第15話

 この日は、私だけではなく他の皆も熱気にやられて疲れているだろうからと、昨日一泊させてもらった近くの村に、もう一泊することになった。日が暮れるよりも早くから宿に入って、それぞれゆっくりと身体を休める、――そのはずだったのだけど。

「ヨルさん、ヨルさーん!」

「フィオナ……だから大袈裟だって」

「おお、そんなに慌ててどうしたんじゃ、フィオナ殿」

 私はイルゼちゃんの服の裾を引っ張りながら、ヨルさんがゆっくり休んでいただろう部屋へと無礼も構わず飛び込んだ。

「イルゼちゃん、やっぱり火傷してて」

「ほんのちょっとだよ、平気なんだけど」

「ふむ。とりあえず見せなさい、フィオナ殿が心配しとるじゃろう」

 ヨルさんが促すけれどイルゼちゃんは首を傾けて面倒そうな溜息を吐く。私はイルゼちゃんの服の裾を更に強く握って、ヨルさんの近くにとイルゼちゃんを移動させるように引いた。本当に彼女が嫌がったなら私のような非力で動かせるはずは無かったが、私だったから、大人しく動いてくれたのだと思う。ヨルさんの前に立ったイルゼちゃんは「はいはい」と諦めたように言うと、着けていたアームカバーを左右どちらも外し、次いで半端に巻いていたサラシを解く。普段、外で歩く時はその上に籠手こても着けているが、今は部屋に置きっ放しだ。

「イルゼ殿……どう見てもしっかり火傷しとるじゃないか。早く言いなさい、全く」

「そんなに痛くなかったんだってば」

 イルゼちゃんの言い分に、ヨルさんも心底呆れた顔をした。彼女の腕は、手の甲から肘近くまで真っ赤になっている。この状態で大したことが無いなんてどうして言うのだろう。先程、見付けた私が確認する為にほんの少し触れたら微かに表情を歪めたから、絶対に痛いはずだ。

 見えない場所だからって少しも気付けなかったけれど、イルゼちゃんは今回の祠で繰り返し火の魔法を繰り出していた。頻度は今までと同じくらいだったと思う。だけど場所自体の熱気も酷かった上、イルゼちゃん自身が放つ炎も今までより大きくなっていた。どうやら手から放出する際に、皮膚には直接触れていなくても籠手が熱さを溜め込んでしまっていたらしい。私もイルゼちゃんが手を洗おうと外した時に見付けて驚いたし、イルゼちゃんもここまではっきりと赤くなっているとは思っていなかったのか、少しだけ目を丸めていた。

「フィオナ殿、冷やす為の氷を二袋、持ってきてくれるかのう」

「はい!」

「えっ、ちょっとヨル爺! フィオナを使わないでよ!」

 怒鳴ったのは勿論聞こえていたし、構わず立ち上がって部屋を出ようとする私を呼び止めるイルゼちゃんの声も聞き取っていたけれど、私は止まらなかった。そのまま部屋を出て、振り返ること無く真っ直ぐ一階へ。宿の人に事情を話せば、快く氷を分けてもらえた。後から思えば、一人で怖がらずに知らない人に話し掛けることが出来たのはこれが初めてだったかもしれない。少しの緊張はあったものの迷いは無かった。気が急いていてそちらに頭が回っていなかっただけで、この旅で成長したとかそういう話ではないことが残念だけれど。

 部屋へ戻れば、イルゼちゃんは小さくぶつぶつと文句を言っている様子はあったものの、大人しくヨルさんの治癒術を受けている。そしてそこに、部屋を出る時には無かったサリアちゃんとダンさんの姿もあった。二人は特に何をするでも無く、イルゼちゃんが治癒されている様子を見守っている。

「お二人共、どうしたんですか?」

「いや、なあ」

 私の問いに、ダンさんは笑いながらサリアちゃんを振り返り、二人は目を合わせると苦笑いを零した。

「イルゼが怒鳴り散らしてるから何事かと思って来たら、じいちゃんがフィオナちゃんを使いっ走りにしたのがどうとかってさ~」

「ああ……」

 どうやら私が立ち去った後も、二人が驚いて駆け付けてしまうほど、つまりは部屋の外に響くほど、イルゼちゃんは怒って騒いでしまっていたようだ。あの時、一旦立ち止まって宥めた方が良かったかもしれないと反省する。けれど、ヨルさんはイルゼちゃんが怒っていることを気にしている様子は少しも無い。

「フィオナ殿、大丈夫じゃよ、火傷の深度は然程でもない。すぐに治るじゃろ」

「良かったぁ……」

「だから平気だって言ったのにー」

「治癒無しで平気とは言っておらんわ」

 珍しくヨルさんも叱るような口調になっている。やや呆れてもいる。しかしイルゼちゃんはと言うと、怒られて反省をする顔は全くしておらず、不満そうに口を尖らせた。思わず苦笑いが零れてしまったが、イルゼちゃんの腕はもう先程見たような酷い色が消えていつもの健康的な色に戻っていて、その点にはほっと胸を撫で下ろす。だけどまだヨルさんが真剣な顔で治癒術を掛け続けているところを見ると、怪我の具合はやはり軽くはないのだろう。それを表すように、術を掛け終えて杖を下ろしたヨルさんは、これでもう大丈夫だとは言わなかった。

「今日は寝るまでずっと動かさず、しっかり冷やしておきなさい」

「え~、治癒できたんじゃないの?」

「お主がすぐに治癒させてくれとったらこんな手間は要らんのじゃ」

 すぐに治癒していればダメージが定着してしまうことは無かったのに、熱くなっている籠手をずっと着けていた影響もあって治癒術が効きにくい状態にまでなってしまったらしい。だけど治癒術を使った直後は自己治癒力も上がっているから、患部を冷やし、残っているダメージを軽減してやればきちんと治すことが出来る。逆に言えば、怠ってしまった場合、明日以降にも響くし、痕も残る可能性があるとヨルさんは言った。

「もう痛くないし、痕なんかどうでもいいのに。っていうか夕飯どうしろって――」

「痕が残るなんて絶対だめだよ!」

 つい大きな声で叫ぶと、イルゼちゃんが目を丸める。思った以上に大きな声になってしまって自分でもびっくりしたけれど、こればかりは絶対に譲れないと思った。

「ご飯なら私が作って持って来るから、お願い、ちゃんと冷やしてよ」

「えっ、フィオナが食べさせてくれるってこと?」

 当然と言わんばかりに頷くと、私の後ろでやり取りを見守っていたサリアちゃんとダンさんが何故か少し笑う。

「今、めちゃ嬉しい顔したねイルゼ」

「正直だな」

「外野うるさいな!」

 二人の言った意味を私が考えようとしたところで、それを遮るようにイルゼちゃんが「フィオナ」と慌てて私の名前を呼んだ。

「あのね、助かるけど、でもフィオナにそんなことさせるわけには」

「嫌。だめ。痕なんて残ったら私、一晩中泣く」

「えぇ、それは困る……」

 そう答えた通りにイルゼちゃんは眉を下げ、困った顔を見せるのに、「でも」といつまでも応じようとしない。思わず私が眉を寄せれば、イルゼちゃんの動揺は増した。何度も目を瞬いている。

「分かった、分かったから、泣かないで、泣かないでね?」

 無言で何度か頷く。実際、感情が昂って本当に泣きそうになっていた。イルゼちゃんは恐る恐る私の顔を覗き込み、泣き出さないことを慎重に確認している。

「はは、効果覿面じゃねえか」

「わしも泣けば良かったのかのう」

「じいちゃんの涙がイルゼに響く可能性はゼロだね~」

 イルゼちゃんは外野に怒るべきか私を見つめているべきかを混乱したらしく、忙しなく視線を彷徨わせ、複雑な表情で頻りに目を瞬いていた。

 その後、腕を冷やす為の氷と共にイルゼちゃんを部屋に押し込め、見張りとしてサリアちゃんにも付いてもらって、私は皆の夕食を用意するべく一階に下りる。幸い、厨房を貸してくれる宿だったので材料さえあれば好きに作りたい放題だ。いつもより少し時間を掛けてしまいつつ全員分の夕食を作ると、ダンさんに手伝ってもらって、私とイルゼちゃん二人分の食事を部屋へと運び入れた。

「おお、ちゃんと冷やしてんじゃねえか。イルゼはサボってなかったか?」

 テーブルの上に両腕を乗せ、その上にタオルと氷を乗せられてじっとしているイルゼちゃんは、そう言って笑うダンさんを不愉快そうに睨んだ。

「余計なこと言ってないで手伝い終わったんなら早く出てけよ」

「おっと、何だ、不機嫌だなぁ」

 いつもに増して冷たい言い様にぎょっとしたけれど、ダンさんは気を悪くしたようではない。心底驚いてしまったのは私だけで、サリアちゃんも笑っていた。

「さっきトイレに行きたいって言うイルゼに『一分以内に戻らないとフィオナちゃんにサボったって言い付ける』って意地悪したからだと思う~」

「ははは!」

「やっぱり意地悪なんじゃん! トイレくらい別に良かったでしょ!?」

 怒っているイルゼちゃんの反応に二人は大きな声で笑っていて、それを見たイルゼちゃんが更に顔を赤くして二人に文句を言おうと大きく口を開いてしまう。私は慌てて彼女の肩に手を置いてそれを制止した。

「イルゼちゃん、騒いだら体温が上がっちゃうよ。折角、冷やしてるんだから」

「う、うん、ごめん」

 大人しくなった隙に、ダンさんとサリアちゃんは素早く部屋を出て行く。私は改めて二人にお礼を言って、その背を見送った。二人の夕食は一階にちゃんと用意してある。多分ヨルさんは遠慮なく食べ始めているだろうけれど、二人にもちゃんと温かい内に食べてほしい。

「時間が掛かってごめんね、お腹空いたでしょ」

「お腹は空いたけど……でも、一人で全員分を作るの大変だったんじゃない? ごめんね」

 自分達で作る必要がある宿ではいつも私が調理を担当するのだけど、必ず皆は手伝ってくれるし、特にイルゼちゃんが一番よく動いてくれて、その次がサリアちゃん。つまりその二人が居ないのもあって、今日は確かにいつもに比べて時間が掛かった。でも、こうして料理をすることは少しも戦えない私の小さなお返しみたいなものだから、何も苦ではない。謝らなくていいと示すように首を振った。

「ちゃんとじっとしててね」

「難しいな……っていうか食べさせてもらうって想像以上に恥ずかし、んむ」

 イルゼちゃんは戸惑っているけれど待っていたら冷めてしまう。私はまだ喋ろうとしていたイルゼちゃんの口へと早速おかずを一つ放り込んだ。イルゼちゃんは苦笑いでそれを咀嚼する。

 思い返せば、イルゼちゃんが怪我をしたり寝込んだりしたことは本当に数えるほどしか無い。見舞いへ行って傍にずっと付いていたようなことはあったものの、こんな風にお世話が必要な場合はおばさまがしていたし、そもそもお世話自体、必要が無いことの方がほとんど。つまりこうして私がイルゼちゃんのお世話をするなんてこれが初めてで、それが少しだけ嬉しかった。勿論、怪我をしたのは嬉しくないけれど、少しでも彼女の役に立っているという点と、妙に恥ずかしそうな顔をするイルゼちゃんが可愛いという点で。

「お風呂ってどうしたらいいんだろーね、はぁ~」

「入れてあげようか?」

「無理無理無理無理!」

 早口で拒み、且つ、高速で首を振るイルゼちゃんに肩を震わせて笑う。とは言え「入れて~」と返されても私は私で恥ずかしかったとは思うし、照れずに入れてあげられたかは怪しい。揶揄い返されても堪らないので、これは黙っておこう。

 ちなみに食後、片付けの為に離れた時にヨルさんに確認をしたら、あまり温め過ぎないように早めに済ませること、術で治してあるからといって患部を強く擦らないこと、そして上がったらまたきちんと冷やすことの三つを条件に、許してもらえた。

 守る自信がないなら一緒に入ると脅せば「絶対守ります」とイルゼちゃんが言い張ったから、安心して一人で入ってもらった。多分ちゃんとしてくれたはず。その後も寝るまで、億劫な顔はしていたが、イルゼちゃんはずっと大人しかった。

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