第18話

 魔王のその声が響き渡ると、魔物達を目の前にしているにも関わらず、イルゼちゃんが私を驚愕の表情で振り返った。

「なん……なんだって?」

 それに応じて、ダンさんもサリアちゃんも振り返ったのが分かったけれど、私はその視線に応えることは出来なかった。皆の足元ばかりを、見ていた。

「フィオナ」

「ご、めんなさい、……それが、勇者の、役目、だから、って」

 声が震えていた。皆の顔は見られなかった。私は知っていた。私が此処に辿り着き、魔王を倒し、魔王を封印したその後に自分がどうなるのかを、知っていた。だけど逃げることが出来なかった。進むことも逃げることも、どちらもとても怖くて選べなかったから、ただ使命に従った。

「じいちゃん、知ってたの?」

「……それが、繰り返されてきた勇者の歴史。人類が存続する為に続けられた儀式なんじゃ」

 感情を押し殺したような、いや、何処か寂しそうな声でヨルさんが答える。

 ヨルさんは私が倒れてしまったあの日、真に勇敢な、歴代の勇者達の話を教えてくれた。彼らは魔王を封印した世界の先の、平和な世界の話には現れない。封印した時点で、彼らの伝説は必ず終わる。勇者の物語の結末はどれも同じ。封印を成せば必ず世界は平和になり、そこにはもう、勇者が居ない。役割が消えるから勇者と呼ばなくなるのではない。そう呼ばれた人が、もう居ないのだ。

 勇者の魂は、剣と共に封印の『鍵』として必要なものだった。最後の封印を行えば勇者はその場で石像に代わり、千年間、魂が此処に囚われる。そして次に封印が解けた時、初めて勇者の魂は解放され、転生することが出来るのだそうだ。前の勇者も今頃はようやく何処かへ転生を果たしているのだろう。千年後には、私もそうなるのだろう。皆に何も言うことが出来ない私に変わって、ヨルさんは淡々とそれらを説明した。

 呆然としている三人に対し、容赦なく魔王の軍勢が迫ってくる。皆は何とかそれを凌いでいるけれど、いつになくその動作は戸惑いに満ちて、苦戦をしていた。遠くで私達を眺めている魔王は、楽しそうに笑っている。

「おい、どうすんだよ!?」

「どう、するって、そんなの……!」

 ダンさんが問い掛ける。イルゼちゃんは答えられない。

 どんなに勇敢に戦い抜いたとしても、魔王を無事に倒せたとしても、私が死ぬことは決まっている。だから皆は戦いそのものを迷ってしまっていた。本当に戦うべきなのかどうかすら、分からなくなってしまっているようだ。勇者の役目を知ってしまえば、優しい皆が迷うだろうことは分かっていたから、私もヨルさんも、皆には伝えないことを選んでいた。私達は、魔王がそんな仕組みを知っているとは思っていなかったのだ。封印は、魔王を倒した後で行われるものなのだから。しかし先程の魔王の言葉を聞く限りは、今までに来た勇者一行が話した可能性もあると思えた。『今回は』知らずに来たといった。つまり、勇者が死ぬことになるのだということを仲間全員が分かった上で、此処へ辿り着いた歴史もあったのかもしれない。

 それは勇者が自ら打ち明けたのだろうか。だとすれば、何て勇敢なんだろう。騙すみたいにして皆に此処まで連れて来てもらって、何も知らせないままで務めを果たそうとしていた私とは、大違いだ。その後にヨルさんがどれだけ皆から厳しく責められることになるかを分かった上でもそれを選択しようとしていた私とは、何もかもが。

 皆は、真っ当に戦えなくなっていた。少しずつ後退している。私も皆が下がるのに従って、少し後退した。だけど、このまま押し出されてしまうわけにはいかない。何となく分かる。魔王の拘束はもうそう長くない。これも勇者の力なのだろうか。今回引いてしまったら、もう間に合わないかもしれないという、確信に近い予感があった。魔王がこうして私達の動揺を誘って、時間を稼ごうとしているのは、きっとそのせいだ。

 その予感を抱いた私の心情を、『焦り』と言い換えてもいい。おそらくはそちらの方がずっと近い。そうでなければ臆病な私がこの行動を取ることは、このまま一年待っても十年待っても起こらなかっただろう。

「え、えーい!!」

「どわ!」

 ダンさんの脇ぎりぎりから、私は思いっ切り勇者の剣を振り下ろした。目を瞑ってしまった為に照準も合わせられず、剣筋に応じて走った勇者の光は幾つかの魔物を滅したけれど、魔王からは大きく逸れていた。

「フィオナ」

「わ、私、は、ここまで、連れて来てもらったから、どうしても、この役目だけは果たさなきゃいけないの、じゃなきゃ」

 声は震えていた。剣を持つ手も震えていたけれど、そうでなければ本当に、私は何も出来ない人間のままだ。生まれてからずっと、誰の役にも、何の役にも立てなかった。死ぬことが役割だなんて少しも望んでいない。死にたくなんかない。だけど今更どうしたって逃げることなんか出来ない。この道しかもう私には残されていなくて、この道を進むには、時間がほとんど残されていない。早く、早く進まなければいけない。

「皆が戦えないなら、こ、此処くらいは、私、だって!」

「い、いやいやいや! 嬢ちゃんろくに戦ったことねーだろ!」

 そう叫ぶダンさんの横をすり抜け、前に走る。あんまり足元も見ていなかったから、転ばなかったのはただの奇跡だ。偶々、石や溝を避けられただけ。すると前に出た私へ向かって、一斉に魔物が襲い掛かる。思わず身体が竦んだが、咄嗟に剣を横に振ったら第一波は止められた。けれど、第二波を続けて防ぐことなんて、当然私には出来るわけがない。大きく右に振った勇者の剣を自分の前に構え直すようなことも出来ずにただ、ぎゅっと目を閉じた。

「――ばか!」

 そんな声が聞こえると同時に、私に迫っていた魔物達は次々に斬り伏せられ、または弾け飛ぶ。目の前には、イルゼちゃん、ダンさん、サリアちゃんの背中。皆が魔物と私との間に入るようにして、守ってくれた。

「み、皆……」

「フィオナちゃん、無謀すぎ!」

「危ねえな!」

 ほっとしたのも束の間、サリアちゃんとダンさんに怒鳴られてまた私は身体を強張らせる。イルゼちゃんは大きな炎で正面の魔物を牽制すると、私を振り返って、強く肩を引いた。

「フィオナは本当に、それでいいの?」

 こんな顔、初めて見たと思う。真っ直ぐに私を見つめるイルゼちゃんは、いつもいつも私に向けてくれていた優しい表情じゃなかった。私は今、明らかに、生まれて初めてイルゼちゃんを怒らせていた。だけどもう、覆せない。その方法が、私には分からない。もしも助かる道があるなら私だって選びたかった。でもどれだけ考えても、考えても、考えても。どうしようもない。勇者が犠牲にならなきゃ魔王は封印できない。魔王を封印しなくちゃ、人間は生きていけない。

「臆病で、何も出来ない勇者でも、皆が助けてくれて、連れてきてくれたから。最後だけは、ちゃんと、私も勇者として役目を果たしたい」

 自分だけが死ぬか、皆で死ぬかを選べと言われたら、……流石に後者を選ぶほど傲慢になんてなれない。だって色んな人に助けてもらった。皆、こんな私にも優しかった。だからこれしか、私には選べなかった。

 何にも出来ない私にだって何か、イルゼちゃんや他の誰かにしてあげられることがあったらいいのにと、いつも願っていた。ずっと、何も無かった。今も何も無いけれど、魔王の封印だけは、『皆の為』って言えるのではないだろうかと思う。私にしか出来ない役目で、私にも出来ることで。そうしたらイルゼちゃんも、そしてこの先の千年の、皆の平和を守ってあげられる。こんな情けない人間が飾るには、立派すぎるような結末だ。

 勿論、優しい皆に、誰よりもイルゼちゃんに、それを喜んでほしいと言うのは残酷だと分かっている。イルゼちゃんは傷付いたみたいな顔をしてから、目に涙を溜めて、唇を噛み締めた。

「こんな時こそ、臆病風を吹かせて、逃げてほしかった。こんな、時ばっか、頑固で……」

 記憶の限り、イルゼちゃんが泣いたのは一度だけ。結婚できないって知って一緒に泣いた、あの小さな頃のたった一度だけ。そのイルゼちゃんが、ぽたりと頬に一滴の涙を零した。誰より悲しませてしまうことなんて最初から分かっていたのに、その雫の光を見た私の心臓はぎゅうっと締め付けられ、苦しくなる。他の道が無いと分かっていても、後悔に近いような気持ちが湧き上がった。

「……分かったよ。それがフィオナの決めたことなら、私は、……そう約束、したもんね」

 絶対に否定しない、応援すると、イルゼちゃんは言ってくれていた。あんな約束だって、この使命を伝えることなく受け入れたこと、責められたって仕方がないと思うのに、イルゼちゃんは今尚それを貫こうとしていた。再び顔を上げたイルゼちゃんに涙は無く、彼女はそのまま、前を向いた。そして駆け出し、正面の魔物に剣を向ける。

「爺さん、最後にもう一回だけ聞くぞ! 本当に! どうしようもないんだな!?」

 私とイルゼちゃんに話す時間をくれようとしていたのか、ずっと何も言わず戦ってくれていたダンさんが、魔物を振り払うように斧を大きく振ってから、神殿が揺れるかと思うほどの大声で叫ぶ。

「どうすることも出来ぬ。これが定めじゃ」

「……くそったれ!」

 少しも納得が出来ないと言わんばかりに叫んだけれど、ダンさんはイルゼちゃんに負けず劣らずの勢いで魔物達に立ち向かう。サリアちゃんだけはまだじっとしていたものの、一度、神殿の天井を見上げて、大きく息を吐いたら、ガンとまた籠手と籠手を強く叩き鳴らして、同じく魔物に向かって走って行った。

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