第14話
第五の祠へ向かう道のりには特に私達の歩みを止めるほどの障害は無かった。けれど何でもない平原にも至る所に魔物が闊歩していて、数がはっきりと増えてきているということだけがよく分かった。この旅も終盤に入っているのだから、魔王による影響力は今が限りなく最大に近いのだ。まして、魔物の巣窟となってしまう傾向にある祠付近は、異様なほどに多く、そして魔物が大きい。魔物達が放つ魔法も明らかに今までとは威力が異なり、見たことが無いような大きな炎を放ってくることもあった。ただ、それでもイルゼちゃんが放つ炎が、一番大きくて。
「イルゼ、イルゼ」
「なに?」
「その魔法、あっつい」
「うるさいな、仕方ないでしょ」
威力があり過ぎてもう炎が大きな鳥のような形を成して魔物達を飲み込んでいる。火属性の強力な魔物を同属性で圧倒するなんてとんでもないことだが、本人は涼しい顔をしていた。そしてそれが生み出すあまりの熱気にサリアちゃんは笑いながら文句を繰り返している。
「ほっほほ。またフィオナ殿の加護の力も強まったようじゃのう。わしの魔法も調子が良いわい!」
「だがこりゃあもう、サウナだな!」
ご機嫌な様子で杖を振ったヨルさんが魔物を勢いよく魔法で貫く一方、ダンさんも斧で魔物をざくざく倒しているけれど、絶えず滴る汗には苦笑いを浮かべていた。事前にヨルさんが言っていた通り、本当にこの祠は、ただ進んでいるだけで異様に暑い。
「フィオナ、体力は大丈夫ー?」
先頭で戦っているイルゼちゃんが振り返って大きな声で尋ねてくれる。同じく大きな声で「大丈夫」と返せば、ほっとした顔でまた前を向く。少し進む度に、これを繰り返している。
「過保護だねぇ~」
イルゼちゃんの横でサリアちゃんが笑った。とは言え、本当に辛い。まだ倒れるほどではないものの、今までに無い勢いで体力が搾り取られていた。火山の麓だけあって元々の気温が高い上、祠の中は魔物達も火属性が多い為か特に暑い。更にイルゼちゃんまでとんでもない大きさの火属性の魔法を使うのだから、すぐ傍で戦うサリアちゃんが文句を言うのは分からないでもなかった。仕方がない、というイルゼちゃんの言い分も勿論、分かるのだけど。
「ヨルさんも、大丈夫ですか?」
私の近くで常に私を守って戦ってくれているヨルさんを振り返る。正直、もふもふの髭と髪は見ているだけで暑い。だけど顔色は変わっていない。汗も、かいていないような気が……。
「わしまで心配してくれるとはありがたいのう、大丈夫じゃよ。自らを風魔法で覆って熱気は防いでおる」
「はあ!? じいちゃんズルい!!」
「ほほほ」
イルゼちゃんの魔法に文句を言っていた時はまだ笑っていたサリアちゃんだったが、この点については普通に許せなかったようで険しい顔をして振り返る。ダンさんもこの発言には項垂れていた。
「ちっとで良いから俺らも風で扇いでくれよ」
「嫌じゃ。ただでさえ自らを守る為に魔法を使い続けておるからのう、節約、節約」
「どけちジジイー!」
まだ叫んで文句が言えるだけ、サリアちゃんは元気だと思う。私も少しヨルさんのことをずるいと思ったけれど、溜息を聞かせるほどの余裕すら無い。ご高齢で、髭も髪も長く、幾らか心配していたから平気であることは少なからず安心した。考えてみれば元々ヨルさんはこの祠の環境を知っていたのだから、最初から対策を講じていてもおかしくはない。私なんかが心配をすること自体、烏滸がましかったようだ。
「さあ言っている間に最深部じゃ。おそらく、一層暑いぞ」
「げえ……」
何処か楽しそうにそう告げたヨルさんの予想は悲しくも的中し、最深部へと入り込んだ瞬間、むせ返るほどの熱気が吹き付けてきた。原因は間違いなく、祭壇前に佇む大きな魔物。ダンさんの背の二倍以上ありそうな高い位置から真っ赤な目が此方を見下ろしている。身体中が黒い岩石で覆われており、岩と岩の間からはマグマのような赤が溢れ、ぼたぼたと零れ落ちている。火山の化身のような姿だと思った。
「流石にあの身体、剣で斬れないかもね」
イルゼちゃんはそう言うと、潔く剣を腰に納める。けれど怯む様子は少しも無い。そういえばイルゼちゃんだけは先程から暑さに対する弱音を一度も零していない。汗は流しているのだからヨルさんのような秘策ではないのだろう。心頭滅却を地で行くような人だ。勇者の身分にありながらも「本当にイルゼちゃんが勇者じゃないんですか」と改めてヨルさんに問い掛けたくなる。
「よーし、じゃあ、どっちが熱いか試してみようか?」
前に出たイルゼちゃんが腕を前に出し、詠唱を始める。明らかに、火の魔法の詠唱。皆の表情が一斉に強張る。ヨルさんですら、「げ」と小さく呟いた。
「えー、あんな魔物に火で対抗するつもりだよこの人~、しかもこの暑さで!」
巻き添え、いや今回に限っては熱気を避けるようにサリアちゃんはイルゼちゃんの傍を慌てて離れる。ダンさんは大きな身体を盾にするように、私とヨルさんの前に立ってくれた。
「嬢ちゃんは俺の後ろに居ろ! 爺さんは……まあどっちでもいい!」
「は、はい」
「わしも入れとくれ。アレは無理じゃ」
ヨルさんの風でも凌げそうにないのなら、ダンさんが薄いマントを前に出して自らの身体を覆うようにしている程度では焼け石に水じゃないだろうか。筋肉で熱気は防げないと思うけれど、本当に大丈夫なのかな。そんな疑問を抱いたところで私に出来ることは何も無い。イルゼちゃんがいつもより長い詠唱を終える頃、敵も大きな炎の塊を頭上に練り上げている。言葉を理解したかどうかは分からないが、イルゼちゃんとの炎対決に応じるらしい。
「ぶつかるぞ!」
大きな炎と炎が同時に放たれた瞬間、私はダンさんの陰でぎゅっと身体を縮めて息を止めた。空間一帯に、熱い風が吹き荒れる。ダンさんの陰に居ようとも感じられるその暑さに、呼吸を止めたことは正解だったと思えた。
「イルゼちゃん……!」
熱風が止んですぐ、私は彼女の名前を呼ぶ。空間には蒸気が溢れていて、まだ姿が良く見えない。
「はいはーい」
すぐに機嫌の良さそうな声が返った。無事だ。ダンさんの陰から顔を出して、目を凝らす。隣で杖を掲げたヨルさんが、一度だけ大きな風を起こして、熱風を軽く払ってくれた。
「うーん、ちょっと焦げちゃったな」
少し黒くなった腰布を気にしているようだったけれど、イルゼちゃんの身体に怪我は見られない。おそらく腰布も、被害の小ささを見る限りは火の粉が飛んできた程度のものだろう。
「ひぇえ……火山の化身みたいな魔物を溶かすとか狂気の沙汰……もう勇者とかじゃないよこの人が魔王だよ」
「それは酷くない?」
サリアちゃんの言葉もちょっと分かる気がするほど、敵は無残な姿だった。岩陰に隠れていたらしいサリアちゃんはその場所から顔を出しながらも、イルゼちゃんが齎した結果に怯えた顔を見せる。原型はほとんど無い。元々は二足歩行の魔物だと言っても、この姿から見た人は絶対に信じないと思えるくらいには、どろどろになっていた。
「ヨル爺、こいつ、このままくたばる?」
「いや、時間が経てば再生するじゃろ、とどめを刺す方がよい」
「はいよ」
改めて剣を抜いたイルゼちゃんは、岩石によって固められていない魔物の身体を素早く斬り付ける。よく分からないが、急所か何かはあるのだろう。マグマのようだった魔物の身体はすぐに黒い塊となり、ぶすぶすという音と共に、まるで炭みたいに崩れて消えた。
「よし、完了! フィオナ、いいよー」
「あ、うん……あんまり行きたくないな……」
「わはは! 正直だな嬢ちゃん!」
あの辺り、まだ絶対に一番暑い。げんなりしながらも、イルゼちゃんがそこに立って私を呼んでくれているのだから、戸惑っている場合じゃない。何より一番頑張ってくれているイルゼちゃんに失礼だ。気を取り直して、傍に駆け寄る。案の定、待機していた場所より遥かに暑かったけど、ヨルさんが「仕方ない」と言ってもう一度、祭壇周りに涼しい風を起こしてくれた。ほっと息を吐く。
「よし、最後の祠を封印じゃ。いいかね、フィオナ殿」
「はい。お願いします」
今までと同じように、ヨルさんが教えてくれるままに呪文を唱える。滞りなく封印は完了し、祭壇の姿が変わった。
第五の祠の封印に成功した一番の幸いは、暑かった空気も同時に緩和されたことだ。この祠の気温を押し上げていた魔物達が、消え去ったことが理由だろう。本当はそんなもの二次的な幸いなのだろうけれど、私達は一様に安堵の表情を浮かべた。
「これで全ての祠の封印が、無事完了した。一先ずは皆、お疲れ様じゃったのう」
「労いありがとうよ、一人だけ本当に涼しい顔しやがってまあ……」
ダンさんの小言にヨルさんは髭を揺らして楽しそうに笑っている。
王様には既にヨルさんから文を出してくれたとのことだから、大神殿へ向かう船は今頃もう準備が始まっているかもしれない。私達が移動するのに四日間。着いた頃にちょうど船の準備が終わっていればすぐにでも、最終目的地へと向かうことが出来る。
「先程の戦いでもはっきりしたが、これだけの勇者の加護の力があり、そしてその加護を最大限に適応できるイルゼ殿が居る。魔王との戦い、万に一つも負けは無い」
先日、ヨルさんはイルゼちゃんにもこうして『負けは無い』と言っていた。皆の前でもこれだけ強く言い切るのであれば、心からそう感じているのだと思った。ダンさんとサリアちゃんも少し意外そうな顔をするけれど、同じように感じたのか、すぐに笑みを浮かべる。
「頼もしい予言だな、じゃあ俺らは、イルゼと嬢ちゃんの露払いに注力しようぜ」
「うん、任せてね、フィオナちゃん」
頼もしいのは、こんな戦いの直後でもそう言って私に笑みを向けてくれる二人の方だ。私も笑みを返して頷いた。そうして祠を出るべく歩みを進めた二人と、先頭を歩いてくれるイルゼちゃんの背を見つめながら、私はまだ歩みを進めない。同じく三人を見つめたまま足を止めていたヨルさんは、少しだけ疲れたような顔を見せた。
「……実力だけの話ではな」
小さくそう付け足された言葉を、私だけが聞いていた。だけど聞こえなかった振りをして、イルゼちゃんが気付いて振り返ってしまう前にと、慌てて三人の背を追って歩く。祠を出る頃には、ヨルさんもいつも通りの笑みを浮かべて、陽気に話していた。
彼の使命とその狭間にある苦しみは、私には触れられないし、一緒に背負うことは出来ない。私に出来ることはただ一つ、私にも与えられてしまった使命を使命として、同じ苦しみの中で、果たすことだけ。ヨルさんも苦しんでいるのだと分かるから、私も逃げることは出来ないのだと改めて思う。それは、臆病な私が震えながらでも進むことが出来る、理由の一つになっていた。
この旅で積み重なっていくのは勇敢で立派な物語などではなく、私という人間のどうしようもなく情けない、後ろ向きで、迷いばかりを抱いたみっともない話だ。
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