第9話

「まず今回は呪文らしい呪文が無い、封印とは違うからのう」

 翌日、出発の準備を整えている時にヨルさんは私にそう告げる。今まで封印してきた祠で唱えた封印の呪文は、いずれも違う言葉だった。祠それぞれに対し、適した封印の呪文があるのだという。だが今回は祠ではなく、初めて訪れる、何の変哲もない泉だ。適した呪文を作り出すような便利なことは出来ない。

「既に三つの祠を鎮めた後であることは幸いじゃ。あの時の、勇者の光を剣から放出するイメージを思い出し、フィオナ殿がそれを実現できなければならない」

「う、な、なるほど」

 つまり私がそれを出来るかどうかに、この討伐作戦は懸かっている。急に勇者の剣が重く感じた。重さは感じないはずだけど、心情的に。表情を強張らせた私に、ヨルさんは殊更に朗らかな笑みを向けた。

「まあ今日中に出来ればよい、その間、わしらが魔物を払っておくよ」

 簡単なことのように言うけれど、それってとんでもなく命懸けだ。体力が尽きたら負けるってことだ。しかし皆は少しも不安そうな顔を見せなかった。

「大丈夫だ、嬢ちゃんには近付かせねえし、のんびりしっかり集中してたら何とかなる!」

「元々、ダメ元の作戦なんだからさ、フィオナ。出来るだけやってみて、無理だったら帰ろうよ」

「あはは、ま、それしかないよね~」

 一生懸命、私の負担にならないようにって心を配ってくれる。仲間の方がずっと、一人一人、勇者みたいに強くて、心優しい。皆みたいになれたらいいのにと願う一方で、無いものねだりを今更したって仕方がない。今はとにかくこれ以上気を遣わせないように、弱音を口にしないようにしなくては。

 森の泉は、村の要と言うだけあって、森に入って三十分足らずで到着できた。本当に村から近い。こんな所に魔物の巣が出来てしまっては、村の人達は気が気じゃなかっただろう。

「私、あんまり魔法使わない方がいいかな」

 不意にイルゼちゃんはそう言って剣を引き抜く。サリアちゃんは籠手こての調子を確かめるみたいにガンガンと両の拳を突き合わせていた。

「イルゼの威力だと確かに、火を使っても雷を使っても、森が燃えちゃうね~」

「ははは! 泉守って森燃やしちまったら世話ねえな!」

「だから使わないってば!」

 三人は本当に余裕があって格好いいな。もう目の前には、いや、四方八方から魔物が迫っているって言うのに。私の足はもう震えて始めている。こんなに頼もしい仲間に囲まれていても怖くて堪らない。自分がそんな状態だからこそ余計に、皆が本当に強くて立派な人達であることを痛感するばかりだ。

「とりあえずヨル爺、しばらくフィオナ守ってて。私達で今居るのは全部ぶっ飛ばす」

「ほほ、逞しいのう。うむ。フィオナ殿は任せなさい」

 勇者の光で浄化するには、最も穢れが強い場所に立たなければいけない。つまり、巣の中心だ。魔物が多く居る状態では戦えない私を連れて入り込むなんて不可能だから、イルゼちゃんが言うみたいに、今の魔物をまず討伐して、安全を確保してからその中心に入り込む。その後は勇者の光で穢れを払うことが出来るまで、皆は集まってくる魔物の足止めをし続ける作戦だ。考えるほどに無謀な作戦だけど、これしか方法が無い。私は皆が戦っている間、誰も怪我をしないようにと、祈るような気持ちでその背中を見つめた。


「――お前で、終わり!」

 イルゼちゃんはそう叫ぶと、最後の一匹が爪を振りかざしているのも構わずばっさり斬り伏せた。肩の防具に爪が掠っただけで、怪我は無かったみたい。でも今の瞬間が一番肝が冷えた。大きな爪を向けられているのに怯まないって、どういう精神状態なんだろう。驚きのあまり一瞬呆けてしまった。

 ちなみにイルゼちゃんは結局、木々が少ない開けた場所ではちょっと魔法を使っていた。それに対してダンさんやサリアちゃんが「火事だ~」と揶揄う度に「燃えてないでしょ!」と怒る。そんなやり取りができる程度に三人にはまだ余裕があるらしい。本当に凄い人達だ。何度感心しても足りない。

「フィオナ! いいよ、おいで!」

 すっかり一掃した巣の中央で、イルゼちゃんは笑顔で私を振り返る。魔物に向けて剣を振るっていた時とは全く別人のように無邪気な顔だ。私は幾らか、緊張していた心を解いてほっとしてしまった。多分そのつもりでイルゼちゃんは笑ってくれたのだと思う。呼ばれるままに、イルゼちゃんの傍へと歩み寄る。ずっと緊張していたからちょっと足取りは覚束ないけれど、震えは少し収まった。ただ、私の後ろを同じように歩くヨルさんは、何だか不満そうに文句を零す。

「わしも隣におるんじゃがのう、一緒に呼んでくれんかのう」

「うるさいな早く来なよヨル爺」

「温度差が酷いのう」

 いつまでも不満そうに髭を撫でているヨルさんと共に、イルゼちゃんの立つ場所へと集まる。ダンさんとサリアちゃんも私達を守るように外側に立ってくれたけれど、ダンさんはすぐにその場所を離れた。

「早速、新しいのが来てるな、少しの間、こっちは頼むぜ」

 そう言って歩き出すダンさんの視線の先に、四足歩行の、犬みたいな形をした魔物の群れが迫っている。今さっき一掃したばかりなのに。ここまで早く、休憩する間も無く集まってきてしまうのは想定外だった。本当に急がないと、皆が保たない。

「あまり焦るでないぞ、フィオナ殿」

「は、はい」

 私の焦燥をすぐに察してヨルさんはそう言ってくれる。でも焦らずにはいられない。勿論、言ってくれていることも分かるから、私は努めてゆっくりと深呼吸を繰り返し、周りじゃなく、自分の手元を見つめた。迫る魔物、戦う皆を、見れば見るほど怖くなることは分かっていたから。

「此処がよい、フィオナ殿、この場所に勇者の剣をまず突き立てなさい」

 言われた通り、泉の傍の土に剣を突き立てる。私に感じないだけで勇者の剣にはそれなりの重量がある為、私の非力でも、剣から手を離しても倒れない程度の深さには刺さった。瞬間、土からは黒い煙のような形をした瘴気が漏れる。最も穢れが強い場所だけあって、勇者の剣が持つ光属性に触れて反応するくらいには、もう濃い穢れが土を侵しているようだ。

「この状態でフィオナ殿が勇者の剣から光を放出できれば、後はわしが術で光をこの地に留める。永遠に留めることは出来ぬが、数か月は保つじゃろう」

 つまりこの後の工程は、私が光を出さない限り進められない。大きく息を吸い込んで、柄を強く握る。

 漠然と『光を出すイメージ』と言われても分からないけれど、『封印の時と同じ』ということだから、封印する時を思い出せば良いはずだ。身体の芯からざわざわして、腕から風が出て行くみたいな、あの瞬間のことはよく覚えている。生まれて初めて得た感覚で物凄く怖かったから。『怖かったこと』ならよく覚えている。勿論これも自慢じゃない。あの時の感じ――と思うと、自然と身体がざわざわしてきた。そう、怖いことを思い出すと何年前のことでも今起こっているのかと思うくらい怖くなれる。これも残念な私の残念な特技だ。まさか勇者としてこの特技を扱う日が来るなんて思いもしなかったが、怖がればいいのだと思えば、出来る気がしてきた。後は穢れを『払う』のだから、『封印』と言うと何だか違う。どちらかと言うと、掃除。そう、これは掃除だ、強い水流で泥を流して飛ばしちゃう、その方が分かりやすい。

 腕から風が吹き起こるような『怖い』気持ちが鮮明になったところで、私は叫んだ。

「お掃除、して、ください!!」

 同時に勇者の剣が眩い光を放つ。私は思わずぎゅっと目を閉じた。

「……うん」

 数秒後、何だか気の抜けたヨルさんの声が聞こえて、私は目を開ける。ヨルさんが「うん」って言うのは初めて聞いた。真正面で戦っていたイルゼちゃんが、びっくりした顔で振り返っている。

「あー、掃除、と来たか。まあ、そう、じゃな、掃除……」

「じいちゃーん、術はー?」

「おお」

 サリアちゃんの声に我に返った顔をして、ヨルさんは慌てて杖を高く上げた。すると私の足元には複雑な模様をした大きな魔方陣が浮かび上がり、そして、土に溶けるようにして消えていく。

「びっくりし過ぎて忘れるところじゃった。完了じゃ。フィオナ殿、見事な浄化じゃったよ」

 驚いていた余韻なのか、ヨルさんは珍しく少し慌てた様子で何度も目を瞬いていた。その表情と、今の言葉、それから近付いてきていた魔物達が逃げるように立ち去っていくのを見て、私は小さく息を吐く。

「あ、あの、ちゃんと出来た、ってことです、か?」

「うむ、呪文の代わりとばかりに『掃除』と叫んだのは驚いたが、想像以上の結果じゃった。戦えぬ代わりに、フィオナ殿は封印の力に関しては長けておるよ」

「すごいじゃんフィオナ、あっという間!」

 いつの間にか駆け寄って来ていたらしいイルゼちゃんが、勢いよく私を抱き締めた。その腕の中で、私はようやく肩から力が抜けた気がした。

「本当、一発だったねー、半日くらいは戦うつもりだったけど」

「俺もだ、元気が有り余っちまったな」

 離れた魔物が再び戻ってこないように周囲を気にしつつも、サリアちゃんとダンさんも緊張を解き、表情を緩めている。だけど三人は私が浄化をするぎりぎりまで、結構激しく魔物と戦闘していたはずだ。勿論、最初の魔物らを一掃する時も。

「あ、あの、皆、怪我は? イルゼちゃんも」

「大丈夫だよ」

 三人共が頷いてくれた。三人が戦っているところを見れば怖くなるから――と目を逸らしたことについて、今更、申し訳なかった気がして少しだけ視線を下げる。結果的には上手く行ったけれど、自分を守る為に戦ってくれる人から目を逸らすというのは勇者の心持ちとしては如何なものか。

「最良の結果じゃろう。よく頑張った。さあ、村へ報告に行こう。実りのある寄り道じゃよ、誇っていい」

「あ、は、はい……」

 複雑な表情をしたことを、見付かってしまったのかもしれない。ヨルさんはいつになく優しい笑みで、私を褒めてくれた。反省したい部分はあるものの、村の人達を安心させることが先決だ。私達は休憩をすることなく、そのまま村へと向かう。

「フィオナ、また倒れそう? 大丈夫?」

「あ、うん、平気……ちょっとだけ足が怠い、かな」

「えっ、おんぶする?」

 質問の形を取りながらも早速私を背負うつもりでイルゼちゃんが屈もうとするので、慌てて腕を引いてそれを制止した。

「大丈夫、そこまでじゃないから」

 本当にほんのちょっとだけだった。しかし下手に「大丈夫」と強がって道中でよろけたら過剰な心配をされるだろうと考え、念の為というつもりで伝えたのだけど、元より過保護なイルゼちゃんにはそれでも余計だったようだ。「本当に平気だから」と繰り返し、何とか背負われることは回避した。

「ふむ、しかし早めに休んだ方がよかろう、あれだけの力を使ったんじゃ、封印と変わらぬ程度には疲労しとるかもしれん」

 けれどヨルさんまでもこう言ってしまうものだから、回避できたのはおんぶだけで、村に戻るとすぐに宿へと送られてしまった。村への報告は皆がしておいてくれるらしい。確かに疲れていたから助かるものの、早くに片付いてしまった為にまだ午前中。こんなに早く就寝は無理だと思った。

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