第2話

 千年に一度復活するという魔王の伝承は、一般市民にも広く伝わっていた。それは勇者が勇者として自覚する為に、必要なことだった。何故なら勇者は、人によって選ばれるようなものではなく、戦って勝ち取るようなものでもなく。勇者の証となる紋章が勝手に身体に浮かび上がり、決まることだったから。勇者をその道に導く為には、選ばれてしまった者には自ら名乗り出てもらわなければ世界が困る。だから国としてはそれを『誰もが知る』伝承としなければならなかったのだろう。

 そんな勇者の紋を、私はある日突然、鎖骨の間あたりに賜ってしまった。そんな場所に浮かんだものだから、最初に気付いたのは私ではなくてイルゼちゃんだった。他愛ない話の途中、柔らかな笑みで私を振り返ったはずのイルゼちゃんが、口をあんぐりと開けて呆然としたこと、きっと一生忘れられない。

「イルゼちゃん? どうしたの?」

 彼女の表情を見て首を傾ける私に、イルゼちゃんは何も言わず、驚きの顔をしたままで胸元から取り出した手鏡を私に渡し、勇者の紋が浮かぶ箇所を指し示した。私は鏡を確認して、イルゼちゃんを見て、もう一度確認して、それから。

「え、えええーーー!」

 そのまま目を回した。イルゼちゃんが慌てて助けを呼んでくれる声が、薄れる意識の奥に木霊していた。

 村の皆は、私やイルゼちゃんがこんな悪戯をするはずがないと分かってくれていたから、紋章が浮かび上がったことそれ自体を嘘だと言われることは無かった。けれど誰もが「どうしてフィオナに」「何かの間違いでは」と言った。当然、誰よりも強くそう思っているのは私だ。

 何はともあれ、勇者の紋が浮かんだ者は国王に報告する義務があり、私は登城せざるを得なくなった。

「大丈夫だよ、私も一緒に付いて行くからさ」

 イルゼちゃんはそう言って、本当に一緒に来てくれた。イルゼちゃんが一緒なら安心だねと笑って付いて来なかった両親はどうなのだろうと少し思う。私はまだ十六歳なので、そんなに雑に登城させないでほしい。

 ちなみにイルゼちゃんは私の二つ年上で、十八歳。そんな年若い女二人だけで王都まで向かい、王に謁見したいと言って怒られないかと不安だったが、勇者の紋を示せば全ての道程がすんなりと進んだ。ただ、「信じられない」という驚愕の目を向けられた回数は、数え切れない。

「……まさかこんな、か弱い少女が」

 王様にも、はっきりとそう言われた。いや、まだオブラートに包んでくれた方だと思う。流石は王様。生まれ育ちが違う。

「ヨルムント」

「は、此方に」

 王様に呼ばれて出てきたのが、今は仲間として共に旅をしてくれているヨルさん。真っ白で長い髭が、同じ色の長い髪の毛と混ざって何処から何処までが髭で髪か分からないような風貌だけど、あの場で見たヨルさんは、妙に気品があり、威厳があった。正直、強い瞳でじっと見つめられるのは怖かった。

「この者は、『導き手』の一族の代表だ。勇者を語り継ぎ、そして導く役目を持っている」

 ヨルさんを指して、王様はそう言った。千年に一度という間隔で行われる封印の儀式を滞りなく、そして正しく執り行うべく、その知識や伝承を代々語り継いでいる一族が居るらしい。

「この少女が勇者で間違いないか?」

「確認いたしましょう。失礼」

 王様の問いに応じて一つ頷くと、ヨルさんは手に持っていた長い杖を真っ直ぐに私へ向けた。咄嗟に怯えてイルゼちゃんに掴まると、イルゼちゃんは私を自分の身体で隠すように抱き寄せる。

「フィオナに何するつもり?」

「なに、攻撃するわけではない、紋を確認する術だ、そのままじっとしておれ」

 言うや否や、私達の足元に大きな魔法陣が展開される。驚いて身体を強張らせた私の喉元から、不意に光が零れた。私からは見えなかったが、どうやら勇者の紋が光ったらしい。イルゼちゃんは一瞬目を見張ってから、慌てた様子で優しく紋章に触れた。

「フィオナ、熱かったり痛かったりしない?」

「だ、大丈夫」

 その瞬間は本当に何も感じていなかったものの、そう言われると、これから熱くなったり痛くなったりしたらどうしようという恐怖がじわじわと湧き上がり、私の身体を冷たくする。しかしそんな苦痛に襲われることは全く無いまま、足元の魔法陣が消え、それに応じて紋章の光も消えた。

「間違いありません、この少女が此度の勇者です」

「……そうか」

 ヨルさんの言葉に、王様は静かに目を閉じると、俯くように頭を下げた。落胆により項垂れたのか、勇者を見付けて安心したのか、全く違う別の感情であったのかは、私には分からなかった。

「勇者の剣を持って参れ!」

 次に頭を上げた王様は大きな声でそう指示を出す。待ち構えていたかのような早さで運び込まれてきたのは、まるで新品のように光り輝く、美しい大剣だった。これが『勇者の剣』であり、神々が太古に創り、人に与えたものであるらしい。「本当は今作ったんでしょう?」と恐れ多くも言いたくなるほど、傷も汚れも一切見えなかった。実際に受け取った後に改めて見ても、やはり傷一つ無かった。

「――勇者の剣とは本来、大神殿の最奥に封印の鍵として納められているべきもの」

 徐に、ヨルさんが私達に語り掛けるように説明を始める。

「ただし魔王が復活するとその鍵は外れ、大神殿と真逆の方角に位置する勇者の祠に現れる。つまり、それが魔王復活の合図」

 今回もそうして勇者の祠にこの剣が現れ、祠を管理していた巫女達が、次の勇者へと託すべく此処まで運んできたのだと言う。また、その剣が現れた時期と、私が紋を宿した時期は一致するとのことだった。

「数か月もすれば、世界には今以上の数の魔物が蔓延はびこり、人間の数を悠に上回ることになるだろう。一刻も早い魔王の再封印が必要となる。……フィオナ殿と言ったか」

「は、はい」

「まだ少女の身には辛いことだろうが、紋をその身に受けた以上、それは其方の役目となる」

 この紋を宿してしまった時からそういう話になるとは分かっていたのに、私はすんなりと「分かりました」などと言って頷けなかった。どうして私なの。そんな言葉ばかりが頭を巡って、黙り込む。

「少女の勇者よ、そう案ずることは無い」

 怯える私の表情を見兼ねてか、王様は小さな咳払いの後、殊更、優しい声でそう言った。

「旅にはヨルムントも同行させる。全て、この者の指示通りに動けば良いだけだ。勿論、必要なことは全て国が支援をしよう。そうだ、路銀も十分に出さねばなるまいな」

 矢継ぎ早にそう言った王様が手を叩くと、三名の女性が、絡繰り人形のように一糸乱れぬ動きで私達に歩み寄り、片田舎の村人では一生働いても手に入らないくらいのお金をぽんと渡された。それに目を白黒させている内に、勇者の剣も続いて手渡され、私はそのまま旅へと送り出されてしまったのだ。

「い、イルゼちゃん……」

 唖然として佇む私の横で、イルゼちゃんも困った様子で首を傾け、苦笑いを浮かべている。

「災難だねこりゃ。ま、私も一緒に行くから、大丈夫だよ」

 まるで何でもないことのように、イルゼちゃんはさらりと魔王封印の旅へ同行を名乗り出てくれた。彼女が居なければ、私はもう一度あの場所で目を回していたに違いない。


「フィオナ、本当に疲れてないー?」

 手に持っていた長剣を、イルゼちゃんは小さなナイフを扱うようにくるくると回し、手慣れた様子で鞘に納めた。格好いい。一方、彼女に頷きを返した私はと言うと、おっかなびっくりという手付きで、まごつきながら勇者の剣を何とか鞘に納めた。もう十数回と繰り返しているが、一回ですんなりと鞘に剣を入れられたことが一度も無い。

 それでも念の為、戦闘中は鞘から出して手に持っているようにしていた。危険が迫ってから抜くみたいなこと、私には絶対に出来ないから。とは言え結局、構える以外には何も出来ていないのだけど。

「見た目がね、何か、心配になるよ」

 自分の身長と変わらぬような長さの大剣を背負う私を、心配そうにイルゼちゃんが見つめる。勇者の剣は、紋を持つ私は全く重さを感じない。精々、振るった時の風の抵抗が分かるくらい。でも他の人が持つと通常の重さがあるらしいので、一度試しに持ってみたイルゼちゃんは余計に見ていて心配になるそうだ。その効力は正直ありがたいものだった。そうでなければ短剣すら持ったことの無い私が、大きな剣を携えて旅をするなんて不可能だ。剣を持って付いて来てくれるだけの兵士を雇うかどうか、真剣に迷ったと思う。

「それほどの優位性があるのだから、勇者の紋を持つというだけで魔物を圧倒できるはずじゃがのう」

「う、ご、ごめんなさい」

「ヨル爺、フィオナに戦闘とか、無茶言わないでよ」

 呆れたように言うヨルさんに申し訳ない思いを抱くけれど、イルゼちゃんは間髪入れずに庇ってくれた。ヨルさんは小さく肩を竦めている。しかし、歴代の勇者について良く知るだけに、ヨルさんが色々言いたくなる気持ちも分かるつもりだ。自分の代で勇者が現れ、その随伴を務めることになったことはきっと名誉なことだろうに、その勇者が、これなのだから。

「でもその代わりって言ったらあれだけどさ、イルゼの強さが勇者級だよねぇ」

 サリアちゃんは怪我の治療の為に外していた籠手こてを装備し直しながら、会話に入ってきた。いつもにこにこと楽しそうに笑っている彼女は、一緒に居ると何だかほっとする。サリアちゃんは剣などの武器を持たないながらも体術が得意のようだ。私よりは背が高いものの、比較的、小柄で華奢な身体付きをしているにも関わらず、繰り出される突きや蹴りはいつだって軽々と魔物を叩き飛ばす。彼女はきっとその全身が武器なのだといつも驚いていた。そんなサリアちゃんも、いずれはヨルさんの後を継いで、『導き手』の一族を率いる存在になるらしい。今回はヨルさんと共に、私の旅の手助けをしつつ、旅を後世に伝える為の記録係として同行してくれていた。

 そんなサリアちゃんからの言葉に、イルゼちゃんは謙遜するみたいに軽く手を振っているけれど、イルゼちゃんは本当に強い。彼女の家は剣術一家で、イルゼちゃんのお兄さん二人はいずれも王都で騎士として働いている。イルゼちゃんも彼らと一緒に剣を習って育ってきたのでかなり腕が立ち、王都で女騎士――という誘いもあったそうだけれど、イルゼちゃん曰く、「村を守ってる方が性に合ってる」「フィオナも居るし」だそうだ。二つ目の理由に関しては、村の皆も何とも言えない顔をしていた。

「しかも魔法まで使えるしさー、本当、イルゼって最強じゃない?」

「いや、でも魔法は、村に居る時はそんなに。魔物を軽く脅かす程度のことしか出来なかったはずなんだけどね」

 イルゼちゃんが得意とするのは火属性と雷属性の魔法で、どちらも迫力があって格好いい。ただ、雷属性の魔法は村に居た時は使えなくて、この旅に出てから使えるようになっていた。そんな話を聞けば聞くほど、サリアちゃんは不思議そうな顔を深めていく。

「雷系なんて特に勇者が得意にしやすい魔法じゃなかったっけ。じいちゃん、本当にイルゼが勇者じゃないの?」

 無邪気な疑問が耳と心に痛い。イルゼちゃんの方が余程、勇者に相応しいと私も思う。いや、私より相応しくない人を探す方が大変だとは思うけれど、私との比較じゃなくたって、イルゼちゃんは本当に勇者みたいな人だ。強くて、優しくて、心が綺麗で、真っ直ぐで、正義感も強い。けれどヨルさんははっきりと首を横に振る。

「魔法はただの傾向じゃ。勇者は間違いなく、紋を持つフィオナ殿。そもそもイルゼ殿の魔法強化も、フィオナ殿の力によるものじゃからな」

 それを『勇者の加護』と言うらしい。勇者はただ剣を持って立つだけで加護を生み、味方の力は自然と強化されるとのこと。私達の中ではイルゼちゃんが特に強くその影響を受けているようだ。

「じゃーフィオナちゃん、ちゃんと勇者なんだねー」

「まあ歴代の勇者はその上で自らも戦っておったのじゃが」

「うっ、はい……」

 少しでも役に立っていて良かった――なんて気分を刹那も保たせてくれないヨルさん。どう転んだって私は勇者としては何もかも、足りていないようだ。

「ま、何にせよイルゼが居て良かったなぁ、嬢ちゃん」

 不意に足元が陰って顔を上げると、身体の大きなダンさんが傍に立って笑っていた。私なんかじゃ絶対に持ち上げることが出来ない大きな斧を、軽々と肩に乗せている。彼は王都を出て最初に立ち寄った街で、女と年寄りしかいない勇者一行を見兼ねて用心棒よろしく同行を申し出てくれた優しい人だ。本来は傭兵としてお仕事をされているとのことだから、お金で雇うと言ったのだけど、「そんなもんいい! 勇者一行ってだけで箔が付くからな!」と笑い飛ばしていた。最初は大きな身体と大きな声にびっくりしたけれど、いや今もすぐにびっくりしてしまっているけれど、彼が優しい人だというのはよく分かる。

「もー皆うるさいよ、私が居て何とかなるなら、それでいーの。フィオナは気にしない!」

「う、うん」

 会話を断ち切るように強く言うイルゼちゃんに対し、流石に皆も食い下がることは無い。何よりイルゼちゃんがほんの少し臍を曲げた様子だったので、むしろ私ではなく、イルゼちゃんに掛ける言葉を迷ったような顔をした。だけど先に口を開いたのは本人で、さっきのような怒った様子は無くなっていた。

「ほら、何か見えてきたし。ヨル爺、祠ってあれ?」

「うむ。あれが第一の祠じゃ」

 イルゼちゃんが指し示した先に、真っ黒の入り口が見える。木々に覆い隠されて全容の見えない祠なのに、入り口だけが何にも遮られること無くその存在を見せ付けている。誘われて迷い込んだ者を飲み込もうとしている口のようにも見えて、私の身体がぞくりと震えた。祠は魔王が復活してしまうと同時に魔物の巣窟となってしまうという話だったから、不気味であるのも仕方がないのかもしれない。やや身体の竦んでしまった私とは対照的に、振り返ったイルゼちゃんが元気よく笑った。

「よーし、じゃあフィオナの初仕事、張り切って行こう! 魔物は全部私に任せて!」

 多分、私が怖がっていることが分かったから、安心させようとしてくれたのだと思う。事実、怯えていた私の足は、イルゼちゃんの背に向かって前へ踏み出すことが出来た。

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