第16話
そして迎えた翌朝、私は何度も何度もイルゼちゃんに同じ問い掛けを繰り返す。
「……平気そう?」
「うん。ほら全然。元々、痛くはなかったんだよ」
「嘘付き」
「本当だってば」
腕に触れたり、顔色を窺ったりと、いつまでも離れないで心配し続けていれば、いよいよイルゼちゃんも困っている。着替えを終えても私のせいで腕にサラシが巻けないし、アームカバーも
「支度が終わらないよー、フィオナ」
ちょっと笑いながらイルゼちゃんが軽く抗議の声を上げたと同時に、部屋の扉がノックされた。
「おーい、準備できたー?」
私達が中々下りてこないから、迎えに来てくれたのだろうか。サリアちゃんの声だった。けれど時間的にはまだ少し早い。扉を開くと、サリアちゃんだけでなくダンさんとヨルさんも一緒だ。私の姿を見た後に奥のイルゼちゃんへ視線を向けた様子を見れば、どうやら私と同じで、イルゼちゃんの怪我の状態を気にしたらしい。私は皆を部屋に引き入れる。
「籠手、着けられそうか?」
「私は平気なんだけど、フィオナの許可が下りなくてね~」
ダンさんは、手にまだ何も着けていないイルゼちゃんを心配そうに見つめて声を掛けるが、イルゼちゃんは心配ないと手をぶらぶらと振っている。そんな動きでも心配になるのに。私はヨルさんを振り返る。
「ヨルさん、イルゼちゃんの腕、もう大丈夫でしょうか」
「ふむ、ちょっと診てやろう」
心配な気持ちでいっぱいになっているのを汲み取ってくれたのか、ヨルさんはそう言ってイルゼちゃんへと歩み寄り、杖を腕の近くに向けた。そして少しずつ、角度を変えたり位置を変えたりしながら「うむ」「ふーむ」「ぬう」と唸りながら細かく確認している。
「ちょっとヨル爺、『大丈夫』って即答してよ」
中々答えを言わないヨルさんに、イルゼちゃんはうんざりしたような表情を浮かべる。私が固唾を飲んで見守っているから、それを齎しているヨルさんが気に入らないらしい。イルゼちゃんの為にしてくれているのだから、少しだけでもその顔は抑えてほしかったな。
「うむ、もう大丈夫じゃ!」
「はあ……良かったぁ」
「絶対、絶っ対に、すぐ分かってたでしょこのクソジジイ……」
妙に時間を掛けて答えを出したヨルさんを見下ろしながらイルゼちゃんは物凄く嫌そうな顔をしている。
「こらイルゼちゃん、ヨルさんがきちんと治癒してくれたから、綺麗に治ったんだよ」
「ぐ、う……分かったよ、はあ、ありがと」
「まあ少しでも懲りたなら、もっと自分の身体も大事にするんじゃな」
呆れたように付け足したそれが、結局ヨルさんの本音だったのだろうと思う。私に対して過保護なイルゼちゃんは、思っていた以上に、イルゼちゃん自身のことには無頓着のようだから。心から反省しているのかはともかくとして、『懲りた』という意味では、間違いなく心に残ってくれたはずだ。
「これからは、気を付けてね」
取り上げていたサラシとアームカバーと籠手を手渡して改めてそう言った私に、イルゼちゃんは眉を下げて笑う。それから「分かったよ」と、はっきり返してくれた。
その後、外で戦闘をしてもイルゼちゃんの動きには変わった様子や鈍った様子は無く、その姿に私は改めて安堵した。ちゃんと見付けて、治療させることが出来て良かった。イルゼちゃんだけじゃなく、私の為に戦ってくれている皆の身体に、最後まで不調や怪我を残すわけにはいかない。何よりこれから私達が向かうのは、魔王が待つ大神殿なのだから。
そうして一日、一日と着実に港町へ近付いて、早ければ明日の内には到着できるほどの距離に至った、ある夜のこと。私は一人、宿のロビーに並ぶテーブルの一つに向かって座っていた。
「――フィオナ? 何してるの?」
背中に声が掛かって振り返ると、いつもより軽装のイルゼちゃんが立っていた。お風呂も済ませて、もう寝ようと思っていたのだろうに、私が部屋に居ないから様子を見に来てくれたみたい。同室のサリアちゃんにはロビーに居ることを伝えていたので、心配を掛けるつもりじゃなかったのだけど。
「明日も早いんだから、早く寝ようよ」
「うん、でも、手紙だけ書いてしまいたくて」
「手紙?」
両親に宛てる手紙だ。旅の中でそんなに沢山は書けなかったけれど、私もイルゼちゃんも怪我無く元気にしているということを時々伝えていた。移動し続けている為に向こうからの手紙は受け取れなくて確認のしようも無いが、魔物が増えて狂暴化していることについて、正直、故郷の状況は心配している。他と比べて剣術に長けた人が多い村だから心配は無いと思うものの、万が一ということもある。だがそれも魔王を封印さえすれば終わるはず。そのようなことも、両親には伝えてある。後もう少しだから、頑張って、無事でいてねと願う手紙。
「イルゼちゃんは書かないの?」
「えー、うーん、手紙とか、なんか照れ臭い。何を書いたらいいか分からないよ。どうせもうすぐこの旅も終わって帰るんだし、直接話せばいいでしょ」
「ふふ、イルゼちゃんらしいね」
私が笑うのに応じてイルゼちゃんも口元を緩める。そしてそのまま隣の椅子に座ったイルゼちゃんは、私を待つつもりなのか、腰を落ち着けてしまった。少し迷ってから、私は筆を止めた。
「ごめん、イルゼちゃん、先に寝てて?」
その言葉に、イルゼちゃんはあからさまに眉を下げてしまう。邪魔と言いたいわけじゃなかったから、慌てて言葉を付け足した。
「手紙を書いてるところを見られるのは恥ずかしいよ」
「あー、そういうもの?」
「うん、ごめんね。すぐに終わらせて戻るから、二人は早く寝てて。二人は毎日、沢山戦ってくれてるんだから」
わざわざ「二人」と言うのは勿論、今日は同室になるサリアちゃんも含めて。どちらにも、私が戻るのを待っていてもらうのは心苦しい。私は皆より体力が無いとは言っても、いつも後ろを付いて歩くだけで、戦うようなことは無い。だから前に出て戦ってくれる皆と比べれば、ほんの少しの夜更かしくらいは響くことじゃないと思えた。
納得できた顔はしていなかったけれど、困らせたくないと思ってくれたのか、イルゼちゃんは食い下がろうとはせずに立ち上がってくれる。
「遅くなるようなら、ちゃんと切り上げてね」
最後に言われたその言葉にはっきりと頷けば、何処かほっとした顔で笑って、イルゼちゃんが部屋に戻って行く。背中を見送った私は改めてテーブルの上の手紙に向き直った。
港町はもう目の前。だからこれがきっと、この旅で送る最後の手紙になる。
筆を進めながら、私は不意に天井を見上げる。目を閉じて、飲み込んでからまた手紙に目を落としたつもりだったのに、目から、ひと雫が伝って落ちた。慌てて手の平で拭う。手紙に跡が残っていないといいけれど、どうだろう、光の加減によっては見付かってしまうだろうか。少し迷ったが、書き直していたらまた遅くなってしまう。諦めて、続きを綴っていく。
不安なことが沢山ある。ほんの少しだけ両親に、その中身を零した。情けない娘だと思いながら読むのかもしれない。そう考えると申し訳ない気がして、強がりもちょっとだけ込めた。
私は大丈夫。だからどうか、私が最後まで務められることを、ただ祈っていて。
逆に不自然だったかもしれない。生まれた時からこんな私を見守り、育ててくれた二人だから、分かりやす過ぎると笑われる可能性の方が高い気がした。でもやっぱり書き直す時間は無いから、このままでいいや。
書き終えた手紙のインクが張り付かないことを確認してから、丁寧に折り畳む。早く戻るようにと言われたことも忘れて、私はきちんと封をした封筒を、少しの間、ただじっと見つめていた。
ぼうっとしてしまっていたせいか、結局ちょっと遅くなってしまった。他の客や、眠っている皆の迷惑になってはいけないからと、出来る限り足音を殺しながら廊下を歩く。しかし部屋の前に着くと、まだ扉の隙間から光が漏れているのに気付いた。先に寝てもらいたかったから部屋の外で手紙を書いたつもりだったのに、二人はどうやらまだ起きているらしい。
「あ、おかえり~、……あれ、フィオナちゃん目赤いよ」
「えっ、ど、どうしたの?」
何かあったのかと顔を強張らせ、ベッドから腰を上げそうになっているイルゼちゃんに苦笑いして、ひらひらと手を振った。
「ううん、何でもない。両親のこと考えてたらちょっとしんみりしちゃって」
私の言葉にサリアちゃんは僅かに眉を下げ、優しい笑みを向けてくれた。
「そっか、親元離れてくるの、二人は初めてだもんね、不安になることもあるよねー」
彼女の言葉に曖昧に頷きながら、手紙を明日忘れずに出せるようにと、いつもの鞄の目立つ場所に差し込んだ。
「イルゼはフィオナちゃんさえ居たらどうでもいいんだろうけどさー」
「別にそうは言わないよ」
後ろで二人が話している内容にちょっと笑う。先程、手紙を出さないイルゼちゃんのドライな部分を見たばかりだから、中らずと雖も遠からず、という気がする。でもイルゼちゃんは否定しているから言わないでおこう。私が寝支度を整えている間も二人は雑談しながら待ってくれていて、申し訳ないと思う半分、優しさが温かい。
「待っててくれてありがとう、もう寝よう」
「フィオナ」
「ん?」
「今日は一緒に寝よ?」
目を丸める私に構わず、イルゼちゃんが両手を広げて再び私の名前を呼ぶ。すると私が反応をするより先にサリアちゃんが楽しそうに身体を左右に揺らした。
「フィオナちゃんに変なことしちゃだめだよー、イルゼ」
「するわけないでしょ!」
「えー? ほんとかなー」
反応にサリアちゃんは何だか可笑しそうに笑いつつも、いつもと比べてあんまり揶揄う様子が無い。私が寂しい思いをしたこと、二人揃って気遣ってくれているらしい。
「イルゼちゃんが寝苦しくならない?」
「ううん平気。むしろ安心して眠れそう」
本当だろうか。でも心配性のイルゼちゃんは、離れて寝たら寝たで夜中に何度も起きて私の様子を窺いそうでもある。何より私が、この腕の中で眠りたいと思ってしまった。今日ばかりはほんの少し素直に、イルゼちゃんのベッドに腰掛ける。
「じゃあ、甘えちゃおうかな」
「大歓迎」
サリアちゃんは笑っていたけれど、それでもやっぱり揶揄うようなことは無く、代表で部屋の電気を消してくれた。三人でお休みを言い合って、目を閉じる。何の変哲もない夜だったけれど、最終目的地を目の前にしているとは思えないくらい心穏やかに眠ることが出来た。
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