第19話

「フィオナ殿、あの術を」

「はい」

 ヨルさんの言葉に応じて、私は剣を真っ直ぐ上へと掲げる。大神殿の中だけで使用できると聞いていた、勇者だけの術がある。事前に教えてもらって、何度も何度も練習した詠唱。結局少し噛んでしまったものの、問題ないようだ。私の身体からは光が溢れ出し、剣の先へ伝わると、大きな光の柱が立ち上る。

 そして天井に巨大な光の魔法陣が浮かぶと同時に、小さな魔物は全て地面へ伏せ、または消え去り、大きな魔物も明らかに動きが鈍る。これは勇者の加護を最大限に引き出す術。仲間の力を高め、そして魔物の力を弱らせる『場』を作り出すという、私に出来る唯一の戦いだった。魔王も最奥で表情を微かに歪めたのが見えた。しかしそれでも、口角だけは引き上げていた。

「途轍もない力だな、戦えぬ勇者よ。この力ばかりは、歴代の勇者と遜色ない、いや、……上回るか」

 声を聞けば未だ身体が竦むけれど、私は勇者の剣をしっかりと握り直す。いつかヨルさんも言ってくれていた。私は戦えないけれど、封印の力だけは他の勇者と変わらないのだと。そして私から出る加護の力が最も強く影響するのがイルゼちゃん。私とヨルさんが想像していた以上に、イルゼちゃんは魔法の威力も、剣の威力も、今までの比じゃなかった。ひと振りで、五体や六体の魔物が同時に斬り伏せられていく。一つの炎が、もはや爆破のような威力で魔物を灰にする。ダンさんとサリアちゃんも、今までに無い勢いで魔物達を屠って進んでいた。

 魔王の軍勢がもはや『軍』と呼ぶには頼りない敗残の塊になる頃、とうとう、先頭を走るイルゼちゃんの剣が魔王へと至る。先程のような笑みはもう魔王の口元から消えた。強大な闇魔法をイルゼちゃんへと向けようとも、火や雷の魔法で掻き消されている。属性を考えれば掻き消すようなことは出来ないはずなのだけど、おそらくは属性の相性なども関係なくなるほど圧倒的に、イルゼちゃんの魔法の威力が強いのだ。離れた位置からの魔法攻撃で時間を稼ぐことも儘ならず、イルゼちゃんと魔王が互いの剣を激しく斬り結ぶ。

 魔王は、勇者の剣とまるで対を成すような大きな黒い剣を振るっているけれど、イルゼちゃんの速い剣捌きに明らかに苦戦していた。私の生み出した光の陣の影響と、そしてまだ封印に縛り付けられていることもあり、弱っているのだ。そうであることを思えば魔王は異常なほどに長く、イルゼちゃんと戦っていた。それぞれの祠の最深部に居た魔物達も、勿論、他の魔物達も、あんなに長くイルゼちゃんと戦うことの出来た相手は今までに無かった。もしものこの陣の下でなかったら。もしも既に魔王が束縛を解き、外へ逃れてしまっていたら。この戦い、本当にどうなったか分からない。

 だけどそんな未来は訪れなかった。私達は歴代の勇者と同じく三か月以内に此処へ辿り着き、そしてこの大神殿の中、勇者の光の下で魔王と戦うことが出来た。激しい斬撃に怯んだ魔王の身体へ、イルゼちゃんの渾身の雷魔法が叩き込まれる。魔王の身体は吹き飛び、大神殿の最奥の壁へと叩き付けられた後、大きな身体はその場に膝を付いた。

「勇者、ならざる、者が、加護のみで、此処まで、とは」

 絶え絶えの呼吸であるにも関わらず、魔王はいつまでも楽しそうだ。イルゼちゃんは歩み寄りながら、剣の柄を更に強く握りしめる。

「いつまでも、ニタニタ笑いやがって」

 苛立ったような声が神殿に響いた。イルゼちゃんの方がずっと、余裕が無いようにも聞こえる声だ。私は息を潜めるようにしてイルゼちゃんの背を見つめていた。何も出来ないけれど、私の代わりに戦ってくれている姿から、ほんの一瞬も、目を逸らしたくなかった。

 イルゼちゃんが魔王の前に立ち、剣を高く振り上げる。これが魔王の最期だろう。しかしそれでも尚、魔王は笑みを浮かべていた。私からイルゼちゃんの表情は分からない。だけどその背は震えていた。身体中から立ち上るように、彼女は怒りに満ちている。

「お前さえ出てこなければ、ずっとフィオナと生きていられたのに……!」

「フハハハハハ、良い憎しみだ。次の復活まで、覚えておこう」

 返った言葉に更に苛立ったかのように勢いよく、イルゼちゃんが剣を振り下ろす。その身体は無抵抗に両断され、魔王は霧状になって消えた。呆気の無い、魔王の最期だった。

「……結局、魔王までアイツが仕留めちまいやがったな」

 ダンさんはそう言って、斧を下ろす。魔王が倒れたことで力を失った為か、光の陣に抗えず他の魔物らも形を崩して消え始めたのだ。襲ってくる存在は何も無くなった。その光景を見て、ほんの少しの安堵と共に、私はその場に膝を付く。

「フィオナちゃん!」

 はっと息を呑んだサリアちゃんが駆け寄ってきてくれた。その声に、イルゼちゃんも慌てた様子で私を振り返ったのが視界の端で見えた。

 勇者の光の陣を生み出す魔法は、かなりの力を使う。最後だからと本当に力を振り絞ってしまったから、私は今までに無く疲れてしまっていた。ゆっくりと呼吸を整える。最後の魔王封印に使うのは私の命そのものだから、残った体力は関係ないと聞いているけれど、少なくとも祭壇には、自分一人で立っていなければならない。

「あまり猶予は無い、フィオナ殿」

「はい」

 促すヨルさんは、はっきりと苦しげな表情をしていた。この後を思えば、やっぱりヨルさんが一番辛い役なのだと思う。私が選んだことだし、ヨルさんは私に『逃げる』選択肢も与えてくれたけれど、『この先』があるヨルさんにはどうしても、私のことを色々悔やませてしまうのだろう。

 深呼吸の後、私はふら付きながらも立ち上がる。サリアちゃんが心配そうに手を貸して、私の身体を支えてくれた。魔王は、封印をしなければすぐに復活する。私にはもう一度あの光の陣を生み出すだけの力は残っていない。もたもたしていてはイルゼちゃん達の戦いが無駄になってしまう。早くしなければ。

「じいちゃん……」

 サリアちゃんが悲しそうにヨルさんを振り返って呟く。ヨルさんは黙って首を振った。本当に、逃れられない運命だと伝えるように。

「ありがとう、サリアちゃん。大丈夫」

 支えてくれていた腕をやんわりと解く。後はもう自分の足で立てる。だけど一度離した身体を、サリアちゃんは引き寄せて、私を力いっぱい抱き締めてくれた。

「私、絶対に、フィオナちゃんのこと忘れないから。子供に、孫に、ひ孫に、ずっとずっとその先にも伝わるように、語り継いでいく」

「うん、……辛い思いをさせて、ごめんね。沢山、ありがとう」

 頓珍漢な言葉だったかもしれないと少し思った。でもこんな言葉しか今思い付かなかった。サリアちゃんは私を抱き締めたままで黙って首を振ると、また少し、腕に力を込めた。身体を離した時には沢山の涙を零してくれていて、短い付き合いだったけどこんなにも心を痛めてくれる優しさが、不謹慎だけど私は嬉しくて、愛しかった。

「ヨルさん、ありがとうございました」

 改めて、隣に立っていたヨルさんに向き直り、私は頭を下げる。

「語り継がれた勇者が、ヨルさんの代じゃこんなので、本当に、がっかりされたと思うんですけど」

 どうせなら、私に語ってくれたような立派な勇者の導き手になりたかったのだろうと思う。そうだとしてもヨルさんは心を痛めたと思うけれど、それはそれとして。私の言葉にヨルさんはゆっくりと溜息のような息を吐き、のんびりと髭を撫でた。

「まあ確かに、戦えぬ勇者は前代未聞じゃ」

「うっ」

「魔王に一太刀も入れることは無かったと次世代に語り継ぐのは少々躊躇う」

「はう」

 反論が全く出来ない。申し訳ないと言いつつ認識がまだまだ甘かった。申し訳ない気持ちが更に膨らむ。私が居なくなった後も、この旅においての私があまりに不甲斐ないせいで、ヨルさん達は語り継ぐべき内容からまず困るのだ。何という手間だろうか。改めて私は肩を落とした。その様子を見たヨルさんが、ふっと小さく息を吐いて笑う。

「じゃが、世界を救う勇者として頼りなくとも、お主は優しい娘じゃった」

 ヨルさんの声は優しく、私を見上げる瞳も、悲しみと同じだけ慈しみのような色が含まれる。優しいのは余程、ヨルさんの方だと思う。自分の方がずっと苦しかったはずなのに、今、私を想ってくれている。

「わしの小言や戯言にも怒ることなく、弱き者には必ず手を差し伸べた。フィオナ殿に、この旅は本当に辛かったじゃろう、この神殿に至ることも」

 勇者は死ぬのだと知った上で私を導かなければならなかったヨルさんは、最初から色んなことを憂えていたのだろう。私に伝えなければならない時、どれだけ胸を痛めていたのか、私には想像も出来ない。使命を知った私がただ歩みを進めることだって、一歩一歩が、ヨルさんの罪悪感を深めてきたのだと思う。それでもヨルさんは今も、私へ向けて微笑んでくれた。

「たとえ勇者でなかったとしても、わしはフィオナ殿が好きじゃよ。礼を言うのはわしの方じゃ。……本当に、ありがとう」

 杖を左手に持ち変えると、ヨルさんは私の前に手を出した。私はそれを両手でぎゅっと握って、またヨルさんに向かって頭を下げる。感謝を伝えられる術がそれしかなくてもどかしい。けれど、もう、時間も少ない。

 祭壇の方へ身体を向けると、ダンさんが立ちはだかっていて、私から祭壇が全然見えなかった。目を丸めた私を可笑しそうに見つめながら、ダンさんは手の平を私に向ける。

「おら! 最後に一発、来い!」

 ダンさんは時々こういうことをする。私も笑って、勢いよくその手の平をパンチした。しかしいつも通りびくともしなくて、その手を叩いた私の拳の方が余程痛む。

「う、ぐう……」

「あはは! やっぱ駄目だな、嬢ちゃんは」

 私の非力を揶揄ってこんな遊びをしてみては、イルゼちゃんに見付かって「フィオナの手が怪我したらどうするの!?」と酷く怒られていたのに、ちっとも反省していないらしい。でもいつも通りに楽しそうに笑っていたダンさんは、今まで見たことが無いくらい悲しそうに眉を下げた。

「けど、今のが一番、重たかったなぁ」

 私が叩いた感触を閉じ込めるようにぎゅっと握り締められた拳は、私では両手でも包み切れないだろうと思うくらいに、大きい。なのにそんな力強い拳は、小さく震えていた。

「今、この場所に立ってる嬢ちゃんを、誰が何と言おうと、俺は勇敢だったと思うぜ」

 大きな手が、私の頭を撫でてくれた。この結末から逃げなかったことを、ダンさんは褒めてくれているのだと思う。考え方は決して勇敢なものではなかったと、私は思う。でも今褒めてくれていることを振り払うことは、したくなかった。

「ダンさん、ありがとうございました。皆のこと、……イルゼちゃんのこと、お願いします」

 最後は小さな声で、ダンさんにだけ届くように囁く。大きく目を見開いたダンさんは、照れくさそうに私から目を逸らして顎をしゃくっている。

「いや~、どうだかな~、あいつが選ぶことだ」

「お似合いだと思いますよ」

「だといいが……」

 こんなところまで私達の旅に付き合ってくれたのは、彼の心根の優しさとお人好しさであるのが大半だと思うけれど、イルゼちゃんのことも少し理由なのだろうなと思っていた。いつも大体怒られて、冷たくあしらわれている割に、ダンさんはよくイルゼちゃんに構うし、イルゼちゃんを見る目はいつも優しい。

「ダン、邪魔。もういいでしょ」

「おっと」

 私からは姿が見えないけれど、イルゼちゃんの声が近くで聞こえる。すぐ傍まで戻ってきていたらしい。ダンさんは肩口に後ろを振り返って確認した後、再び私に向き直ると軽く肩を竦めた。最後の挨拶をしている時にすらこの扱いなのだから、前途多難かもしれない。でも、ダンさんだったら良いかなと、思っているのも本当だ。

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