第8話

「体調悪かったらすぐに言うんだよ。無理してフィオナが倒れちゃったら、何も出来ないんだからね」

「うん」

 翌日の朝食はいつも通り食べたつもりだったけれど、イルゼちゃんはいつも以上に過保護だ。

 第四の祠は少し遠い。五つの村を経由して、更に六つ目の村に隣接している森の、奥深くにあると言う。促されるままに進みながらも、私はヨルさんが言ったことをずっと考えていた。道中、何度も何度も魔物と遭遇して、どれだけ回数を重ねても私は一体だって倒せていない。魔物を前にした時、勇者の剣を握る私の手はいつも怯えて震えている。私はきっと一生、勇敢になんてなれない。そんなに強い心は持てない。進むことだって怖くて仕方がない。だけど皆は前に進んでいて、これが私の使命だって言うから、そうしなければならないって、自分では何も決められないで歩いているだけだ。

「明日の朝には次の村に向かって出発するが、……大丈夫かね、フィオナ殿」

「最近、フィオナちゃん元気ないねぇ、疲れが溜まってきちゃったかなー」

 色々考え込んでいたせいで普段より口数が減っていたのかもしれない。ヨルさんとサリアちゃんは、心配そうに私を振り返った。

「いえ、あの、大丈夫、です」

 そう言える根拠があったわけじゃない。そうとしか答えようが無かった。私が思い悩んでいることは、一日ゆっくり休めば解決するようなことではない。だけど答えを出せるまで何処かでじっとしている猶予もこの旅には無いのだ。イルゼちゃんは何も言わなかったものの、心配そうな顔で私を見つめていた。

 その時、ふと遠くの喧騒に私は足を止める。私達は辿り着いた村の宿に向かっている途中だった。騒ぎは先程通ってきた村の入り口付近から聞こえた。

「フィオナー? どうしたの?」

 私が足を止めたことに気付いて、イルゼちゃんが振り返る。皆も同じく立ち止まってくれた。足を止めさせたことは申し訳なかったが、どうしても気になってしまったのだ。騒ぎは少しずつ大きくなっている気がした。

「あの、何か」

「……騒がしいね? ちょっと見に行ってみる?」

 私の視線を追ったイルゼちゃんも騒ぎに気付いて隣に立つ。すると私達がそちらへ足を向けるまでもなく、四人の怪我人が慌ただしく村に運び込まれてきた。それから更に十人近く、軽傷らしい人が自分で歩いてくる。皆、おそらくは村にある診療所か何処かに向かうのだろう。

「おい、一体何があったんだ?」

 ダンさんが軽傷と思われる一人に声を掛けて引き止める。軽くとも怪我をしているのだから、早く処置させてあげた方がいいのではないかと一瞬思ったが、ヨルさんが治癒術でその方の怪我をすぐに治した。それもあって、その方は快く私達に事情を説明してくれた。

「森の泉に魔物の巣が出来ちまったんだよ。あの泉は、この村の生活の要だっていうのに」

 この村で使う水は、多くをその泉から引いているらしい。何でも、地下水を引くよりもずっと綺麗な水だそうだ。しかし魔物が棲み付いたことで泉は穢れ、飲み水としてはとても使えない。今は地下水を濾過することで何とか水を確保しているけれど、今までに無かった手間が掛かることもあり、普段と比べて量が全く足りていないのだと言う。しかも魔物は村の作物まで荒らしに来てしまい、耐えているだけではもう駄目だと、村の男で討伐隊を組んで挑んでみたものの結果はこの通りで、巣を破壊することも出来なかったとのことだ。

「うーん、俺がちょっくら討伐してくるか?」

 話を聞いた後、ダンさんは事も無げにそう言った。彼なら確かに一人でも蹴散らしてしまうのかもしれないが、流石にあれだけの被害を出していることを考えると危ない。それなら皆で行った方が良いと思う。ただ、戦えない私がそんなことを提案する立場には無いと思えた。イルゼちゃんとサリアちゃんも討伐には前向きみたいだったけれど、私は沈黙し、そしてヨルさんも、難しい顔で押し黙っていた。

「じいちゃん、勇者の旅に関係ないことは反対?」

「いや、そうは言わん。出来ることがあるなら、わしも手を貸してやりたいが」

 ヨルさんの表情を見止めたサリアちゃんが少し悲しそうに問い掛けると、彼は首を振った。懸念していたのは、どうやら別のことだったようだ。

「既に穢れを持ってしまっているのなら、討伐したところですぐに魔物は集まるじゃろう。今は魔王がおって特に穢れが残りやすい。つまり、勇者が魔王を封印した後でなければ、討伐にはあまり意味が無いのじゃ」

「そんな……」

 まだ祠の封印は二つも残っている。どんなに魔王封印を急いでも、それを待っていたらこの村は間に合わないかもしれない。戦えない人が戦いに行くほど焦ってしまったということは、既に限界に近いということなのだろうから。

「あ、あの、ヨルさん」

「ん?」

 発言する資格など無いと思っていたけれど、不意に私は口を開いた。戦う以外で、私にも出来ることがある気がした。

「その、勇者の光で一時的に今の穢れを払うことも、出来ないんでしょうか」

「ふむ……」

 祠以外で勇者の光は使用していないが、道中の魔物との戦闘で、慌てて振った剣が偶々魔物の身体に軽く当たり、魔物が一時的に燃え上がったことがあった。勇者の剣は光の属性が強いこと、そして封印を施した後にはその力の影響が残っている為だとヨルさんが言っていたのを思い出す。今の穢れだけでも消してしまえたら、少しの時間稼ぎは出来るのではないだろうか。

「うーむ、そんな話は聞いたことが無いが、穢れの中心で行い、その光の気配が周囲に残るよう、土か、岩に……ううむ、待て、少し考えさせてくれ」

 ぶつぶつと難しいことを呟き始めたヨルさんは、腕を組むと、目を閉じてまた何か一人で喋っている。状況のシミュレーションでもしているのだろうか。彼の周りに小さな魔法陣がいくつも浮かび上がっていた。何かの魔法が飛び出してきそうで、私は数歩後退した。見兼ねたイルゼちゃんが笑いながら私を背中に隠してくれる。ヨルさんはそんな私の行動にも気付く様子無く、しばらくその状態で考え込んだ。

「うむ、理論上は不可能ではないな。ぶっつけ本番で上手く行くかは分からんが、やるだけやってみせよう」

「流石じいちゃん!」

 周囲の魔法陣を消して顔を上げたヨルさんは、私がイルゼちゃんの後ろに隠れているのにようやく気付いて首を傾けている。そうだよね、ヨルさんがこんな街中で魔法とか放つわけがないよね。申し訳なく思いつつ、そっとイルゼちゃんの陰から出た。

「じゃー明日は出発じゃなくて、魔物討伐にしよっか、フィオナ」

「う、うん、でも、皆にいっぱい頼ることになっちゃうけど」

 結局私が戦えないという事実は覆らない。穢れがある場所に行くならば、どうしても皆に戦ってもらって、私は守ってもらわなければいけない。それに先程のヨルさんの言葉から察するに、私が勇者の光を出した上で、ヨルさんにも何かしてもらわないと上手く行かないみたいだ。つまりどうしたってこれはほとんど他人任せの提案だった。

「まあいいじゃねえか、元々俺は、無駄って言われても討伐するつもりだったしな!」

「そうそう、それに勇者の光はフィオナちゃんにしか出せないんだし」

 私一人では無理だけど、私にも出来ることがある。何も出来ない普段よりは少し前向きな思いで、私も頷いた。

 とりあえず怪我人の治療にヨルさんも協力すると言うので一度そこで別れ、私達はこの村の代表の方とお話をすることにした。入れ違いになって、また誰かが討伐に行ってしまっては危ないから。なお、諸々の説明は、皆がほとんど喋ってくれた。たった一人で偉い方とお話なんて、私には出来ない。

「こうして困ってるところ、きっと沢山あるんだよね」

 この世界で、私達が立ち寄る場所はほんの一握りだ。今回は偶々居合わせたけれど、もしも昨日の内にこの村に着いていて、今日の朝に出発していたら何も知らないままだった。今までに通り過ぎてきた村も、本当は見えなかっただけで既に問題を抱えていたのかもしれない。あの時はそうでなくとも、今頃は魔物の被害に苦しんでいるかもしれない。立ち寄らない場所だって同じことだ。もう限界だと、この村以上に思っている場所だってあるのだろう。……自分の故郷の状況すらもう、離れてしまった今は何も分からない。ずっと移動を繰り返しているから、此方から手紙を送ることは出来ても、受け取ることが出来ないのだ。

「考えたってしょうがないよー、フィオナちゃん。私達は一生懸命進んでるし、他の村まで回ってたら本当に手遅れになっちゃうし」

「今回のも寄り道って見方も出来るかもれねえが、だからって見えちまったもんは放っておけねえしな」

 サリアちゃんとダンさんの言う通りだ。手の届かない範囲のことをどれだけ憂えたとしても、何にもならない。

「あまり考え過ぎないようにしなされ、フィオナ殿。目の前のことだけに集中するんじゃ」

「……はい」

 そうでなければ私のような弱い者は心が圧し潰されてしまう。ヨルさんは、そう言っているような気がした。

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