれど、あまりに人見知りで臆病なフィオナの性格を見る限りは、この村から出すことは現実的には思えない。大人が驚くような魔力を見せても尚、引っ込み思案で控え目で、イルゼの背にいつも隠れている。イルゼもそれを許し、フィオナへと手を伸ばそうとする全てを威嚇した。そのせいだろうか、イルゼも一層、剣の稽古に精を出していた。彼女は今も、何者からもフィオナを守ろうとしていた。

 それから更に六年。

 毎年、二人は同じ誕生日を、一緒に祝ってもらっていた。今日もそのはずで、昼過ぎから畑の作業を手伝っていたイルゼは、汗を流してから両親と一緒にフィオナの家へと向かった。すると予定外に、慌ただしく家を出てきたフィオナの父と、玄関先で鉢合わせる。

「おじさん? どうしたの?」

「あ、ああ、折角来てくれたのにすまない、フィオナの具合が急に悪くなって、今から、医者を呼びに」

「え!?」

 そのまま医者の元へと走る彼にイルゼの父が付き添い、イルゼ自身は母と共に家の中へと入り込む。中では、蹲るフィオナの傍に真っ青な顔をして膝を付いている、フィオナの母の姿があった。

「フィオナ!? おばさん、一体どうしたの」

「わ、分からないのよ、急に頭が痛いって、それで」

「すごい熱……昼は全然、そんなことなかったのに。と、とにかく、ベッドに運ぼう!」

 イルゼが触れたフィオナは酷く熱かった。何度呼び掛けても意識は朦朧としていて、時折「イルゼちゃん」と呟く声に何度も「此処に居るよ」と答えるのに、苦し気な表情はまるでその存在に気付いていないようで、彷徨った手を握っても、それが握り返されることは無かった。

 駆け付けてくれた医者が飲ませた鎮静剤で苦しむ様子は落ち着いても、彼女の発熱の理由はまるで分からなくて、今日が誕生日であったことなどイルゼはもう欠片も覚えていなかった。ただただ熱を帯びた小さな手が明日には握り返してくれるようにと祈りながら、傍に居ることしか出来ない。今夜ばかりは誰も、イルゼを彼女の傍から引き離すことは無かった。


* * *


 十六歳の、誕生日の日だった。

 私も一応、主役のはずなんだけど、イルゼちゃんが来てくれるまでに用意をしなくちゃいけないからって、母と一緒に誕生日会の支度をしていた。次々に作られていく料理のほとんどがイルゼちゃんの好物で、ちょっとだけ笑う。イルゼちゃんのお家でお祝いしてくれる時は私の好物ばかりが並ぶから、変であるような気はしつつもそういうものなんだと思うようになっていた。

 だけどテーブルが埋まってきて、そろそろイルゼちゃんが来る時間だと思ってエプロンを外した辺りで、私の視界はぐにゃりと歪む。

「フィオナ?」

 足元にエプロンを落とし、テーブルに手を付いた私に気付き、母が振り返った。心配そうな声に何か応えたかったのに、瞬きをする程に視界の歪みは酷くなる。母の声が耳の奥で反響して、次第に、何を言われているのか分からなくなっていく。頭がつきりと痛んだ。

「……あたま、いた、い」

 言うと同時に更に強い痛みが頭の奥に響いて、立っていることも叶わずにその場に蹲る。その直後からもう、私の意識は途絶えていた。


 目を覚ました時、私はベッドに横たわっていた。窓の外から明るい光が入り込んでいる。倒れた時はもうすっかり日が暮れていたから、意識を失っている間に、夜が明けてしまったらしい。目だけで辺りを窺う。壁際に、座ったままで眠っている父の姿が見えた。順に視線を滑らせていくと、母と、イルゼちゃんのご両親の姿も。そして、私の手を握ったままでベッドに突っ伏しているイルゼちゃん。全員が私に付き添ってくれていたらしい。確かめるようにイルゼちゃんの手を緩く握ると、イルゼちゃんの頭がぴくりと動いてから、ゆっくりと持ち上がる。眠っていなかったのかな。イルゼちゃんは充血した目で私をじっと見つめていた。

「……ル、ゼ、ちゃん」

「フィオナ!!」

 私が名前を呼んだ瞬間、イルゼちゃんは泣き出しそうな顔をして勢いよく私の方へ身体を寄せた。だけど抱き締めてくれた腕は優しくて、多分、私の身体を気遣ったんだと思う。イルゼちゃんの声で、親達が飛び起きた気配がした。

 皆が問い掛けてくることに、ぼんやりと答えていく。少しぼうっとしてはいるけれど、意識障害が無いことを確認すると、全員、ほっとした顔をした。イルゼちゃんと、私の母がそれぞれ額や頬に触れて、熱が下がっていると言っていた。頭痛だけではなく、熱も出ていたらしい。記憶が無い間のことだから、よく分からない。

「ごめんなさい、お誕生日会、が」

「ばかね。そんなのはいつでも出来るのよ。自分のことだけ心配しなさい」

 そう言って笑う母の目はいつもより赤くて、少し腫れている。酷く心配させてしまったのだと分かるけれど、気遣われて喜ぶ人ではないのも分かるから、優しい言葉にただ小さく頷いた。

 もう少ししたら再び医者に診てもらおうと親達が話している傍らで、イルゼちゃんは私の手を握ったまま、絶えず頭を撫でてくれていた。私が見上げると、優しい笑みが向けられる。

「イルゼちゃん」

「うん?」

「……ごめん、なさい」

 弱々しく囁いた言葉に、イルゼちゃんは眉を下げる。そしてゆっくりと首を振った。

「大丈夫だよ、元気になったらまたお祝いしよ。フィオナが無事なら、それが一番だから」

 そうじゃなくて。

 誕生日会のことじゃなくて。

 だけど私はそれ以上、言葉が続けられなかった。ことの謝罪だって、どうしたら伝えられるか分からなかった。

 思い出してしまった。この世界の遥か昔に、自分が勇者であったこと。そしてその、結末を。

 今世の記憶と未だごちゃごちゃしているけれど、これだけはハッキリと分かる。今の世も、勇者として選ばれた知らない誰かの命を礎として、保たれている平和だ。私達はそんな、何の危機も無い時代に生まれた。

「……ル、さん」

 私の為の朝食を取りに行こうと立ち上がったイルゼちゃんが、私の口から零れた小さな音を聞き取って首を傾ける。

「フィオナ、何か言った?」

「ううん」

 慌てて首を振った。もう一度イルゼちゃんは首を傾けたけれど、そのまま私の傍を離れて、一度、部屋を出て行く。その背を見つめてから、誰にも聞き取られないように静かに溜息を零した。

 ――ヨルさん。

 彼は私達が居なくなった後で、平和になった世界を見て、自らの使命が確かに『善』であったと胸を張ることが出来ただろうか。抱えた苦しみのひと欠片でも、救う結果になっただろうか。

 私は、……今の私は、本当に胸を張れる?

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