第3話

 魔王の封印には大事な手順があるらしい。ヨルさん曰く、復活した魔王の居る大神殿へと行く前に、五つの祠を全て魔物達から取り返し、祠の奥にある祭壇に封印を施す必要がある。当然そんな勇者の目的を阻止したい魔王は、祠や、祭壇がある最深部には特に強い魔物らを送る――とのことだったけれど。

「はい完了~。風属性じゃ、どうしたって私には勝てないでしょ」

 中へと踏み込んだ時の勢いそのまま、イルゼちゃんはほとんど一人で、祠の魔物を片付けてしまった。最深部、祭壇前に居た魔物はきっとこの祠の中で最も手強かったに違いないのに、風属性であったらしく、火属性を得意とするイルゼちゃんは魔法だけでも十分優位に立ち、魔物がそれに怯んでいる隙に得意の剣で一刀両断。周りに居た他の魔物もダンさんとサリアちゃんがいつの間にか倒していて、結局私は何もしないまま、第一の祠を勝ち取ることになった。

「で、どうすんの?」

「ふむ、フィオナ殿、祭壇の前へ」

「は、はい」

 指示に従って私が祭壇の方へ歩み寄るに応じ、近くに倒れていた魔物達をダンさんが遠くへ放り投げてくれた。もしもまだ息があって動いたらどうしようという気持ちで恐る恐る近付いていたから、とても助かった。そこまでしてもらっても無機物である祭壇にすら何だか怖くて腰が引けるのだから、本当に私は始末に負えない勇者なのだけど。

「ヨル爺、フィオナがしんどかったり痛かったり苦しかったりすることじゃないよね?」

「……そう心配なさんな、大丈夫じゃよ」

 その傍ら、イルゼちゃんはヨルさんにそんなことを問い掛けている。ヨルさんは過保護なイルゼちゃんに幾らか呆れた様子だったが、その返答には私もほっとしていた。正直そういう点も、少なからず不安に感じていたから。

「紋が描かれている場所に剣をかざし、わしに続いて呪文を唱えなさい」

「はい」

 言われた通り、私はヨルさんの言葉を忠実に繰り返す。それは私達の扱う言葉ではなく、神の言葉だそうだ。残念ながらもう一度は言えない。覚えられなかった。私が呪文を唱え終えると、剣と祭壇が同時に光り輝き、その輝きは祠全体に広がっていく。あまりの眩しさに思わず目を閉じて、光の気配が無くなってからゆっくりと目を開いた。

「えっ」

「すげえ、何だこりゃ」

 開いてから見た光景に、己の目を疑って何度も目を瞬く。皆を振り返れば、素直に驚きの声を上げたダンさんだけではなく、ヨルさん以外は皆、同じように目を見張って祠の中を見回していた。

「封印完了じゃの」

 一瞬前までの祭壇は、ぼろぼろだった。魔物に傷付けられたのか、または風化していたのか。しかしそれが今、作り直されたみたいに美しく傷一つ無い姿になり、祠も全体的に明るくなったように見える。ヨルさんは満足そうに息を吐いているけれど、私達は自分達の目が信じられない。奇跡と言えば聞こえは良いが、目を疑う光景は正直怖くて不気味だ。祠の封印が成功すると、このようになるらしい。事前に教えてくれても良かったと思うのだけど、ヨルさんは単純に私達が驚く顔が見たかったのかもしれない。

「あれ? こっち窺ってただけの小さい魔物も、居なくなってる」

「うむ。もうこの祠は勇者の光の領域。魔物が入り込むことは出来ぬよ。弱い魔物であれば今の儀式で消滅する」

 つまり図らずとも私は魔物を倒したことになるのだろうか。初討伐。生前の姿すら全く見ていなかったのでまるで実感が無い。

 何気なく、もう一度祭壇の方を振り返る。するとその時、足元に何かの影が走って、私は思わず悲鳴を上げた。

「フィオナ!?」

「あ、ねずみだ~」

 慌てて駆け寄ったイルゼちゃんが支えてくれようとした手も間に合わず、私は仰け反った勢いのままに尻餅をつく。同時にサリアちゃんののんびりとした声が聞こえ、影の正体が、ただのねずみだったのだと知った。

「じいちゃん、あのねずみ退治しとくー?」

「……放っておけ」

 ヨルさんの大きな溜息が聞こえてきて、とにかく恥ずかしい。この祠、かなり音が響くせいで、私の悲鳴が響き渡ってしまったことも羞恥心に拍車をかけた。イルゼちゃんだけは心配そうに怪我は無いかを尋ねてくれたけれど、お尻を打って痛い以外には何とも無かった。

「お、お騒がせしました」

「……前途多難じゃのう」

 謝りながら祭壇から下りると、ヨルさんは白くてふさふさの長い髭を撫で、眉を下げながらそう言う。私は「すみません」と重ねて謝罪を零した。ただ、呆れた顔を見せてはいるものの、ヨルさんは魔王封印という大仕事に対して不安を抱いているわけではないらしかった。

「なに、勇者の物語の結末など決まっておる。魔王を倒し、封印を成す。多少の困難はあれど、いつも同じじゃ。フィオナ殿の封印の力は確かなものじゃからな、まあ、問題あるまい」

 何処か楽観的にも聞こえるヨルさんの言葉。祠を出るべく先を歩いていたダンさんにも聞こえていたようで、歩きながら私達の方を振り返る。

「そう簡単に行くのかぁ? 魔王が相手なんだろ?」

 来た時は最深部に至るまで引っ切り無しに魔物が飛び出してきたのに、今ではすっかりその姿は無くなっていた。外に出ればまた魔物が出てくるのだろうと思うと、正直もう此処に立て籠もっていたい。ダンさんの言葉に不安を煽られてしまったせいか、現実逃避のようにそんなことを考える。だけどヨルさんは、彼の疑問も尤もだと言うように頷いているものの、前の言葉を覆さなかった。

「まあのう。じゃが、いつの代でも再封印は三か月以内に済まされる」

 魔王封印が、まるで簡単なことであるかのような台詞に、私もダンさんも、そして前を歩いていたイルゼちゃんも目を丸めて振り返った。

「むしろそれ以上、時間を掛けられないって話なんだよー」

 隣を歩いていたサリアちゃんは肩を竦めながらそう補足する。彼女はヨルさんの孫娘であり、かつ、一族の継承者であることから、全てではなくとも一部の勇者の伝承を既に知っているらしい。

「魔王は復活してから三、四か月は、大神殿に縛り付けられて出られないの。だけどそれ以上が経つと、その束縛も解いて何処かに行っちゃうんだって」

 つまり逃してしまったら勇者一行はそれを追って、捕まえて、倒して、更に大神殿に戻って封印の儀式を行う必要がある。しかし魔王はただ倒すだけではすぐに復活してしまう存在であるらしい。大神殿に戻った頃には既に蘇っていて、待ち受けている魔王と再び戦うことになる可能性もあるそうだ。

「大神殿で蘇るの? 何でわざわざ?」

 説明の中で「戻った頃には」と言ったサリアちゃんに対し、イルゼちゃんが首を傾げた。確かに、大神殿に封印された魔王がそこに囚われるというのは分かるが、一度のその束縛を振り切った後も、その場所に戻る意味が分からなかった。だがそれにもちゃんと理由があるらしい。

「そもそも大神殿とは、負の魔力が最も集まりやすい場所に建てられておる。魔王が生まれた場所――とも言われておるのじゃ。その為、弱体化した魔王は必ずその場所に戻る」

「弱体化……もしかして、大神殿に居る間はまだ弱い?」

「ほほ、ご明察じゃの、イルゼ殿」

 ヨルさんは嬉しそうに笑ってその言葉を肯定した。

 大神殿に留まっている間は勇者が有利。だから三か月以内ならば容易に封印できる可能性が高く、言い換えれば、それ以降の封印は困難になるということだ。この説明を聞いて私は尚のこと不安になった。今までの勇者ならば戦えたのだから可能だったのかもしれないが、私が戦えないせいで足を引っ張っているのだから、もしかしたら間に合わないかもしれない。それでも私が三か月以内に戦えるほど強くなるなんて、どう考えたって不可能だ。レベルアップする時間すら与えてくれないこのシステムは過酷ではないだろうかという文句も頭を過ぎる。時間がたっぷりと用意されていたら戦えるようになる人間でも、ないくせに。

「フィーオナ」

 不安に駆られて黙り込んだ私に気付いたイルゼちゃんは、戻ってきて目の前に立つと、柔らかい微笑みを向けてくれた。

「だから私が居るってば。とにかく、まずは二つ目の祠に行こう?」

 何の不安も含まないその笑みを見て、ゆっくりと息を吐く。私はイルゼちゃんが居ないと呼吸もまともに出来ないらしい。ヨルさんは私達を少しの間眺めてから、うんうんと二度頷いた。

「イルゼ殿の言う通りじゃの、一つずつ着実に、じゃ」

 そうして向かった二つ目の祠には、最深部に水属性の魔物が居た。属性相性の問題でイルゼちゃんが苦戦をするのではと心配したのは一瞬で、そういえば雷属性の魔法も使えるようになっていたのだ。お陰で、不利どころか物凄く有利だった。

「ほほ、見事」

 あまりに楽な祠の制圧に、ヨルさんは機嫌よくそう言って笑う。ただイルゼちゃんだけが何処か難しい顔をして、剣で空を斬りながら首を傾けていた。

「なんだよイルゼ、どうかしたのか?」

「んー、いや、剣、ちょっと変えようかなぁ」

 ダンさんの問い掛けに対し、イルゼちゃんは難しい顔を崩さずに唸るようにそう返した。

「合わねえのか?」

「ずっと村で使ってたからそういう訳じゃないけど、うーん」

 故郷に居た時とも何も変わらず、慣れた様子で剣を振っては、器用にくるくると回して鞘に納めているけれど、彼女の中には何か違和感があるのだろうか。何度も角度を変えて首を傾けていた。

「何か気になるようであれば、次に立ち寄る街で新調してみるのも良いじゃろう、今後もイルゼ殿にはたっぷり戦ってもらわねばならん」

 何処かの誰かが戦えないから。という言外の意味を込めた視線を感じ、私はそっとヨルさんから目を逸らした。

 実際、王様から貰った大金はまだまだ余っているし、武器や防具を新調したり強化したりする資金という意味もあったのだろうから、正しい使い道だと思う。私からも「そうしよう」とイルゼちゃんに言えば、彼女も表情を和らげて頷いていた。

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