第二部

第1話 辺境の村 ソット

 王都から遠く離れたある辺境の村ソットには、少し変わった二人の女の子が居た。

 勇者によって魔王が封印された平和な世界の中、彼女達はこの村に一つしかない診療所で、同じ日、同じ時間に生まれている。しかしそれが女の子達を『変わった』と思わせる要因ではない。

 この村には医者も一人しか居なかった為、彼女らが生まれた日は大変忙しかった。幸い助産師が二名居たこともあってどちらの母子も大事なく出産を終えたのだが、問題はその後のことだ。その子達は、引き離されると酷く泣いてしまった。

 初めは誰にも、赤ん坊がどうして酷く泣いてしまうのか分からなかった。何かの病気ではないのか、そう思うほど、家に連れ帰ってしまうなり泣き止まない。泣いて泣いて、力尽きて眠り、起きたらまた泣くというループを繰り返す。しかし両家両親が慌てて診療所へと運び込んだところで、ぴたりと泣き止んだ。

 実際のところ、目も見えない赤ん坊が相手の存在を察知していたかどうかは誰も確信できていない。だが、引き会わせれば泣き止むことに気付いた時、両家両親は、『一緒に育てるしか無い』と考えた。彼らはすっかり、疲れ果てていたのだ。確証は無くとも子らが泣き止む事実があれば、それ以外の方法を取ることは出来なかった。

 何にせよ隣に寝かせればいつの間にか手を繋いでいたり、片方がきゃっきゃと笑い始めればもう片方も楽しそうに笑うなど、引き離せないという不便を加味しても余りあるほどに愛らしかったというのも、親達がこれを選んだ理由の一つだったのかもしれない。

 この時点でもう村中の話題になるほどの珍事だったが、女の子達は「フィオナ」と「イルゼ」と名付けられた。二人の母親の両方が揃って「子を宿した夜に、女神様が夢でその名を語りかけてきた」と言う。それを最初に聞いたそれぞれの夫はまともに信じていなかったが、二人揃って言い出したというところで、本当に女神様の声なのかもしれないと考え、その通りに名を付けた。

 そのような経緯で名を受け、同日の同時刻に生まれた二人の女の子。引き離すことが出来ないという変わった特徴も相まって、いつからか村の者は「女神様に望まれて生を受けた子達」だと言った。


「あらイルゼ、フィオナちゃんも。何処に行くの?」

 イルゼの母は、玄関で靴を履いている小さな二つの背に声を掛ける。少し大きい方の子供が元気よく振り返ると、小さい方の子供は身体に合わない大きな一冊の本を抱えながら、モタモタと振り返った。

「フィオナと一緒に、庭で遊ぶー!」

「あ、あの、お、お昼には、戻ります」

 五歳を迎えた頃、二人はそれぞれ趣味を得た。

 フィオナは魔法に興味を示し、イルゼは剣に興味を示した。まるで真逆のものだと言うのに、二人が共に時間を過ごそうとする点に変わりはなく、イルゼが剣のおもちゃを素振りする横で、フィオナが魔法書を見つめていることが増えた。今日も庭でそのように、時間を過ごすつもりなのだろう。

「庭よりも外には出ちゃダメよ」

「はぁい!」

「それとイルゼ、その魔法書はまだフィオナちゃんには重たいでしょうから、庭まであなたが持ってあげなさい」

 母の言葉にハッとしてイルゼは両手をフィオナに差し出した。持つよ、と言っているのだろう。しかしフィオナはそれを申し訳なく思うのか、イルゼとその母を交互に見比べている。

「大丈夫、重たいの持つのも、ケイコだから! 代わりにフィオナ、手つなごう!」

 乱暴でない程度に強引に魔法書を取り上げたイルゼは、それを片腕で抱えて、もう一方の手をフィオナへと伸ばす。自分が両腕でやっと抱えていた本を軽々と片腕に抱えるイルゼに目をぱちぱちとさせた後で、フィオナがそっとイルゼの手を握る。イルゼは満面の笑みをフィオナに向けてから、自分の母を振り返った。

「行ってきまーす!」

「い、行ってきます」

 母がそれに返事をする頃には、二人はもう玄関の外へと頼りなく駆け出していた。

 赤ん坊の時ほど手が掛からなくなった二人は今も、引き離すことが出来ない。こうして日中にずっと一緒に居るのは勿論のこと、お風呂もベッドも、必ず一緒だ。つまり『一緒に育てる』という状況は継続されている。何度か引き離すことを試みているが、その度にフィオナは酷く泣き、イルゼも泣きながら暴れる。まるで大人が酷いことをしているかのような悲痛な泣き声に、どうにも強く出られないまま、両家両親はそれを受け入れた。

 むしろもう五年も経てば慣れてしまった。赤ん坊の頃は二人の母がどちらかの家に寝泊りしながら共に世話をしていたが、最近は二人を片方の家に預けている間、もう片方の家はのんびり過ごし、三日ほどでそれを交代するようになった。今日はイルゼの家が二人を見ている。結局、引き離しさえしなければ、二人は従順で大人しく、手が掛からない為に出来ることだ。

「せい! たぁ!」

 大きな掛け声を続けながら、イルゼが懸命におもちゃの剣を振る。フィオナは時々それを楽しそうに眺めて、魔法書に目を落とす。まだ五歳の彼女には分厚いその本を読むことは難しい。それでも早くから文字に興味を示していたフィオナは、ゆっくりであれば文字を読むことが出来ていた。当然、意味については分からないものは多いだろうが、本人はそれでも楽しいらしい。いつも夢中になって本を見つめている。

 その頃、イルゼの家の玄関前では、庭から聞こえる元気な声に微笑む、フィオナの母の姿があった。

「あら、どうしたの?」

「居ないなら居ないで、何だか落ち着かなくて。アップルパイを焼いたから、おやつの時間にでも食べてちょうだい」

 フィオナの母はそう言うと、笑いながらバスケットを手渡した。それを受け取ったイルゼの母にもそのような感覚は覚えがあるのだろう、楽しそうに笑っている。

「今は二人で、庭に居るわ」

「ええ、イルゼちゃんの元気な声が聞こえていたわね」

「女の子なのに、一体どこで剣に興味を持ったのかしらねぇ」

 イルゼが木の棒を持って素振りを始めたのは唐突だった。身近には剣を扱う大人も居ない。しかし何があったのかと問い掛けても「けんしになる!」と言うばかりで、理由についてはまるで要領を得なかった。強いて言うなら頻りに「フィオナをまもる!」と繰り返していたくらいだろうか。

「フィオナはフィオナで、何かあったら自分がイルゼちゃんの怪我を治すんだって、治癒術に興味を示していて」

「だからずっと治癒術の魔法書を抱えているのね」

「ええ」

 立ち話もなんだからと、結局、家の中に招いた後で、二人は子供達の話に花を咲かせる。

「全く、あの子達は一体、何と戦うつもりなのかしらねぇ」

「本当にねぇ」

 今、この世界は平和だ。彼女達が生まれる約一年前に魔王が復活していたが、勇者様によって再び封印されたという知らせが、こんな辺境の村にもきちんと届いている。以来、年々、魔物の数は減っているし、ここ最近は魔物の被害がほとんど無い。

 たった五歳の女の子二人が何かに立ち向かわなければならないほどの脅威は、この世界の何処にも無い。庭から聞こえる元気なイルゼの声を聞きながら、二人の母は改めて苦笑を零していた。

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