第17話

 翌日からの道程では、想像以上に魔物が多くて一日半が掛かってしまったけれど、誰も怪我をすること無く、遂に、最後の街に辿り着く。ヨルさんが送ってくれた文は無事に届いていたようで、国から派遣されたという兵士の方とすぐに合流することが出来た。

「またでっけぇ船だなー。送ってもらうのは俺らだけだろ?」

 港町に辿り着き、兵士さんに案内されて見上げた船は、想像以上に大きかった。私はみっともなくも口を開けて見上げてしまっていたと思う。

「見栄じゃろうな。あ、これは内密にのう」

「じいちゃん……」

 兵士さん達が誰も傍に居なくて良かった。千年に一度の勇者を手助けする為に国が用意した船がぼろだったり、小さくてすし詰め状態になったりすれば、ヨルさん達の一族に語り継がれてしまいそうだと考えるのは分からなくもない。一族の目的を思えばそんなことをいちいち歴史には残さない可能性の方が高いと思えたけれど、王様の方がどのように捉えているのかは微妙なところだ。この措置を見る限りは、些細なことでも残されてしまうと思っているのだろう。

「今夜はゆっくりと休息を取り、明日には出港する」

 ヨルさんの言葉に私は神妙に頷く。一方、皆はいつも通り、明るく、軽く頷いていた。

 明日のこと、怖いかどうかと言われたら、私の答えは一つだけ。怖くて堪らない。大神殿へ永遠に辿り付けなければいいのにとすら思う。『万に一つも負けは無い』とまで言われていても、臆病な私にはそんなこと関係が無い。だけど、私は『勇者』にならなきゃいけないから。紋を受けた時からそれが、決まっていたのだから。

 船の旅には何の障害も不測の事態も起こらなかった。空は雲一つ無いくらいに澄み渡り、海はずっと穏やかで、勇者の旅を応援してくれているかのようだ。

「あんまり風に当たってると、体力無くなるよ、フィオナ」

 甲板でぼんやりと空を見上げていると、イルゼちゃんはそう言って傍に来てくれた。だけど「船室に入ろう」とは言わなくて、風上に立って少しでも当たる風を減らそうとしてくれている。

「イルゼちゃんだって、疲れちゃったら大変。これから戦うのに」

「私は平気だよ。……船旅って初めてだもんね、気分が悪くなったりした?」

「ううん、大丈夫」

 無理に船室へ戻そうとしなかったのは、その懸念のせいだったのかもしれない。もしも部屋の中で船酔いしてしまったら、大神殿に向かう前に私は動けなくなってしまっただろう。幸い、私は船に弱くはなかったようだ。半日ほどこうして船に揺られているが、気分が悪くなる気配は無い。少しだけぼんやりとしてしまうのは、多分、別の理由。

「歩かなくても前に進むって、不思議だね」

「あはは」

 今までずっと、自分達の足で進んできた。歩いて、戦って、休んで、また歩いて。そんな日々の繰り返しで、この場所に辿り着いている。だけど今は、最後の目的地へは近付いているのに、私達には特にやることが無い。ぼんやりと待っていれば、私達は魔王のところへと辿り着けるらしい。この旅の最後の最後の道程が、こんなに穏やかであるから、色々と余計なことを考えてしまう。魔物に怯えながら道を歩いて進んでいればきっとそんな余裕は得られなかったのだろうに。

 どちらかと言えば、私のような臆病者にとっては、考える時間は少ない程に良かったのかもしれない。

「イルゼちゃん」

「うん?」

 何となく名前を呼んでみる。すぐに返事があって、声はいつも通り穏やかで優しい。それなのに、いつも通りには安心ができない。少しだけ身を寄せたら、イルゼちゃんは腕を回して抱き締めてくれた。

「不安?」

「……うん、すごく、不安」

 一瞬だけ強がろうかと思った。イルゼちゃんに心配させたかったわけじゃないし、気に病ませたくもなかったから。だけど、そう出来るほどの余裕は少しも無かった。包み隠さずに答えた私を抱くイルゼちゃんの力が、僅かに強まる。温かい手が、後頭部をゆっくりと撫でてくれた。

「大丈夫だよ、一緒だからね」

「うん」

 優しい腕の中で、硬い金属や革で覆われたイルゼちゃんの身体を、手の平で確かめるみたいに辿って行く。隙間なく頑丈に覆われていて、きっと彼女の身体を守ってくれることだろう。籠手こては以前と少し変わって、大きな火の魔法を扱っても熱が伝わらないような材質が挟んであるらしい。もう火傷もしないはずだ。祈るような心地で、目を閉じる。

「イルゼちゃん、お願いだから」

 顔を上げたら、イルゼちゃんは不思議そうな顔で首を傾けていた。生まれた時からずっと私を見つめてくれた優しい瞳。今もそれは何も変わらなくて、今日の空よりも澄んでいた。

「怪我、しないでね」

「あはは、そういう不安?」

 本人は何だか可笑しそうに笑うけれど、何にも可笑しくはない。戦うのは私じゃなくて皆だ。加護があって強化がされていても、前に出るのは皆で、この世界で最も手強く、人類の敵である魔王に立ち向かうのも、私じゃない。本当は私であるはずなのに、その役を、この旅ではずっと皆が代わってくれている。自分の身の不安は当然あっても、皆の身を不安に思っていないはずがなかった。だって皆に何かあったら全部、皆を前に出した私のせいなんだから。

「……それだけじゃないけど、それもある」

「そっか。うん、頑張るよ、またフィオナを心配させないように」

 自分のせいになる等とは、告げないようにした。きっと優しいイルゼちゃんなら「フィオナのせいじゃない」って言うだろうと思う。だけど今それを言わせるのは卑怯だと思った。最後の戦いは、すぐそこまで来ている。私だけは絶対に、私の役目を、運命を、起こる全てを、誰のせいにもしちゃいけない。する資格は無い。

 船は、私にとっては不幸にも予定通り、少しも長引くようなこと無く、翌日の早朝に大神殿がある離島に接岸した。

「もう見えてやがる。こんなに近いんだな、大神殿」

 最初に島へと下りたダンさんは、目を細めてその姿を見つめる。続々と島に上がって、同じくその姿を眺めた。近い以外に、大きいというのもあるのだろう。見えてはいるけれど、入り口に至るまで、十数分ほどは歩きそうだ。

 ただそれは『何も障害が無ければ』という意味であって、時間はもっと掛かると思われた。既に身体の大きな魔物が数体、此方を窺っているのが分かる。船には急いで沖へと離れてもらった。護衛の兵士さん達は船に待機してもらっているけれど、万が一でも船に何かあったら元の陸に戻れなくなってしまう。

「皆、武器は早めに抜いておきなさい。大神殿は、入れば一部屋しかない」

「なるほど」

 イルゼちゃんとダンさんはそれぞれの武器を構え、サリアちゃんは籠手の状態を確認するようにガンと一つ叩いて音を出す。私も剣を鞘から引き抜いておいた。加護は、鞘から抜いていないと発生しない。皆が今までで一番強い皆であるように祈りながら、柄を握り締める。そうして進み、大神殿の入り口に至るまでは他の道程と何も変わりなく、順調に進んだ。皆は強い、絶対に大丈夫のはず。

「……フィオナ殿、よいかな」

 ヨルさんが私に問い掛ける。これがきっと、最後の確認だ。ヨルさんは今も私に、『逃げ出す』選択肢を与えようとしてくれていた。でもやっぱり私には、『逃げる度胸』も無い。色んな人の助けを借り、国から船まで出してもらって此処まで来て尚、逃げ出すような大それたことが出来るならば、私はきっともっと心が強くて勇敢に、敵の前に立てたに違いない。

「はい、……最低限だけど、私は勇者の役目を務めます」

 ヨルさんは私の言葉を聞くと、一度静かに目を閉じて、何度も頷いた。「行こうか」と呟く声は今まで聞いた中で一番の、悲しみに満ちていた。

「全部私が倒すから、心配要らないからね、フィオナ」

「うん」

 頼もしい背中を見つめて目を細める。私は大きく息を吸って、多分生きてきた中で最大の勇気を振り絞って、「行こう」と皆へ向かって声を掛けた。

 神殿の内部はぼろぼろだった。柱は幾つも砕け、天井にも穴が開いている。足元の石畳も多くが欠けていて、足場はかなり悪い。そして辺りには異様な臭いが立ち込める。おそらくは、瘴気だ。魔物が多い。数を数えることなど到底できそうにない。ヨルさんが先に言った通りに一部屋だったけれど、あまりに広い大きな空間。その中に、ぞっとするほど多くの魔物が居て、全ての目が此方を見ている。

 その中で、最奥にある祭壇に悠々と腰を掛け、私達を正面から見据えているのが、間違いなく魔王だろう。一目でそうと分かるほどの圧が、その姿にはあった。大きな角が両側頭部から生え、にたりと笑って広がる口が大きい。私の身体がぞわりと震える。

 魔王は、私達を眺めるように目を細め、可笑しそうに笑っていた。

「懲りもせず、こうして余を封印しに現れたか。滑稽だな、人間の愚かさはどれだけ時を重ねようと変わらぬ」

 低い声が大神殿の中に響く。魔王は私達と同じ言語を扱い、まるで人のように話した。理由は分からないが私はその声を聞くだけで身体が竦んだ。けれど、他の皆は気圧されることなく、強く魔王を睨み付けている。

「その人間に何度も負けて封印されてる魔王様が、随分とデカい口を叩くんだね。また封印されるんだよ、分かってんの?」

 イルゼちゃんに至っては真っ向からそうして魔王を煽れるだけの気概があるらしい。彼女の強気な声が支えてくれているような心地になって、私は緩みかけた手にまた力を込め、勇者の剣を強く握る。

「ふ、……そうかもしれぬ」

 自らが今から勇者の力で封じられるのだと言われても、魔王は笑うことを止めない。負けないと思っているのか、封印が恐ろしくないのか、それとも、何か他に意図があるのか。

 不安は的中した。魔王が大きな声で続けた言葉は、気圧されていなかった強い皆の心を一瞬で脆く崩した。

「そしてまた一人、『勇者』が余の封印と引き換えに、死ぬ」

「……は?」

 気の抜けたような、イルゼちゃんの声。ダンさんも、サリアちゃんも呆けたのが、背中を見ているだけで分かった。誰も私を振り返らなかった。振り返れなかったのかもしれない。剣を握る私の手が、再び震え始めた。この瞬間の心情を何とも形容できない。手が冷たくなっていく。「どうしよう」、私の頭の中はそれしかなかった。静かになった私達一行を見つめた魔王は、腹を抱えるようにして笑う。

「ハハハハハ、そうか、今回は知らずに来たか! それもまた愉快!」

 違う。正確には、――来た。

「封印とは、『勇者の命』と引き換えに行われる儀式。余を滅し、封印するということはつまり、勇者の『死』を意味する!」

 魔王を取り巻く魔物達は動きを見せない。そしてイルゼちゃん達も誰も動かない。まるで演説でもするように両腕を広げ、意気揚々と語っている魔王を静聴しているような空間になっていた。

「分かるか? お前達は余を殺しに来ただけではない、今日まで共に歩み続けたその少女を殺す為に来たのだ! さあ、戦え! その少女の死を勝ち取ってみせろ!!」

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