第5話

 翌日のイルゼちゃんは、朝から妙に気合いが入っていた。昨日言ったことを、証明しようとでもしているのだろうか。

「――せぁっ!」

 熊みたいに大きい魔物を一太刀で仕留めると、鋭い目で周囲を確認してから、淀みない動作で剣を鞘に納める。勇者の剣を持つことになって改めて思うけれど、鞘に剣を納めるのって、ただそれだけのことが物凄く難しい。しかしイルゼちゃんの動作はいつでも華麗で、美しかった。

 私よりずっと剣に馴染みのあるダンさんの目からも同じように見えるのか、その様子を見ていた彼は、ひゅうと高い口笛を聞かせる。

「俺も傭兵業は長いが、お前ほど腕の立つ剣士は男だって中々お目に掛かれねえよ」

「そりゃどーも」

「剣術一家って言ってたけど、本当にそれだけなのー?」

「はは、何それ。それだけだよ」

 二人の言葉にイルゼちゃんは少しも照れた様子無く、あしらうように軽く返している。むしろ二人の言葉に得意げに喜んでしまっているのは私かもしれない。うっかり騒いでしまわないように、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。すると不意に視線を感じて顔を上げた。サリアちゃんが振り返って私をじっと見つめている。もしかして、本当に『それだけ』なのかどうかを、私にも問い掛けているのだろうか。一体何を答えればいいのだろう。私は首を傾けた。

「ええと、それだけ、かな。でもうちの村は昔から、沢山、王都の騎士を送り出してることで有名、だと思う」

 故郷の村の名前を言うと、三人共、聞き覚えがある顔をした。一族の役割の関係で王都によく出入りしていたヨルさんやサリアちゃんは勿論のこと、ダンさんも、傭兵という仕事柄、何度か耳にしたことがあったようだ。

 村自体はそんなに大きな村でもない。けれど、村の規模に対して剣術を学ぶ為の施設はやけに大きかったし、学ぶ者の割合も高い。中でもイルゼちゃんの一家は代々抜きん出て強く、必ず王都の騎士を輩出することで有名だった。

「サラブレッドってやつか」

「そんな大袈裟な。所詮は田舎の剣術だよ。王都で大きな功績を残した話はあんまり聞かないしね」

 私はその言葉に苦笑いを零す。王都の騎士として招かれるのはそれだけで名誉なことだ。しかしイルゼちゃんの言葉もまた事実で、私はその点については「それだけ世界中には強い人が沢山居るんだな」と思っていたけれど、イルゼちゃんの認識は今の言葉であるらしい。王都の騎士として今も働いているはずのお兄さん達に聞かせたら、怒りそうだと思った。

「それでイルゼは、村でも強かったの?」

「うん、勿論。イルゼちゃんに勝てる人って言ったらお兄ちゃん達くらいだったし、子供の頃から大人にも全然負けなかったよ」

 答える声がついつい弾んでしまった。男の子はおろか、成人男性にも負けないイルゼちゃんは本当に格好良くて、自慢の幼馴染だったのだ。

「ほらー、フィオナちゃんはこう言ってるよー?」

 サリアちゃんの言葉に振り返ったイルゼちゃんは、「そんなことを言われても」と言わんばかりに眉を下げて笑っている。

「だが、そんだけ鍛えたのに、イルゼは王都には行かなかったんだよな。ならそんなに強くならなくても良かったんじゃねえのか?」

 騎士を目指したわけでもないなら、剣術を磨くにしても、「そこそこ」で良かったはずだ。ダンさんの疑問はそういうことらしい。確かに、魔王が復活してしまった今のような状況でもない限り、村付近に出る魔物も大して強くはなかったし、山賊が出るほど豊かな村ではなかった。例え豊かであったとしても、村は他の場所よりも剣を学んだ経験がある住民の割合が多い為、山賊の方が可哀相な結果になるだろう。つまりイルゼちゃんが無理に強くなる理由や目的は何も無かったのではないか。言われてみればそうかもしれないと、私は今更思った。いつも一生懸命に稽古をして、誰よりも強くなっていくイルゼちゃんのことを、凄い、格好いいと思うばかりで、そんな疑問は一度も抱いていなかった。

「何でイルゼは、そんなに強くなろうと思ったの?」

 サリアちゃんが改めて問い掛けるその疑問に、皆がイルゼちゃんの回答を待った。その気配を感じたのか、軽く振り返ったイルゼちゃんは少し眉を寄せ、言い辛そうな顔を見せる。

「それは、フィオナが」

「え、私?」

 思いも寄らず自分の名前が挙がって、私は驚いた。けれど他の三人はその瞬間、何かを察したような表情に変わる。何が分かったのだろう。私には何も分からない。何度かイルゼちゃんの視線が私を窺うように向けられるけれど、私には首を傾けることしか出来ない。しばらく言い淀んでいたイルゼちゃんは、サリアちゃんが横から「ねーねー」「なんで?」と繰り返し問い掛ければ、ようやく観念した様子で口を開いた。

「フィオナが上の兄貴のこと、格好いいって……言うから」

「……え?」

 私は剣のことが少しも分からない。性格も臆病で、闘争心だって皆無だし、身体能力も低くて鈍くさい。だから当然、どれだけ剣で栄えている村と言っても私に剣を勧めた人は一人も居なかった。自分自身も、やりたいと思ったことは一度も無い。けれど私はおそらく村でも一、二を争うくらい稽古場に通っていた。目的は勿論、イルゼちゃんの稽古を見学する為だ。それ以外の目的は全く無く、その場にお兄さん達も居たのだろうということは分かっているが、……お兄さん達を格好いいと言った覚えはまるで無かった。いや、言った可能性はあると思う。イルゼちゃんが言うのなら、確かに言ったのだろう。実際、イルゼちゃんのお兄さん、特に上のお兄さんは本当に強く、イルゼちゃんが十三歳の時に一本を取るまで、彼が負けたところは見た覚えが無かった。しかしそれでも私は、彼を見て格好いいと言ったこと自体を全く覚えていない。

「フィオナの前なのに兄貴には負けてばっかりで悔しかったし、挙句、フィオナは上の兄貴が勝ち続けるの見て格好いいって手を叩いて喜んでるし、めちゃくちゃムカついて、絶対負かしてやるって思ったの」

 イルゼちゃんは話す間、ちっとも此方を見ない。先頭を歩き、誰に顔を向けることなくそう語る。サリアちゃんがにこにこしながら私を見つめている。でも私はどう反応すればいいのか、分からなかった。そもそも理由となっているらしい行動を覚えていないのが一番の問題だ。イルゼちゃんはこんなにも真剣にその事実を受け止めているのに、どうしよう。私は何も言えないで沈黙する。

「可愛い理由だねぇ~」

「うるさいな」

「それで兄貴には勝てたのか?」

 ダンさんの問いにイルゼちゃんは少しだけ唸る。上のお兄さんに勝ったところは、私もこの目で見ている。でも此処ですぐに肯定をしない辺りがイルゼちゃんらしい。向上心が高いと言うか、謙虚であると言うか。

「勝てるようにはなったけど、それでも、戦歴は良くて四割だったかなぁ。王都に行ってからはもう手合わせは出来なくなったし、まだ敵わないと思うよ。あ、下の兄貴は勝ち越したけどねー」

「はは! 立つ瀬ねえな!」

 イルゼちゃんが安定して勝てるようになったのは下のお兄さんの方で、上のお兄さんに対しては、最後まで勝利が安定することは無かった。女性で、歳下で、しかも『天才』と持てはやされて誰にも負けなかったお兄さんを相手にしてのことだから、本当に凄い結果だと思うのに、イルゼちゃんにとってはまだまだ悔しいことのようだ。

 ところで下のお兄さんとイルゼちゃんは少し仲が悪い。特にイルゼちゃんが勝ち越すようになってからそれが顕著で、王都に出る前にもイルゼちゃんが「私より弱いのに、王様の役に立てるのかな」と煽って酷い喧嘩をしていた。迎えに来ていた上のお兄さんが仲裁してくれなかったら、どちらかが剣を抜きかねない状況で、村中が冷や冷やしていたことはまだ記憶に新しい。

 話題の反応に困っていたことも忘れてそんなことを呑気に思い返していれば、いつの間にかサリアちゃんの視線が私に向けられていた。

「はい、フィオナちゃん、感想をどうぞー?」

「ええっ、感想、って……言われても、その」

 急に水を向けられて目を瞬く。イルゼちゃんがちらりと私を振り返って目が合ってしまった。本当にどうしよう。嘘を吐くよりは正直に言った方が良いのだろうか。上手に嘘が吐けなくて墓穴を掘るようなことになれば更に立場が悪くなりそうだし、イルゼちゃんのことも傷付けてしまう気がする。私は諦めて、素直に白状することにした。

「あの、ごめんね、イルゼちゃん……」

 話の流れにそぐわず肩を落とす私を不思議そうに見つめる皆の前で、何も覚えていない旨を丁寧に告げると、イルゼちゃんは「え」と呆けた声を出し、サリアちゃんとダンさんは弾けるようにして大きな声で笑った。

「え、う、嘘でしょ、だってあんな」

 どんな風に喜んでいたのだろう。本当に覚えていないから想像することも出来ない。私はやや不格好に眉を顰めてみて、じっくりと記憶を辿ってみるけれど、やっぱり、全く、少しも分からない。

「確かにお兄ちゃんは強かったから、言ったかもしれないけど……多分その時、イルゼちゃんが何もしてなかったから、他に見るものが無くて観てたんじゃないかなぁ。それか周りが手を叩いてたから、一緒に叩いた……?」

 考えられるとしたらそれしか無かった。何故なら私は本当にイルゼちゃんを見る為だけに稽古場に行っていたし、イルゼちゃんが素振りをしているだけでもいつまでも飽きずに見ていられる自分を思えば、それ以外の理由で他の手合わせに目をやったとは思えないのだ。

「つまりフィオナちゃんがいつもいつも見てたのはー?」

「イルゼちゃん」

「即答だな!」

 二人がお腹を抱えてまで笑っている理由はいまいち分からないものの、それだけは答えに迷う理由が無い。もしも手合わせをしているのがイルゼちゃんであれば、対戦相手がお兄さん達であっても私は絶対にイルゼちゃんだけを応援してきた。「二人とも頑張って」という言葉もおそらくは言わない。ただ、見学中に騒ぐと怒られてしまうということもあって、応援する心は強かったものの、私は祈るような気持ちで見つめていることが多かったのだと思う。そのせいで、イルゼちゃんにはあまり伝わっていなかったのだろうか。そう思うと寂しい気持ちになる一方で、終わった後からでも、私がもっと言葉で伝えていれば良かったのだと反省する。

「嫌な気持ちにさせちゃってたみたいでごめんね、でも私、イルゼちゃんが頑張ってる姿を見るのが大好きだったし、負けて悔しそうにしてても、イルゼちゃんはいつも一番格好良かったよ」

「へ、あ、……そ、そう」

 イルゼちゃんが赤くなったのに気付かずに、私は更に記憶を辿る。小さな頃はやっぱりイルゼちゃんも負けることが多くて、「大人が相手なんだから仕方がない」と私のような者は考えるのに、イルゼちゃんはいつも顔を赤くして、悔しそうな顔を隠しもしなかった。そんな一つ一つが全部、イルゼちゃんは格好良かったと思う。

「でもやっぱり一番印象が強いのは、初めて上のお兄ちゃんに勝った時! 誰にも負けないって言われてたお兄ちゃんが負けて、稽古場が静まり返ったのに、私だけが大声で喜んじゃって」

「アハハ、こんなに控え目なフィオナちゃんが大きな声出しちゃうくらい、イルゼ格好良かったんだねぇ」

「うん!」

 ぽつぽつと思い出を語っていたつもりが、いつの間にか私の声は大きくなっていた。後から思えばサリアちゃんが聞き上手だったのだと思う。柔らかく、続きを促しながら相槌を打ってくれるから、どれだけ当時のイルゼちゃんが凄くて格好良かったのかを沢山話してしまった。横でイルゼちゃんがどんな顔をしているのかは少しも見ていなくて、ふとダンさんが「甲斐、あったじゃねえか」と呟くと同時にイルゼちゃんがダンさんに思いっ切り肘鉄をして、びっくりした。

「あ、あの、ごめんなさい、話し過ぎちゃった?」

「え、い、いや大丈夫、あ、ほら、ちょっと開けたところに出るよ、そろそろ休憩する?」

 怒っているのかと思ったのに、振り返ったイルゼちゃんは何処か戸惑っていると言うか、混乱していると言うか、妙な表情をして頻りに目を瞬いていた。しかしそろそろ昼食時なのは確かだ。木々の隙間を縫うように歩いていた私達は、木が少なくて見通しが利きそうな場所に出たところで一休みすることにした。

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